屁 いしたろう じようこういんぜしん 石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんな はるきち がい 0 ていた。春吉君は、そうかもしれないと思 0 た。石太郎の家は、浄光院のすぐ 西にあったからである。 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さ んの屁について、おとなたちや子どもたちのあいたにったえられている。是信さんは、 いんどう 屁で引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁し ) ぐらい きようさいちゅう は、お経の最中にするかもしれない。 ほうえかね また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひ 0 てお経をあげたという。これ も、おとながおもしろ半分につくったうそらし、 したが、これだけはたしかだ。是信 しよう ) 」 ばんしよう さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶつばなすことができると へ めいじん 106
それから南のまどぎわへ歩いてい 0 て、外の空気をすうために、やや ( ンケチをお はなしになる。藤井先生のいつもきま「た動作がおもしろいので、生徒らは、男子も ふるてやとおすけ 女子も、ますます、くさいとさわぐ。すると古手屋の遠助が、きようは大根屁たとか、 きようはいも屁だとか、きようは、えんどう豆屁だとか、正確にかぎわけて、手がら 顔にいうのである。 かんしきがんしんよう みんなは、遠助の鑑識眼を信用しているので、かれのい 0 たとおりのことばを、ま たったえはじめる。 「あ、大根屁た。大根くせえ。」 けんそう というふうに。ようやく喧騒が大きくなったころ、先生は、 「たれだっ。」 いちどう ちんもく と、一かっされる。一同はびた 0 と沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後 しせん 方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた 顔をつくえに近くさげて、左右にすこしすっゆすっているのである。 せいじゃく その静寂の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいう 122
いうことである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。 じようこういんしよいん いしたろうぜしん 石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの そうぞう 下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像 つばいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、あ させた。茶色のはん点がい らいふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあ いに耳がばかに大きい、まるで二つのうちわを頭の両側につけているように見える、 きたない着物の、手足があかじみた石太郎 じようけい きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくりかえしなが しゅ・きよう ら、屁の修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。 石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、 大きいのを一つたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほ れんばっ がらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがと きをつくるような音をだすこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかし いとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり , ・ーー・つまり、 むなざんよう 107
石太郎にすまないという気持ちゃ、石太郎はぎせいにたってえらいなという心は、 ぜん・せん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようとい こうけつどうき うごとき高潔な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐすたったからにすぎない。 はねみ まるで また石太郎は、なん度むちでこづかれたとて、いっこう骨身にこたえない。 ひっ さはんじ 日常茶飯事のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必 要はないわけである。 へじようしゅうはん むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみがのこったのだと 思うと、かれがうらめしいのである。 はんもん しかし、ときが、春吉君の煩悶を解決してくれた。十日もすると、もうほとんどわ すれてしまった。 たが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎が しかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信 じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっている こいっかもしれ ときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいっかもしれない べんかい つみ 129
調子をとりながらだすのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいし てやる。 いしたろう しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、と うふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた 名まえは、十の指にあまるくらいだ。 めいじん 石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべっしていた。下級生でさえ こうぜん どうきゅうせい も、あいっ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生 ぎふん たちは、同級生としての義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を 感じるなんか、おかしいことだったのである。 いっしゆいよう 石太郎の家は、、 るさくてみす・ほらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻 をつき、へどが出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、 病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。 どこかへかせぎに出ているおとつつあんが、ときどき帰ってくる。おっかあは、早 ホンツク く死んでしまって、いない。石太郎は、 : こと 川漁の ) にばかり行く。とってきたふ ちょうし はくしゅ 108
助が、あ、くせ、と、第一声をはな 0 た。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四 方にったわった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。 いしたろう いつもとおなじさわぎがはじま 0 た。屁えこき虫の石太郎が屁をはな 0 たときと、 寸分ちがわぬことが。 もう、なりゆきにまかすばかりだ。 春吉君は、どうしていいのかわからない。 えいびんきゅうかく だいこんなっぺ やがて古手屋の遠助が、きようは大根菜屁だといった。なんという鋭敏な嗅覚だろ う。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはい 0 たみそしるで食べてきたのである。 やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、 「だれだっ。」 とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、息をのんで、おもてをふ せた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に蝟集するように、きようは、じ ぶんにそそがれているのだと思いながら。 今にどこからか、春吉君だという声が起こ「てくるにそういないと、思った。そう いうふうにす 0 かり観念していたので、石だ、石だ、というあやま 0 た声があが 0 た すんぶん いしゅ、つ 125
この本のなかでみますと、題材としてはとてもおもしろい「屁」にしても、石太郎のことを、 「石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべっしていた。下級生でさえも、あい こうぜん どうきゅうせい っ屁えこき虫と、公然指さしてわら 0 た」とし、しかも同級生たちさえ「同級生としての義憤 を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感しるなんか、おかしいことた : こどく と、つきはなして、孤独な人間にしています。 「のら犬」では、「食いものも、ろくに食わんとみえて、ひどくやせこけていた」と、のら犬 しよ、つば、つ かいさん のことを書いていますし、「正坊とクロ」では、サーカスの解散によってはなれ。はなれになって あいじようしゆだい 動物園に売られた黒くまのク 0 と正坊の愛情が主題とな 0 ています。「蔵の中」では、泣き虫の 栄蔵が、友たちにいじめられることを書いています。「いぼ」は、町の子のいとこの克巳と仲よ きたい しになり、町へあいに行くのですが、まるで無視され、期待していたことがみんなだめになり、 とぼと・ほと歩いて帰ることを書いています。 南吉が、このように孤独な人間を主人公にした作品を多く書いているのは、実母のりゑを四 歳のときになくしているのが、大きな原因と考えられます。南吉の母をしたう詩を紹介しま 1 しよ、 - っ・一 0 えいぞう めいじん じつば 190
いっぴん そしてついに、こんどこそはと思われる逸品ができあがりつつあった。春吉君は、細 しんちゅうい 心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの凹凸をならしていった。 すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかのいっさいのことをわすれていたが、ふとわ れにかえった春吉君は、「しまった。」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、な したはら にか重いものが下腹いっこ、 しにつまっている感じで、ときどき、ぶっぷっと豆のにえ るような音もしていたので、ゆだんすると屁をするそと、心をいましめていたのだが、 ねっちゅう ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。お しゅうき かげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気を ともなっているはすだと、春吉君は思った。 うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならび げんごべえ の席にいる源五兵衛君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物ーーーたぶ どりよく ん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくつつけようと努力 てるじろう よねん よのすけ せいさく している。うしろの照次郎君も、与之助君も、それそれの制作に余念がない。 とお すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠 せき へ おうとっ ふるてや 124
なや、どじようを、じいさんに食べさせる。また、買いにいけば、どじようやうなぎ を売ってくれるということである。 石太郎の着物は、いつあらったとも知れす、あかでまっ黒になっている。その着物 びんばう に、家の中のあの貧乏のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやっ ほうひ ちゅうもん てくる。そのうえ、注文されなくてもかれは、ときおり放屁する。 みんなは石太郎のことを、屁えこき虫としてとりあっかっている。石太郎のほうで も、そのほうがむしろ気らくなのか、一度もふんがいしたことはない。生徒ばかりで なく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、石太郎は、だんだんじぶん でも虫になっていった。かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたりぶんの ちゅうい じゅ」よう つくえをあたえられていたが、授業中にあまり授業に注意しなかった。たいていは、 えんびっさいく ナイフで鉛筆に細工していた。またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。 ちゅうもん 屁の注文をうける場合のほかは。かれは、いつもぐにやぐにやし、えへらえへらわらっ てした 春吉君は、一度、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。 109
いちはやく気づいたものがもうふたり、ばらばらとそちらへ走っていくので、春吉 がばん どかん 1 君も画板をおいてかけつけると、土手の下に、水を通ずるためもうけてある細い土管 の中へ、竹ぎれをつつこんでいる先生が、落ちかかって鼻のさきにとまっているめが ねごしに春吉君を見て、 「おい、・ほけんと見とるじゃねえ、あっちいまわれ。こん中にいたちがはいっとるだ ぞ。今こっちからつつつくから、むこうで、屁えこき虫といっしょにかまえとって、 つかめ。にがすじゃねえそ。」 と、つばをとばしながらおっしやっこ。 いしたろう むこう側へこしてみると、なるほど、屁えこき虫の石太郎が、このときばかりはじ つにしんけんな顔つきで、そこのどろみその中にひざこぶしまではいって、土管の中 へ、右手をうでのつけねまでさし入れている。うでをすっかり土管の中につつこんで いるので、しぜん頭が横むけに土手の草におしつけられ、なにか、土手の中のかすか ものおと ふぜい な物音に、耳をすまして聞いているといった風情である。 じき近くにあるあひる小屋にいる二わのあひるが、人のけはいでひもじさを思いだ