ワルシャワにいれば、お父さんにあいたければ、すぐにとんでいけました。 百キロもはなれているとなれば、それができません。 ) いけれど、さみしいな。 ) と、思いました。 ( いなかへ行ってもし けれど、よくよくかんがえてみますと、ワルシャワは、にぎやかな町です から、どんなに、けんやくしても、思いのほか、お金がかかるのです。この ねえ ままでは、思うように、プローニヤ姉さんにお金をおくることはできません。 げつきゅう ところがシチューキという村へ行けば、月給もあがるし、村だからお金をつ かいません。ワルシャワにいるよりは、お金がたまりそうです。 そうかんかえると、心かう」きました。 ( 一信こ一つ。ゝ しなかへ行こう。そして、少しでもよけいに、お金をのこして、 リの姉さんをよろこばせよう。 ) かていきようし そう思うと、けっしんはっきました。マーニヤが家庭教師をはじめたの むら かね かね まち
かていきようし 家庭教師になろうと思いました。 こう・こく 町をあるくと、ときどきこういうようなはりがみ ( 広告のビラ ) に、お目 にかかり - ます - 。 だいがくせい 『算数、フランス語のおあいてをいたします。こちらは〇〇大学生』 ごおし げつしゃ じよがっこうそっぎようせい 『ロシア語を教えます。月謝はやすくします。こちらは女学校卒業生』 こういう広告は、家庭教師になりたい人が、はりだしたのです。マーニヤ なかま は、この人たちの仲間いりをしたいと思いました。マーニヤは、まだまだ勉 きよう 強しなければなりません。けれど、お金も、もうけたいのです。この二つを かなえてくれるものは、体のじゅうな、家庭教師だと思ったのです。 そのほかに、マーニヤには、家庭教師になるについての、かくれたねがい やくにん くに がありました。それは、ロシアの役人にはひみつですが、ポーランドの国を、 どくりつさせるためには、まず、子どもたちを、りつばにそだてなければな まち さんすう べん
はら まえ マーニヤは、バルコニーに出てみて、この村は、こちらへくる前に、そう ぞうしたのとは、すっかりちがった村であることを知りました。 もり ぼくじよう あちこちに、森があって、そのまわりが、牧場になっている村を、そうぞ うしてきたのです。 こうじよ、つ ところが、まどをあけると工場がならんでいて、えんとっから、もくもく とけむりがのばっています。 ひろゆき あたりには、森どころか、ぞう木林もありません。今は、ただ、広い雪の 原です。 はたけ あとで知ったのですが、この雪の原は、春になれば、サトウダイコンの畑 にかわるのでした。マーニヤのやとわれた家は、サトウダイコンの畑を、二 百ヘクタールばかり持っていました。 この家では、馬を四十とう、め牛を六十とうばかりかっていましたが、そ うま きばやし はる むら 104
マーニヤは、うつりかわるけしきをながめながら、ばんやりかんがえこみ ました。 「いなかの人は、だいたいやさしいのだけれど、どうだろう。きっといい人 にちがいない。」 きしゃなか 汽車の中で、マーニヤは、いろんなことを思いつづけました。のこしてき と、つ たお父さんのことや、 ハリのプローニヤ姉さんのことや、さまざまです。そ して、そっとなみだぐむのでした。 マーニヤが、汽車からおり、ソリにのりついで、シチューキ村についた時 には、もう夜になっておりました。 とお 「遠いところを、ごくろうさま。さあ、おあがりなさい。」 いって、むかえてくれた家の人は、どうやらやさしい人のようでした。 「ごやっかいになります。」 と、 よる ねえ むら 102
ーカいこ / 、た、い・カ′、 だから、 ハリか、ロンドンなど外国の大学へ行かねばなりません。でも、 とう 、刀いこ′、 べんきよう かねも お父さんは、子どもを外国へ勉強にやるほど、お金持ちでないのです。あき らめるよりほかありませんでした。 い・カ′、 おんがくか ヘラ姉さんは、大学へ行きたいとはい ) しませんでした。できたら音楽家に なりたいと思って、うちでけいこしています。 ちゅうがっこう ジョジオ兄さんは、中学校を出ると、すぐ、医学の勉強をするために、ワ ルシャワ大学へ入りました。 じよがっこう おも マーニヤも、女学校を出てすぐ、大学へあがりたいと思いました。けれど、 おな プローニヤ姉さんと同じように、あきらめました。うちでは、ジョジオ兄さ んを大学にあげるだけで、せいいつばいなことを知っているからです。 とう お父さんは、子どもたちの気持ちをよく知っていました。 「あきらめておくれ。プローニヤもマーニヤも、大学へいきたいだろう。そ ねえ
こた と、マーニヤは答えました。 「なるほど、なるほど、そうこなくちゃいけない。おさんどんで、おわらせ るのは、かわいそうだ。」 この肉屋は、マーニヤのお父さんの、スクロドフスキー先生を、そんけい していました。いや、それだけではありません。お父さんの血をうけて子ど がっこう もたちが、学校のせいせきが、みんなとびぬけてすぐれ、しかもはきはきし て、心があかるいのに、かんしんしているのでした。プローニヤが大学に入っ じぶん たのを知ると、自分の子どもが、大学へ入ったようによろこんでくれました。 「お父さんの子どもだもの、大学くらい入らなくっちゃね。 肉屋のおじさんは、そう ) しいなから、大きなほうちょうで、ぐいっと、お いしそうなロースを切ると、紙につつみ、 とう 「肉屋のおじさんが、おめでとうをいってたと、お父さんにったえてくださ かみ ーを。し
きようだいは、つみ木で、りようほうに、しろをたて、そのしろのとりつ こです。 お父さんとお母さんは、子どもたちの戦争ごっこを、かなしそうに、なが めていました。 子どもたちは、どうして戦争ごっこがすきなのでしよう。これにも、また わけがありました。 そのころ、ポーランドは、ロシアとオーストリアとドイツの、三つの国に わけてせんりようされていました。 かす そして、マーニヤの一家の住んでいるワルシャワというポ 1 ランドのみや こは、ロシアが、せんりようし , ていました。 おう ロシアの王さまは、 「ポーランドという国は、もうなくなったのだ。だから、ポーランドに住ん
がら、ふくれつつらです。 げんき 元気よく、読みおわったマーニヤは、姉さんのふくれつつらをみて、はっ としました。 「ごめんなさい。ね、ごめんなさい。 と、マーニヤは、なきだしました。かんがえなしに読んでしまったのだけれ わる ど、たいへん悪いことをしたように思うのでした。 と、つ あたま お父さんは、やさしくマーニヤをだいて、頭をなでました。 しいよ。でも、おまえは、まだ小さいのです。字を読んだりして、 頭を使わないほうがいいね。でないと、大きくなれないよ。」 かあ となりのへやで、子どもたちのくつをなおしていたお母さんは、マーニヤ ごえ のなき声を聞いて、入ってきました。 「どうしたの、マーニヤ。」 つか ねえ
もじおし 「もちろん、そっと、ポーランドの文字を教えてあげるのよ。 やくにん 「そんなこと、役人に知れたら、たいへんです。 「わかっているわ。でも、あの子たちが、文字もおばえないで、大きくなっ たらどうでしよう。しんばいだわ。こんなありさまだったら、いつになっ たら、ポーランドの国は、一人だちになれるでしよう。 「そうなんだけど : 「わたしたちのねがいは、一人でも多く、これからのポーランドをしんばい ・カい」′、 する人をつくりたいの。わたしたちは、外国にふみにじられぬ、りつばな ポーランドの国をつくりたいのよ。」 マーニヤのことばの中には、国を思う心があふれていました。すると、は じめは、さんせいしていなかったプロンカも、心をわくわくさせはじめまし こ 112
くそくはしてありませんが、そんなことはどうだっていいのです。 ねえ 〃先生ごっこ〃では、もちろん、姉さんのプローニヤは、先生で、マーニヤ は、せいとです。 ふたり あくる日から、二人の先生ごっこがはじまりました。 「こんどは、うまですよ。『う』と、『ま』をさがしなさい。」 プローニヤは、先生のこわいろで、せいとのマーニヤにい ) します。マーニヤ は、まだ、どれが『う』で、どれが『ま』か、わかりません。でたらめなカー ドを二つならべます。 「ちがいますよ。ほら、これが『う』、これが『ま』 ( うまです。」 まいにち じかん こうして、それからは、毎日、あさの一時間ばかり、先生ごっこがつづけ られました。そうするうちに、おもしろいことになりました。せいとのほう がル兀生一より - 、もさきに、 たくさんの字をおばえてしまったのです。