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検索対象: いたずらと発明の天才 エジソン
9件見つかりました。

1. いたずらと発明の天才 エジソン

うた かっ ) 」く せかいてきかがくしゃ 歌をうたってくれました。エジソンはまた、世界的な科学者。ハスツールにもしようたい けんきゅうしつみ され、その研究室を見せてもらいました。 だいとうりよう ハウスにしようたいしました。そして、三 フランスの大統領は、エジソンをオペラ み 百人ものおどり子をあつめた、はなやかなバレエを見せてくれました。このとき、エジ ぶたいしようめん ハウスにはいって、とくにエジソンのためにもうけられた、舞台正面の ソンがオペラ " ぜんいんきりつ こっか せき 席につくと、オーケストラがアメリカの国歌を演奏し、全員が起立して敬礼をおくりま した。これには、エジソンはひやあせをながして、はずかしがりました。 だしたい、エジソンは、あまり人からさわがれたりするのが、きらいなたちでした。 くんしよう 各国からたくさんの勲章などをもらいましたが、そういうものをむねにさげてあるくの を、このみませんでした。 さいこ・つ くんしよう せいふ ールという最高の勲章がおくられましたが、そ フランス政府から、レジオン " ド " ヌ こうしきせき れも、やむをえない公式の席にでるときだけむねにつけ、それがすむと、すぐはずして ひと えんそう 226

2. いたずらと発明の天才 エジソン

「なるほど、これはおもしろい。すば みらしいかんがえだ。ぜひ、やってみた おと いとおもいますね。だが、音のほうは、 しやしん あとのこととして、まず、うごく写真 きのほうを、かんぜんなものにしなけれ ~ 一のばなりませんね。」 でんとう だか、そのころのエジソンは、電灯 じぎよう しやしん 事業のしごとにおわれていました。そして、うごく写真のほうは、気にしながらも、の えいが びのびにしているうちに、フランスのマレーが、「キネトスコープ」とよぶ映画のたまご キ」カ、 はつめい げんしてき のような機械を発明してしまいました。もちろんそれは、ひどく原始的なものでしたが。 しやしん けんきゅう そこでエジソンは、うごく写真をかんぜんなものにしあげる研究をはじめました。そ して一八八八年に、、 しわゆる「のぞきショー」をつくりあげたのです。これは、千分の ねん ぶん 168

3. いたずらと発明の天才 エジソン

ちくでんち エジソン蓄電池 はつめい でんきゅう 電球のフィラメントをはじめ、エジソンのどんな発明にも、その努力ぶりとしんぼう ちく み づよさを見ないものはありませんが、なかでも、もっともこんなんをきわめたのは、蓄 けんきゅう でんち 電池の研究のときです。 せいき ちくでんち はつめい 蓄電池の発明はずいぶんふるいもので、十九世紀の中ごろ、フランスのプランテとい ひと う人がかんがえだしました。 りゅうさんなか ちくでんち ちくでんち この蓄電池はなまり蓄電池で、なまりの板をまいたものを二本、うすい硫酸の中にひ じかん でんりゅう でんち たし、これに電池から電流をつうじて、ひじようにながい時間おくと、かたほうのなま りようほ・つ えんばんはりがね うえさんか りの上に酸化なまりのまくができます。この両方の鉛板を針金でつなぐと、そのあいだ でんあっ でんりゅう に電流がながれて、電圧は、やく二ボルトになるのでした。 なか ほん どりよく 174

4. いたずらと発明の天才 エジソン

けんきゅう げんりよう メリカでその原料をつくろうと、大いそぎで研究しはじめたのです。 ちくおんきこう しかし、おいそれと、すぐにはとてもまにあいません。ことに、エジソンの蓄音機工 しよう やくひん 場では、レコード の原料につかう石炭酸が、ぜひひつようなのですが、ほうばうの薬品 けんきゅう せいぞう かいしゃちゅうもん 会社に注文してみましても、これから研究して製造をはじめるのだから、すくなくとも 一年ぐらいたたなければできないというへんじです。 そこでエジソンは、 「よし、それなら、われわれの手でひとつつくってみることにしよう。」 カカ / 、一」・つしよう ちくでんち というわけで、すぐ、蓄電池のニッケルをつくっていたシルバーレークの化学工場をひ じかん けんきゅう けんきゅうしょひと ろげて、その研究にとりかかりました。研究所の人たちは、はりきって、二十四時間三 はつか こうたいで、ぶつつづけのしごとととりくみました。その努力のけつか、それから一一十日 せきたんさん めには、はやくも石炭酸がとれるようになりました。 せんそう 戦争はいよいよはげしくなって、アメリカも、イギリスやフランスといっしょに、ド ねん げんりよう て おお せきたんさん どりよく

5. いたずらと発明の天才 エジソン

しなもの ヨーロ " ハの国々は、どんどん生産される品物を、どこかにうらなければならなくな たいり・′、 きようそう て りました。ここに植民地を手にいれる競争がはじまったのです。なかでもアメリカ大陸 とち は、土地もひろく、人口のはけぐちとしては、いちばんびったりしていましたので、 ヨーロい ハの移民たちが、ぞくぞくとアメリカ大陸へおくりこまれることになったので す。 せいき どくりっせんそう ・か′、めい やがておこるアメリカの独立戦争やフランス革命などという、十八世紀のおわりちか さんぎようかくめい てっせきたんきかい れきしじようだいじけん くをいろどる歴史上の大事件は、こうした、鉄・石炭・機械が生みだした産業革命によ るものだといえるのです。 日本の現代をつくる明治維新という大事件も、もちろん、この産業革命が、東洋にお しよせてきた大波の一つでした。 ぶんめい てっせきたんきかい さて、こうした鉄・石炭・機械という文明がすすんでいくうちに、エジソンの発明を どだい でんき けんきゅうおうようおお 生む土台となった、電気の研究と応用が大きくひらけてきました。 ・つ につばんげんだい 0 おおなみ ′、にみ、に みん しよくみんち じんこ・つ しん せいさん だいじけん たいりく さんぎようかくめい と・つよう はつめい

6. いたずらと発明の天才 エジソン

ほんよ じてん かがく トンの「ゆううつの解剖」、「科学の辞典」といった、むずかしい本を読んだのです。 ほんべんきよう 十二さいになると、ニュートンの「プリンキピア」という本の勉強をはじめました。 す - つがく オ・うが′、 その中にでてくる数学は、先生のおかあさんでさえ、てこずるものでしたから、数学が にがてのエジソンには、どうにもくるしいたたかいでした。 す・つし去」 でんきがくたいか すうがく 数学といえば、あの電気学の大家ファラデーも、数式がにがてだったといわれます。 あいどく でんきがく ほん すうしき ですからエジソンは、ファラデーの、数式をつかわない電気学の本を、たいへん愛読し たとい , っことです よ ぶんがノ、 れきし カカ′、 エジソンは、歴史や科学の本ばかりでなく、文学の本もたくさん読みました。おとう しようせつ よ しようせつ さんは、エジソンが小説を読むことをこのみませんでしたが、おかあさんは、小説はむ よ そうぞうりよく しろ想像力をやしなうからと、おおいに読ませました。 しようせつ こ , っしてエジソンは、、 月説をとおしても人生をまなんだのですが、その小説の中でも、 ほん フランスの文豪ビクトルュゴーのものがすきで、かれの本だなには、「レミゼラブ ぶんごう 0 力し せんせい ほん じんせい ほん しようせつ

7. いたずらと発明の天才 エジソン

じかん ちくでんち じゅうでん だが、このプランテの蓄電池は、充電にたいへんな時間がかかります。それにそのこ かち ちくでんち はつでんき ろは、発電機もなかったのですから、蓄電池というものの価値がわかりません。そんな わけで、そのままたいして発達もしなかったのでした。 でんりよく はつでんき でんとう はつめい ところが、エジソンが電灯を発明したとき、発電機もできました。そこで、その電力 ちくでんち をつかわないときたくわえておく蓄電池というものに、大きな注意がはらわれるように ちくでんち なったのです。だが、プランテの蓄電池では、どうにもなりませんでした。 ちく ねん すると、一八八〇年に、フランスのフォーレとアメリカのプラッシが、あたらしい蓄 りようきよく はつめい でんち 電池のつくりかたを発明したのです。これは、その両極に鉛板をつかうかわりに、なま しゅうでん しゅうでん えんたん りのこうしに酸化なまりの鉛丹をぬりつけたものをつかって充電します。これなら充電 じつようてき しゅうでん じかん に時間かかからず、また、一回の充電でながくつかえますので、じゅうぶん実用的なも のだったのです。 でんとうでんげんでんきじどうしゃ ちくでんち そのため、フォーレの蓄電池は、たいへんべんりがられ、電灯の電源や電気自動車の さんか はったっ おお えんばん ちゅう 175

8. いたずらと発明の天才 エジソン

の生物についての考えをすっかりかえました。 せいき でんせんびよう 十九世紀のおわりには、フランスのバスツーレ、ゝ、 ノが伝染病は細菌の作用でおこることを発見 けつかくきん きんはつけん し、つづいてドイツのコッホが、結核菌とコレラ菌を発見しました。ドイツのレントゲンが ほうしゃのう 線 ( レントゲン線 ) を発見し、キ = リー夫妻がラジウム ( 放射能 ) を発見したのも、この世紀 です。 ちしき でんき 電気の知識は、十八世紀の中ごろから生まれはじめていましたが、一八三一年には、イギリ でんりゅう ねん スのファラデーが磁気から電流をひきだすことを発見し、一八三五年には、イギリスのモール でんしんき ねん でんわ スが電信機を、一八七六年には、アメリカのベルが電話を発明しました。 しぜんかカく ひろみち こうして、自然科学がいちじに花ひらいて、人類のゆくてに広い道があらわれました。 はつめい ひつようは発明の母 さて、わがエジソンはど , つでしょ , つか でんとうちくおんき えいカ はつめい エジソンが、電灯・蓄音機・映画など、いろいろな発明を、つぎつぎに生みだしたことは、 せん せいぶつ せん かんが はつけん なか じんるい はつけん はつめい さいきん はつけん さよう ねん はつけん 243

9. いたずらと発明の天才 エジソン

そうしんじゅ 百メートルでした。マルコーニは、送信と受 ドランド島へいくと、アンテナにするための しん つうしん 信のきよりをのばし、もっととおくまで通信大きなたこをつくってたかくあげました。イ どりよく かいがん . きようりよく はっしんじよ できるようにしようとかんがえ、さらに努力ギリスの海岸の強力な発信所から、きめてお じゅわき はっしん しました。 したふごうが発信されました。受話器を耳に そのけつか、イギリスでおよそ十六・六キあてていると、三千キロもはなれているのに、 たいせいよう でんば ロ、イタリアでやく二十二キロ、さらにイギ大西洋をこえた電波が、たこをアンテナにし 力いきよう リスとフランスの海峡のあいだ、およそ六十て、マルコーニの耳にとどいたのです。 つうしんせいこう キロメートルの通信に成功しました。 この大成功により、マルコーニの名は世界 ねん むせんでんしん 一九〇一年、マルコーニは、イギリスとアじゅうにしれわたり、無線電信は、各国でお がっしゅうこく むせん けいかく メリカ合衆国を無線でむすぼうと計画しましおいにつかわれるようになりました。 こうせきけんばき はつめい た。しかし、そのあいだには、ひろい大西洋 また、マルコーニは鉱石検波器を発明し、 よこ ぶつりがくしよう が横たわっています。 一九〇九年にはノーベル物理学賞をうけまし マルコーニは助手をつれて、ニューファン ( きりぶち輝 ) じよしゅ たいせいよう おお だいせいこう とう ねん みみ かっこく みみ あきら 253