病気 - みる会図書館


検索対象: さと子の日記
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1. さと子の日記

お母さんの手記 あと三ヶ月のいのちといわれて さと 昭和四十一年八月五日、聡子が生まれました。三千百グラムもある元気な大きな子でし さと せんてんせいたんどうへいさしよう た。ところが、聡子は、先天性胆道閉鎖症という生まれつきの病気を持っていたのです。 この病気は、現在の医学のカでは、なおすことがたいへんむつかしく、さいごは肝臓が悪 くて生きていけなくなってしまうということでした。 生まれてから六十日目に、あと三ヶ月のいのちしかないといわれました。 こんな恐しい病気のあることも知らなかった私たちは、手術をすればなおるものと思っ ていただけに、あまりにもショックが大きすぎました。その後、いろいろな病院をまわり じようたい ましたが、 どこでも、同じことをいわれました。もう、あきらめるしかない状態になっ ていました。 とうとう三ヶ月がやってきました。 さと 病気のために大きくはちきれそうになったおなかと、黒ずんだからだになった聡子を見 しゅじゅっ かんぞう

2. さと子の日記

さと子の日記 小学中級以上 「私の病気は先天性胆道閉鎖症です。どこの お医者さんも大変むづかしい病気だといいま す。」 ( さと子小一ノートより ) 自分をしつかりと見つめ、生きていくこと は、どんなに勇気のいることでしよう。この のちの尊さ、生き 小さな女の子の日記は、、 るよろこびを語りかけているのです。 十四年四ヶ月、さと子が、がんばって来られ たのも、一つは養護学校があったおかげです。 学校へ行って勉強できる。ただそれだけが、 さと子にとっての生きがいだったのです。 ( お母さんの手記より ) 鈴木聡子 ひくまの出版 定価 1 , 200 円

3. さと子の日記

かんりしつ 病気がひどくなると、管理室に移されるのです。 七月十七日 ( 木 ) はれ ごご、六時ごろ、かんごふさんに、「けい子ちゃん、元気 ? 」とききました。 そしたら、かんごふさんが 「元気だよ、かお見る ? 」 といったので、わたしは、けい子ちゃんのいるヘやにいきました。 三十分ぐらいあそんできました。けい子ちゃんはとても元気で、わたしは、お見まいに しって、よかったなあと思いました。 した。 がわるいなあと思いました。 高いねつを出して、フーフー ってるけい子ちゃんが、ちょっと、かわいそうになりま さと子の二年生

4. さと子の日記

を読みました。少し、幼稚だけど、おもしろくて、暑さを感じませんでした。 八月二十八日 ( 火 ) はれ きかんしえん きようは、博子ちゃんが、かぜで熱を出してねています。気管支炎にかかっているそう です。おとなしくして、目だけを、。ハチパチさせています。 九月二日 ( 日 ) はれ 上野動物園のパンダのランランが病気で、きようが峠だろうということをお昼のニュー スでききました。 さんそきゅうにゆう 酸素吸人をやっているということだけど、動物でも、そんなのやるのかなあと思いまし た。どうか、元気になりますように、私も祈っています。 九月十九日 ( 水 ) はれ 十八日から修学旅行で江の島に来ました。春休みに、家族みんなで来たところなので、 よ - っち 174

5. さと子の日記

七月十五日 ( 木 ) はれ きようは、ひろよちゃんが、私の病気が一生なおらないようなことをいったので、私は 頭にきてしまいました。 でも、だまっていました。 ひろよちゃんは、私の病気が、心ぞうだとかんちがいしているので、私は、ひとこと 「私の病気は心ぞうじゃないよ」 といってやりました。 そうしたら、ひろよちゃんが、 「それじゃ、さとちゃんの病気なによ」 といったので、私は人に、病気のこというの、あんまりすきじゃないので、だまっていま した。 七月十六日 ( 金 ) くもり きようは、図工の時間にまた病気の話をしていて、一学期に人院してきた同級生の由美

6. さと子の日記

たけれど、学校の一日のできごとを、毎日、電話で知らせてくれた一年生当時のことが、 思い出されます。中学生とは名ばかりで、この春、出来た新校舎にもついに人ることがで きなくて、さぞかし、残念であったろうと思います。 日大の森田先生をはじめ、長 ) し間、いろいろお世話になった天竜病院の皆様、二病棟の 看護婦さん、 5 病棟に移って、夏目先生と青島先生、看護婦さんたち、七年間お世話になっ た大井婦長さん、そして、天竜養護学校の先生方、ほんとうにありがとうございました。 浜松医大の賀古先生、秋山先生、大変お世話になりました。あっくお礼申し上げます。 さと さいご - に、病気のお友だちには、 ) しっそうの勇気を、健康なお友だちには、聡子の分ま ですばらしい人生をと願ってやみません。そして、このささやかな日記をとおして、生き子 さ ることの尊さを、す「しでも感じとめていただけるならこれにまさるよろこびはありませ ら ん。この「日記」は、たぶん、そんなことを語りかけようとした名もない少女のメッセー さ ジなのですから。 207

7. さと子の日記

せんてんせい 「私の病気は先天性 たんどうへいさしよう 胆道閉鎖症です。 どこのお医者さんも たいへんむつかしい 病気だといいます。」 ( さと子小一ノートより )

8. さと子の日記

ちゃんと、ひろよちゃんが声をあわせて、 「私たちの病気は、ぜんそくだから、すぐなおるもんね」 といったので、私は私の病気が年をとってもなおらないみたいに思えて、なきたくなりま でも、そばにいろいろな人びとがいたので、なけませんでした。 ときどき、けい子ちゃんから、「まっきっき」と、いわれるときは、とても頭にきます。 でも、私は、ぐっとがまんをしているのです。すこしは、ゞ カまんするつもりだったけど、 きようは、なぜかなきたくなりました。 きっと、いつも、病気のことだけじゃなくて、頭にきたことが心にたまっていて、それが、 生 年 どっとおしよせてきて、なみだを流したいと思ったのでしよう。 学校生活とか、病棟生活は、自分が考えているより、とってもむつかしいことなんだなの あと思いました。人をきずつけてもいけないし、わざといったわけでもないことが、人をさ きずつけることにもなるんだなあと思いました。

9. さと子の日記

「私は、もう絶対、人の集まる所はいや ! もう二度と運動会なんて見に行かない ! 」 またまた、に 毟しいなみだがこばれてしまいました。 でも、これくらいのことで、くじけてはいけないのです。 「お姉ちゃんだって、好きで病気になったんじゃないの。目が黄色い、おなかが大きい といわれちやかわいそうでしよ。だから、手や足の悪い子たちがいたら、ふり返ったり、 ジロジロ見たりしてはいけないの。病気の子たちは、みんなかわいそうなんだからね。」 そういうと、お姉ちゃんをいたわりなからうなずいている弟と妹です。 しかられてしかられてえらくなるんだよ なぐられてなぐられて強くなるんだよ 生 年 いじめられていじめられてかしこくなるんだよ の いっかどこかできいたことばが思い出されました。 子 と さと 聡子、よくおぼえておいて苦しいとき、悲しいときに思い出しなさい。そして、がんばさ るのです。 と、 177

10. さと子の日記

七月十八日 ( 日 ) はれ きようは、二時十五分から、モントリオールのオリンピックを見ました。日本のせん手で、 岡崎聡子という体そうの人がでました。聡子という字は、私と同じです。 七月二十日 ( 火 ) はれ きようは、朝香弘美さんが、かんのん山へ合宿に行って一日るすでした。それなので、 しょ - っ A 」 - っ 私は、消燈時間になってからも、朝香さんのことをずっと考えていました。 八月五日 ( 木 ) はれ きようは、私の十才のたんじよう日だけれど、おとうとやいもうとが、熱をだしてねて さと子は病気のために、黄だんにかかり、からだも目も黄いろいのです。それにおな かがふくらんでいて、背たけもなかなか大きくなりません。病気のせいで体の成長がとて もおそいのです。 おう