1 」うせい カカくせ、ほ・つ はつめい ・もんだい もっとも、世界のゴム問題は、その後、合成ゴムという化学製法が発明されて解决し しようねつどりよく ましたが、それとはべつに、老エジソンの情熱と努力を、わすれることはできないので す。 発明王の晩年 エジソンには、いつごろから晩年ということばをつかってよいのか、こまってしまい ひと ます。ふつうの人ならば、六十さいぐらいから晩年といえるでしようが、このころのエ はつめい ちょうじんてきどりよく せいねんげんき ジソンはまだ、青年の元気さで、発明のために超人的努力をかたむけていたのです。だ じたいせん ばんねん しいご、つまり第一次大戦のおわったころ から、エジソンの晩年とは、おそらく七十さ、 からのちとかんがえたほうがよさそうです ひと よ 八十四さいまで生きる人は、世の中にたくさんいます。だか、エジソンのように、八 はつめいおう せ力い ばんねん ろう ばんねん 0 ばんねん かいけっ 218
ちょうじよ ばんこくはくらんかし リでひらかれた万国博覧会にも、エジソンは、夫人と それよりさきの一八八九年、 はつめい はくらんかい 長女をつれてでかけたことがありました。この博覧会では、エジソンの発明した電灯・ かいじようだいぶぶん ちくおんきでんしゃ 蓄音機・電車などのちんれつが、会場の大部分をせんりようしてしまって、まるでエジ はく、りん力い ソン博覧会のようなかんじでした。そこへ、本人のエジソンがでかけていったのですか よるひる ら、たいへんです。夜も昼も、ほうぼうから、いろいろなしようたいをうけました。工 えんぜっ ジソンは、よろこんでそれに応じましたが、ただ、演説だけはおそろしがって、いつも かたくことわっていました。かえってきたときに、 えんぜっ 「演説をしないですんだのは、なによりありがたかった。ほんとにたすかった。」 えんぜっ けんきゅうしょひと と、研究所の人にもらしたそうですが、そんなにも演説ぎらいなエジソンだったのです。 このときのエジソンにたいするかんげいぶりは、ほんとうにたいへんなものでした。 とう と・つ ふさい ノカエジソン夫妻をェッフェル塔にしようたいし あのエッフェル塔をたてたエッフェレ。ゝ、 とう さっきよくか ました。塔の上にのぼると、ゆうめいな作曲家のグノーがいて、エジソン夫妻のために、 うえ ねん おう ほんにん ふさい でんとう ふじん 225
はつめい ひと れきし 人類の歴史の中でも、くらべる人がないほど、たくさんの発明をなしとげたエジソン せいこ・つ うまでもなく、エジソンをたすけたメンロ ですが、そのしごとを成功させたのは、 けんきゅうしょひとびと 0 、 ークの研究所の人々です。 さいのう ひとみ いいかえれば、エジソンは、これだけのすぐれた人を見つける才能と、それをあつめ、 とく そだてる力と、そして、それをまとめていく徳とをそなえていたのです。それなしには、 し たいりよく てんさいてきすのう いくら天才的な頭脳や、おどろくべきにんたい、つかれを知らない体力をもっていたエ ジソンでも、あれだけのしごとをなしとげることはできなかったにちがいありません けんきゅうしょちゅうしん もくぞうおお けんきゅうしよなか 研究所の中には、七つのたてものがあって、木造の大きな二階だての研究所を中心に、 ごらくしっそうこ かぞく しよいん 所員たちとその家族の家や、娯楽室・倉庫などが、ずらっとならんでいました。 じんるい ちから メンロバ ークの人々 ひとびと 0 159
だか、エジソンは、このときすでに死期のちかづいたことをかんじていたようです はつめい けんきゅうしょひとびと 研究所の人々をあつめては、じぶんの頭にある発明のかんがえをつたえたり、これから けんきゅう の研究すべき方向をおしえたりしていました。 め はたして、いちじよさそうに見えたエジソンのからだは、やはり、目に見えておとろ けんこ・つ えていきました。そして、ついに、もとの健康は、とりもどせませんでした。 じんるい こ・つふく さいぜん 「わたしは、人類の幸福のために最善をつくしてきたとしんじている。わたしにはもう、 おもいのこすことはよ、。 これが、エジソンのさいごのことばでした。こうして、発明王エジソンは、ついにこ よ の世をさったのです。 ねんがっ にちごぜんじ 一九三一年十月十八日午前三時二十八分でした。 おも 思えば八十四年八か月のあいだ、ふつうの人の何百年分にもまさるしごとをして、人 おんけい 類にかぎりない恩恵をあたえた偉人工ジソンは、そのかがやかしいしようがいのまくを ほ・つ一」・つ ねん み じん あたま ふん ひとなんねんぶん はつめいおう み じん 0 230
う ジソンのどくとくのかんがえから生まれたものだったからです。 さて、ある日、エジソンは、あそびはんぶんに、おもちやをこしらえてみました。 くち それは、一つのらつばで、それに口をあてて、 リットルラム・ 「メリー ハッダア どうよう うえ にんぎよう と、童謡をうたうのです。すると、つくえの上においた、きこり人形が、のこぎりで木 をきりだすのです。 うたごえ それは、こんなしかけになっていたのです。歌声で、らつばにとりつけられた振動板 はぐるま はぐるま がふるえると、それについたてこがゆれて、歯車をおしおくります。歯車には、ひもの にんぎよう かかった滑車がついていて、そのひもが人形をうごかすのです。 にんぎよう エジソンは、しごとにつかれると、歌をうたってはその人形をうごかして、たのしみ ました。ところが、そのうちに、 こえ 「声が、うす板を振動させるカって、ずいぶんつよいものだなあ。」 かっしゃ ひ 、たしんどう ちカら うた しんどうばん き 108
こにこしながら、みんなの、たわいない話やおかしなじようだんに耳をかたむけ、 おお こえ しょに、大きな声でわらいあったりするのです。そんなときにはエジソンは、まるで子 かお じかん どものようですが、さて時間がくると、きゅうにしんけんな顔つきになって、精力的な はつめいか 発明家にかえるのです。 あるときエジソンは、あまりながくしごとをしたので、しばらくねむるからといって、 しよいん 実験室をでていきました。すこしたって所員が、エジソンのへやヘいってみますと、エ ジソンはつくえの上で、えびのようにからだをまげてねむっています。かたいつくえの ほん 上でよくねむれるものだ、とおもいながらのぞいてみると、頭は、あつい本をまくらに 力がくじてん しているのです。なんの本だろうとよく見ると、それは、ワットの化学辞典なのです。 しょちょう 「所長はきっと、ねている間に、本の中にかいてあることを、すいとるんだろうな。」 と、みんなは、わらったり、かんしんしたりしました。 ねっ このような、なにものにもくじけることのない熱意と努力のけつか、十年めの一九〇 じつけんしつ ほん ほんなか どりよく あたま みみ ねん せいりよくてき 181
にんげん カカ / 、 げんりおうよう それは、科学の原理を応用して、あたらしい技術をつくりだしていく人間へのきよう みです。 きかいこ・つしよう また、ポートヒューロンには、グランド日トランク鉄道の機械工場がありました。工 こ・つしよう ジソンの足は、いっからともなく、ひまさえあれば、この工場へむかうようになりまし としよかんよ きかんしやこうぞう じつぶつみ た。図書館で読んだ機関車の構造が、そこでは、実物で見ることができたからです。 れっしゃ 列車にのっているあいだも、ときどき機関室にはいりこんで、いっか、火室・ポイ はぐるま べん こ・つぞ - っ ラー・弁・そうじゅうかん・歯車などの構造やはたらきぐあい、あっかいかたをおばえ しつもん ほんき ていきました。あれこれと、どこまでも質問するエジソンに、機関士は、本気でこた えてくれました。エジソンのねっしんさに、うるさいというきもちなどもてなかったの でしょ , っ でんしやはつめい こうしておばえた知識が、やがて、電車の発明のとき、たいへんやくにたつのですが、 きかい このころのエジソンは、こ。こ、 オオ機械そのものが、おもしろくてしかたがなかったのです。 あし 0 ちしき きかんしつ てつどう きかんし かしつ
その日も、実験につかれて、頭をかかえこんでいましたが、ふと、ゆかの上を見たエ こえ ジソンは、おもわず、あっと声をあげました。 「そうか、そうか : : : どうして、こんなことに気がっかなかったのだろう ! 」 それは、もめんの糸くずでした。 エジソンは、もめんのぬい糸を手ごろのながさにきり、タールとすすをまぶして、 ニッケルにのせ、そうっと炉にいれてやきました。 むねをおどらせながら、とりだしてみると、ああ、なんというよろこび ! おもった たんそせん ようにほそい炭素線が、みごとにできていたのです。 たんそせん ふつか エジソンは、もうむちゅうでした。それから二日がかりで、この炭素線を、輪にした り、ばてい形にしたりして、ガラス球の中にふうじこみました。そして、ゆっくりゆっ くう * 一 きあっしんくう くり空気をぬき、百万分の一気圧の真空にしました。 「できたぞ ! できたぞ ! じつけん まんぶん あたま きゅう なか うえみ 125
とじたのでした。 でんば はつめいおう 「発明王エジソン死去ーの知らせは、ただちに電波にのって、全世界にとびました。世 界はすみずみまで、かぎりないかなしみのふちにしずみました。 けんきゅうしょ あんち あくる朝、エジソンの遺体は、ウエストオレンジの研究所にうっされ、ここに安置さ かくち ふつかかん れました。そうして二日間にわたり、グレモントはもちろん、アメリカ各地からあっ ひとびと おんじん まってきた人々はながいリ 歹をつくって、恩人工ジソンとのわかれをおしんだのです。 ちょうじ よ にちよる そうぎ ー大統領が、なみだとともに弔辞を読 葬儀がおこなわれた十月二十一日の夜、フー み、こうむすびました。 よく せかい 「世界の人類は、、 しま、ここにねむる偉人の遺産をうけ、ながくこのめぐみに浴するこ とでありましよう。」 このとき、午後十時ーーアメリカ全国では、い ささげました。 じんるい あさ しきょ じ れつ がっ し ぜんこく じん いさん しようとう ぶんかん っせいに消灯して一分間のもくとうを ( おわり ) だいとうりよう ぜんせかい せ 231
いわれています。 エジソンは、それを、一部三セントでうりました。そして、毎週四百部はかんぜんに うれたのです。けれども、ただ、めずらしさからだけではありません。じっさい しんぶん 「これは、 いい新聞だ。力になってあげるよ。」 ひと ていきようしゃ といってはげます人もあれば、ニュースの提供者になってくれる人もありました。鉄道 でんしんぎし の電信技師たちがそうです。かれらは、しごとのうえでつかんだ最新のニュースを、エ ジソンにくれたのです。 ひひとり ある日、一人のイギリス紳士が、グランドトランク鉄道にのりこんできました。紳 しゅうかん 士は、インキのにおいもあたらしい「週刊ヘラルド」を手にすると、 「おお ! しようねん と、ひどくかんしんしたようすで、少年にたずねました。 しんぶん 「この新聞は、きみがつくったのですか ? 」 - し ちから しんし てつどう て まいしゅう さいしん ひと てつどう しん