でいる人たちも、ロシア語でしゃべらなければならぬ。」 と、めいれいしました。 これには、ポーランドの人たちも、ぐっとむねにきました。 「なにをいうか。せんりようされていても、ポーランドは、ポーランドだ。 ポーランドだましいがあるぞ。」 と、おこり、今までに二へんも三べんも、ロシアに向かって、ポーランドの てむ ちから すく 人は、手向かいました。けれど、カがたりないし、たまも少ないので、すぐ、 負けてしまいました。 てむ おう すると、ロシアの王さまは、手向かいした人たちをひっとらえて、しろの 上につるして、みせしめにしたり、たくさんの人たちを鉄のくさりでしばっ ゆき て、雪にとざされたシベリアへ、つれて行ってしまいました。そのかわりに、 やくにん ロシアのおまわりさんや、兵隊や役人を、どんどんとポーランドに送りこん へいたい てつ おく
ねんかん マーニヤは、このうちに、三年間っとめることをやくそくしました。 ここのおくさんは、ゝ しなかくさい人でしたが、前にいた、ワルシャワのプ しゅ ラウンさんのおくさんのように、じやけんではありませんでした。また、主 じん 人は、しんせつな人でした。 みほんいち 家には、まるで子どもの見本市のように、子どもがたくさんいましたが、 三人のむすこは、ワルシャワの大学へあがっていました。今は十八才になる うしごや の牛小屋が、庭のむこうに見えました。 マーニヤは、バルコニーでつぶやきました。 「きてよかった。 のくらし 、 3 ら にわ ひと 105
マーニヤは、うつりかわるけしきをながめながら、ばんやりかんがえこみ ました。 「いなかの人は、だいたいやさしいのだけれど、どうだろう。きっといい人 にちがいない。」 きしゃなか 汽車の中で、マーニヤは、いろんなことを思いつづけました。のこしてき と、つ たお父さんのことや、 ハリのプローニヤ姉さんのことや、さまざまです。そ して、そっとなみだぐむのでした。 マーニヤが、汽車からおり、ソリにのりついで、シチューキ村についた時 には、もう夜になっておりました。 とお 「遠いところを、ごくろうさま。さあ、おあがりなさい。」 いって、むかえてくれた家の人は、どうやらやさしい人のようでした。 「ごやっかいになります。」 と、 よる ねえ むら 102
うた その夜は、村の人たちがお酒をのんだり、歌をうたったり、ダンスをした りしながら、夜っぴてどんちゃんさわぎをやるのです。 もちろんマーニヤも、おくさんにさそわれました。けれどマーニヤは、 ほんよ 「本を読みたいから、ごめんなさい。 と、ことわりました。 「まあ、あなたは、おどるよりも、本を読むほうがたのしいの。かわった人 と、はじめはびつくりしました。 しゅじん この家のおくさんばかりでなく、主人も、それから村の人も、どんちゃん まいにち さわぎがだいすき。ダンスならば、毎日でも夜ふかしをするけれど、本を読 リの大学へあが むのは、おっくうがる人たちばかりでした。マーニヤが、パ るじゅんびの、むずかしい本を読んでいるのをのぞいて、 いえ 108
′」、つかく 一ばんはじめによばれました。マリーは、一ばんで合格したのです。苦し い生活をして、勉強したけっゝゞ、 カカむくいられたのです。きいているマリー ひか のほおは、ほっとあからみ、目はなみだで光りました。 す、つ◆かく しけん そのあくる年、数学の試験をうけました。この時は、二ばんでした。 一つの机に二つのいす こうして、苦しい生活にまけず、いっしようけんめいに勉強して、すばら しいせいせきをとっている時、やさしい手をさしのべた人がありました。 けんきゅう 「いっしょに、二人で、手をつなぎ、心をあわせて、研究しましよう。」 ぶつりがくしゃ とも てんさい そういった人は、物理学者で、友だちのあいだでは「天才」といわれてい る、ピエール・キュリーという人でした。 つくえ 138
で、ポーランドをおさめさせました。 はっこう しんぶん その人たちは、ポーランドから発行されている、新聞や、本をしらべ、少 しでも、ロシアのわるくちが書いてあれば、発行をやめさせました。 がっこう つか また、学校では、ポーランドのことばを使わず、ロシア語で、じゅぎよう をするよ一つにとゝ きびしくとりしまりました。 てあし こうなると、ポーランドの人たちは、手や足をしばられたか、もがれてし おな まったも同じです。 けれども、ポーランド人たちは、こっそり、 ( 心をくじけさせるなよ。どんなにいじめられても、たましいをほろばして ちから はならぬぞ。いっかは、ロシアの力をはねのけて、りつばにどくりつして みせるぞ。 ) と、目と目で、はげましムロっていました。
「でも、律きたがらないのです。」 「こまったわね。」 マーニヤには、 小さい時から、心の中にやしなわれた、ひそかなねがいか こく あります。くどいようですが、それは、ポーランド国のどくりつです。この ひと ねがいをかなえるためには、ポーランド人のひとりひとりが、りつばな人に ならなければならないと思うのです。学校へ行かずに、朝から、あそびほう けている子どもは、りつばになれるでしようか。新聞も読めない人たちに、 ポーランドの国を、つくりなおすことができるでしようか。マーニヤは、そ きも う思うと、体がしめつけられるような気持ちになりました。 「かわいそうな子どもたちに、わたしが教えてあげようかしら。」 と、マーニヤはつぶやきました。 「あの子どもたちは、ロシア語をならうのはきらいなんですよ。 こ おし あさ 111
もじおし 「もちろん、そっと、ポーランドの文字を教えてあげるのよ。 やくにん 「そんなこと、役人に知れたら、たいへんです。 「わかっているわ。でも、あの子たちが、文字もおばえないで、大きくなっ たらどうでしよう。しんばいだわ。こんなありさまだったら、いつになっ たら、ポーランドの国は、一人だちになれるでしよう。 「そうなんだけど : 「わたしたちのねがいは、一人でも多く、これからのポーランドをしんばい ・カい」′、 する人をつくりたいの。わたしたちは、外国にふみにじられぬ、りつばな ポーランドの国をつくりたいのよ。」 マーニヤのことばの中には、国を思う心があふれていました。すると、は じめは、さんせいしていなかったプロンカも、心をわくわくさせはじめまし こ 112
なりませんでした。また、チュブツィャ先生が大すきでした。この女の先生 れきし さんすう は、算数と、歴史を受けもっていましたが、マーニヤは、先生の歴史のお話 を聞くのが、とくべつにすきでした。 クラスは二十五人でした。みんな仲よく勉強をしたり、たのしくあそんだ りしました。 けれど、ただ一つ、学校でいやなことがありました。それは学科のことで はありません。 あおふく きんいろひか きいろいズボンに、びかびかと金色に光るボタンのついた、青い服の人が、 ときどきだしぬけに、あんないもされずに、学校へ入りこんでくることです。 この人は、青い服の上に、ひろい皮おびをしめているのでも、それとわか やくにん る、ロシアの役人でした。 この役人は、ひげをひねりながら、 なか かわ たい おんな
それはよくねんの六月二十五日でした。マリーが、ノ た年から、かぞえて十二年めのことです。 ノーベル賞 ふたり がくしゃ マリーとピエール、この二人の学者によって、ラジウムが発見されたとい せかい うことが世界にったわると、世界の学者は大さわぎをしました。 もちろん、フランスの学者も大さわぎです。ピエールを、ソルポンヌ大学 けんきゅうじよ かね の先生としてむかえ、また、国がお金をだして二人の研究所をつくってくれ ました。 こうえん イギリスでは、この二人に、ラジウムの講演をしてくださいと、たのみに きました。 とし しよう ねん くに 、リへはじめて出てき はつけん 146