こうして、江戸の再建ガ はじまりました。 k 名屋敷 や寺社は郊外へとうっされ、 耳建されましたが、大以 ももやまぶんか 前の桃山文化のなこりをと : てものすかた どめたこうなな建物は姿を けしました。 また、大火の教訓を生ガ ひろ して、市中の道路は広げら れ、隅田川には両国橋ガガ けられました。これらのエ 事をきっガけに、江戸の町 はいちたんと大きくなり、 その後の江戸の町の原型と なりました。 すみだいわ しちゅう 、そっ′、′代 、 41 = 0 ーちの江戸 ーろの江戸 い湿赤 : をの隅支町ま る地ち坂ひ本田だを めら所Ⅲ : 広 : 石刀た ぞも 、のげ うう也 : ; め付ふた深むる た た近えり川 : 。 ての、あうめ た岸こに て り 、 6A0 年 10 年 . 大 00 = 戸 0 広。 0 ( 39 )
みつまさ 光政は、ふたたび江戸 での一年をすごすことに なります。このように、 だいみよう 大名たちは、特別なこと ねんく : がないガぎり、一年を爵 もとで、一年を江戸でく いっしさフ らすという生活を一生く りなえしました。 →方、江戸の町は、明 れき一、たいか 暦の大火のあと物備され、 また両国ガガけられた すみだドわ ことで、隅田川の対岸に せいじちゅう まちひろ も町が広ガり、政治の中 しん 心として ) いっそう発展 していきました。 ねん ねん せいかっ とくべっ まってん 手羊キ ″″キ
■■ ■ー ■■ ■■ ■・■・■■ ■・ ■■ ■■ ■第 しの , フこ , フしょ - フ う として、百姓・職の下におかれま した。 しのう - ) うしよう ここでは、いわゆる士農工商といわれ そして、これらのは、武士の子ど えどじだい みぶん 、くしさっ ぶし・くしフ た江戸時代の身分について、考えてみまもは武士、百姓の子どもは百姓と、親か ら子へと代だいうけつがれていくのがた しの - フこうしト唸っ みようじみようじ ・くしさっ ・主農工商 てまえで、百姓の子どもが武士になりた苗字 ( 名字 ) 、もう一つが刀です。 みようじ おも まえだ 江戸時代には農のこと、 武士は、「徳川」・「前田」といった苗字を いと思っても、簡単にはゆるされません 奴は武奴、農は ( ー ' 双・を百姓とよんでいました。 しよく : んしさっ しさフにん 工は職ん、商は商人のことです。 でした。 もち、大肘のを腰にさすこと ( 帯刀 ) が ひと だいみよう 幕府や大名は、人びとを支配するため また、すむ場もによ「てきめらできました。それにたいして、庶民は苗 に、士農工商という身度をもうけまれていました。武士と町 ( 職と商字を名のることができす、百は「計 ねんぐ ひヤ、しさっ した。士は、百姓から年貢をとり、人びをわせてこうよぶ ) は町に、百姓は農村彦右衛門」、町んは「大手町吉兵衛」な とを支配する武士のことで、はも 0 村にすむことを強いられており、他の所どと、すんでいる村や町の名を名前につ けて、自分のことをあらわしていました。 とも高いものとされました。庶民は大きへうつりすんだり、行ったりするのは、 、くしさっちょうにん みよ・つじたいとう ~ ) く三つに分けられ、米をつくり、人びと しかし、百姓や町人にも「苗字帯刀御 たいへんむすかしいことでした。 せいかっ ひヤ、しさっ・ぶし つぎ 、 ) うせき の生活をささえている百姓が武士の次に、 免」といって、特別な功績があった者に、 どうぐ しなもの えどじだい その下には道具や品物をつくる職人がお や櫂刀がゆるされることもありまし 江戸時代に、庶民がもっことのできな しさっ・にん ものう かれ、物を売るだけの商人は、いやしい かったものが二つあります。その一つが こめ かんが しよみんおお ひと ひと しよみん かんたん おや めん みようじたいとう 苗字帯刀 御免 / じぶん ( 0 ) とくべっ もの ( 136 )
一六ハ五年正月、 北陸のある村 わんしようがっ むら んゾ第ンい一 あっ′ . おとうた。 町で こやしを とって きたんだ。 お要 J , つ、 どこへ行って きたんだ ? ( 44 )
当ー 江戸の交迎 ・■第■ ■第■・一 ■■・■ ・■■第 ・■・■ ■■第■一 ら地 松前 ごないのけん 宿場町のおもかげをのこす妻籠 ( 長野県 ) 青森 [ ゆくばまち ん旧石 ぎ彡第 3 れ艮をー 鰺ケ沢 弓ム首 こ , つつ , フ あじドさわ 能代 つもざさ 土崎 / 秋田 はらのヘ 八戸 も 0 おか 盛岡 素莨井にある商家 ( 長野県 ) / 酒田 しじよう 新庄 新 : 新発田 , 木 ) 雲崎 仙 : ロい石巻 山形 よわざわ 米沢 いしのまき 一 0 田一用 ト・ドおの 長岡 かなイ、わ 高田 善光寺 上田 一 - 島 会津 木曽櫺新げ′ しらかわ 白河 うつのみや 宇都宮 たな ( ら 棚倉 平潟 ひらかた 飯田 . ー・甲府 はままっ うし 銚子 こみなと ほばし ちゅうしん △日本橋 ( 東京都 ) 江戸の町の中心であると同 ぜんこくかくち りていひょう 時に、全国各地への里程標 ( 木や石に道のりをし きてん るしたもの ) の起点であった とうきようと ( 146 )
四弖一十五巳、 江戸の町ーーー・・ いみよう、ようれつ 大名行列か 田光政三は 、けにみつまさて。、、 見えて ↓まいり・ ました。 みなに ったえる のじゃ。 こうして池丑 みつまさ 光政は、江戸の とうちゃくさ、 屋敷に到着、妻 ねん 子と一年ぶりの 対面をしまし」。 1 、 ( 21 )
0 をむ査第ー・巉 " " 明第ロ 平安時代以来の歴史をほこる祇園 かず おこな は、江戸時代にもさガんに行われ、数 、エう ある やまほこ 多くの山鉾ガ京の町をねり歩きました。ト . おお りイベ おきれいな カナナ・ たいそ , つな ですなあ。 ( 118 )
■・・■・ ■ー■ー■ ■・■・ ■■・・■ ■■第■■ ■■・第■ い、・フル、る てんとうこうデ・ かんえいじ りよ・つか・えしょ・つ れています。とくに、復元された両替商の しよう しゅじんこうとくかわっなよし が一恥されています。 この章の主人公徳川綱吉のお墓は、ここ店先はとても良くできていて、江戸時偲の とうざ、 わ とくカわ ' れ ようす しよう にあります。東西二つに分かれた徳川家霊様子がよくわかります。 第 3 章 望う つなよし れいびようはう ィアー ~ やまのてせん まつおばしよう とう ( うの「 ~ らぎ 東京都台東区十野桜木。山手線、 廟のうち、綱吉は第一一霊廟の方にまつられ また、松尾 ~ 巴蕉の「奥の細道」で知られる ・寛永寺 ( , 浜東和鵈、御 5 年 ています。に各しておけば、見笋す奥州の各所に、松臨、平驪などがあります。 とくかわしようぐんけ ふか れいぐ - う んカく にほんさん 宮城県宮城 寛永寺は、徳川将軍家と関侃の深い寺ることができます。霊廟を見学したら、つ松島 ( 郡松島町 ) は、日本 = 一景の一つとして、 やまある まっしまわん で、一六二五に催の発案でたて いでに上野の山を歩いてみましよう。東京松島湾にうかぶ美しい島しまをわたしたち ひらいャみ 岩手県西磐 られました。当時は、たくさんのお物がわ鯡僻枷のほかに、譫枷饂、 に見せてくれます。平泉 ( 井郡平泉町 やまとうえいざんぜんた、 野の山 ( 東叡山 ) 全依にたちならんでいまし 知艤饂、上野図饂、東京都美尊寺や、新が轤した部跡などがあ ーんかく 鵞かん にちゼん」 たが、幕末の彰義の輯いのときにほとん 館などがありますが、 1 日で全立ロ見学すり、「兵どもが夢の跡」を今にったえてい ねんしようわ むり どやけてしまい 、さらに一九四五年 ( 昭和 るのは、ちょっと無理です。 ます。 二十年 ) のでも盟をうけて、堋の このはか芭蕉ゆかりの地として、芭蕉の 第 4 章 おおさかふおおさかししくエ工ちょうおおさかかん ばしようおうきわんかん 規模になってしまいました。江戸時化に本 生家のや芭蕉翁記念館、また江戸での ・大阪市立物以阪府大阪市東区町場町。大阪環 ばしようあんあと 東京都江東 坊があった所には、在、京蕓僻枷饂 など 色儺の住居であ「た芭蕉庵跡 ( 区常磐町 がたっています。その裏手にあるのが今の 大阪市枷饂は、大阪城にあります。もたすねてみましよう。 もりみやえき たまっくりぐち 森ノ宮駅からですと、玉造口を沁って、桜 もん みぎて たてもの 門をくぐるとすぐ右手にある大きな建物が 枷饂です。天守閣が目の前にそびえ立「 ています。この市立枷饂ま、 1 ・ 2 が 歴史の展示室で、帑蜘ごとに部屋が分か れています。 おおさか しようようとし 江戸時代の大坂は日本最大の商業都市で、 ちょうにんぶんか 町人文化がさかえたことは、 4 章をん の 廟でわかりましたね。第 5 室は、そうした商 工うとしおおさか ようす えず 綱業都市大坂の様子をつたえる拠、絵図や てんじひん 小判など、数かすの展示品によって構成さ かんえいし かん ' つなよしびよう しよう うえの かず につほんさいだい おお みせさき ゅめあと はそみち △にある串等釜色堂 ちゅう ( 149 )
だいひょうてきさくひん しよみんふうぞく みかえりびじんず ひしかわもろのぶ * 菱川師宣 : ・このころ活やくした浮世絵画家。「見返美人図」は代表的作品。 * 浮世絵・ : 庶民風俗や各地の風景など するカちょう * 駿河町・ : 東京都中央区室町付近にあった地名。 この絵をないた のガをです。 * うきょえ 浮世絵の そ - フししゃ 創始者と して です。 かっ 月 後ご 月リん ふうぞくが を題材とした風俗画。 ( 112 )
おこなやくしょ * 本郷 : ・東京都て京匯本郷 * 窄妙寺 : ・東京都て京本郷にあ「た寺。 * 本丸 : ・城のも「とも重要な所で、城主がすみ、玖治を行う役所があ 0 た。 ねんっ えど 一六五七年一月 江戸が、 おおかじ " 戸城は 大火事に どうなったに なりました′・ しようがっ 正月十八日、 本郷の本妙寺から 火は たいみようやしき 出火し、 大名屋敷にも 、ーっふ・フ おりからの強風に もえひろがり、 えどじようはんまる あおられ、わずか 江戸城本丸にも かかん とびひ ニ日間で江戸の町の 飛火して、 てんしゆかく 大半をやきつくし 天守閣ももえ ました。 つきたようで : ル課′ 江戸 からの 急使 です / ノつな ( 35 )