何をするかっ、 無礼者′ ゅ、ゆるせぬ 切るつ″】 ぶれいもの みかど、 おまち くたさい みこを 向こうへ おつれ しろ / はや シャ なシャ みか」は、 近ごろ こ - み お心かわり なされた。 まん それがご不満な のです。、 ちカ なぜ、弟は こんなことを みか」は、 おおとものおうじ 大友皇子さま をあとつぎに お考え でいら っしやる お・こ・つと し J 、も - っ すと ? ノド しかし、 つぎ 次のみかどか おおあまのおうじ 大海人皇子さまで あることは、みなの みとめるところ : レ」もカ′、 わたしの目の黒、 のらそ うちは、兄弟の争 いはなりませぬ むすこかかわいい : ど , っしたら いいのカ なかとみの 中臣 ふひと なかレみのかまたり ー中臣鎌足の館 し , った も - っ あります やかた ( 96 )
ありカ ゞし J , っ あまかしのおカ みこさまとー いっカ ちカ お近づきに より・す、 あれを ごらんな 、ませ さ、 うむ 0 彡大兄皇子 、ましす さくをカ 器の倉も あるとカ 鎌足 難我に かんド お考えで : ・ ちかちカ みなみちのしようあん 南淵請安 生の所で お会い しす、 ものです うむ わかった トっ
まあ、うれしい あそこは、わたしの ふるさと : * 渕芋・ = 瓔の灣苹は、一脚し、されたものだといわれています。 みや 新しい宮ができた。 わたしはそこに , フつる一」 A.J にしこ。 そばに、 * - ほ - フうじ 法寺 ( 斑鳩寺 ) も たてられ ました。 、かるが ( ら るく仏冪や らま子こん れくさで たおの たいまも めき道会ち とかと だわをが よめ、う 「しかな しかし、みこさまは あすか なぜ、飛鳥から 新鳩へうつられたの ・ころ , フ ふか にわのつ 難難波津 おおつみ 大津道 たじひみち 丹比道 ・飛鳥・斑鳩・積美露冒レ なにわ 難波の位置 それもあるが、 * なにわのつ ここは難波津 0 , ー、、カらな ラて - フカ つまり外国と 交際するのに べんり 便利だと い - フわけ・・、。 さすが、 みこさま。 な : わのつ いカ、るカ : やま 隆卍 がわ あす力 カわ 飛鳥 あす力 ( 65 )
えみし 蝦夷は、かなわ じさっ ぬとみて、自殺 したようです。 ニ乞 われわれが、 第・かったのた / 母ぎみは、 みかどの くらい 位を みこさまに おゆずりに なるでしょ いや、みかどは。 おじ上におねかい して、わたしは、 皇太子として政治を みよ , フ。 なるほ」、 そのほうか じゅう 自由に腕を ふるえますな。 なかのおおえのおうじ 皇太子中大兄皇子 こうして、 いよいよ新 しい政府ガ 詆生しまし そして、 はじめて ごう 号ガさだめ られ、「大 化」とつけ られました。国博士旻 孝徳 てんのう 天皇 あたら たカむこのくろまろ 国博士高向玄理 にのはかせ にのはカせ 右尢 ~ 鰍石雌呂しかし、飛鳥を 留争にすると、 しんばい ′酉ナカ・ が判臣鎌足 」イ みん あ・ヘのうちまろ 左大臣阿倍内麻呂 さだいじん * 難洳 : ・大阪府大阪市 そして、 きぶん 新しい気分で せいじおこな 政治を行うの です。 みやこ * なにわ 都を難波へ , つつし ましょ , フ おおさかふおさかし ( 84 )
しだい いう次第です。 みこさま、よろしく おねかい します。 わたしも、斑冶を 手つだいますぞ。 三宝を 要 J , っ髪 J ぶよ , フ、 みなにおねが いします。 三宝とは、ム、 * 、 ~ : フそく のことです。豪族ちは、 つきっきに寺をたてました。 きよう きようてんよとけ * 経典・ : 広の教えを書いたもの。お経。 では、大王 さっそく、 おことばを J , つ「て おおきみ さんば - フ せっしようしようとくたいし 摂政聖徳太子 大王のために、 すいこてんのう 推古天皇できるかぎり いたしましょ , フ。 ありか ナ一い」し J です。 おおきみ そ , フか、、 ラて - っカ そして、五九六、子 かんせい ようこうじあすかてら の寺、法興寺 ( 飛鳥寺 ) ガ完成 しました。 みかどの ごてん 御殿よりも、 りつばです すばらしい ですね。 わしは、 J 、フ」、フ やったぞ。 この寺には、渡来人 さ、 - ) う たちの最高の技術を つかったのです。 たいじな たいじな わしの寺 もったい ぶらないで、 つぎ 早く、次の ページを 見せて : ええ。 ぎじゅっ ー、′ついドし・れ ( 59 )
みこは、 いつも ねっしん ご熱心 ですな。 ところで、みこ。 わたしは、 もののべのもりや 物部守屋の やり・カナ ( ー 腹がたちます。 あの男は、 み仏の道に すべて反対して きました。 この前も・ こころ まとけ ええ、み仏を おがむと、 心があらわれ るよ , フな、 気がします。 おとこ みち はんた、 ノー 0 えき病がはやったときに、 , それをみ仏のせいにして、塔を やきはらってしまったのです。 ま父ちこ つのれ たうは 同要たわ じ仕した で打うし すちの と 0 そればかりカ みこ、 やつは、尼たちをみ仏の みちひろ とらえて、むちで道を広 うったりしたの めることは、 です。 わが国をゆた かな、よい国 にす・るこし J に もなります。 あま なんと ひどい ことを みち み仏の道を しんじる者は、 ちからあ 力を合わせなければ なりませぬぞ : みこには、 よくおわか りのはず。 もの 0 ( 50 )
都では、 こ・フにて・・つ あなたに同情する ひとおお 人も多いと 聞いています。 みやこ も、フし あげます′ . みこの いのち お〈叩にもかカ わること。 もはや一日の ゅうよもなり ょにつ ませぬぞ / つまことか′ . おうみちょうて、 おうみしが ' んおおつのみやちょうてい * 近江の朝延・ : 近江 ( 滋賀県 ) 大津宮の朝廷。 6 * おうみちょうてい 近江の朝廷では、 ( みかどの みささぎを つくるといって ( 人をあつめ、 ぶき みなに武器を わたして おります。 ひと しかも ちょうてい 朝廷は、 しよくりよう われわれの食料を はこぶ道を とざそ , フとして おります。 みち - フ - フむ よしつ、 おうみ 近江とたた カ , フの、だ″ . 来るべき 」」か 来たようた。 あなた′ . ( 103 )
Ⅷ聞 llil 川 おきさきの かしわ一・のおおいらつめ 膳大郎女さまも おたおれに なられたそうで 望うさ どちらのご病気 も、たいへん重 、 AJ カ 六一 = 一、一目みこさまの びようき しょ・つとく′、 ご病気が、 聖徳太子ま、の とこにプきましを。一日も早く おなおりに なります・よ , フに。 はや ど , フカ まとけ み仏の おすくいを その翌日—「 みこさま、 お気を しつかり。 よくじっ 世間虚仮 ゆいぶつゼしん 唯仏是真 せけんこけ
0 わたしたちの みかた 味方は、 わずかに これだけ : しんばい 心配するな わたしたちに は、神がつい ている かみ うだのあき ならけん さんちゃっ →兎田吾城 ( 奈良県 ) にてト・山中でーわたしたちは、 りよう師です。 みこさまの軍に くわえてくたさい おお、 そ , つか、あり カたく思 , フぞ。 大伴馬来田 あすか 飛鳥では、 セと わたしの弟 おおレ善のふ 大伴吹負が 兵をあげま すぞ / おおとものまぐた をマ よしの へい、吉野へ コメをはこぶ ところで。 おまえ たちは ? コメを すてよ。 ~ われわれ には、ウマ ひつよう が必要なの え′ . び 0 ( 105 )
' ッ議第第 ー電を、 、金ま 伊第神宮に あねうえ いる姉上は、 げんき お元気だろう カ・ 0 0 やま・ヘのひめみこ 《山辺皇女 おおつのなうじ ( 大津皇子の妃 ). ( おおつのおう・じ 大津皇子 、、さき 2 もの / 母ぎみさえ 生きておら れたら、 わたしが みか′」に も , フ、 そのことは おっしやら ないで : / 草壁皇子さ ごむほんのく ようぎ 容疑 / 彡 、 0 くさかべのおうじ みこ、たくらみか あき 明、らかに なりましたぞ′・ 無礼な。 な、何の れい かわしまのおうじ 川島皇子、 あなたが はかった のだな / 7 それ、 ひっとら 0 あなたっ、 ああっ″【 / p 、わたしたちは、 しんゅう 親友の仲 たったのでは ないかっ″・ っ G 0