かいてん てつあかねっ ものをつくったのですが、それは、鉄が赤く熱せられると磁石になる性質をうしなう、 げんしよう という現象をりようしたものだったのです。 はつでんき ねっ それによると、熱をくわえるとちよくせつモーターがまわりだして、それで発電機が じしよう じつようか ねつはつでんき でんき はっせい 回転して、電気が発生するというわけです。この熱発電機は、事情があって、実用化さ あたま れませんでしたが、これ一つからも、エジソンの頭のはたらきかたがよくわかるでしょ , っ でんとうでんしやはつでんき エジソンは、電灯・電車・発電機などという大もののほかに、ひじようにたくさんの しつどけい きあっけい でんあっけい でんりよくけい でんりゅうけい *J 力いる はつめい 機械類を発明しています。電流計・電圧計・電力計・気圧計・湿度計などといったもの とくちょう かんど で、これらはどれも、感度がよく、ねだんがやすいという特長をもっていたので、ひろ カカ / 、 けんきゅう けいきる、 はつめい じつようか く実用化されました。こういった計器類の発明が、のちの科学の研究に、どれほど大き なべんりをあたえたか、はかりしれないものがあります せいぞうはう しんく・つ そのほかにも、真空の中でくだものを保存する方法だとか、板ガラスの製造法だとか、 0 ほぞん おお 0 じしやく せいしつ おお 215
きろく ふんかん でもえてしまいました。それでも、八分間かがやいた記録をのこしていました。 そ はっきんせん そ そのほかに、白金線・ほう素・ルテニウム・クロム・けい素などといった、とけにく じつけん ちゅうし 」せいこ・つ い金属でも実験しました。しかし、みんな不成功だったので、中止していたのです。 しんノ、 - っ はつでんき じつけん いまは、ウォーレスがくれた発電機があり、真空ポンプもあります。実験は、ぜんぶ しんく・つ 真空の中でやれるのです。 かみたんそ 紙の炭素リボン、紙にコールタールとすすをぬったもの、あみぼうぐらいにまいた炭 素、白金線ーーこんども、みんなためしてみました。白金線は、空気の中では、すぐに しん′、・つ たかおんど とけますが、真空の中では、ずっと高い温度までもっことがわかりました。 ざいりよう でんきゅう けんきゅう しかし、こんどの研究は、電球にいちばんあった材料と方法を、一つ一つ実験しなが ら、さぐりあてるのです。いつ、さぐりあてられることか、わかりません。 - し ひと けんきゅうひ せけんひと 世間の人たちは、せつかちです。研究費をだした人の中には、さぎ師だとののしるも のもでてきました。 きんぞく はっきんせん かみ はっきんせん ほ . つほ . っ じつけん たん 122
ふかの・つ 不可能なことととりくんでいるとしか見えなかったのもむりはありません ひとり けんきゅう しよいん エジソンといつもいっしょに研究をつづけていた一人の所員などは、 けんきゅう けんきゅう 「この研究は、エジソンがいままでやりとげたぜんぶの研究をいっしょにしたのより、 せいこ・つ もっとたいへんだ。しかもエジソンは、一つの実験にしつばいすると、『これで成功に一 どりよく しぜん こん 歩ちかづいた』というのだ。これほどの努力には、いかなる自然も、根まけせずにはい られまい ちくでんち しすれにしても、もう わたしは、エジソン蓄電池がうまくいくかどうか知らないが、 ~ じん せかいてきはつめいか せかい エジソンは、世界的発明家などというよりも、世界の偉人だという気がしてきた。」 と、しみじみいったものです。 でんち きんぞくやくひん こうしてなお、いろいろな金属や薬品をくみあわせて電池をつくってためすうち、 しゆるい っしか三千種類もの実験をやってしまいました。そのけつか、なまりいがいでは、ニッ ケルと鉄が、どうやら希望のもてる性質をもっていることがわかったのです。 てつ じつけん せいしつ じつけん 179
しやかい さあ、機械の社会です。機械をうごかすために、ますます石炭がひつようです。こう てっせきたんぶんめい して、鉄と石炭の文明が生まれたのです。 製鉄に石炭をつかうときは、まず、石炭をむしやきにして、コークスをつくります。 ふくさんぶつ そのとき副産物として、石炭ガスとコールタールができます。 とう せきたん この石炭ガスで、ガス灯をかんがえだしたのがマードックです。このガス灯は、エジ ひかり とかい ねんかん でんとう はつめい ソンが電灯を発明するまでの百年間、もっともあかるい光として、都会の夜にかがやき ました。 また、コールタールからは、べンゼンがとれます。このべンゼンをもとにして、染料 かがく びようき くすり かやく 化学 ができ、火薬がつくられ、病気をなおす薬がいろいろとっくりだされました。 はったっ 工業が発達しはじめたのです。 これが、十八世紀におこったヨーロッ れきし が歴史のうえでおこったでしようか。 こうぎよう せいてっせきたん せきたん う きかい せきたん ハの産業革命です。そのけつか、どういうこと さんぎようかくめい せきたん よる とう せんりよう
ひろ 資本主義をますますはばの広い、ゆたかなものにしました。もちろん、エジソン自身は、アメ はつめい はつめい リカの資本主義を発達させるために発明したのではありません。エジソンは発明することがお ひとびと もしろかったし、それによって、人々のくらしがいっそうべんりになり、ゆたかになるひつよ うがあったからです。 はつめい 「ひつようは発明のである。」 ということばは、エジソンのこういうときの気持ちではなかったでしようか はつめい まいにちせいかっ やく エジソンの発明は、わたしたちの毎日の生活にべんりで、役にたつものがほとんどです。と しんほ はつめい いうことは、それが人類の進歩と平和のための発明であることをものがたっています。 しんぶんきしゃ ある新聞記者がエジソンにインタビューして、 し一」と 「いつまでお仕事をつづけるつもりですか。」 こた とたずねたとき、エジソンは答えました。 し 「死ぬまで ! じしん そういう自信が、エジソンの一生をつらぬいていたのです。 しほんしゅぎ しほんしゅぎはったっ じんるい しよう じしん 244
でんとう はつめい 「このタングステンのフィラメントで、先生が発明された電灯が、いよいよ世界をほん とうにあかるくするのです。」 たんそでんきゅう 「電球は、炭素電球でおわりかとおも「ていたのに、こんなほそいタングステンのフィ 0 よく、がんばったものだ。」 ラメントができるとは : じつけんだい はくし クー丿ッジ博士は、実験台にちかよ「てスイッチをいれました。 「おお ! でんきゅう こ・ん エジソンのおどろきの声です。台の上のタングステン電球が、ば「と白い光をなげた のです。 ひか クー丿ッジ博士の手をにぎりしめたエジソンの目に、なみだが光「ていました。二十 かんせい せいねん でんきゅう 何年間、かんがえ、研究してきた電球の改良を、この青年はいま、り「ばに完成してく れたのです。 でんきゅう 「先生のかぞえきれない発明の一つ一つは、いずれこの電球のように発達するにちがい はつめい せんせい かいりよう はったっ し ろ 力、 せかい
とっきよきよく アメリカの特許局では、エジソンのことを、「特許局への道があっくなるほどやってく せいねん とっきよしんせい ねん ねんなっ る青年ーとよびました。はじめて特許を申請した一八六八年から、一九一〇年の夏までに、 とっきょ ねんかん エジソンの名でだされた特許ねがいが千三百二十八。へいきんすると一年間に三十二、 にち はつめい つまり、十一日ごとに一つの発明が生まれていたことになります。 ねんかん とっきょ いちばんはげしかったのは、一八八二年でした。その一年間に、特許ねがいが百四十 きよか みつか しんはつめい 一、許可されたのが七十五。計算すると、三日に一つの新発明が生まれたことになりま はつめい とっきょ ところで、発明したものは、みんな特許をとる、というものではありません。しごと こうしよう き力し 力いりよう のひみつをまもるばあいや、あるいは、じぶんの工場の機械の改良などは、そっとして おきます。 かず そういうことをかんじようすると、もう、エジソンの発明の数はわからなくなってし まいます。 す。 けいさん ・つ ねん とっきよきよく はつめい みち
けんきゅう げんりよう メリカでその原料をつくろうと、大いそぎで研究しはじめたのです。 ちくおんきこう しかし、おいそれと、すぐにはとてもまにあいません。ことに、エジソンの蓄音機工 しよう やくひん 場では、レコード の原料につかう石炭酸が、ぜひひつようなのですが、ほうばうの薬品 けんきゅう せいぞう かいしゃちゅうもん 会社に注文してみましても、これから研究して製造をはじめるのだから、すくなくとも 一年ぐらいたたなければできないというへんじです。 そこでエジソンは、 「よし、それなら、われわれの手でひとつつくってみることにしよう。」 カカ / 、一」・つしよう ちくでんち というわけで、すぐ、蓄電池のニッケルをつくっていたシルバーレークの化学工場をひ じかん けんきゅう けんきゅうしょひと ろげて、その研究にとりかかりました。研究所の人たちは、はりきって、二十四時間三 はつか こうたいで、ぶつつづけのしごとととりくみました。その努力のけつか、それから一一十日 せきたんさん めには、はやくも石炭酸がとれるようになりました。 せんそう 戦争はいよいよはげしくなって、アメリカも、イギリスやフランスといっしょに、ド ねん げんりよう て おお せきたんさん どりよく
とじたのでした。 でんば はつめいおう 「発明王エジソン死去ーの知らせは、ただちに電波にのって、全世界にとびました。世 界はすみずみまで、かぎりないかなしみのふちにしずみました。 けんきゅうしょ あんち あくる朝、エジソンの遺体は、ウエストオレンジの研究所にうっされ、ここに安置さ かくち ふつかかん れました。そうして二日間にわたり、グレモントはもちろん、アメリカ各地からあっ ひとびと おんじん まってきた人々はながいリ 歹をつくって、恩人工ジソンとのわかれをおしんだのです。 ちょうじ よ にちよる そうぎ ー大統領が、なみだとともに弔辞を読 葬儀がおこなわれた十月二十一日の夜、フー み、こうむすびました。 よく せかい 「世界の人類は、、 しま、ここにねむる偉人の遺産をうけ、ながくこのめぐみに浴するこ とでありましよう。」 このとき、午後十時ーーアメリカ全国では、い ささげました。 じんるい あさ しきょ じ れつ がっ し ぜんこく じん いさん しようとう ぶんかん っせいに消灯して一分間のもくとうを ( おわり ) だいとうりよう ぜんせかい せ 231
はつめいおう まえ ところが、前にも、ちょっとのべたように、世界一の発明王エジソンは、兵器という けんきゅう て ものにはぜんぜんきようみをもちませんでしたし、またその研究に手をつけたこともな かったのです。 ちち どくりっせんそう エジソンの父の時代にはアメリカ独立戦争があり、自身は南北戦争のさいちゅうにそ けんきゅう だち、戦争のしげきをうけることもおおかったエジソンが、兵器の研究をしなかったと しんねん しうことは、たいへんりつばな信念をもっていたことをしめすものといえるのです。 じぎようしん はつめい エジソンは、、 しろいろな発明につよいきようみをもち、また、事業心もなかなかさか せいしん はつめい んでしたが、じぶんの発明は、あくまで「人類のために」、という精神をすてなかったの どりよく しんねん けんきゅう です。また、その信念があればこそ、むずかしい研究に、あれだけの努力もはらえたの でしょ , つ。 へいわあい エジソンは、ほんとうに平和を愛する人でした。そうして戦争をきらっていました。 はつめい せかい エジソンは、いろいろなべんりな発明で、世界の国々がゆたかになれば、戦争などはな せんそう じだい ひと じんるい せかい じしんなんほくせんそう せんそう へいき せんそう