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検索対象: いたずらと発明の天才 エジソン
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1. いたずらと発明の天才 エジソン

でん ひらいしんはつめい 一七五二年、フランクリンが避雷針を発明。それから三十年たって、クーロンが、電 はつけん 気と磁気のはたらきについての、クーロンの法則を発見しました。これがもととなって どうぶつでんき はつけんはっぴょう 一七八〇年には、ガル ーニが動物電気を発見 ( 発表は一七九一年 ) 。一七九九年、ポルタ はつけん でんりゅう でんち はつめい ねん がさいしょの電池を発明。一八二〇年、アンペールが電流と磁力とのかんけいを発見。 でんしんき でんじしやく はつめい そして、一八三〇年、ジョージへンリーが電磁石を発明しますが、これが、電信機の う 生まれるもととなったのです。 ねんでんきていこう けんきゅう このほか、一八二七年、電気抵抗の研究から、オームの法則が生まれ、一八三一年に でんき げんしようみ でんじゅうどう は、ファラデーが、電気と磁気のはたらきによる、電磁誘導という現象を見つけました。 じだい はつけんはつめい エジソンは、こうした発見や発明の時代に生まれたのです。 う とち せいき このエジソンが生まれた十九世紀なかばのアメリカは、土地ばかりがひろくて、人口 せいき のうぎよう こくじん のすくない農業の国でした。十八世紀のすえごろ、アフリカから、たくさんの黒人をど れいとしてつれてきたのも、労働力がたりなかったからです。 ねん ねん ねん ろうどうりよく ほ・つそ・、 ほ・つそく ねん じりよく ねん ・つ ねん ねん じんこ・つ

2. いたずらと発明の天才 エジソン

ふんしゆっはんどう しかし、ヘリコプターは、その後どんどん発達しましたし、火薬の噴出の反動ですす じつけん げんざい む方法は、ロケットとして現在さかんにりようされているわけですから、この実験も、 しいきれないでしよう。 しつばいだけだったとは、 ひこうき そら ねんご じつけん この実験の十三年後の一九〇三年、アメリカのライト兄弟が、はじめて飛行機で空を とぶことに成功しました。 家庭のエジソン けっこん 日スチルエルと結婚し エジソンが、母親をうしなった二年後の一八七三年に、メリー けっこん たことは、まえにお話したとおりです。結婚のつぎの年、むすめのマリオン日エステル ちくおんき う あか が生まれました。エジソンは、この赤ちゃんをたいへんかわいがり、ちょうど蓄音機が ろくおん こえろくおん できたころでしたから、赤んぼうの声を録音しようとしました。しかし、この録音には、 かてい せいこう ははおや あ ねん はったっ ねん きようだい や く 154

3. いたずらと発明の天才 エジソン

日本のたけ でんきゅう しかん 電球はできました。けれども、そのじゅみようが四十五時間ていどではしかたがあり ません。 ちゅうしん けんきゅうしょひとびと エジソンを中心に、研究所の人々は、ありとあらゆる植物を実験しましたが、うまく ひ き いきません。そんなある日、ふと気がついたのが、やしの葉のうちわにつかってあるた じつけん けです。エジソンは、そのたけのほそいせんいをやいて、実験してみました。 じかん だいきろく ついに、よいけっゝ。ゝ カカえられました。二百時間つけつばなしの大記録をたてたのです。 そこでこんどは、エジソンのたけさがしがはじまりました。たけの産地であるアジア たんけん なつじよしゅ への探検です。日本へは、その年の夏、助手のムーアがや「てきました。ムーアは、見 しゆるい ねん つかるかぎりの種類のたけをあつめ、またおなじたけでも、一年め、二年め、三年め につばん にっぽん しよくぶつじつけん ねん さんち ねん 129

4. いたずらと発明の天才 エジソン

さんぎようちゅうしんおお だいはつめい ぶんめい 文明が、産業を中心に大きな発達をはじめた時代で、いくつもの大発明がおこなわれま はつめい ところで、どんなすばらしい発明でも、それが世の中にりようされなかったら、ただ きろく ねん 記録としてのこるだけです。レオナルドダビンチ ( 一四五二 5 一五一九年 ) は、じっ きかい こうあん しやかい におおくの機械を考案したりしましたが、そのころの社会では、それをつかうまでには こうぎよう ねんだい はつめい いきませんでした。それが、一七〇〇年代からの発明は、あたらしい工業をさかんにす ることになったのです。 さんぎようかくめい はつめい きかい 産業革命は、ジョンケイの発明した、おりもの機械の「飛びひ」にはじまったとい しようききかん われます。一七三三年のことです。一七六九年には、ジェームズワットの蒸気機関が はつめい じどうてき *J 力、 ねん 発明されて、いろいろな機械が自動的にはたらきだしました。さらに一七八五年、カー きかい ちゅうしんだいこうしよう トライトの自動おりもの機械が生まれて、イギリスを中心に大工場が発達していったの です。 じどう ねん はったっ ・つ ねん じだい よ なか と はったっ

5. いたずらと発明の天才 エジソン

よるひる ークのなかまたちは、みんな夜も昼もわすれてしごとをし、そのあいまには、 ノ 娯楽室にあつまって、玉つきをしたり、ストープをかこんでにぎやかに話したり、なが じゅう いすにねそべったり、まったく自由にすごしました。 はま強」 エジソンも、この娯楽室で葉巻をふかしながら、マッケンジーのじようだんに、みん なといっしょに、はらをかかえてわらいました。 ときにはエジソンが、あまりじようずでないオルガンをひくこともありました。する こえ がっしよう とみんなは、声をはりあげて合唱するのでした。 しやしん , つごく写真 かつどうだいしやしん わたしが子どものころ ( 一九一四年か一九一五年ごろ ) 、「ものをいう活動大写真」とい ねんはつめい - 」・つ力、 み うのが公開され、見にいったことがあります。それが、エジソンが一九一二年に発明し ごらくしつ 0 こ 1 」らくしつ たま ねん ねん 164

6. いたずらと発明の天才 エジソン

かお このメリーは、顔だちがきれいなばかりでなく、きもちもすぐれてやさしいむすめで、 どうしよう エジソンの母の死に同情して、いつもエジソンを心からなぐさめてくれました。 かんどう ふたり なっけっこん エジソンは、つよく感動しました。二人は、ナンシーのなくなった二年後の夏、結婚 ふたり けっこんきねん しました。そして、二人の結婚を記念するように、そのつぎの年の一八七四年には、エ しよう けんきゅう しゅうでんしんどうじつうしんほう かんせい 場をあげて研究していた二重電信の同時通信法が、ついに完成しました。 しゅうでんしん ぽんせん つうしん こうしよう 二重電信というのは、一本の線で二つの通信をおくることですが、エジソンの工場で でんしん どうし こ、つよさ、性質のちがった二つの電信を、一本の線で、同時に、べつべっ けんきゅう におくることに成功したのです。おもえば、ニューヨークで研究しはじめてから、もう 四年たっていました。 しゅうでんしんせいこう しゅうでんしんはつめい たしゅうしきしどうでんしん この二重電信の成功は、とうぜん四重電信の発明へすすみ、さらに、多重式自動電信 機が生まれることになりました。 ぶんかん でんしんき こうしてエジソンは、一分間に三千五百語をおくる電信機をつくりあげたのですが、 ねん ・つ せいこ・つ せいしつ こころ ぽんせん ねん

7. いたずらと発明の天才 エジソン

エジソンの年表 で 年 代 一八四七 ( 弘化 4 ) 二月十一日、アメリカのオハイオ州ミランで 生まれる。 か 一八五四年ペリー 一八五四 ( 安政 1 ) 一家で、ヒューロン湖のそばのポートヒュー うらが が浦賀へきて、日 ( 七さい ) ロンへうつる。 ばんしようやく しゃないう てつどう 本と条約をむすぶ。 ( 十二さい ) 一八五九 ( 安政 6 ) 鉄道の車内売り子になる。 はっこう でん ねんなんばくせん れっしゃないしんぶんしゅうかん 一八六一一 ( 文久 2 ) 列車内新聞「週刊ヘラルド」を発行する。電一八六一年南北戦 でんしんじ しんぎしゆっ 信技術をならい、ポートヒューロンで電信事争がおこる。 むしょ ( 十五さい ) 務所をひらく。 しつぎよう えきでんしんしゅ 一八六三 ( 文久 3 ) カナダで駅の電信手になるが、まもなく失業。一八六七年ノーベ たび かくち ル、ダイナマイト ( 十六さい ) アメリカ各地の旅にでる。 でんしんしゅ 一八六八 ( 明治 1 ) ポストンで電信手になり、「アメリカ一のスを発明。 あんせい ぶんきゅう・ ぶんきゅう あんせい こうか ねんびよう う にち き こ しゅう と 世の中のうごき よ なか ねん ねん につ 232

8. いたずらと発明の天才 エジソン

ねんめいじ とうひょう ピード王」といわれる。さいしょの発明、投票一八六八年明治維 しん きろくき とっきよしんせい 新。 ( 二十一さい ) 記録機の特許を申請する。 きようど・つ ねん しようか、 一八六九年アメリ 一八六九 ( 明治 2 ) ポープと共同して「ポープエジソン商会」 たいりくおうだんてつどう はつめい せいぞうこうしよう ばんのういんさっき をはじめる。万能印刷機を発明し、製造工場カ大陸横断鉄道が かんせい 完成する。 をつくる。 ( 二十二さい ) ねん いんじでんしんき はつめい じつよう 一八七一 ( 明治 4 ) 実用タイプライター・印字電信機を発明する。一八七一年マドッ しやしんかんばん クス、写真乾板を ( 二十四さい ) 母のナンシーがなくなる。 はつめい しゅうでんしんき はつめい 発明する。 ( 二十七さい ) 一八七四 ( 明治 7 ) 二重電信機を発明する。 でんわ けんきゅうしょ 一八七六 ( 明治 9 ) メンロバ ークに研究所をたてる。電話の炭素一八七六年ベルが でんわき そうわき 電話機を発明する。 送話器を発明する。 ( 二十九さい ) ちくおんき はつめい ( 三十さい ) 一八七七 ( 明治川 ) 蓄音機を発明する。 はくねつでんとう けんきゅう 一八七八 ( 明治Ⅱ ) 白熱電灯の研究をはじめる。 ( 三十一さい ) ねん にちたんそでんきゅう 一八七九年ジーメ 一八七九 ( 明治肥 ) 十月一一十一日、炭素電球を発明する。 でんしゃ ンスが電車をつく ( 三十二さい ) でんしゃ でんとうふぞくひん 一八八〇 ( 明治 ) 電灯の付属品をつぎつぎに発明する。電車のる。 おう はつめい はつめい はつめい たんそ ねん はつめい 233

9. いたずらと発明の天才 エジソン

( 四十六さい ) 一八九六年 じぎよう こうざんけいえい むせん 一八九八 ( 明冶 ) 鉱山の経営にしつばいし、セメント事業をは マルコーニが無線 でんしんはつめい じめる。 ( 五十一さい ) 電信を発明 しきちくでんち ちくでんち ねん 一九〇九 ( 明治 ) エジソン式蓄電池 ( アルカリ蓄電池 ) の発明一九〇三年ライト せいこ・つ ひこうき に成功する。 ( 六十二さい ) 兄弟の飛行機がは かつどうしやしんちくでんき 一九一一一 ( 大正 1 ) 活動写真と蓄電機をくみあわせた「キネトホ じめてとぶ はつめい ねん ( 六十五さい ) ン」を発明する。 一九〇四年フレミ かいぐんこもん いいんかいぎちょう しん・くうかんはっ 一九一五 ( 大正 4 ) アメリカ海軍顧問委員会議長になる。 ングが真空管を発 ( 六十八さい ) 明。 しようわ しよくぶつ 一九二九 ( 昭和 4 ) ゴールデンロッドという植物からゴムをとる一九一〇年クー しゅうねんきねん せいこう はくねつでんとうはつめい リッジかタン、グス ことに成功する。白熱電灯発明五十周年記念 せきじよう しゆくがかい でんきゅう 祝賀会がひらかれるが、その席上でたおれる。 テン電球を発明す る。 ( 八十二さい ) しようわ じたく 一九三一 ( 昭和 6 ) 十月十八印、グレモントの自宅でなくなる。 ( 八十四さい ) たいしよう たいしよう がっ こち きようだい ねん ねん 0 235

10. いたずらと発明の天才 エジソン

けんきゅうひ それまでには、十年の年月と三百万ドルの研究費がっかわれていますが、そのあいだに じつけんかいすう エジソンがおこなった実験の回数は、なんと五万回をこえているのでした。 ひと じんるい この話だけでも、エジソンこそ、人類のためにはたらきつづけた人といえるでしよう。 りゅうさん でんち ちくでんち はつめい エジソンが発明した蓄電池は、いまでもエジソン電池とよばれていますが、硫酸のか ようえき すいさんか わりに、アルカリである水酸化カリウム溶液をつかうところから、ふつうには、アルカ ちくでんち リ蓄電池とよんでいます。 てつこう 鉄鉱ととりくむ ねんまえ はつめい ちくでんち 一八八〇年といえば、エジソン蓄電池の発明より二十九年も前のことですが、そのこ さてっそう たいせいようえんがん ろエジソンは、大西洋沿岸のロングアイランドの海岸に、すばらしい砂鉄の層がある、 とい , っ話をききました。 ねん ねんねんげつ まん まんかい ・ついカん 183