ばた るかのようでした。一年生の担任は、久保田きすえ先生。 さと しようにびようとう とくしゅ ばん ぜんそく、その他の子どもは小児病棟です。聡子の場合は、特殊な病気のため、一般 病棟へ人院となりましたが、部屋がいつばいなので、人学式だけすませると、部屋があく まで、自宅で待っていることになりました。 四月十五日、天竜荘から通知がきて、いよいよあす天竜へ行くことになりました。身の じゅんびとの まわりの物、衣類、学用品をなんどもしらべて準備も整いました。 さと いままではママがいなければ、なんにもできない聡子です。でもあすからは一人で何も かもやらなくてはならないのです。 ちりようため 今までは手術や治療の為に病院に行ったけれど、これからは学校へ行って勉強するため の病院生活です。 さと いつばい書いて持た 聡子に白い表紙の小さなかわいい手帳に毎日の注意などいつばい、 せました。 〇あさおきたら おてあらいにいくこと たんにん
浜松医大で落ちついたへやは、一〇六六号室の個室。ながめもよく、静かな明るいへやだ。 ついたその日、主治医の秋山先生より、説明があり、 さと かんこうへん 「すでに、聡子ちゃんは、肝硬変になっていて、あと一ヶ月、長くて年内でしよう。」 と言われる。 さと かくごはしていたものの、日ましに、おとろえていく、聡子を見るのはたえがたい「とだ。 しよくトす、 医大へ移った数日間は、食欲も出て、元気をとりもどしました。お友だちにも手紙を書き、 あみものをしたいと、あみはじめる。 さと べットからの聡子は、空しかみえないけれど、静かなへやで、気持ちが落ちつくという。 毎日、検査の結果は思わしくないのに元気でいるのは不思議だと、賀古先生は首をかし子 さ げていらっしやる。 ら 十二月になってからは、手がふるえて日記も手紙もかけないという。体のかゆみは、いっ よ そうひどく、おなかは。ハンパンにはれ、ガスがたまって " 腹痛 ~ をうったえる。出血もひさ どくなり口内炎による出血はなん時間もとまらない。それまで大好物だったおもちを受け つけなくなった。 203
お母さんの手記 てんてき おかん 六月のおわりごろから、高熱と悪感がつづき、点滴の毎日でしたが、七月に人って、よ うやく少しずつ元気をとりもどし、少しずつ本を読んでみたいと、不自由な片手で、 " ママ、 6 卒業し、自分の道を、一歩、一歩進んでいきたい。ゅめのまたゆめだが、母さんがいい と思う。それにはまず、勉強しなければ : : 私は小さい子が好きだし、自分の性格にいち ばん合っていると思う。お父さん、お母さん、グット ・ナイト。また、あした。 六月十八日 ( 水 ) 晴れ 日記を書かなくなって、ずいぶんたちました。しばらく書かないでいたら聿ロくことがいっ ばいです。学校へいっから行けるかと、そればかり楽しみにしているのに、私、まだ、べッ トなんです。このごろ、少し、むくみつばいんです。体重も一キロふえているんだけど、 ナイショにしてあるんです。だって、ほんとうのことをいえば、学校が私からどんどん遠子 さ くへ行ってしまいそうです。 ら さ 201
ら放課後、練習しようかなと思いました。 じんえん はる子ちゃんⅡ四年生の十一月に人院して来た腎炎の子 七月六日 ( 木 ) はれ きようは七夕です。 短ざくを、ささにつけました。私はあまり願いごとを書きたくありませんでした。生ま れてからずっと、病気がよくなるように願っているのに、どれひとっかなったことかない からです。 なにも書かずにいたら、沢人先生がそばに立ってにこにこわらっていました。沢人先生っ て、すらりと背のたかいハ、 ノサムな男の先生です。沢人先生がそばにいるだけで、うれし くなります。私はどきどきして、短ざくに「てんきになれ」なんてへんなことを書いてし まいました。 142
八月二十日 ( 月 ) くもり お父さんが休みだったので、朝、十時ごろ、家を出て、車で、沢岡の「ねむの木学園」 をたずねました。 しまだ おばあちゃんは、島田に用事があったので、とちゅうでおりて、浜岡へは、お父さんと お母さんと、弟、妹、そして私の五人で行きました。 はじめ「ねむの木美術館」へ行きました。人るととてもきれいな絵がいつばいあって、 みんなマジックで書いてあったので、目がさめるほどでした。からだや心にしよう害があ る子どもたちが、どうして、こんなに上手に絵が書けるのかふしぎに思いました。私は見 とれてしまい、感心ばかりしていました。 八月十三日 ( 日 ) はれ きのう、外はくで、なっかしいわが家に帰ってきました。きようからお盆なので、祭だ んを作るのを手伝いました。くだものや、お菓子もあげました。夕方は庭で、むかえ火を たきました。 よまおか 172
二月二十一日 ( 金 ) はれ あさおきたら、ゆきがつもっていて、おく上へいったら、どこもかもまっ白にゆきがっ もっていました。 学校にいって、ゆきだるまとゆきうさぎをつくりました。 二月二十五日さと子から弟のやすゆきへの手紙 ハアーイやすゆきー おてがみおくれて、ごめんね。おねえちゃんもいろいろといそがしいのよ。 しゆくだいもでたり、日記をかいたり、きようかしょをよんだりしています。 どの足にも一つずつ チリン・コロンカラン・ポロン むすんでやったらわかるかな こういうのです。おねえちゃんもがんばります。じゃあ、さようなら。 さと子の一年生
十一月二十日 ( 火 ) はれ きようは、参観日で合唱会がありました。小六は、三年連続優勝をねらっていました。 ことしは " 花のまわり ~ と " お祭りポルカ ~ です。ならんでまえに出ていくとき、足がガ 9 クカクしました。〃、 お祭りポルカ ~ のとき、沢人先生のたいこと鈴が大うけでした。私た 少し、ユーモアにとんで、 " おてまみ ~ ってわざと書いたんだよ。 それにね、今は、 " 負けない ~ っていうことを、 " メゲない ~ っていったり、 " おやすみ ~ というのを、オマミといったり、なんというか、おもひろいというのか、ユーモアという のか、そんないい方をするのレス。 私もここで二回使っちゃった。先生も少しおぼえておかないと、こんど、女子がこんな こと書いたとき、なおしてしまうから。 そりや、ちゃんとした国語の先生にこんなこと書いて出したら、日本語じゃないといわ れるかもしれないけど、まったくまちがえていうわけでもないから、少しぐらいは、おも しろくていいんじゃないかな。 さと子の六年生
〇おてあらいできをつけること 1 、よなかにトイレにいくときは、かんごふさんにみてもらうこと 2 、なかにかみかあるか、みてはいること 3 、きもちがわるいときは、ブザーをおすこと 4 、へやからでるときは、ガウンをきていくこと 5 、ガウンのポケットには、、 ノンカチをいれておくこと 6 、トイレのあとはてをあらうこと 〇ごはんのとき、きをつけること 1 、ごはんのまえにてをあらうこと 2 、たべおわったら、おはしと、おゅのみをあらっておくこと ついたものは、なるべく、のこさないこと 〇ねるまえにすること 1 、はをみかく 2 、おふろのない日は、かおをあらうこと
お母さんの手記 かんきよう 家庭をはなれ、いままでとはちがった環境のなかで、一年生もぶじに終りました。暮 だんばう れから新年にかけての外泊で、一ばん心配したのは、病院とわが家の温度差です。暖房が かんび 完備している病院の子どもを迎えるには、わが家はあまりにも寒すぎました。思ったとお さと り聡子は家に帰るとすぐかぜをひき、熱をだし、一月は、あまり学校へも行けませんでした。 さと そして早く暖くならないかと春を待ちました。熱があるなかで、聡子は、よく、詩や、ど うわを書いていました。 でも、これは、ぜったいのひみつ。
十二月三十一日 ( 金 ) はれ きようで、ことしは終りです。私はことしをふり返ってみて、来年はなおそう、気をつ けようということがいつばいありました。病棟生活、学校生活とも、ことしより、もっと、 もっと、うまくやっていきたいと思います。 十二月二十八日 ( 火 ) はれ きよう、うちでおもちをつきました。 おとうさんが会社に出かけるまえにつきました。おかあさんが、手がえしをしました。 私たちは少しはなれた所でみていました。 生 年 の 一月一日 ( 土 ) はれ 子 きようはお正月。おばあちゃんのたん生日でもあります。私は、買うものがなかったので、さ おとうとのやすゆきといっしょに、おばあちゃんに手紙を書いて、それをプレゼントしま した。おばあちゃんは、とっても、よろこびました。家の人たちと百人一首や、かるたを びよう A ) - っ 101