十月二日 ( 月 ) はれ 朝、食事のとき、テレビのニュースで、きようは、日食だといいました。 私はなんだろうと思っていたら、月が太陽と地球のあいだに来て、太陽光線をさえぎり、 太陽が見えなくなることだとニュースで説明してくれたので、よくわかりました。 九月十五日 ( 金 ) はれ きようは、博子が、頭がいたいいたいと言って、ふうふういってました。看護婦さんも、 とても心配していました。私も心配でたまりませんでした。自習の時もそのことばかり気 になっていました。 九月八日 ( 金 ) はれ 朝から目が赤くはれ上がって、いたくてたまりません。悲しくもないのに、なみだが、 ボロボロ出て、なみだが、なくなるのではないかと思いました。 でも、夕方から、少しずつよくなってきました。 さと子の五年生 149
お母さんの手記 さと びようしつ びよ - っとう 聡子の病室は、子どもだけの病棟ではなく、おとなの病棟でしたが、五月のはじめご ず さ A 」 あさかひろみ ろに、伊豆から、中学一年生の朝香弘美ちゃんが、人ってきました。聡子も、たよりがい 五月十三日 ( 月 ) きようは月よう日で、また四時間、べんきようにいってきました。そとへでてみるとや ねにスズメがとまっていました。 さと子は、はるだなあとおもいました。 五月一一十一日さと子からお母さんへの手紙 ママ、きようは、さんかん日で、たいへんたのしい日で、さと子はおおよろこびでした。 さんかん日の こんどはいっきますか。こんどくるときは、ゆう子をつれてきてください。 きようは、あめだけど、てんきがよかったら、もっとたのしかったのにね。きよう、さと 子のべんきようしているところをみて、どうでしたか。 25 さと子の一年生
七月二日 ( 水 ) はれ きようは、ごご、四時十五分に、河合先生が病室まできて、りかのテストと、こくごの テストと教科書をもってきてくれました。とっても、うれしくてたまりませんでした。 , ハ月二十三日 ( 月 ) はれ きよう、三時ごろ、かんごふさんがへやにきて、「さと子ちゃん、けんさのけつかが出 たから、あしたには学校へ行っていいよ」といいました。 わたしは「足がいたいのに、学校まであるいていけるかなあ」と、いばいになりました。 おかあさんの手記 六月二十四日、さと子は、病棟から学校へいくとちゅうでころんですりむき、その歩き かたは、まことにあぶなっかしくて心配でした。二十八日からは、おばあさんがっきそい にいくことになりました。足のいたみ以外は元気で、勉強のおくれをさかんに気にしてい ました。 さと子の二年生
意してもきかなくて、かんご婦さんにしかられました。それは、すごいけんかでした。 三月十三日 ( 月 ) はれ たいそうしゃ きようは、「退荘者を送る会」をやり、たのしくすごしました。さいごに、送る言葉を ひとりずつ言ったら、婦長さんも、かんご婦さんも泣き声ばかりで、言葉なんかは、きこ えませんでした。 考えてみれば、一年のときから、ここにずっといるのは、私ひとりなんですね。みんな 元気になって天竜荘から別れていきます。 三月一一十七日 ( 月 ) はれ 昼すぎ、父と静岡へ、ウィーン少年合唱団をききに行きました。私たちは < 席でした。 あこがれていたウィーン少年合唱団です。レコードよりずっとすてきでした。静岡のす んぶ会館で、少年合唱団をきいていたら、やさしかった朝香弘美さんを思い出しました。 134
とうでたべるときは、ひとりなので、五人でたべたら、 しかったです。 でも、みんなが、わたしのたべるところをみていたので、ちょっとはずかしかった。 十二月十六日 ( 月 ) はれ ようくんのとき、ピンポン玉をつかって、テニスみたいなことをしました。 ようくんというのは、からだやこころをじようぶにする、とくべつのおべんきようです。 わたしは、としみちゃんとやりました。 とてもおもしろかったです。 三時から、中学生のあさか弘美ちゃんたちが、学校へいってしまったので、ひとりき りになってしまいました。 十二月二十一日 ( 土 ) はれ きようは、二学期の終り、冬やすみになる終業式にいきました。 いつもより、ずっとたのしくおい
四月十四日 ( 月 ) くもり きようは、わたしのへやに小学一年生の女の子が人ってきました。その子はべットじゅ ぎようでした。名まえは、平野けい子ちゃんです。 これからは、なかよくしていきたいとおもいます。 べット授業Ⅱ病気がひどくて学校へ行けない子どもはべットにねたままで授業をうけ ることをいいます。 四月十六日 ( 水 ) はれ 生 きようで、ちょうど、天竜養護学校にきて、一年たちました。一年まえからきようまで、年 の いろんなことがありました。 子 AJ さ かなしいときも : さみしいときも : うれしいことも :
二月二十三日 ( 月 ) はれ 四時ごろ、食どうのおばさんがおちやをもってきて、 「足立さん、うかったよ」といったので、私が、「よかったねえ」といったら、べットに ねていた朝香さんが、 この間、めんかいの時、おかあさんが、 「あんたのちいさいころの手紙や日記や絵をスクラップブックにまとめたからね。」 というので、びつくりしました。 でも、おとなになってから思い出になるから、ありがたいと思わなくちゃいけないなあ と思いました。 私は、このごろ日記を書いていなかったので、それはいけないことだと、はんせいして います。たとえ、ロがきけなくても、足がわるくても、耳がきこえなくても、思い出にな るものは、なにか一つあるはずです。 私は、これから日記をしつかり聿日こうと思います。
四月十七日さと子から弟への手紙 やすゆき、お手がみありがとう。 わたしは元気です。おべんきようのほうは、やっていますか。 おねえちゃんも、やすゆきに背はおいぬかれたけど、べんきようのほうは、おいこされ ないように、がんばっています。 四月八日 ( 木 ) くもり 今日はじめての小三のじゅぎようだったので、私はどんなにむずかしくなるかなあと 思っていたら、かんたんでした。はじめだからかんたんなのかもしれません。 四月十二日 ( 月 ) 」ご、安せい時間がすぎてから、かんごふさんと私で、つばきの花をとってきて、けい 子ちゃんに、ネックレスを作ってあげました。 けい子ちゃんは、とても喜びました。
一月五日 ( 月 ) ゅうべは、せきがでて、ねむれませんでした。きようは、しまだ ( 島田市 ) の病いんへ 行きました。気かんしえんだといわれました。タがた、いとこたちかきました。 一月七日 ( 火 ) また天竜の養護学校にかえってきました。送ってきたお母さんたちがかえるとき、私は、 なみだが、 ポロポロ出て、泣き出してしまいました。あとで、どうしてあんなに泣いたの かなあと思いました。 一月十五日 ( 木 ) はれ せいじんの日です。 二病とうのかんごふさんが、きれいなかみをゆって、きれいなきものをきて、きました。 私も早く二十才になって、きれいなきものをきたいなあと思いました。
わたしは学校までおぶってもらいました。弘美さんて、親切だなあと思いました。 六月十二日 ( 土 ) くもり きようは、二時間目から、少し気分がわるくて、三時間目が終ってから、トイレにいっ たら、げ 1 が出てしまったので、びつくりしました。 それから、だんだん寒くなって、病とうに帰って、いそいで食じをしてねました。 それから、ずっと、うとうとしてすぎました。 六月一一十八日 ( 月 ) はれ 七時ごろから八時まで、七夕会のげきの練習をしました。 オしたいうまくできました。 あしたの朝は、七時三十分ごろに、学校にいって、河合先生にワルツをみんなで教えて もらおうとはりきっています。 このところ、からだのちょうしかいいので、よろこんでいます。