フランス - みる会図書館


検索対象: とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟
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1. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

ふんたいくうきろく 一九〇五 ( 明治 ) 三十九分の滞空記録なる。フランス政 府から、買い入れの申し込みがあり、 ウ , イレヾ ノノー・刀ヨーロッヾ ふたりの ひこうき 一九〇七 ( 明治鬨 ) アメリカ政府より、一一人乗り飛行機の 製作をたのまれる。 ひこ・つせいこ・つ 一九〇八 ( 明治れ ) ウイルバ フランスで飛行に成功。 しよう ミシュラン賞をうける。オービル、ワ ひこうちゅう つい、りく シントンで飛行中に墜落する。 ひこうきがいしやそうりつ デートン豊フィト飛行機会社を創立。 こうくうがっ 1 」う ウ ,. イレヾ 、フランスで航空学校をひ らく。オービル、ドイツにわたり、皇 たいし ひこう 太子を乗せて飛行する。 ひこうか とっきよけんしんがい こくそ 一九一〇 ( 明治 ) 飛行家カーチスを特許権侵害で告訴。 -4 っ ふん 一九一一 ( 明治 ) オービル、 グライダーで九分四十五秒薊 たいくうじかんせかいしんきろく じゅりつ の滞空時間世界新記録を樹立。 一九〇九 ( 明治犯 ) せいさく の 0 びよう こ・つ 8 4 ワ朝 8 -4 00 0- 《 0 1 亠ワー -4 一九〇六年ドイツ のツェッペノ甬人 しきひこうせんだい ごうかん 式飛行船第三号完 成。フランスで、 ヨーロツ・。ハ初の、 サントスデュモ ひこ・つき ンの飛行機とぶ。 ねん 一九〇九年フラン スのプレリオが自 ひこうき 作の飛行機で英仏 かいきようおうだんせいこう 海峡横断に成功。 ねんにつばん 一九一〇年日本で ひこうき はじめて飛行機と 3 さく ねん えいふつ こ・つ 220

2. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

一年がたちました。 けんこ・つ オービルの健康がたちなおるにつれて、ライト兄弟のグライダー研究は、ますます熱 がくわわってきました。 しかし、そのあいだにも、さまざまなことがありました。 フランスのクレマンアデーと、イギリスの ( イラムマキシムが大きなエンジンを き力し つけた機械をとばしましたが、アデーのはすぐこわれてしまい、「キシムはわずかにと んだだけで、あきらめてしまいました。 しかも、これを作るのに、アデーが十一一万ドルっかい、マキシムが一一十万ドルっか「 たというのです。 ねん もんだい 問題は二つある まん きようだい 152

3. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

かんどう かんじました。このときの感動を、二人は一生わすれませんでした。 はつめいか ねん それは、フランスのわかい発明家、アルフォンス】ペノーが九年まえにかんがえだし た、おもちゃのヘリコプターでした。 ひこう もんだい ペノーは飛行についてのすべての問題ととりくんだ天才ですが、世の中からのけもの かね ねんじさっ にされ、うらぎられ、とうとうお金がなくな「て、一八八〇年に自殺してしまいます。 しかし、プロペラをまわすために、ねじ「たゴムバンドをつかうことをかんがえた、さ いしょの人でした。 「さあ、オープも、ケートちゃんもおいで。」 ウ -- イレヾ ノノーか外へとびだしていきました。 二まいのプロペラをつないでいるゴムバンドをまいて、ば「とはなすと、プルルーン、 ヘリコプターは、まっすぐにあがっていきました。 「わあ、とんだ、とんだ。」 ひと そと ふたり しよう てんさい

4. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

「えつ、図をかくんだって ? かたがみただ 「ええ、そうです。おかあさんは服をぬうとき、そのまえに型紙を作ります。型紙が正 しくかければ、できあがった服も、びったりからだにあいます。それとおなじです。」 「ほう。」 カモジーさんは、しばらくかんがえこんでいましたが、 「そのとおりだ、ぼうや。わしもいまでは、くず鉄屋をやっているか、わかいころから じてんしやし 機械がすきでね。いろいろ勉強したものさ。きみたち、自転車を知っているだろう。あ れだって、はじめからあんなにかるくて、スマートなものじゃなかった。おもい木の車と、 あつい鉄のタイヤをつけて、『ガタガタ車』とよばれていたのさ。まったく、ほねにまで ひびくほど、ガタガタしたんだよ。」 「ふうん。」 じてんしやけんきゅう 「それから、あるフランス人が、かるい自転車の研究をはじめたんだ。まず、つくえにむ き力、 てつ じん べんきよう ぐるま てつや かたがみつく くるま

5. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

そせん おかあさんのスーザンカザリン日キヨルナーの祖先は、ドイツのシュライツという ところの近くで、車作りのしごとをしていました。 ところが、ナポレオンのひきいるフランス軍とプロシア ( ドイツ ) 軍とのあいだで、は せんか げしい戦争がおこり、戦火がせまってきました。 かぞく 「ああ、戦争はいやだ。家族がやすらかにくらせるところはないか。」 そこく へいわてんち キヨルナー一家は、自由と平和の天地をもとめて、祖国をのがれ、アメリカにわたっ てきました。 そこは、インジアナ州のユニオン日カウンティーというところで、ここで、ふたたび うんばんしゃ 車作りをはじめました。この人がすばらしいうでのもち主で、畑しごとにつかう連搬車 しようようばしゃ や、乗用馬車のりつばなのをたくさん作りました。 ノノーたちにつ このうでのよいところが、むすめのスーザンにったわり、さらにウイレヾ たわった、といってよいでしよう。 くるまづく せんそう ちか せんそう くるまづく しゅう ひと ぐん まこ ぐん

6. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

一」・つく・つ しんぶん それからというものは、航空の記事といえば、新聞にでたものも、雑誌にのったもの せいり も、一つのこらず切りぬいて、整理しました。 丿丿エンター 「オープ、こうしてあつめてみると、さすがに航空の世界ってひろいね。 ルのドイツでも、イギリスでも、フランスでも、もちろん、このアメリカでも、ねっし けんきゅう んに研究している人が、たくさんいるね。ばくたちもぐずぐずしていられないよ。」 とり 「鳥のとび方や、記事の切りぬきだけじゃだめだね。」 - 」・つく・つ きようかい 「で、ぼくはかんがえたんだ。スミソニアン協会へたのんで、航空に関する本をおくっ てもらおう。」 けんきゅうじよ としよかんはくぶつかん きようかい スミソニアン協会は、ワシントンにあり、研究所・図書館・博物館をあわせたような ものです。 てがみか ウイルヾーは、さっそく手紙を書いておくりました。 もんだい にんげんそら しん 「わたしは、人間が空をとぶ機械は、かならずできると信じています。で、この問題を かた ひと き力、 せかい ざっし かん ほん 146

7. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

オービルは、ヨーロツ。、ゝ , りもどったウイルヾ ーにそうだんしました。 いんさつや じてんしやや じてんしやや ひこうきや 「印刷屋から自転車屋へ、自転車屋から飛行機屋へか。オープ、いろいろなことがあ「 いのち たな。もちろん、この機は、ばくたちの命だよ。やるとも。こんどヨーロツ。 ( このしごとが、これからますますさかんになることがわか「たよ。」 ひこうきがいしゃ こうして、「ライト飛行機会社」ができました。ときにウイルヾ ル三十八さいでした。 ふたり 二人は、けんめいにはたらきました。 まねかれれば、カザリンもつれて、ふたたびヨーロッ ノ へいき、フランス・ドイツ・ かくち 一」・つく・つカっ ) 」・つ イタリアなどの各地をまわ「て、航空学校をひらいて教えたり、飛 ( 何大会を見せたりし ひとり ひと ひこ・つき て、一人でもおおくの人に、飛行機のことを知「てもらおうと努力しました。 こ・つてい イギリスやスペインの皇帝にもあいました。 えんかい そんなときのつきものは、はなやかな宴会です。さまざまな人が、いれかわりたちか ひと ー四十二さい、オービ

8. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

一」・つりつ ひこう べてはるかに効率がよいことをあきらかにし、一八四九年には人を乗せたグライダーの飛行を こんにち ひこ・つき ひこうき ちち はじめて成功させたりするなど、今日の飛行機の基礎をつくったので、「飛行機の父」とよばれ ています。その後、ドイツのリリエンタール兄弟、フランスのペノー、アメリカのシャヌート もけいひこうき ひこうき もんだい かいめい らがグライダーや模型飛行機などによって飛行機の繰縦や安定の問題を解明しました。このよ せんばい はつどうりよくひこうせいこう うな先輩たちのしごとをもとにしてはじめて、ライト兄弟による初の動力飛行の成功があった のです。 はつひこう ひこうき けんきゅうかいはつおうべいかっこく 一九〇三年十二月十七日のライト兄弟の初飛行をきっかけに、飛行機の研究開発は欧米各国 ぐんよう じせかいたいせん できゅうにさかんになり、第一次世界大戦には軍用に使われていっそう発達しました。 はや とお こうくうかんけいしゃあ ひこうき かたち ふくよ・つ 「より速く、より遠く」は航空関係者の合いことばとなり、飛行機の形も、三葉・複葉 ( 主翼 しようげ まいかさ が上下に三枚、あるいは二枚重なったもの ) が単葉に、固定脚が引き込み脚にと改良される一 くわ ねんだい ぜんはん 方、エンジンやプロペラにも改良が加えられていきました。一九四〇年代の前半ごろまでにプ き ちしよう まいびよう げんかい おんそく ロペラ機はほとんどその限界にまで発達しましたが、この形式では音速 ( 地上で毎秒三百四十 じそく ちか おんそく ひこう メートル。時速千二百二十四キロメートル ) に近づくことができず、音速をこえる飛行はター せいこう ねん がっ にち かいりよう きようだい はったっ きようだい たんよう そうしゅうあんてい きようだい ねん こていきやく ひと ひ はったっ きやく かいりよう しゅよく 224

9. とべ! 飛行機第一号 ライト兄弟

きゅう かんさっ ひこ・つき しる せづけいす ちきゅう る観察、はばたき飛行機やヘリコプターの設計図などが記されています。しかし、地球の引力 だいち にさからって大地をはなれて空にうかぶためには、なお三百年の歳月が必要だったのです。 くうちゅう ひ・」・つ ききゅう 人間がはじめて空中にうかんだのは、鳥の飛行とはまったくべつの方法ーー気球によってで ねつききゅう ひ・」・つせい・」・つ した。一七八三年、フランスのモンゴルフィエ兄弟は熱気球による飛行に成功したのです。気 ひこうせんはってん ひこうせん 球はその後実用的な飛行船に発展し、ドイツのツェッ。 ヘリン飛行船は一九一〇年にはじめての りよかくゆそうひこう ひこうせんずうたい 旅客輸送飛行をおこないました。しかし、風船の親玉のような飛行船は図体がいちじるしく大 そくど ひこうせんすいそ きいので、速度もおそく、風によわいうえに、ツェッ。 ヘリン飛行船は水素を使っていたので、 ばくはっしこ ねんとうし さいゅうしゅうせん 要くはっせんしよう しばしば爆発事故をおこしました。一九三七年、当時の最優秀船ヒンデンプルク号が爆発全焼 ひこうせんねっ きゅうそく したのをきっかけに、飛行船熱は急速におとろえてしまいました。 ・つんど・つ ふりよく はうしきゅ・つり はばたき翼のような運動する翼のかわりに、固定した翼によって浮力を得る方式が有利だと ひこ・つき しゅうりよう う考えは、イギリスのケイレ ー卿によってとなえられました。かれは飛行機の重量をささえ くうきりよく うわむ せいぶんようりよく りよう るのに、固定翼にはたらく空気力の上向き成分 ( 揚カ ) を利用し、うしろ向き成分 ( 抗力 ) を すいしんそうらすいりよく ぶんぎようはうしき よくほうしき プロペラなど推進装置の推力によってつりあわせる分業方式のほうが、はばたき翼方式にくら かんか こていよく ごしつようてき ねん かぜ きよう ふうせんおやだま きようだ、 ねんさいげつひつよう せいぶんこうりよく ねん いんりよく おお