しんりようじよ 「いやあ、診療所があのとおりひまになったので、フルートぐらいふけるわけです。」 フルートは、しごととべんきようだけというへポンの、たったひとつのしゆみなの です。 そのころ、ヘポンのおくさんのクララは、アメリカにおいてきたひとりむすこのサ ムエルにあいにいったことになっていましたが、じつは、このあいだうけたかたのけ がを、もっとよくなおすために、アメリカへかえっているのです。 じしょ 「しかし、ひとりぐらしのおかげで、辞書づくりははかどります。それにプラウン先 かいわ きようそう 生もいよいよ日本語の会話の本をつくられることになったので、ふたりでよい競走あ いてです。」 「なるほど、それじゃあ、ブラウン先生にも会話を教えてくれる日本人がいるのです やのりゅうざん 「ええ、ヘポン君といっしょに教わっている、矢野隆山という鍼の先生です。」 へポンよりすこし年上のプラウンがかわってこたえました。 とうよういがく 「ほう、東洋医学の鍼の先生と、西洋医学のドクター・ヘポンとは、おもしろいくみ あわせですな。」 おそ せいよう はり
あんせい 百二十年ほどまえの安政六年 ( 一八五九年 ) 十月十八日のことです。 とくがわばくふ そのころの日本は徳川幕府がおさめていて、三百年ものながいあいだ、諸外国と国 こう さこく 交をたっ鎖国をつづけていました。そのあいだに、イギリス、アメリカなど世界の国 ぐには、発明、発見などによって、文化、文明は年ごとにひらけ、すっかりすすんだ 国になっていました。 ところが、あいかわらず鎖国のままの日本は、まったく世界のうごきからとりのこ されていました。 れんぼう こうしたとき、アメリカ、イギリス、ロシア ( 今のソビエト連邦 ) 、フランスなど かいこく の世界の大国は、アジアの日本へやってきて、国交をむすぶ開国をもとめました。 「国をひらけなどとは、もってのほかじゃ。」 幕府はそのたびにきびしく、アメリカなどのもとめをはねつけました。 三百年ものあいだ、かたくなに鎖国をつづけていることに、じつは、それなりの理 由があったからです。 けとう 「毛唐どもはゆだんのならぬキリシタンどもじゃ。外国のよからぬ教えを日本にひろ め、日本をおさえるかんがえじゃ。」 しよがいこくこっ
さだじろう しかく ( 定次郎はわたしをころしにきた刺客だとい 0 たが、たとえ刺客であろうと、あのよ わったからだをあのままにしてかえしたのは、ほんとうにすまないことをした : ・。い かながわ ま、この神奈川でも定次郎のようなからだのわるい人はおおぜいいる。わたしが日本 ( きたのは、病んでいる人をいやしてあげることではなかったか。 ) へポンはなん日もかんがえました。 すると、アメリカ人のための医師であるシモンズがしばらく日本をはなれ、中国 ( いくということをききました。 「そうだ、シモンズ先生のるすのあいだ、先生のお寺をかりて、診療所をひらかせて しんりようじよ あやしい診療所
はい おがわ ところが、小川たち顔なじみのほかに、あたらしい日本人がひとり、ふたりと、 拝にくるようになりました。 よこはまえいがくじゅく ここ一、二年のあいだに、横浜の英学塾はすこしずつふえてきて、いろいろな日本 人がまなぶようになってきたからです。きっと、その人たちは、新しくできた英学塾 の生徒たちかもしれません。 かいどう きよりゅうち 新しい塾とは、バラが居留地のなかに、石づくりのちいさな会堂をたてて、ひらい たバラ塾。 しばらくアメリカへかえっていたプ一フウンが、また日本へもどってきて、日本人町 せいと 人間はみなおなじ れい 128
「クララ、まず、お祈りをしよう。」 「はい。」 ぞんどう ながいあいだねがっていた日本への伝道と、病人をいやすはたらきが、いま、これ からかなえられようとするのです。 きんし でも、その日本はキリスト教をかたく禁止しています。また、外国人をきらい、お りあらばきりころそうという武士たちがおおいといわれています。 ヘップバ ーンたちはそのことをおもうと、伝道どころか、あすの命、いえ、たった いまでも、あんしんはなりません。 ヘップバ ーンとクララは心をこめて祈りました。祈りだけがささえです。 ーンは目をあけ、音のしたほうをみました。 そのとき、ごとん、という音に、ヘップバ 「あっ : ろうか 廊下に刀のようなものをもった大男が、クララたちのようすをうかがっています。 「ど、どなた : 。どなた、ですか。」 ヘップバーンは本でおぼえた日本語でさけびました。けれど、あいてはだまったま まです。 かたな いの
しんりようほんやく こうしたさまざまなできごとは、ヘポンのまい日の診療、翻訳などのなかで、つぎ つぎとおこったことで、月日がたつのも気づかぬほどでした。 こくない けれど、そのあいだにも日本の国内ははげしく動き、大きくかわりつつありまし こ 0 じつけんてんのう たいせいほんかん とくがわばくふ せいじ 「徳川幕府はつぶれる。政治の実権を天皇にかえす大政奉還のときがきた。」 「幕府にかわって、新しい政治は天皇によってはじめられる。新日本のたんじよう だ。」 きんだいてきこっか ほうけんてき 封建的なしくみをかたくなにつづけようとする徳川幕府がたと、近代的な国家をめ えいがく 英学でうらみを 111
そうこうじ 近くの宗興寺です。」 と、それぞれがおちつくと、はじめての日曜日にはみんなそろって、礼拝をしまし 「日本の人に、キリストの教えが、ひとりでもおおくったえられますように : : : 」 心をこめて祈る祈りは、ヘポンをはじめみんなのねがいでもありました。 このあと、ヘポンたちはプラウンのおじようさんがひくピアノに声をあわせ、讃美 歌をうたいました。 「ありやりや、なんの音だあ。」 ピアノなどきいたことのない成仏寺の和尚、門番、それにあそびにきていた子ども たちも、目をまるくしました。 へポンたちがひさしぶりにくつろいでいると、和尚がひとりのわかものをつれてき ました。 さだじろう 「このあいだからたのまれていた、したばたらきの男がみつかった。この定次郎じ かんじ 和尚はカタカナと漢字で書きつづった書きつけをみせました。 いの おしよう れいはい さんび
たのかと、いっしゅん、どきっとしました。 「やけど・ 、やけどの子どもがきました。」 「おー、やけど・ 。おー、おー、すぐいきます。」 へポンはわずかのあいだでも攘夷派をおそれていたことを、はずかしくおもいまし た。日本へきているいじよう、かくごはしているものの、こわいものはこわくてなら ないのです。 しんりようじよ へポンはすぐ診療所へいくと、いろりにおちてやけどをしたという男の子が、べッ トの上でうめいていました。 じよしゅ しんさっしつ げなんふうふ へポンは下男夫婦を助手にして、いそいで男の子のてあてをし、診察室のとなりに うっしてやすませました。 「なおるまでここにとまっていなさい。わたしが、よくなるまでみています。」 へポンはっきそっている母親にいいました。 「とまる : : ? なおるまでってどういうことです。」 母親はけげんそうにたずねました。 にゆういん そのころ、まだ日本では病院がなかっただけに、入院するということが、よくわか じよういは
りません。 むかしのとおり、キリスト教国には心をゆるしてはならぬと、国をとざしているの です。 「もう、そのようなことをいっていては、世界からとりのこされてしまいますぞ。」 だいひょうばくふ アメリカなどからつよくすすめられ、日本を代表する幕府はいよいよこまってしま いました。と、いって、おいはらうにはこれらの国ぐにの力はつよく、とてもたちう ちできるものではありません。ついに、幕府は、 「キリスト教を、けっして、ひろめてはならぬ。」 じようけん わしんじようやく などを条件に、アメリカなどと国をひらく和親条約をむすぶにいたりました。 かいこく 「日本が開国した : 。日本へいける。」 そのニュースをアメリカのニューヨークできいたヘップバ ーンは、おもわず胸をお どらせました。 「ながいあいだ、日本へいってキリスト教をつたえたいとねがっていたが、いま、よ うやくその祈りがかなえられた。」 ぼくし ゼんどう ヘップバ ーンはお母さんが牧師のむすめで、外国伝道にねっしんであったことに、 いの むね
まれている日本人の仏教徒に、どうったえたらよいのか、ロべたいじようにむずかし い問題でした。 りゅうざん そして、ヘポンがけんめいにはなせばはなすほど、隆山とのあいだに大きなみぞが ひらくばかりです。 ・しゅうじか ぜんじんるい ( 十字架にかかった人が、今も生きている神として、全人類をまもっていてくれる。 いよいよ、わからぬ。 ) 隆山はふしぎとしかいいようのないはなしに、うたがうよりも、あきれるおもいで す。 へポンはそんな隆山に、 「おー、そうでした。あなたにかんぶんのせいしょあげます。」 せいしょ と、一さつの聖書をもってきてくれました。 いんさっ 中国で印刷された漢文の聖書で、ヘポンも読めるのでもっていたのですが、隆山も 読めるからです。 きん もちろん、たとえ、漢訳の聖書でも、キリスト教をかたく禁じている日本では、も っていることはゆるされません。 ぶつきようと かんぶん かんやく