屁 いしたろう じようこういんぜしん 石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんな はるきち がい 0 ていた。春吉君は、そうかもしれないと思 0 た。石太郎の家は、浄光院のすぐ 西にあったからである。 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さ んの屁について、おとなたちや子どもたちのあいたにったえられている。是信さんは、 いんどう 屁で引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁し ) ぐらい きようさいちゅう は、お経の最中にするかもしれない。 ほうえかね また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひ 0 てお経をあげたという。これ も、おとながおもしろ半分につくったうそらし、 したが、これだけはたしかだ。是信 しよう ) 」 ばんしよう さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶつばなすことができると へ めいじん 106
いうことである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。 じようこういんしよいん いしたろうぜしん 石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの そうぞう 下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像 つばいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、あ させた。茶色のはん点がい らいふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあ いに耳がばかに大きい、まるで二つのうちわを頭の両側につけているように見える、 きたない着物の、手足があかじみた石太郎 じようけい きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくりかえしなが しゅ・きよう ら、屁の修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。 石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、 大きいのを一つたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほ れんばっ がらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがと きをつくるような音をだすこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかし いとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり , ・ーー・つまり、 むなざんよう 107
石太郎にすまないという気持ちゃ、石太郎はぎせいにたってえらいなという心は、 ぜん・せん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようとい こうけつどうき うごとき高潔な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐすたったからにすぎない。 はねみ まるで また石太郎は、なん度むちでこづかれたとて、いっこう骨身にこたえない。 ひっ さはんじ 日常茶飯事のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必 要はないわけである。 へじようしゅうはん むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみがのこったのだと 思うと、かれがうらめしいのである。 はんもん しかし、ときが、春吉君の煩悶を解決してくれた。十日もすると、もうほとんどわ すれてしまった。 たが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎が しかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信 じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっている こいっかもしれ ときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいっかもしれない べんかい つみ 129
A 絽 ポプラ社文庫 A 18 定価 390 円 く収録作品〉 I S B N 4 - 5 91 - 0 0 8 8 6 ー X ごんぎつね ・和太郎さんと牛 C 81 9 3 \ 5 9 0 E ・花のき村と盗人たち ・赤いろうそく ごんぎつね新美南吉 つ、 C ( すおじいさんのランプ新美南吉 あ。 新美南吉 庫 り庫ごんぎつね 小泉八雲 を オよ 宮沢賢治 イイ翻注文の多い料理店 宮沢賢治 のン風の又三郎 社 2 セロひきのゴーシュ宮沢賢治 宮沢賢治 児す " 銀河鉄道の夜 夏目漱石 フるや坊っちゃん あみ ホ読吾輩は猫である ( 上 ) 夏目漱石 吾輩は猫である ( 下 ) 夏目漱石 定た 0 ( 他 ) 0 作者紹介 新美南吉 本名・渡辺正八。 1913 ( 大正 2 ) 年、愛 知県に生まれる。半田中学のころより 文学に興味をもち、文芸誌「オリオン」 をだす。 31 年中学を卒業、しばらく代 用教員をしていたが、翌年東京外語英 文科に入学、この年「赤い鳥」に「こ んぎつね』が掲載される。 36 年卒業し て商工館に勤めたが、喀血のため帰郷。 代用教員をへて安城高女教諭となる 9 41 年腎臓悪化の中で数々の代表作を一 気に完成。 43 年咽喉結核により永眠。 30 歳。おもな作品「おしいさんのラン プ』「和太郎さんの牛』「川』「手ぶく ろを買いに』他多数。 次郎物語 ( 一部 ) 次郎物語 ( ニ部 ) 5 次郎物語 ( 三部 ) 次郎物語 ( 四部 ) 5 次郎物語 ( 五部 ) 走れメロス 野菊の墓 ニ十四の瞳 母のない子と 子のない母と 慴ビルマの竪琴 下村湖人 下村湖人 下村湖人 下村湖人 下村湖人 太宰治 伊藤左千夫 壺井栄 壺井栄 竹山道雄 ポプラ社 文庫 A 1 8
ポプラ社文庫 A 18 ごんぎつね 新美南吉
ごんぎつね 新美南吉 ポプラ社文庫 A18
もくじ ごんぎつね 9. のら犬 わたろう 0 和太郎さんと牛 花のき村と盗人たち 正坊とクロ レ凵 6 しよ、つば、つ へ ぬすびと -4
ことをしました。 ある秋のことでした。二ー三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、外へも出ら あな れなくて、穴の中にしやがんでいました。 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、 もずの声がきんきんひびいていました。 ごんは、村の小川のつつみまで出てきました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨 のしずくが光っていました。川はいつも水がすくないのですが、三日もの雨で、水が ーべりのすすきや、は どっと増していました。ただのときは水につかることのない、月 きいろ ぎのかぶが、黄色くにごった水によこたおしになって、もまれています。ごんは川し ものほうへと、ぬかるみ道を歩いていきました。 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、 そうっと草の深いところへ歩みよって、そこからじっとのそいてみました。 へいじゅう 「兵十だな。」と、ごんは思いました。兵十はぼろ・ほろの黒い着物をまくしあげて、腰 のところまで水にひたりながら、さかなをとる、はりきりという網をゆすぶっていま あみ こし
した。はちまきをした顔のよこっちょに、まるいはぎの葉が一まい、大きなほくろみ ナいにへばりついていました。 しばらくすると兵十は、はりきりあみのいちばんうしろの、ふくろのようになった ところを、水の中から持ちあげました。その中には、しばの根や、草の葉や、くさっ た木ぎれなどが、、 こちやごちやはいっていましたが、でも、ところどころ、白いもの がちらちら光っています。それは、太いうなぎの腹や、大きなふなの腹でした。兵十 はびくの中へ、そのうなぎやふなを、ごみといっしょにぶちこみました。そして、ま た、ふくろのロをしばって、水の中へいれました。 兵十はそれから、びくを持って川からあがり、びくを土手においといて、何をさが しにか、川上のほうへかけていきました。 兵十がいなくなると、ごんは、びよいと草の中からとびだして、びくのそばへかけ つけました。ちょいと、 いたずらがしたくなったのです。ごんは、びくの中のさかな をつかみだしては、はりきりあみのかかっているところよりしもての、川の中をめが けて、。ほん。ほん投げこみました。どのさかなも「と・ほん」と音をたてながら、にごっ かわかみ へいじゅう ふと
た水の中へもぐりこみました。 いちばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろ、ぬるぬると すべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中に つつこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッといってごんの首へ へいじゅう まきっきました。そのとたん、兵十が、むこうから、 「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」 と、どなりたてました。ごんは、びつくりしてとびあがりました。うなぎは、ごんの 首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま、よこっとびにとびだして、いっ あな しようけんめいに、にげていきました。ほら穴の近くの、はんの木の下で、ふりかえっ てみましたが、兵十はおっかけてはきませんでした。 ごんはほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして、穴の外の、草の葉 の上にのせておきました。