と、おどろきの声をあげました。 がくせいしよう しようめい 学生証というのは、ソルポンヌ大学の学生であるという、証明を書いた カ 1 ドのことです。 これに、マーニヤの名は、 マリー・スクロドフスカ か と、書いてあるのです。マーニヤのほんとうの名は、『マリヤ』です。だの に、フランスり・ゅうに、『マリ ー』とあるのです。 「どうして、ポーランドりゅうにしないの。」 と、プローニヤが聞きますと、マーニヤはにつこりして、 じゅうくに 「自由の国が、すきだからよ。」 こた と、答えました。 マーニヤは、ポーランドのいなかでは、りつばなポーランド人をつくろう 130
みち の道をいきたいのです。 といって、ポーランドをわすれるというのでは あい ありません。いつまでも、ポーランドを愛するけれども、ソルポンヌ大学で、 がくしゃ みっちりと、勉強して、世界の学者になろうと、けっしんしたのです。 だから、自分の名のマリヤも、自由なフランスりゅうに、マリーと、あら ためたのでありました。わたしたちも、これからは、マーニヤとよばず、マ リーとよぶことにしましょ一つ。 勉強、勉強 けいばじよう べんきようみち ノリへきたその日から、競馬場をかける馬のように、勉強の道 を、まっしぐらにかけるのでした。 勉強、勉強です。 べんきよう せ か ひ うま 132
「マリヤ・スクロドフスカ。」 と、マーニヤをよびました。 しかたがありません。マーニヤは立ちました。クラスの中で、ロシア語が 一ばんうまくて、また、せいせきが一ばんなのはマーニヤなのです。 役人は、まず、聞きました。 「あなたのおいのりのことばをいってごらんなさい。」 こえ こた マーニヤは、中ぐらいな声で、ロシア語で答えます。 てん ちち 「天にまします、われらの父よ : マーニヤは、ポーランド語で、いつもおいのりしています。 ロシア語でおいのりはしません。けれど、ここでは、そうロシア語で答えね ばならないのです。 役人のしつもんは、これでおわりません。いろいろありました。 ちゅう
すぐ上の兄さんは、ジョセフですが、ジョジオと、よばれていました。 マーニヤだって、ほんとうの名は、マリヤなのです。けれど、みんなは、 マーニヤとよびました。お母さんは、ときには、マニューシャと、鼻にかかっ たよびかたをしました。 げんき さて、この五人のきようだいたちは、いつも元気でした。二組にわかれて、 戦争ごっこもやりました。 しゅ こいほうのたまや、手りゅうだんは、つみ木です。ダダダダ、ドドドド、 ドーンと、つみ木でけっこうまにあいます。 きようも、きようだいたちは、初めはおとなしく、つみ木で家をたてたり、 アーチをつくったりしていましたが、いつのまにか、あそびは戦争ごっこに かわっていました。 きざいく このつみ木細工は、クリスマスのプレゼントにもらったものです。 せんそう にん
キュリー夫人について かわいいマーニヤ けいおう キュリー夫人は、一八六七 ( 慶応三 ) 年十一月七日、ポーランド ( 人民共和国 ) の首 都ワルシャワに生まれた。 はくしけっ 一八九五 ( 明治二八 ) 年に、フランスの天才的科学者、ピエール・キュリー博士と結 婚してキュリー夫人になった。かの女は本名をマリヤといったが、ソルポンヌ大学入学 ( マリー・スクロドフスカ ) と呼んだ。 の時、フランス流にマリー かの女は、両親や姉に、また、近所の人たちに「マ 1 ニヤ、と愛称され、かわいがら れた愛くるしい子だった。 こん 〔解説〕 ふじん てんさいてき やまもとかずお 山本和夫 あ う しゅ 153