よしのやま の用心」といってはドンとたたく、あのねぼけたような音のたいこです。もと吉野山 せんだっ 参りの先達をなんべんもやった亀菊さんは、ひさしぶりに鳴らしてやろうというので、 はうぞうぐら が 宝蔵倉からほらをとりたしてきました。しかしひと吹きふいてみて、おどろいたこ とにもうそのほら貝は、しゅうしゅうという音をたてるばかりで、鳴りませんでした。 むすこ 「こりや、ひびがはいっただかや。」と亀菊さんはいいましたが、息子の亀徳さんがふ いたら、そのほら貝はよい音で鳴ったのです。そこで亀菊さんは、じぶんが年とった ことがよくわかりました。そして年をとることは、あほらしいことである、と思った のでありました。青年団のラツ。 ( 手林平さんは、月の光でも。ヒカ。ヒカ光るよいラツ。 ( を持ってきました。こいつなら三里ぐらいは聞こえるだろう、と林平さんは心のなか で得意でした。 そして男たちは、手に手にちょうちんを持って、山にはいっていきました。かねや たいこはたたかれ、ほら貝もふかれました。林平さんはラツ。 ( をどんなふしでふこう かまよいました。 しかし、きつねにばかされた人間と牛をさがすためのラツ。 ( のふしというものはあ とく かめぎく りんべい かめとく
「ご老人。」 と、かしらは縁がわに手をついていいました。 なじよ、つ′」 「なんだね。しんみりと、泣き上戸のおくの手が出るかな、ははは。」 と、老人は笑いました。 ぬすびと 「わしらは、じつは盗人です。わしがかしらで、これは弟子です。」 それを聞くと、老人は目をまるくしました。 「いや、びつくりなさるのは、ごもっともです。わしは、こんなことを白状するつも りしゃありませんでした。しかし、ご老人が心のよいお方で、わしらをまっとうな人 間のように信じていてくださるのを見ては、わしはもう、ご老人をあざむいているこ とができなくなりました。」 そういって盗人のかしらは、今までしてきたわるいことをみな、白状してしまいま した。そしておしまいに、 「だが、これらは、きのうわしの弟子になったばかりで、まだ、なにもわるいことは じひ しておりません。お慈悲で、どうそ、これらだけはゆるしてやってください。」 えん はくじよう・
わたろう ほ、つ」、つ 和太郎さんは泣けてきました。こんな年とったおかあさんを、今また奉公させに、 くろう よその家にやってよいものでしょか。せっせとはたらいて、苦労をしつづけて、ひ とり息子の和太郎さんをそたててくれたおかあさんを。 和太郎さんは縄きれを持ったまま、とんでいって、おかあさんの手をつかむと、だ まってぐんぐん家へ引っぱってきました。 「おい、おい、おチョ。」 と、和太郎さんはよびました。 だいどころ お嫁さんは台所から、手をふきながら、出てきました。 「おまえは、近いうちにさとへ、 しつべん帰りたい用があるといっていたな。」 「それじゃ、きよう、今から行きなさい。」 お嫁さんは、じぶんの生まれた家にひさしぶりに帰ることができるので、うれしく てたまりませんでした。さっそくよい着物にかえました。 「さとには、たけのこがなかったな。たけのこを持っていきなさい。ふきもたくさん よめ む なわ
「おしさん。」 と、声をかけられました。ふりかえって見ると、七歳くらいの、かわいらしい男の子 ひん が、牛の子をつれて立っていました。顔だちの品のいいところや、手足の白いところ げなん だんなしゅうばっ ひやくしよう を見ると、百姓の子どもとは思われません。旦那衆の坊ちゃんが、下男について野あ そびにきて、下男にせがんで子牛を持たせてもらったのかもしれません。だがおかし 小さいわらじをはいているこ いのは、遠くへでも行く人のように、白い小さい足に、 とでした。 「この牛、持っていてね。」 かしらがなにもいわないさきに、子どもはそういって、ついとそばにきて、赤い手 綱をかしらの手にあすけました。 かしらはそこで、なにかいおうとして口をもぐもぐやりましたが、まだいいださな いうちに子どもは、あちらの子どもたちのあとを追って走っていってしまいました。 あの子どもたちのなかまになるために、このわらじをはいた子どもは、あとをも見ず にいってしまいました。
したのか、があがあとやかましく鳴きだした。 どかん 春吉君は、どろみその中へとびこんでいく気にはなれなかったし、石太郎が土管の あな 穴をうけもっているからには、よけいな手だしはしないほう力いいので、ほかのもの といっしょに見ていた。 「ええか、ええかあ、にがすなよおつ。」 いぜん という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎はだまって、依然、土手の声に 聞きいっていたが、やがて、土手についていたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだ かと思うと、土管の中から、右手をじよじょにぬきはじめた。 首ねっこを力いつばいにぎりしめられていた大きないたちが、窒息のためもうほと んど死んだようになっていて、土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶ らさがったが、すこし石太郎が手をゆるめたのか、なにかかき落とそうとするように、 四肢をもがいた。するとそのとき、どろみそからあがっていた石太郎は、ちくしようつ とロばしって、目にもとまらぬびんしようさで、いたちを地べたへたたきつけた。 みずも ぼたっと重い音がして、古いたちは、のびてしまった。春吉君は、いつも水藻のよ ちっそく 119
ポプラ社文庫を座右におくる 日本の出版文化数百年の歴史からみて、今日ほど児童図書出版の世界が、あらゆる分野にわたっ 多くの先人が、えいえいとして築きあげた児童文 て絢爛をきわめ、豪華を競っている時代はない。 化の基盤に、後進の新鋭が、新しい魂の所産を孜々として積み上げてきた、その努力の結果がいま 美しく開花しつつあるといってよいと思う。 反面、自由な出版市場に溢れる児童図書の洪水は、流通の分野で混乱をおこし、読者の立場から えば、欲しい本が手に人らないという変則現象を惹きおこすことになった。 加えてオイルショックに始まった諸物価の高騰は、当然出版物の原価にハネ返り、定価の騰貴を よび、読者を本の世界から遠ざけるマイナスを招いてしまった。 プラ社は昭和二十二年以来、数千点に及ぶ児童図書を世におくり、この道一筋の歩みをつづけ て来た。幸い流通市場の強力な支援をうけ、また製作部門のささえもあって、経済界の激動をジカ に読者へ転化しない方策を講して来たつもりである。しかし三十年の出版活動の中に生んた、世評 の高い諸作品が、ややもすれば読者の手に届かない欠陥のあることを憂い、ここに文庫の形式をと り、選ばれた名作を、史に読みやすく、廉価版として読者の座右におくることにした。 この文庫の特長は、児童図書の一分野に企画を留めす、創作文学、名作文学、実用書、少女文学 等、幅の広い作品を紹介し、多くの読者に、本に親しむ楽しさを堪能してもらうところにおいた。 ( 一九七六年十一月 ) ご批判と、変わらぬご愛顧をたまわれ・は幸いである。
まっきち すぎさく にいさんの松吉と、弟の杉作と、年も一つちがいでしたが、たいへんよく似ていま した。おでこの頭が顔のわりに大きく、わらうと、ひたいにさるのようにしわがよる ところ、走るとき、両方の手をひらいてしまうところもおなじでした。 「ふたり、ちっともちがわないね。」 と、よノ人がいし 、ました。そうすると、にいさんの松吉が、ロをとがらして、虫くい 歯のかけたところからつばをふきとばしながら、いうのでした。 「ちがうよ。おれには二つもい・ほがあるそ。杉にや一つもなしだ。」 はね そういって、右手の骨ばったにぎりこぶしをだして見せました。見ると、なるほど、 1 ま 155
まっきちすぎさく と、松吉は杉作に聞きました。 「なにも、おやしんけど、たた、大砲をうってみただげ。」 ました。 松吉は、弟の気持ちが、手にとるようによくわかりました。弟も、じぶんのように さびしいのです。 そこで松吉も、 「どかアん。」 と、一発、大砲をうちました。 すると松吉は、こんな気がしましたーーー・きようのように、人にすつ。ほかされるとい うようなことは、これからさき、いくらでもあるにちがいない。おれたちは、そんな 悲しみになんべんあおうと、平気な顔で通りこしていけばいいんだ。 「どかアん。」 と、また杉作がうちました。 「どかアん。」 たいはう 183
し、角兵衛は角兵衛でまた、足駄ばきでとびこえられる塀を五つ見てきました。かし ら、おれたちをほめていただきとうございます。」 き かんなたろう と、鉋太郎が意気ごんでいいました。しかしかしらは、それに答えないで、 「わしはこの子牛をあずけられたのだ。ところが、いまだに、取りにこないので弱っ ているところだ。すまねえが、おまえら、手わけして、あずけていった子どもをさが してくれねえか。」 「かしら、あずかった子牛をかえすのですか。」 と、釜右衛門が、のみこめないような顔でいいました。 「そうだ。」 「盗人でも、そんなことをするのでごぜえますか。」 「それにはわけがあるのた。これだけはかえすのだ。 こんじよう 「かしら、もっとしつかり盗人根性になってくだせえよ。」 と、鉋太郎がいいました。 かしらはにが笑いしながら、弟子たちにわけをこまかく話して聞かせました。わけ ぬすびと かまえも , 化 かくべえ あしだ
こうぎよう 村々を興行して歩くサーカス団がありました。十人そこそこの軽業師と、年をと「 ぶたい た黒くまと馬二とうだけの小さな団です。馬は舞台に出るほかに、つぎの土地〈うつ 0 ていくとき、赤いラシャの毛布などをきて、荷車を引くやくめをもしていました。 ざいん ある村〈つきました。座員たちは、みんなで手わけして、たばこ屋の板かべや、お ゅや 湯屋のかべに、赤や黄色です 0 た、きれいなビラをは 0 て歩きました。村のおとなも 子どもも、つよいインキのにおいのするそのビラをとりまいて、お祭りのようによろ こびさわぎました。 テントばりの小屋がかか「てから、三日めのお昼すぎのことでした。見物席から、 しよ、つば、つ 正坊とクロ もうふ だん