きたり、小舟にのってきたりして、成仏寺で日曜礼拝をしました。 「なんと、成仏寺はかわったもんだ。目の青い、赤ひげの異人さんたちが歌をうたっ たり、ポロン、ポロン : : : と、へんな音をたてたり、なにをやっておるんだろう。」 日曜日というものがあることをしらないそのころの日本人は、七日に一ペん、成仏 、礼拝をし、ピアノで讃美歌などをうたうのが、おま 寺に赤ひげの外国人があつまり つりのようにもみえ、ふしぎでならないのです。 ざっだん もちろん、礼拝にきた人も、そのあとの雑談となると、きまって、おそろしい異人 じよういは ごろしの攘夷派のことであり、つかっているめしつかいがス。ハイであることなどで 「それにしても、ヘポン先生はうらやましい。散歩にでたってみんながみててくれる しかく し、めしつかいが刺客でも、むこうからあやまるし、こわいものしらずだ。」 「いや、こわいのはおなじですよ。ただ、神さまにおまかせしているだけですよ。」 「それがわれわれにはできない。神さまよりも、人間のかんがえがさきになってしま う。ところで、おくさんがアメリカへかえられてさびしいでしよう。よく、フルート をふいておられるとか : : : 」 こぶね さんぽ れいはい さんびか いじん
じようぶつじほんどうぶつぞう 成仏寺の本堂は仏像やたたみ、からかみなど、すっかりとりのけられて、がらんと した板じきになっていました。 「おしようさん。ヘップヾ ノーンです。どうぞ、よろしく。」 おしよう ヘップバ ーンたちは成仏寺の和尚にていねいにあいさつをしました。たいせつな本 れい 堂をあけわたしてくれたことへの、心からのお礼です。 ・ヘップ・ : だと ? 」 ヘップバ ーンのおだやかなものごしと、たどたどしい日本語に、ぶすっとしていた 和尚はしぶしぶうなずいてみせました。 かたな 刀をつきつけられて
この成仏寺よりりつばです。 「なるほど : しかし、うまやとはよいことをきかせてくださった。イエスさまが お生まれになったところもうまやですし、わたしたちもそれにあやかってこの寺にお ねがいできますかな。」 「どうぞ、おねがいします。こんな大きくて、ひろくて、りつばなうまやははじめて です。ふしぎなおみちびきだわ。」 ーンのおくさんのクララも、うまやのようだという、わらぶきの大きな寺 ヘップバ をかえってよろこんでいるようです。 「いや、そういってもらえると、われわれもたすかりますが、ほんとうにこんな荒れ 寺でいいんですかね。」 ーンたちの気もちをはかりかね、まだ、しんばいそ あんないの領事たちはヘップバ うでした。 かながわしゆくばまち とうかいどう ここは東海道の海ぞいにある神奈川の宿場町。 せんきようし ーン ( へポ アメリカの宣教師であり、医師であるジェームス・カーチス・ヘップバ しゆくしやじようぶつじ ふさい ン ) と、クラ一フの夫妻がこれからすむ宿舎の成仏寺をみにきたところです。いまから
みんかんじん じようぶつじ けれど、ヘポンたちのような民間人のすむ成仏寺まではまもりきれません。 よこはま 「さわぎがおこってからではおそい。今のうちに横浜に家をたててうつったほうがよ へポンは領事たちからすすめられるまえに、このことはしんけんにかんがえていま した。 きよりゅうち さいわい、ヘポンはとなりの横浜の居留地に家をたてるだけの土地をかってもって ばくふ いました。居留地は幕府が日本人と外国人のすむところをはっきりとわけるためにつ くいき くった、外国人だけの区域なのです。 じゅうたくけんようじむしょ へポンのもっている地番は三十九番というように、第一番に住宅兼用の事務所をひ ぐんじん えいいちばんかん らいた英国商人の英一番館をはじめ、各国の商人や軍人たちが、もうそれぞれの地番 にすんでいました。 しんりようじよ 「これからのすまいは、診療所と住宅とはべつべつにしよう。」 じしん せつけい へポンは成仏寺ににたお寺ふうの家をじぶんで設計し、また、地震でもこわれぬよ だいく うにと、日本人の大工たちによくたのんでたててもらいました。 りゅうざん ひっこしの日、てつだいにきてくれたプラウンや隆山たちがひきあげると、だだっ 0
げなんふうふ びろい新居はヘポンと、日本人の下男夫婦だけとなりました。 ( プラウン先生たちも、しばらくいっしょにすんでくださればよかったのに : ララでもかえってきてくれなければ、こんなひろい家、わたしひとりではもったいな よこはま よてい じようぶつじ プラウンたちは、もうすぐ横浜へうつる予定なので、いましばらく成仏寺にのこっ ていて、また、アメリカのクララも日本のさわぎをしっているのか、まだ、かえって きそうにないからです。 きよりゅうち 新しいすまいの居留地三十九番は、谷戸橋ぎわにあって、すぐ前は横浜の海です。 わんない ぐんかん 湾内には二十せきをこえるアメリカ、イギリスなどの軍艦、黒船がいかりをおろし、 そのあかりはくらい海をあかるくてらし、日本がわとはりあっているようです。そし りくち かながわしゆく て、その海をこえた陸地ーー北東に光るのは、けさまでいた成仏寺のある神奈川の宿 場です。 まど へポンはストープがきえたのも気づかず、いつまでも窓のそとの海をみつめていま ぶんきゅう した。文久一一年 ( 一八六二年 ) 十二月もおしせまった二十九日のことです。 しんきょ ほく A 」う
かながわ 砂地と貝がらの白い道をいくと、おだやかな神奈川の海がみえてきました。成仏寺 はそのてまえにあって、わらぶきの大きな寺でした。 ーンははじめてみる日本の寺のつくりを、めずらしそうにながめている ヘップバ 「じつは、いま、この寺しかないのです : : : 。うまやのようだといって、どなたもこ とわられるので、この寺しかのこっていないのです。」 りようじ と、あんないしてきたアメリカの領事たちはきようしゆくしたようにいいました。 りようじかん けいうんじ そういわれれば、いまとおってきた慶雲寺はフランス領事館となっているだけに、 馬小屋の異人 う や いじん じようぶつじ 8
そうこうじ 近くの宗興寺です。」 と、それぞれがおちつくと、はじめての日曜日にはみんなそろって、礼拝をしまし 「日本の人に、キリストの教えが、ひとりでもおおくったえられますように : : : 」 心をこめて祈る祈りは、ヘポンをはじめみんなのねがいでもありました。 このあと、ヘポンたちはプラウンのおじようさんがひくピアノに声をあわせ、讃美 歌をうたいました。 「ありやりや、なんの音だあ。」 ピアノなどきいたことのない成仏寺の和尚、門番、それにあそびにきていた子ども たちも、目をまるくしました。 へポンたちがひさしぶりにくつろいでいると、和尚がひとりのわかものをつれてき ました。 さだじろう 「このあいだからたのまれていた、したばたらきの男がみつかった。この定次郎じ かんじ 和尚はカタカナと漢字で書きつづった書きつけをみせました。 いの おしよう れいはい さんび
ん。 やがて、病院などを売り、日本 ( いくじゅんびをととのえ、十四才になるひとりむ きしゆくしゃ ーンた すこを学校の寄宿舎にあずけるなどーーいっさいのことをおえると、 ( ップバ ぞんどう ちょうろうきようかい ちは日本 ( たびだちました。アメリカの長老教会という、外国伝道にねっしんな教会 せんきようし から宣教師をかねた医師としていくことになったのです。 りようじかん ふなたび ーンたちはようやくアメリカ領事館な こうして六カ月ほどの船旅ののち、ヘップバ じようぶつじ かながわ どのある神奈川のみなと ( つきました。そして、いま、これから宿舎となる成仏寺ま ーン四十四才のときです。 できたところなのです。日本が開国して四年後、 ( ップバ かいこく
ところが、こうしたおそろしい事件が、また、そのあとにつづいても、ヘポンのま い朝の散歩はかわりません。 いつものように、まだ、人どおりのない道をいくと、 「先生、おはようございます。」 と、家ののきしたやものかげから、よく、声をかけられました。のきしたなどでねて いるいっかのおこもさんたちです。 「おー、おー、おはよう。おはよう。」 「先生、へんなやつがいねえか、気をつけてくだせえよ。おいらもみはってますだ。」 おこもさんたちはわけへだてなくみてくれるヘポンのために、しんばいしているの かながわ です。おこもさんだけでなく、神奈川の人たちはヘポンのおかげでよくなった人がお おぜいいるので、みんな、それとなくへポンがあぶなくないようにと、みはっていて くれました。 ふさい じようぶつじ そのころ、ヘポンたちの成仏寺はアメリカ人のジョナサン・ゴープル夫妻やゼーム かん せんきようし ス・バラ夫妻などの宣教師がきていて、日本のお寺はキリスト教の宣教師館となって よこはま いました。このため、日曜日になると横浜から軍人や商人たちがつれだってあるいて さんぽ じけん ぐんじん
ことができました。 えいご 「先生。ぜひ、一日もはやくつくってください。日本語でひける英語の辞書などはじ めてです。」 大村たちはヘポンのぶあついノートに目をかがやかしていいました。 ところが、こうしてまい日まい朝、大村たちが馬をつらねて江戸からやってくるだ けに、人びとの目をひき、攘夷派の武士たちもおさまりません。 「もはや、ゆるせん。へポンもろとも、きってすてろ。」 じゅぎよう と、ある日、その日の授業がおわったひるまえ、攘夷派のあらくれどもが成仏寺へお しかけてきました。 おおむら このさわぎを学生のひとりがみにいって、大村につげたからたまりません。 「よおし、うけてたとう。世界のうごきをしらぬ、そんなりようけんのせまいやっ は、これからの日本のためにならぬ。きってやる。」 「うむ。大村、おれもやるぞ。」 めいよ 大村たちは学生とはいえ、もともとは名誉をおもんじる武士たちです。いわれなき いいがかりはききすてにできません。 じよういは えど じようぶつじ