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検索対象: ごんぎつね
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1. ごんぎつね

けんぶっせき ぞく だんちょう 見物席にむかっておわびをいし 、賊のすがたの団長にあやまりました。見物人はか ぶたい えって、やんやとはしゃぎさわいでよろこびました。団長は舞台のうしろで、にがわ らいをしていました。 四 小さなサーカスは、村々をねっしんにうってまわりましたが、みいりはほんの、み んなが、かっかったべていけるだけの、わずかなものでした。 びよ、つき そのうちに、一とうの馬が病気で死んでしまいました。「おしいことをしたなあ。」 だんちょう ちょ しようばう と、団長をはじめ、留じいさんもお千代さんも、正坊も五郎も、馬の死がいをとりま いてなげきました。 それからひと月もたったある朝、目をさましてみると、団長とお千代さんと、正坊 かるわざし の三人きりをのこして、ほかの軽業師は、みんな小屋をにげだしていました。これで こう」よう はいよいよ、興行することができなくなりました。団長もしかたなく、わかれわかれ になることに話をきめました。 とめ 102

2. ごんぎつね

ク〔はおりにいれられたまま、車にゆられて、町の動物園に売られていきました。 しようばう 正坊とお千代さんは、のこ 0 た一とうの馬と、テントやテーブルやいすなそを売り はらって、できたお金をもらいました。 だんちょう 「団長さんはなんにもなくなって、どうするの。」 と、正坊がたずねますと、団長はさびしそうにわらって、 「なんにもなく 0 て家を出たんだから、なんにもなく 0 て家〈帰るんだよ。」 けいさっ といいました。団長は、町の警察にたのんで、正坊とお千代さんを、メリャス工場〈 住みこませてもらいました。 五 ク 0 は町の動物園にかわれるようにな 0 てからは、まい日、カのない目で、青い空 のほうばかり見あげていました。正坊やお千代さんはどうしているんだろうなあ、も ういちどあ 0 て、あの「ゆうかんなる水兵」の曲が聞きたいなあと、そんなことを思 いつづけてでもいるようなかっこうでした。 きよく どうぶつえん 103

3. ごんぎつね

屁 いしたろう じようこういんぜしん 石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんな はるきち がい 0 ていた。春吉君は、そうかもしれないと思 0 た。石太郎の家は、浄光院のすぐ 西にあったからである。 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さ んの屁について、おとなたちや子どもたちのあいたにったえられている。是信さんは、 いんどう 屁で引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁し ) ぐらい きようさいちゅう は、お経の最中にするかもしれない。 ほうえかね また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひ 0 てお経をあげたという。これ も、おとながおもしろ半分につくったうそらし、 したが、これだけはたしかだ。是信 しよう ) 」 ばんしよう さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶつばなすことができると へ めいじん 106

4. ごんぎつね

いうことである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。 じようこういんしよいん いしたろうぜしん 石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの そうぞう 下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像 つばいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、あ させた。茶色のはん点がい らいふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあ いに耳がばかに大きい、まるで二つのうちわを頭の両側につけているように見える、 きたない着物の、手足があかじみた石太郎 じようけい きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくりかえしなが しゅ・きよう ら、屁の修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。 石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、 大きいのを一つたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほ れんばっ がらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがと きをつくるような音をだすこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかし いとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり , ・ーー・つまり、 むなざんよう 107

5. ごんぎつね

調子をとりながらだすのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいし てやる。 いしたろう しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、と うふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた 名まえは、十の指にあまるくらいだ。 めいじん 石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべっしていた。下級生でさえ こうぜん どうきゅうせい も、あいっ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生 ぎふん たちは、同級生としての義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を 感じるなんか、おかしいことだったのである。 いっしゆいよう 石太郎の家は、、 るさくてみす・ほらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻 をつき、へどが出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、 病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。 どこかへかせぎに出ているおとつつあんが、ときどき帰ってくる。おっかあは、早 ホンツク く死んでしまって、いない。石太郎は、 : こと 川漁の ) にばかり行く。とってきたふ ちょうし はくしゅ 108

6. ごんぎつね

なや、どじようを、じいさんに食べさせる。また、買いにいけば、どじようやうなぎ を売ってくれるということである。 石太郎の着物は、いつあらったとも知れす、あかでまっ黒になっている。その着物 びんばう に、家の中のあの貧乏のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやっ ほうひ ちゅうもん てくる。そのうえ、注文されなくてもかれは、ときおり放屁する。 みんなは石太郎のことを、屁えこき虫としてとりあっかっている。石太郎のほうで も、そのほうがむしろ気らくなのか、一度もふんがいしたことはない。生徒ばかりで なく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、石太郎は、だんだんじぶん でも虫になっていった。かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたりぶんの ちゅうい じゅ」よう つくえをあたえられていたが、授業中にあまり授業に注意しなかった。たいていは、 えんびっさいく ナイフで鉛筆に細工していた。またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。 ちゅうもん 屁の注文をうける場合のほかは。かれは、いつもぐにやぐにやし、えへらえへらわらっ てした 春吉君は、一度、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。 109

7. ごんぎつね

いしぐろ それは五年生の冬のことである。三年間受け持っていただいた、年よりの石黒先生 じびよう じゅぎよう が、持病のぜんそくが重くなって、授業ができなくなり、学校をおやめになった。か わりに町から、わかい ロイドめがねをかけた、髪の長い藤井先生がこられた。 ひやくしよう 春吉君の学校は、かたいなかの、百姓の子どもばかり集まっている小さい学校なの とかいじん で、よそからこられる先生は、みな、都会人のように思えたのだった。藤井先生をひ と目見て、春吉君は息づまるほどすきになってしまった。文化的な感じに魅せられた のである。石黒先生もよい先生であったが、先生は生まれが村の人なので、ことばが、 生徒や村のおとなたちの使うのとほとんどかわらないし、年をとっていられるので、 たいそう 体操など、ちっとも新しいのを教えてくれない。走りあいか、を まうしとりか、それで すなば なければ、砂場ですもうをとらせる。いちばんいやなのは、話をしている最中に、せ きをしはじめることである。長い長い、苦しけなせき。そして、長いあいだ、さんざ くろう 苦労をしたあげく、のどからやっと口までうちだしたたんを、ポケットにいれて持っ ている新聞紙のたたんだのの中へ、ペッペッとはきこみ、その新聞紙を、まただいじ そうにポケットにしまうのである。 かみ さいちゅう 110

8. ごんぎつね

はるきち きようしつ さて、藤井先生が、はじめて春吉君の教室にあらわれた。はじめて生徒を見る先生 には、生徒は、みないちょうに見える。よく、それそれの生徒の生活になれると、そ こせい れそれの生徒の個性がはっきりしてくるが、顔を最初見たばかりでは、わからない。 だれがりこうで、だれがしようもないあほうであるかも、わからない。 さかいち きようたく 藤井先生はます、教卓のすぐ前にいる坂市君にむかって、「きみ、読みなさい。」と いった。それは読み方の時間だった。「きみ」ということばが、春吉君をまた喜ばせ とかい た。なんという都会ふうのことばだろう。石黒先生はこんなふうにはよばなかった。 てる 先生は、生徒の名を知りすぎていたから、「源ゃい読め。」とか、「照ン書け。」とかい ったのである 坂市君が読んでいきながら、知らない字をのみこむようにしてとばしたり、あいま いにごまかしたりすると、石黒先生はそんなのをほったらかしておかれたのに、わか い藤井先生は、いちいち、え、え、と聞きとがめられた。そんなことまで、春吉君の 気にいった。もうなにからなにまで、この先生のすることはよかった。 じゅんじゅん 藤井先生は、坂市君から順々にうしろへあてられた。四人めには、春吉君がひかえ 111

9. ごんぎつね

すいメリャスの運動シャツ、白い。 ( ンツ、足にぬったヨジウム。そして、ことばが小 鳥のさえずりに似て軽快だ。 春吉君は、一歩門内にはいるときから、もうじぶんたち一団のみすぼらしさに、は せいさい ずかしくなってしまう。なんという生彩のないじぶんたちであろう。友たちの顔が、 ふろしき さるみたいに見える。よくまあこんな、べんとう風呂敷をじいさんみたいにしよって きたものだ。まったくやりきれないいなかふうた。 しき こういう意識が、運動会のおわるまで、春吉君の中でつづく。ちょっとでも、じぶ んたちのふていさいなことをわらわれたりすると、春吉君はっきとばされたように感 じる。町の見物人たちのひとりが、春吉君のことを、まあ、じようぶそうな色をして ちじよく と、つぶやいたとしても、春吉君は恥辱に思うのである。町の人がおどろくほどの健 こうしよく ひや ざい′」う し + ′力、よ」 康色、つまり、日焼けしたはたの色というものは、町ふうではなく在郷ふう ( ふう からだ。 かんきようどうか ある人びとは、保護色性の動物のように、じき新しい環境に同化されてしまう。 けんぶつにん はごしよくせい けいかい だん 116

10. ごんぎつね

どうか で、藤井先生も、半年ばかりのあいだに、す 0 かり同化されてしま 0 た。つまり都会 気分がぬけて、いなかじみてしま 0 た。洋服やシャツはあかしみ、ぶしようひげはよ くのびており、ことばなども、すっかり村のことばにな 0 てしま 0 た。「なんだあ」と か、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、春吉君がそのことばあるがため、じ はうげ - ん ぶんの故郷をきら 0 ているような、げびた方言を、平気で使われるのである。春吉君 むぎ が、藤井先生も村の人にな 0 たということをしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶ んのある日だった。 すいさい 午後の二時間め、春吉君たちは、校庭のそれそれの場所にじんど 0 て、水彩の写生 をしていた。小使室のまど下にこしをおろして、学校のげんかんと、空色にぬられた えんけい がた 朝礼台と、そのむこうのけしのさいているたんざく型の花だんと、ずう 0 と遠景にこ にのみやきんじろう ちらをむいて立 0 てる二宮金次郎の、本を読みつつまきをせおって歩いているみかげ いっしんさいひっ 石の像とをとりいれて、一心に彩筆をふる 0 ていた春吉君が、ふと顔をあげて南を見 どて ると、学校の農場と運動場のさかいにな 0 ている土手の下にば 0 て、藤井先生が、 なにか土手のあちら側にむかってあいすをしていられる。 しやせい 117