きゅうそくかいてん エジソンは、プロペラを急速に回転させる方法を、あれこれとかんがえましたが、ど うしてもうまくいきません。そのうちに、ふと、子どものときあそんだ、ねずみ花火を はなび はんどう かやく おもいだしました。火薬のふきだす反動でくるくるまわる、あの花火です。 「そうだ。ひとつ、あれでやってみよう。」 だいせつナい こがた 小型のヘリコプターを一台設しました。そして、もめんのわたを硝酸と硫酸にひた かやく かみ めんかやく して、綿火薬をつくり、これを紙のリボンでつつんで火薬のテープにしました。これを でんき ふんしゆっかんなか きんぞくせい 銅のロールのあいだから金属製の噴出管の中へおしだして、電気で火をつけて、すこし ずつ、ばくはっさせるというしかけです。 ふんしゆっかん めんかやくい けんきゅうしょにわ やがて、ヘリコプターが研究所の庭におかれ、綿火薬入りの噴出管が、二まいのプロ ペラにとりつけられました。 てんか 「点火 ! 」 じよしゆでんき エジソンのあいずで、助手が電気のスイッチをいれました。銅のロールが回転して、 こ どう しようさんりゅうさん かいてん は - な・ひ 151
でんしんしゅ でんしんしゅ 多くの電信手は、南北戦争にとられて、技術のたしかな電信手なら、どこでもひつば りだこでした。エジソンは、どこへいっても、生活にこまることはありませんでした。 フォートウェイン、インジアナポリス、シンシナチ、メンフィス、ポストン : : : そう べんきよう した放浪のあいだにも、勉強と実験とは、たゆみなくつづけました。はいったお金は、 き 本になり、実験費になりました。あまり勉強にむちゅうになって、やとい主の気をわる ほうろうたび くしたために、また放浪の旅にでるということもありました。 しかし、そんなふうであればこそ、エジソンの実力は、ならぶものがないほどに上達 していったのです。 きよく でんしんきよく エジソンが、メンフィスの電信局につとめたばかりのころのことです。この局とセン きよく でんしんそくど トルイス局とのあいだで、電信の速度コンテストがおこなわれていました。 きよくいん メンフィスの局員たちは、この新入りのうでをためしてやろう、というわけで、エジ きよく でんしんじゅしん ソンに、セントルイス局からの電信を受信させました。 ほん おお ほ・つろう じつけんひ なんばくせんそう じつけん しん べんきよう せいかっ じつりよく かね じようたっ
そうしんじゅ 百メートルでした。マルコーニは、送信と受 ドランド島へいくと、アンテナにするための しん つうしん 信のきよりをのばし、もっととおくまで通信大きなたこをつくってたかくあげました。イ どりよく かいがん . きようりよく はっしんじよ できるようにしようとかんがえ、さらに努力ギリスの海岸の強力な発信所から、きめてお じゅわき はっしん しました。 したふごうが発信されました。受話器を耳に そのけつか、イギリスでおよそ十六・六キあてていると、三千キロもはなれているのに、 たいせいよう でんば ロ、イタリアでやく二十二キロ、さらにイギ大西洋をこえた電波が、たこをアンテナにし 力いきよう リスとフランスの海峡のあいだ、およそ六十て、マルコーニの耳にとどいたのです。 つうしんせいこう キロメートルの通信に成功しました。 この大成功により、マルコーニの名は世界 ねん むせんでんしん 一九〇一年、マルコーニは、イギリスとアじゅうにしれわたり、無線電信は、各国でお がっしゅうこく むせん けいかく メリカ合衆国を無線でむすぼうと計画しましおいにつかわれるようになりました。 こうせきけんばき はつめい た。しかし、そのあいだには、ひろい大西洋 また、マルコーニは鉱石検波器を発明し、 よこ ぶつりがくしよう が横たわっています。 一九〇九年にはノーベル物理学賞をうけまし マルコーニは助手をつれて、ニューファン ( きりぶち輝 ) じよしゅ たいせいよう おお だいせいこう とう ねん みみ かっこく みみ あきら 253
よ でんきものかたり この伝記物語を読むまえに 頭の大きないたずらっ子。 けれど、それはただのいたずらではなく、 こ・つ *J しん さかんな好奇心のかたまりでした。 しようがっこう 小学校をとちゅうでやめたエジソンが、 ど , っして、 「メンロ、 ークの魔術師」 といわれるようになったのでしようか でんとうちくおんきえいが ちくでんち 電灯・蓄音機・映画・蓄電池からタイプライターまで、 いっしよう とっきよけんすう 一生のあいだにとった特許件数一千いじよう。 はつめい かずかす そのすばらしい発明の数々は、 ーセントのひらめきと、 「天才とは一。ハ あたまおお てんさい こ
「さて、しよくん。この機械が、これから歌をうたう。」 しいだしたから、みんなは、にやにやとわらいだしました。マッケンジーなどは、 「わっはつはつは : : : 。」 こえ と、声をあげてわらいだすしまつです。クルノま 「つくっているあいだ、ちっとも、うたいませんでしたがねえ : いかに , も、ふし」そ , つです エジソンは、そんなみんなにかまわず、機械のハンドルをまわしながら、 ど・つよ・つ 「メリーさんの子ひつじ」という童謡をうたいはじめました。 リットルラム・ リットルラム 「メリー その歌が、あんまりとっぴょうしもないので、みんなは、わらいをこらえるのにくる メリー夫人は、とうとう、おなかをおさえて、ふきだしてしまいました。 しみましたが、 えんとう けれども、エジソンは、大まじめです。すましてうたいおわると、円筒の上の針をお こ ふしん き力い おお き力、 ・つ - んはり いつもの 111
さて、そのころの少年エジソンが、おとなもまねられないほど勤勉だ「たことは、た しかです。 朝六時におきて、列車にのりこみ、夜は十時にかえ 0 てきます。そのあいだじゅうが、 じつけん かがく べんきよう としよかん うり子のしごとと、図書館での勉強と、化学の実験です。 にちにち このようにしてすごす一日一日は、つらいことのようですが、エジソンにと 0 ては、 かけがえのないたのしみだったのです。 しようねん こういうと、エジソンには、少年らしいたのしみというものが、まるでなか「たよう ですが、た「た一つ、エジソンをむちゅうにさせたあそびがありました。 でんしん 電信あそびです。 でんしん そのころ、つまり、一八六〇年代のアメリカでは、電信がようやく実用化されてきて しようねん いました。このあたらしい器具が、少年たちをとりこにしたのは、あたりまえのことで、 だいりゅうこう でんしん それをまねた電信あそびは、大流行でした。 こ ねんだい よる きんべん じつようか
しよいん おもわずさけぶエジソンを、所員たちがとりかこみました。みんなが、じっといきを でんせん て なか つめて見つめる中で、エジソンはその電球を注意ぶかく電線につなぎ、ふるえる手でス ィッチをいれました。 「わあっー かんせい それは、文明のあけばのをつげる歓声でした。 「おめでとう ! 」 「おめでとう ! 」 みんなは、かわるがわるエジソンの手をにぎりしめました。エジソンは、ひとことも でんとうみ こえ せかい 声がだせず、 ただじっと、世界さいしょの電灯を見つめていました。 にち 一八七九年の十月二十一日のことでした。十月二十一日ーー・それはいまでも、「エジソ きねんび ン記念日」とされています。 でんとう じかん この電灯は、四十五時間かがやきつづけてきえました。そのあいだ、だれもが、まる み ぶんめい ねん がっ にち でんきゅう て ちゅう 126
しようねん はいってきました。オーツという、エジソンより年上の少年です。 「あ、それをいじってはいけません。アルバさんに、しかられます。」 どくやく どくやく じつけん 「ああ、毒薬なんだね。で、こんなにたくさんの毒薬で、なにを実験するんだね ? 「いろいろです。このあいだは、ゝ カらだをかるくして、うかせる実験をしました。」 「はあん、からだをかるくする実験 ? 、どうするのだね。」 みず 「ふくらし粉を、うんとのんで、水にはいったんです。」 「ふくらし粉を、アルバがのんだのかい ? 、え、ばくがのまされたんです。」 じつけん 「そりゃあ、どうも : : : で、その実験は、成功したのかい ? ー 「だめでした。おなかをこわしたうえ、水の中につかりすぎて、かぜをひきました。」 しようねんかがくしゃ サムエルは、ふきだしてしまいましたが、少年科学者エジソンは、しんけんだったの かがくてき せいしっし だいはつめい です。そして、化学的にものの性質を知るということが、のちの大発明に大きくやくだ四 こ じつけん みすなか せいこ・つ とし・つえ じつけん おお
きのうの老局員は、目をまるくして、そのしかけをききました。 でんりゅう ほんすずはく 「なんでもないんですよ。この二本の錫箔に、電流がつうじてあるだけです。リポンと リポンのあいだは、ちょうど、ごきぶりのながさです。だから、こいつらかまたがった かんでん とたんに感電して、ころっといくんです。」 でんち なるほど、よく見ると、リポンからほそい電線がひかれて、へやのすみの電池にむす びつけてあります。 「ふうん、こりやえらいもんだ。」 みんなは、すっかりかんしんしてしまいました。 しんぶん でんき 電気じかけのごきぶりたいじ器は、すぐ、ポストンの新聞がかぎつけて、記事にしま でんしん した。電信スピード王エジソンは、さらにゆうめいになったわけです。 でんしん かいしゃ あっちこっちの会社から、電信のうちかたをおしえてください、とたのんでくるよう になりました。エジソンは、きがるにひきうけてでかけるのですが、どこへいっても、 ろうきよくいん おう でんせん
ぎんこうよきん あくる日、その話をきいた社長は、こんどは、銀行預金のしかたをおしえねばなりま せんでした。 しき こうして、エジソンは大金持ちになったのです。かれは、それを資金に、エジソン式 ばんのういんさっきせいぞうこうしよう 万能印刷機の製造工場をつくりました。二十二さいのときです。 こ - つじよう ついで、ニューヨークに、あたらしく大きな工場をつくりました。おおぜいの職工を でんききかい せいぞう つかって、いろいろな電気機械を製造したのです。 こうじよう ねんかん そうして、二十九さいになるまで七年間、この工場をつづけましたが、そのあいだも はつめい とっきょ 発明につぐ発明で、じつに百二十二の特許をとりました。 にち 十一日ごとに一つの発明 こ・つじよう はつめいこうじよう でんききかい エジソンの工場は、まるで、電気機械の発明工場でした。よいことをかんがえつくと、 ひ はつめい おおがねも しゃちょう はつめい おお しきん しよっこう