おおあまのおうじ 大海人皇子、兵をあげる・ 瀬田川の戦い たいカめんふじわらのみや ・大画面・藤原宮・ ・律令政治の幕あけ・ きょ - フー ) っ れきしはかせ : んとく 0 ようこふん 0 図解でみよう「巨な古墳のひみつをさぐるー『仁徳陵』古墳」 0 図解でみよう・もっとしろう「古墳について知ろう」 : ~ : フぞく こふんじだい 0 生活をしろう「古墳時代の豪族」 : まくほうぶんか 0 文化をしろう「飛鳥文化と鳳文化」 : そうだんしつ 0 くわしくしろう「この巻のなんでも相談室・ 9 」 : にほんしんわ 0 お話をよもう「日本神話を知ろう・」 : あすかじだい こふんやまと 0 地図でしらべよう「古墳 ( 大和 ) ・飛鳥時代の違跡」 : 0 たずねてみよう「このの史跡・資料饂・枷饉」・ 0 おうちの方へ ・第 4 章 蘇我氏ほろぶ : ありまの・おうじ 有間皇子の悲劇・ おおあまのおうじ よしの 大海人皇子、吉野へ : じんしん せいかっ ぶんか せたがわ ひげき あすかんか こふん かん こふん 95 88 80 124 122 113 102 せき 100 150 148 146 142 138 136 134 132 130 129 第 4 章 第 3 章 ありまのおうじ 有間皇子 ( 640 ー 658 ) なかとみのかまたり ′つヾ中臣鎌足 ( 614 ーー 669 ) んじてんのう 天智天皇 ( 十大兄皇子 ) ( 626 ー 671 ) じとうてんのう 持統天皇 ( 645 ー 702 ) 0 ' こうふんてんのうおおとものおうじ や弘文天皇 ( 大友皇子 ) ( 648 ー 672 ) 第 ' おえのおうし おおあまのおうじ 柿本人麻呂原示比等大海人皇子 ( ? ー 686 ) ( 659 ー 720 ) 蘇我蝦夷蘇我入鹿 ーー 645 ) てんむてれのう 天武天皇 おおあまのおうじ ( 大海人皇子 ) ( ? ー 686 ) ( ? ー 645 ) かきのもとのびとまろ ( 11 )
% 豸 / 行ーっー - つみだわ いからた でど し くをそが れち死し よな皇ら大そくおおみ いさ太を友ーしだゆきか しかでる子し皇すてさずさど しとに子し、いりきの を よ は 兄上は、 こころ わたしの心を ためして おられるな。 あ・ - うえ 、 0 * 出家・ : 僧になること。 わたしは体がよく * しゆっ ないし、今すぐ出家 * よしの して吉野にこもり ます : 1 わたくしも よしの 吉野へ まいり ます′ . よしの ならいんなんぶ * 吉野 : ・奈良県南部の山。 あなた もはや、 いては、 いのち 命か あぶない 7 0 うののひめみこ 鸙野皇女 てんじ、てんのうむすめ ( 天智天皇の娘で おおあまのおうじ 大海人皇子の妃 ) きさき 0 しかし、これでは トラをにはなっ よ , フなものだ。 おおあまのおうじ 大海人皇子を やるなら 今だそ。 それは、みかどか おゆるしに ならぬ。 ここで、 さらば では、お気を つけて。 辷 ん ミしら : : 給ミス、ま、、
4<Pl 一年五月ー ・を二ー二第、 よしのがわ 吉野川の ) 、流れは はや 時のたっ のも、 また早い ものだ。 みかどかなくな られて、もはや 半年あまり : 2 ・れし」ーし はや あなた、 これから ど , フなさる おつもり ? , フむ 00 一の おおあまのおうじ 大海人皇子 うののひめみこ内 7 野皇女 ズ都の ようす 様子が 気になる。 はんら、 本来なら、 ) うと みかどの弟の 皇位を あなたが、 ついでいらっしゃ るはず。 みやこ おおとものおうし 大友皇子は、 みかどの 位をついナ わ , フか・ ( 102 )
* 美濃・ : 岐阜 じゅんび そちたちは、 わたしの領地が * みの ある美濃へ行き、 兵をあげる 準備をせよ / 向こうで おまち しており ます。 ははつ、 おまかせ を′ . * 市皇みと島み・ : 一一人とも大海皇子の子。 よの おおあまのおう - じ 大海人皇子たちガ吉野を出て美濃へむ そちは、 おうみ ったのは六弖一十四日のことでした。ま一一 近江にいる たけちのおうじ * 高市皇子と おおつのおうじ 大津皇子を、 ひそかにつれ てまいれ。 そちは、 あすか 飛鳥へむかい おおともし 大伴氏に 兵をあげる ったえよ。 かしこまり ました。 、こ ( 104 )
え望のづくりをめざす。 すいこてんのうせっしよう 聖徳太子、推古天皇の摂政となる。 五九三 六〇三冠位十ニ階の制をつくる。 じようせいてい 六〇四憲法十七条を制定する。 小野嫌子を隋におくる。法寺がたてられる。 六〇七 せいりよく そ : のいるか 蘇入鹿、勢力をふるう。 なかとみのかまたり なかのおおえのおうじ 六四五中大兄皇子・中臣鎌足、氏をほろ " はす。 ( え化の改新 ) よんてんしやフじゅほう 六五一一理田収授の法が行われる。 ありまのおうじ 六五八有間皇子、むほんの罪によリころされる。 しらぎれんごうぐん やまとちょうてい ぐんぜ、 はくすきのえ 六六三大和朝廷の軍勢、白村江て唐・新羅連合軍にやぶれる。 おおつ、エう みやこ 六六七都を大津京にうっす。 てんじてんのう た疾のおおえのおうじ 六六八中大兄皇子が即俺する。 ( 天智天皇 ) こう : わんじゃく 六七〇庚午年籍が作られはしめる。 ( 5 六七一 ) じんしんらん おおとものおうじ おおあまのおうじ 六七一一大海人皇子、大友皇子をほろぼす。 ( 壬申の乱 ) てんむてんのう おおあまのおうじ あすかきよみがはら 六七三飛鳥浄御原て大海人皇子が即位する。 ( 天武天皇 ) かばわせいてい やくさ す飛六八四八色の姓が制定される。 ふしわら、エうみやこ 六九四藤原京に都をうっす。 りつ 2- うせいじ 律令政沿がはじまる。 こいはうりつ c ようせいてい え宝律令を制定する。 七〇一 かん かいー」・れ はくまうぶん あすか」 : んか 九八〇 っ玄ー隋ーイ 百く , イ 斉らス ろラ ほフ 蔵豸びム ろム イ唐与 ンお成 にるす 六六八高句麗ほろぶ。 ーっかい 六九八渤海がてきる。 ′ほ・つかい しらぎ きようせいりつ ていこくカくりつ
何をするかっ、 無礼者′ ゅ、ゆるせぬ 切るつ″】 ぶれいもの みかど、 おまち くたさい みこを 向こうへ おつれ しろ / はや シャ なシャ みか」は、 近ごろ こ - み お心かわり なされた。 まん それがご不満な のです。、 ちカ なぜ、弟は こんなことを みか」は、 おおとものおうじ 大友皇子さま をあとつぎに お考え でいら っしやる お・こ・つと し J 、も - っ すと ? ノド しかし、 つぎ 次のみかどか おおあまのおうじ 大海人皇子さまで あることは、みなの みとめるところ : レ」もカ′、 わたしの目の黒、 のらそ うちは、兄弟の争 いはなりませぬ むすこかかわいい : ど , っしたら いいのカ なかとみの 中臣 ふひと なかレみのかまたり ー中臣鎌足の館 し , った も - っ あります やかた ( 96 )
ーイ , 名 たあ′ . けて′ . うわあ′ ひやあっ′ . ものすごい こ , フげ」た′・ ぐ 0 おおつのみや 大津宮へ 退きやく しょ , フ。一 . 客を客ィッ、 ちち 父ぎみに 一お知らせ するのだ。 わすガ一ガ月ばガりの戦い おおあまのおうじ おうみちょうてい で、大海人皇子は近江朝廷を たあしました。この戦いは、 * - じんしん 壬申の年にあこったので、「壬 申の乱」といいます。 しん 大友皇さま じ力、 は、ご自まなさ れました。 らん 。物・、まを / 第 じん じんしん どおな * 壬申の年・・・中国の昔の暦による年のよび名。 60 年に一度同しよび名の年が来る。 むかし ちゅうごく ( 115 )
ちょうせんは・れとうなん くだら * 百済 : ・朝鮮半島南部の西側にあった昔の国の名。 ょにつ′ . くだら 百済の使いが 難波に 来たと : てき なかとみのかま 子と中臣鎌 足は、こう じぶん して自分の もの 敵となる者 を、つきっ きとたあし ていきまし そして、 六一ハ〇年ーー・、 ねん つか よっ。 唐と新羅に せめられて、 このままでは ( 「 0 国があぶない そうです 昔から、わが国と 親しい百済を、 見すてたく ありません。 うむ、 で、わが国に 助けをもとめて 来たのだな。 み しらぎ くだら もちろん まいり・ます・。 しら もわし し力しょーー * 新羅・ : 朝鮮半島南部の東側にあった昔の国の名。 ちょうせ・代はれとうなれ 兄、しばらく きゅうーう みかども九州に うつられたら 」 , つでしょ - っ おおあまのおうじ 大海人皇子 百済にえん 軍をおくる くだら えん軍は難 わのつ 波津を出て、 なのつ 那津 ( 福岡 市多 ) に むガいまし ねん 一に ふくおか ( 91 )
あすか おおあまのおうじ みや 六 (-) 三年、大海人皇子は、飛烏にもどり、新しい宮でさあ、 てれのう てれもての・フ 天畠の位につきました。天武天皇といいまヴ。 これからは あにうえせいじ 兄上の政治を ついで、わたし ど 0 よく も努力するぞ みやこ 大王は 神にし座せば あかごま 赤駒の はらばふ田井を 都どなしつ おはきみ かみ くらい り田たぬいしに歌た ガでけつや大の えさ出だたる王意を第、第第第み てえせんガは、味ゑ しもな入ら神亥 ま都いつ礙ンで わによに ~ ウい れつうらマら たくな、がつ いおわ た手てた すいも つイ 天智天皇の し J 」によ、 きちんと実行さ れなかったが、 ・一・ル 2 こ 今度は、きび しそうたな。 てんじてんのう われわれ豪族の もっている とち 土地や農民は、 国のものになる そうだが・ イ斑府の、 役人に なるのだ。 のうみん ごうそく おれたち は、フ なるの ? そして、給 料をもらう のだな。 ー第い ( 116 )
▽▽ 淡毎の海 ゅふなみちとり タ波十島 女・、島ナ工 こころ せもしのに ( え ) おも ( お ) いにしへほゅ み彡ノク おうみみャうみ 訛の味ーーー近江の湖 / のタぐれの波にとぶ千 鳥よ、あまえガ鳴くとッ とおむかし 遠い昔のことガしみじ おも 2 みと思い出される。 てんのう てんじてんのう / / 天智天畠の死後、天畠の位をめぐる争い おお らん じんしん ならあこった壬申の乱は、大きな戦いとな おうみちょうてい ふまん い - , 担りましたが、近江朝廷に不満をもっ豪族た おおあまのおうじ てむてんのう ちの支持をえた大海人皇子 ( 天武天畠 ) ガ てんむてんのう " ( 、。勝利をえました。乱後、天武天畠は、大 ほうしんせいじ かいしんかんが のイの改新の考え莎をあしすすめる方針で政治 ツをい、持統天白 = がそれをうけつきました。 : 、まうりつりよう やガて、 k 宝律令をさだめることによっ てんのうちゅうしん , " て、天白 = 中心の国の制度が冠したのです。 ゅう なみ ~ 一うぞく ( 128 )