うえの ぎんこう ながや そのころ、江戸の上野のうら長屋に、銀公という三十すぎの遊び人がいました。 「おらあ、まい日ぶらぶらしてるからって、やくざな遊び人じゃねえ。こうみえたっ てんか ろうにん て、天下の浪人さまだ。」 と、つよがりをいうのも、じつはこれからの日本のゆくすえを、まじめにかんがえて いた人だからです。 ほんみようきしだぎんじおかやまっくざかや 銀公というのは、なかまたちのよび名で、本名を岸田銀次。岡山の造り酒屋の生ま そんのうじよういは れです。学問ずきなところから、しだいに尊王攘夷派にくわわり、そのため、はんた いする幕府からにらまれ、しばらく身をかくさなければならなくなったのです。 ばくふ じしょ ローマ字の日本語辞書 えど あそにん
せいじ いっぽう、日本の政治の中心である江戸では、外国や外国人のあっかいをどうする かで、大あれにあれていました。なかでも、外国人をおいだし、どうじにこれまで日 そんのうじよういは 本をおさめていた幕府をたおし、天皇をたてようという尊王攘夷派がたいそういきお いをふるい、はんたいするものとことごとにあらそっていました。 たいろういいなおすけ かいこく このため、外国に開国をふみきった幕府の大老、井伊直弼は外国人をにくむ攘夷派 の武士たちにとうとう、きりころされ、また、外国人がなん人もころされるという事 けん 件が、あいついでおこりました。 ある日、こんどはヘポンのおくさんのクララがおそわれ、かたをきられておおけが からだと心の医者 ばくふ てんのう えど “し
ことができました。 えいご 「先生。ぜひ、一日もはやくつくってください。日本語でひける英語の辞書などはじ めてです。」 大村たちはヘポンのぶあついノートに目をかがやかしていいました。 ところが、こうしてまい日まい朝、大村たちが馬をつらねて江戸からやってくるだ けに、人びとの目をひき、攘夷派の武士たちもおさまりません。 「もはや、ゆるせん。へポンもろとも、きってすてろ。」 じゅぎよう と、ある日、その日の授業がおわったひるまえ、攘夷派のあらくれどもが成仏寺へお しかけてきました。 おおむら このさわぎを学生のひとりがみにいって、大村につげたからたまりません。 「よおし、うけてたとう。世界のうごきをしらぬ、そんなりようけんのせまいやっ は、これからの日本のためにならぬ。きってやる。」 「うむ。大村、おれもやるぞ。」 めいよ 大村たちは学生とはいえ、もともとは名誉をおもんじる武士たちです。いわれなき いいがかりはききすてにできません。 じよういは えど じようぶつじ
ぎんこう さいわい、銀公とよばれるほど気さくで、せわずきであるため、つかいはしりなど をしてくらしていましたが、目がわるいのでたいそうこまっていました。 「ちいせえときから、本を読みすぎてとうとうこんなになっちまったのよ。」 と、いうほど本ずきでしたが、その本を読むどころか、ちかごろはしごとにもさしつ かえるほどわるくなってきました。 そのため、よい目薬があるとしると、むりをしてでも高い金をだして買い、おまじ ないがきくときけば、とおくの神社やお寺へおまいりにいきましたが、いっこうによ くなりません。 あかげ そんなとき、ヘポンの話をきいたのですが、ヘポンといえば、だいきらいな赤毛の けとう 毛唐ではありませんか。 けれど、みえなくなってきた目のためにはかえられません。銀公はしぶしぶなかま よこはま の手をかりて、江戸から横浜まででかけました。 「なるほど、ききしにまさるはんじようぶりだ。がつぼり、ふんだくられるかもしれ ねえが、もし、まだ、見えねえようだったら、ただじゃあ、おかねえから : : : 」 ぎんこう と、かたひじはってのりこんだ銀公のもくろみは、ヘポンのたしかなてあて、あたた えど じんじゃ
だんじようだい えどじだい それに奥野とは江戸時代からのふるいっきあいだったこともわかりました。弾正台 などのおゆるしがでれば、いつだってふみこんで、版木もろともしよっぴいてやりま 0 あんどうももえ 安藤や桃江のはなしでは、もうなんども夜どおしみはっていたこともあり、きよう にもっかまえたい口ぶりです。 「なるほど、これぐらいしようこがかたまっておれば、いつでもとりおさえられる。 せいしようつ いっかもへポンの聖書の写しをもっておったやつをつかまえたことがあるが、いまし おおもの じへえ ばらく、治兵衛のうごきをみていることにしよう。いまに大物がでてくるかもしれ 「しかし・ : : ・」 安藤たちはふまんでしたが、仁村にしたがって、いよいよ治兵衛のみはりをかたく しました。 治兵衛にはそのうごきがよくわかっていました。 ちょうこくとう いちどはすてた彫刻刀でしたが、また、もちなおし、一字一字彫りはじめていたの です。 0 おくの にむら 153
「はい。あなた、にほんいちじよーぶ。びよーきありませんね。」 けびよう へポンに仮病をみやぶられ、はずかしそうにひきあげるものが、まい日のようにあ りました。 しんりようじよ こうして診療所へくる病人は、目にみえてよくなっていくので、すっかりひょうば とうきよう んになりました。なかには、はなしをきいてわざわざ江戸 ( 今の東京 ) からやってく る病人までいました。 「こういそがしくては、朝の散歩どころではない。」 しんさっ へポンの診察をまちかねて、朝はやくから診療所のまえにすわりこむ人もいて、ヘ ポンたちは気が気ではありません。このため、まい日つづけている日本語のべんきょ じしょ うや、辞書づくりの時間までけずらないと、みんなの人をみることができないぐらい です。 ぶぎようしょ 、とつづくと、奉行所ではほうっておけ ところが、こうした診療が一月、二月 : なくなりました。 「病人どもをへポンのところへいかせてはならぬ。おいはらえ。おいかえすのだ。」 奉行所では診療所のまえに大きなかこいをめぐらし、なん人もの役人がまちかま さんぽ えど
大村たちはしぶしぶひきさがりました。 大村たちはそのごも、ねっしんに江戸から教えをうけにきました。 「七日に一ど日曜日というものがあるのは、キリストをあがめ、心もからだもやすめ せいじっ る聖日なのだ。」 まいしゅう と、いう日曜日をのぞいて、毎週、毎月、やすみなくかよったおかげで、みんなの成 せき 績はおどろくほどあがっていました。 えいご かいわ ごがくさいのう ことに、大村は英語の読み書きから会話までできるようになったのは、語学の才能 があっただけでなく、人一ばいべんきようねっしんであったからです。また、ほかの じゅぎようりかい カかく十 - う・かく ものもじゅうぶんに読み書きができ、英語による科学、数学の授業を理解できたの は、それなりの学力をそなえていたからでしよう。 『日本人はわたしがこれまであってきたアジア人のなかで、もっともすぐれた国民の しよくん ようです。わたしはいま武士の学生諸君に英語を教えています。わたしは英語をとお せいねん ・てんどう してキリスト教伝道をこころざしています。いつぼう、かれら青年武士は日本をつよ へいがく くするために、新しい兵学を英語をとおしてまなぼうとけんめいです。 おたがい、のぞむところはことなっていても、英語によるむすびつきはおなじで おおむら えど こくみん せい 、 6
せいしよほんやく かえって人にくばっていますが、聖書の翻訳はそれをこえるむずかしさでした。 「ギュッラフ先生や、ウィリアムさんというかたも訳されたとき、こんなふうに一字 一字くふうされたんだろうなあ。わたしたちも、まだまだこれからだ。」 へポンたちはすこしずつでしたがやすまずに訳しつづけていました。 そのヘポンのところへ、たいへんな病人がやってきました。江戸でひょうばんの歌 ぶきはいゅうさんだいめさわむらたのすけ 舞伎俳優の三代目沢村田之助で、男でありながら、うつくしい女のすがたをしている おやま 女形です。 ぶたい 「まい日、舞台にでておりますので、やすむこともできず、お医者さまにみてもらう 時間もなく、とうとう、こんなにこじらせてしまいました。」 田之助はもうだいぶまえ、足のゆびをけがして、それがうんでくさっていくという おそろしい病気にかかっていたのです。 もちろん、はげしいいたさにたえかねて、なん人もの医者にみてもらいましたが、 もう手おくれの脱疸になっていたのです。 どく 「このままでは全身に毒がまわって、からだじゅうくさってしまう。いまのうちなら わるいところをきりとればたすかるかもしれない。はやく、ヘポンさんのところへい だっそ えど 104
とうきようえど ふたりは、まだ東京が江戸といっていたころ、本がとりもっえんでなかよくなった よみもの ぶこっ ものです。ひとりはきまじめな武骨ものながら、たいへんな本ずき、かたほうは読物 ほんちょうはんす 本の彫版、刷りにかけてはよくしられた版木師で、それいらい、家族ぐるみのつきあ いになったのです。 つな 「いや、もうこんなあぶない綱わたりはごめんじゃ。あんたもこんな夜ふけ、こっそ りやってくるように、わしだって人がねしずまったころ、こうしてかくれてほらんな らん。刷りだってそうだ。いつまでもかくしとおせるはずがない。」 よい じへえ なかんばかりに、治兵衛がかきくどくのも、むりがありません。ひるまや宵のうち は、ふるくからのおとくいのしごとをし、家のものがねたころ、彫版をし、刷りをし なければならないからです。 「くろうをかけてすまぬ。わしとてもすきこのんで、あぶないことをおしつけるので はない。わしは大恩あるヘポン先生にたのまれたからといって、これをおぬしにたの むのではない。 ぶんしよう わしはヘポン先生たちが訳された日本文を、日本の文章としてよいか、どうか、た だ、たしかめるだけのしごととしてひきうけた。けれど、一字一字読みすすめるうち たいおん はんぎし かぞく 148
ち ざす、天皇を中心とした新しい勢力とが、おおぜいの人の血をながし、すさまじいあ らそいをしました。そして、ついにふるい勢力の徳川幕府はおしきられ、たおれる時 がきました。日本を三百年にわたっておさめていた政治を、天皇にかえす大政奉還を したのです。 とうきよう えど めいじしんせいふ めいじてんのう どうじに、明治天皇を中心とした明治新政府が生まれ、いままでの江戸は東京とあ みやこ らためられ、新しい都としてさだめられました。 とくがわけ 徳川家によるふるい日本はついにきえさったのでした。 「しかし、ほんとうに日本は近代国家として、新しく生まれかわったのだろうか。」 へポンたちは明治新政府のかんがえが、なんとしてもしんばいでした。 せんしんこく 先進国のアメリカやヨーロツ。ハの国ぐににつづこうと、そのすすんだ文明、文化を と ぐんび さんぎよう とりいれること、諸外国にまけぬ産業をおこし、国を富ますこと、強い軍備で国をま もることーーなど、これまでにない新しい政治、すすんだ国家をめざしながら、こと キリスト教にかんしては、まったく幕府のころとおなじだからです。 しんせいふ 「新政府になってから、かえってキリスト教をきびしくとりしまっている。」 さんぽ へポンはまい日、散歩にでて、とくにそのことをつよく感じるのは、町かどに新し しよがいこく せいりよく 112