どうしても、この本を読みたかったのです。でも、この本の題が、 " ともだち、そして私 ~ だっ たら、借りなかったかもしれません。それが、ねむの木となっていたから借りました。 それから、「薫は少女」という本も読みました。二つとも、とてもよい本でした。 みやぎ 「ともだち、ねむの木、そして私」を読んで宮城まり子作 この本は、静岡県の浜岡にある、ねむの木学園のことを書いた本です。ここの学園の人 みやぎ たちは、園長先生の宮城まり子さんのことを、「お母さん」とよび、休みの外泊のときに は帰れる子だけ家にかえり、両親のいない子は、東京のまり子さんの家へ行くと書いてあ りました。ここの子どもたちは、私たちよりずっとひどい病気の子もあるけど、げんきで 生 がんばっている。私がこの本を読みたかったのは、ねむの木学園の子どもたちが、どんな六 くらしをしているかを知りたかったし、みんなおなじ子どもどうし仲よくしなければいけ子 と ) ないと、ほんきで思ったからなのです。このねむの木で園長をしている宮城まり子さんも、さ ねむの木をつくって、とても大へんだったと思い感心してしまいました。 かおる
お母さんの手記 さと さと 聡子が修学旅行に参加できるなんて思ってもみないことでした。聡子だけ病気のために 修学旅行に行けないのも気の毒だと、三月の春休み鎌倉の大仏様だけでも見せてやろうと 出かけました。 生 年 ところが、修学旅行が、なんと同じコースだったのです。家族旅行とはまたちがった同 さと 級生との旅行ができるなんて : : : 聡子のよろこびはもちろんですが、私ども家族もそれ以子 と さ 上にうれしく思いました。 さレ J 十八日夜、江の島の恵比寿屋より、聡子のうれしそうな声が、わが家にとどきました。 さと 「お母さん ! 聡子、今夜はすごく楽しいよ」 えびす なっかしかった。江の島の宿は、恵比寿屋でした。朝、みんな燈台の展望台を見に行った けど、私は行ったことがあるのでやめました。その後、「マリンランド、 かいじゅう館」 と「水族館」を見て、くじらとイルカのショーを見ました。イルカに「はる子」という名 まえがついていたので、杉森はる子ちゃんは、おこっていました。 175
さと ていました。今日は心電図の検査もつけ加えられました。聡子は、昼食になっても、あま り食欲がなく、帰りは車のなかでずっと寝ていました。病気が悪くなっていくいつばうで す。治療をつづけても、 しつこうによくなりません。肝臓が肝硬変にならないように祈る だけです。六年生まで、どうにか、がんばって来られたことが、ふしぎなような気がします。 さと 顔のいろはますます黄色くなり、おなかがふくらんできても、熱が出ても、聡子は、卒業 の日を楽しみにしています。 二月五日 ( 火 ) はれ もう二週間近く学校を休んでしまい、あさってから学校へ行ってもついていくのに大変 です。算数と国語は、少しずつ自分でやってるけど、やつばり心配です。自習のとき、急ピッ チで追いっかないと進級できなくなるかもしれないから : : : 先生、私、進級できるよね ? 二月七日 ( 木 ) はれ 十日ぶりに学校へ行きました。国語も算数もす ) 、ーく進んでいると思ったら、私が自分 184
お母さんの手記 六年生の三学期は調子が悪く、学校も休みがちでしたのに、卒業式をむかえることがで さと きて、うれしなみだでした。六年間、天竜養護学校にいたのは聡子ひとりです。身長一二 九センチ、体重二十五キロ、なんとも小さくて痛々しい姿でした。 小学校卒業ができ、いよいよあこがれの中学生活です。その日を楽しみにしていたのに、 ふしゅ 二十八日心配していた高熱と、浮腫 ( むくみ ) が来ました。婦長さんと相談、天竜病院で、 熱が落ちつくまで私が付きそうことになりました。熱はさがらず、肺炎となりました。 先生の診察では、 さと 「聡ちゃんの状態は、今夜だめといっても、不思議ではないですよ。」 といわれました。 てんてき 病気がついに悪化したのです。パンパンにふくれあがったお腹をかかえ、昼夜、点滴で 身動きできないのに、それでも看護婦さんたちと、「わたしニンシン三ヶ月よ」などじよ さと うだんをいいあっている聡子を見ていると、先生の言葉が信じられないのです。 とにかく熱が落ちついたら、東京の日大病院へ移ることになりました。 194
かいふく この手術後は、体力もすこしずつ回復し、ふつうの子より小さいからだながらも、一年 おくらせての小学校人学の日をむかえることができる「とになりました。 さと よいまらぐんかなや ふ / 、しか てんりゅう 私たち家族と聡子が住む、静岡県原郡金谷町の福祉課で、紹介された天竜市にある国 りようよ・つじよてんりゅうそう 立療養所天竜荘と天竜養護学校を見学に出かけました。 家から五十五キロはなれた天竜市郊外の小高い山の上に病院がありました。 びようれき さと 先生は、病歴を一通りきいて、なんどもうなずき病気のため目の黄色い聡子をじっと 見つめながら、 「普通の学校はとてもむりでしよう。今日から人院したほうがいいのですがねえ」 とおっしゃいました。 私たちはびつくりしてしまいました。 学校がはじまるのは、三ヶ月も先のことです。せめて、それまでは、私たちの手もとに おきたいと、四月からおせわになることを約束して病院を出ました。 病院から二百メートルほど、なだらかな坂道をのばったところに、県立の養護学校があ りました。 よ - つご
読み、書き、生きる 闘病にあけくれた少女の記録 清水達也 生命の灯が、明日つきるかもしれない 生まれて間もなく、寿命を予告された子ども をかかえた親の苦悩は、常人の推察をはるかに越えたものであるにちがいありません。 「先天性胆道閉鎖症」という病気をもって生まれた愛児を、深い悲しみと慈しみのなかに 抱いて、両親は、必死に生へのつなぎを求めていきます。そのありさまが、十四才でこの 世を去った少女のこの記録ににじんでいます。 この少女、聡子ちゃんの日記と読書感想文は、一日一日生きていることの尊さを、うた いあげた生命の歌です。 静岡県榛原郡金谷町、五和の里に、聡子ちゃんは、悲しい運命を背負って生まれました。 その五和の里は、私のふるさとでもあります。 そこに、こんなにも深い悲しみとそれをのりこえようと懸命に生きている一家があった とは、私は夢にも知らなかったのです。児童文学者の那須田稔氏から聡子ちゃんのことを きき、そして、聡子ちゃんの六年間の日記、読書感想ノートを読んでいくうちに、呻きだ 208
体温計を配りにきて、 「さと子めずらしいじゃん、もう起きてるの ? だから、きよう、こんなに雨ふっちゃっ たのよ」 と、まどをゆびさしながらいったので、私は、 「雨は、夜からふってるよ」 と、言い返しました。 六月十九日 ( 日 ) はれ きようは、ひさしぶりにはれたせいか、どこのへやのべランダも、洗たく物が風にゆら ゆらゆれていました。 十五、十六日と、お天気が悪かったので、私のへやのべランダにはおばさんたちがほし た洗たく物がいつばいでした。 天気のよい日は、気持ちがいいなあと思いました。 116
さと子から弟への手紙 雨でナイター 泰之、元気ですか。私は元気はつらつですよ。修学旅行はどうでした ? が見られなかったんだって ? せつかく行ったのにネ。残念でした。ところで、六年生に なって勉強はどうですか。私の中学のほうはというと、むつかしいですョ。 英語は少しだけど、読めるようになりました。社会は歴史だけど、小六のときより、もっ ともっと深く、くわしくやっています。できるだけがんばっているけど、べッド授業なの でネ。一学期の通信簿はどうでしよう ? それでは、おたがいにがんばりましよう。 でよ、グッドナイト べットにて聡子 六月三日 ( 火 ) 晴れ きよう、朝香弘美さんから、手紙が来た。三月から住所がわからなくて書かないでいたが、 はなよめしゅぎよう わさい やっと住所がわかってうれしい。和裁、編物、お花、お料理 : : : ほんとうの花嫁修業を、 弘美ちゃんはしている。もう、かんぜんに、じぶんの道をつかんでいる。私も早く高校を やすゆき あみもの さよなら、さと子 199
浜松医大で落ちついたへやは、一〇六六号室の個室。ながめもよく、静かな明るいへやだ。 ついたその日、主治医の秋山先生より、説明があり、 さと かんこうへん 「すでに、聡子ちゃんは、肝硬変になっていて、あと一ヶ月、長くて年内でしよう。」 と言われる。 さと かくごはしていたものの、日ましに、おとろえていく、聡子を見るのはたえがたい「とだ。 しよくトす、 医大へ移った数日間は、食欲も出て、元気をとりもどしました。お友だちにも手紙を書き、 あみものをしたいと、あみはじめる。 さと べットからの聡子は、空しかみえないけれど、静かなへやで、気持ちが落ちつくという。 毎日、検査の結果は思わしくないのに元気でいるのは不思議だと、賀古先生は首をかし子 さ げていらっしやる。 ら 十二月になってからは、手がふるえて日記も手紙もかけないという。体のかゆみは、いっ よ そうひどく、おなかは。ハンパンにはれ、ガスがたまって " 腹痛 ~ をうったえる。出血もひさ どくなり口内炎による出血はなん時間もとまらない。それまで大好物だったおもちを受け つけなくなった。 203
四月十七日さと子から弟への手紙 やすゆき、お手がみありがとう。 わたしは元気です。おべんきようのほうは、やっていますか。 おねえちゃんも、やすゆきに背はおいぬかれたけど、べんきようのほうは、おいこされ ないように、がんばっています。 四月八日 ( 木 ) くもり 今日はじめての小三のじゅぎようだったので、私はどんなにむずかしくなるかなあと 思っていたら、かんたんでした。はじめだからかんたんなのかもしれません。 四月十二日 ( 月 ) 」ご、安せい時間がすぎてから、かんごふさんと私で、つばきの花をとってきて、けい 子ちゃんに、ネックレスを作ってあげました。 けい子ちゃんは、とても喜びました。