こざる」「森のおばあさんと、ふしぎなたいこ」「こぶとりじいさん」をかりてきてくれま した。 二月五日 ( 水 ) はれ きようは、朝香弘美さんも、ぜんそくがでて学校はやすみ。ふたりでねていました。 おばさんが、シ 1 ツをこうかんにきてくれました。小林先生が、朝香さんをみにきました。 二月七日 ( 金 ) 雨 きようは、雨でも、みんな学校へいったけど、わたしは、ねつはでるし、あたまはいた しきたい。いけるとおもいます。 いし、学校をやすんでいます。あしたは、 ) 二月十日 ( 月 ) はれ きのうから足がいたいです。きようのねつは三十七・一どでした。 足はいたいし、学校をやすもうとおもったけど、がんばっていきました。 さと子の一年生
六月八日 ( 日 ) はれ きよう、八時ごろ、しよくどうへいって、べんきようしていたら、けい子ちゃんが男の 子と、オセロをやっていて、そのうちに、男の子に、イスをなげようとしました。 わたしはいそいで、かんごふさんをよびにいきました。けい子ちゃんたちは、かんごふ さんにしかられてました。どうして、けい子ちゃんは、おこられることばかりするのかふ しぎに思いました。 六月二十日 ( 金 ) はれ きようは体温けんさのときに、かんごふさんが、「さと子ちゃん、あした、けんさする から、けんさのけつかがわかるまで、学校やすんで」といったので、わたしが、「どうして ? 」 ときいたら、「さと子ちゃんこのごろ、ようすがおかしいもん」といいました。 わたしは、また学校を休むとべんきようがわからなくなるかなと心ばいになりました。 このごろ、さと子の足は病気でかたくなり、自由に歩けなくなっていました。
七月一一十二日 ( 火 ) はれ きようは、終業式のとき、「読書感想文」と「べットの身のまわりのせいとん」で、しょ うじようを三まいももらいました。名まえをよばれたとき、びつくりして、うそじゃない かと思いました。 七月三十一日 ( 木 ) はれあつい 夜、天りゅうそうのげんかんのところで、おぼんまつりがありました。十一、十二病と うの人たちも見にいきました。わたしたちも、かんごふさんのゆるしをもらって見にいき 七月二十一日 ( 月 ) くもり きようは、四じかんめに、ともみちゃんのおわかれ会をやりました。先生が、「ともみちゃ んに、なにかいってあげることかあれば、 ) ) ししなさい」といったけど、はずかしくてな にもいえませんでした。病とうにかえってからいえばよかったなと思いました。ともみちゃ んから、きねんにえをもらいました。なかよしがつぎつぎにいなくなります。 さと子の二年生
七月三日はれ きようも暑くてたまりませんでした。私は洗面所にいって顔を洗ってうでと首をふいて、 ベビーパウダ 1 を、パタ。ハタとつけました。ちょっとだけさつばりしました。 どうしてこう暑いのでしよう。どうしてこう汗が出るのでしよう。服がべタベタです。 七月二日 ( 土 ) はれ 一日とっても暑くて安静時間にねていても、あせが出るのでいやになりました。うちわ で、あおいでも、手がっかれるし、タオルでいくらふいても、あせがどんどん出るので、 いやになってふとんをかぶってしまいました。 六月二十二日 ( 水 ) はれ きよう、東京の日大病院へ行きました。朝早いので、私はずっと車の中でねていました。 東京は見上げれば、ビル、ビル、ビルばかりでした。高速道路から見ると、地面がどこ にあるのかわからないくらいでした。 さと子の四年生 117
かんりしつ 病気がひどくなると、管理室に移されるのです。 七月十七日 ( 木 ) はれ ごご、六時ごろ、かんごふさんに、「けい子ちゃん、元気 ? 」とききました。 そしたら、かんごふさんが 「元気だよ、かお見る ? 」 といったので、わたしは、けい子ちゃんのいるヘやにいきました。 三十分ぐらいあそんできました。けい子ちゃんはとても元気で、わたしは、お見まいに しって、よかったなあと思いました。 した。 がわるいなあと思いました。 高いねつを出して、フーフー ってるけい子ちゃんが、ちょっと、かわいそうになりま さと子の二年生
といってくれたので、私はとてもうれしかったです。 私はこんどから、初ちゃんから、頭がよくて、みんなきらっているよといわれないように、 なるったけ、初ちゃんと同じ行動をとろうと思います。 勉強の時間でも、 「あー、わからない」 といっています。 でも、初ちゃんたちと同じようにするのは、とてもむずかしいです。 社会科の時間、私がわかったといって書いていたら、盛克君が、 「しいなあ、頭の交通のいい人は」 といったので、少しいやみに聞こえたけど、私はがまんをしました。 私はどうして、みんなから、きらわれるのだろうと、悲しくなりますが、げんきをだす ことにしました。 盛克君Ⅱぜんそくで人院。さと子の同級生。 106
二月二十三日 ( 月 ) はれ 四時ごろ、食どうのおばさんがおちやをもってきて、 「足立さん、うかったよ」といったので、私が、「よかったねえ」といったら、べットに ねていた朝香さんが、 この間、めんかいの時、おかあさんが、 「あんたのちいさいころの手紙や日記や絵をスクラップブックにまとめたからね。」 というので、びつくりしました。 でも、おとなになってから思い出になるから、ありがたいと思わなくちゃいけないなあ と思いました。 私は、このごろ日記を書いていなかったので、それはいけないことだと、はんせいして います。たとえ、ロがきけなくても、足がわるくても、耳がきこえなくても、思い出にな るものは、なにか一つあるはずです。 私は、これから日記をしつかり聿日こうと思います。
昭和のつぎは、森永、グリコ、ロッテ、ヤマザキ、ヤタロー シキシマ、カネボ 1 、考 えれば、まだたくさんあります。 どうして、食べもののメーカーばかり浮かんできたかというと、大正の前に、明治があ るからです。 でも少し変だね , 五月九日 ( 水 ) はれ 自習時間、社会科の教科書を読んでいたら、憲法は必ず守らなければならないと書いて ありました。今の憲法は「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」だけど、このき まりを、つぎの三つにしたらいいなと思います。 いかがです、沢人先生 , それは、 「子どもは勉強をさせない」、「自由にのびのびあそばせる」、「子どもの好きなようにさせ さと子の六年生 165
お母さんがかってきてくれた「小学一年生」をよんでいます。あと一ヶ月で、二年生に なるんだなーとふっとおもいました。 二月十九日さと子から弟のやすゆきへの手紙 やすゆき、おてがみありがとう。 このごろ、おねえちゃんも、学校へいっています。やすゆきも、もうすぐ一年生ですね。 一年生になると、こくごも、ときどき、あんきすることがあるからね、がんばってね。 おねえちゃんも、きようは、こくごの本で、あんきするところがあるの。だいは、「大 があるく」です。 「大があるく」 犬があるく 4 本足で どの足のつぎにどの足がうごくのか、 どんなにみていてもわからない 音のちがうすずを
「足立さんは、いわた ( 磐田市 ) の東高でしよ」 といったら、おばさんか 「そうだよ」 といいました。 足立美佐子さんが、高校にごうかくしたのです。私も中学三年になったら、しけんをし て高校にいきたいけど、「ごうかくするかなあ」と思いました。 三月二日 ( 火 ) くもり 朝、とう校するとき、こんど、二十周年記念にやることばを初ちゃんが、歩きながら、 生 年 あんきをしていました。初ちゃんは、道のまんなかにいました。 そして、天竜こうえんへきたら、じむの人の車がきて、ピ】ピーとならしました。初ちや子 さ んはびつくりして、よけました。 ピ 1 ピ 1 とならさなかったら、初ちゃんは、今 ) 、ろ死んでいたことでしよう。 しっしょにいたますみちゃんが、