先生 - みる会図書館


検索対象: 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎
32件見つかりました。

1. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

けんめい勉強できたことは、かえっておじさんのおかげだった、とさえおもうのでした。 えんぞう きんじろう えんぞう それにつけても、わすれられないのは、いとこの円蔵です。金次郎は、円蔵のしんせ こころ しよう つは一生わすれまい、と心にちかうのでした。 きんじろう こうして、おじさんの家をでた金次郎は、こんどは、やはりしんせきで、村の名主を おかべぜんえもん っとめる岡部善右衛門という人の家ではたらくようになりました。 がくしゃ かねも ひと ぜんえもん 善右衛門という人は、村いちばんの金持ちで、そのうえ、村でならぶもののない学者 でもありました。 きんじよ がくもん すけ その長男の伊助という人も学問がすきで、近所の子どもをあつめて、手習いをおしえ ていました。 こういう家ですから、人におしえるばかりでなく、自分たちも勉強のために、ときど こ・つぎ おだわら き小田原から先生をまねいて、講義をきいていました。 すけ がくもん きんじろう 金次郎は、ふだんは伊助について、学問をならいましたが、先生がこられた日には、 ちょうなん べんきよう せんせい ひと ひと ひと こ じぶん むら せんせい べんきよう て むら ひ なぬし 1 14

2. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

びようったらないんだよ。 せつめい うれしそうに、ひといきにこんな説明をしました。そして、 むらたどうせんせんせい 「それに、村田道仙先生がね : と、お父さんのしべることを、みんなと「てしまいそうなので、お気さんは、お母さ んをつつつきました。 「おまち、すこし、わたしにもしゃべらせなさい。」 こえ きんじろう といって、金次郎に声をかけました。 「はやく足をあらって、あがっておいで。 きんじろう それから、お父さんは、きようのことを、のこらず金次郎にはなしました。 こころ 金次郎は、なみだぐんできいていましたが、心のおくで、いっかかならず、道仙先生 けっしん おん に、このご恩がえしをしよう、とかたく決心しました。 どうせんせんせい とう 道仙先生もえらいが、お父さんもえらいのでした。お父さんは、きよう、道仙先生が あし どうせんせんせい かあ

3. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

りえもん 「ほんとに利右衛門さんは、りつばなお子さんをおもちだ。」 りえもん きんじろう こころなか 村人から、こういわれるたびに、利右衛門はわが子ながら、金次郎に、心の中で、「あ きんじろう りがとよ、金次郎。」とかんしやするのでした。 みち りえもんむらたどうせんせんせい りえもん じつはいま、利右衛門は村田道仙先生からのかえり道なのです。利右衛門は、心もは ればれ、足もかるく、よろこびでむねがいつばいなのでした。 どうせんせんせい りえもん というのは、りちぎものの利右衛門は、たまりたまった道仙先生の医料をはらいに はんがく どうせんせんせい いったのですが、道仙先生がどうしても、半額の一両しかうけとってくれないのでした。 こころ はんぶん りえもん 利右衛門がよろこんでいるのは、先生が半分まけてくれたからではなく、心のそこか こころかんどう にんげん ら、人間のあたたかい心に感動したからです。 りよう りえもん 利右衛門が、医料のために、だいじな田地をうってこしらえた二両をもっていきます どうせんせんせい こういったのでした。 と、道仙先生は、まずさいしょに、 りえもん 「そんなにあわててはらってもらわなくてもいいのですよ。わたしは、利右衛門さんが、 むらびと あし せんせい でんち りよう こ りよう りよう こころ

4. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

きんじろう いま金次郎は、そんなことをいわれたらたいへんです。 けっしん じっこう きんじろう 金次郎は、家でかんがえた一計を、いちかばちか、実行する決心で、どんどん横町を いそぎました。 りようりや さくらまち きんじろう 金次郎がすっとはいった家は、桜町でいちばんといわれる大きな料理屋でした。 め りようりや しゅじん さあ、料理屋では、主人をはじめ、番頭さんから女中さんまで、みんな目をばちくり させてしまいました。 主人は、首をひねって、番頭さんに、 じんやせんせい 「人まちがいではないゝよ。いまのは、たしかに陣屋の先生だったか。 にのみやせんせい たしかに、二宮先生でござ 「へい、まちがいありません。りつばなおたいかくで : しました。 「そうか、ふしぎなこともあるもんだ。陣屋の先生が一ばいのみに、こんなところにお にのみやせんせい あかゆき 。どれ、二宮先生ときまれば、 ことしは赤い雪でもふるかな : でになるとは : しゅじん ひと くび 0 ばんと・つ ばんと・つ じんやせんせい じよちゅう おお よこちょう 1 5 6

5. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

どうせんせんせい 道仙先生は、そこをおかんがえになって、びんぼう人からは、むりに医料をとろうと はたらいてはらえるまで、いつまでもまっことにしておいでなのだ。 かね でんち めいしん ( オしカ田地をうってお金をこしらえたこと わたしは、よにも迷信にたよったりましよ、。ゝ、 どうせんせんせい はたしかだ。そこを道仙先生は、ちゃんとしっておられてな、あんなあたたかいとりは からいをしてくだすったのだ。」 どうせんせんせい きんじろう 金次郎はきいていて、道仙先生を、ますますえらい人だとおもいました。 きんじろう ちょうどこのころ、金次郎の家は、くらしかあまりにくるしいので、九さいによった どうせんせんせい と・もきち きんじよ 友吉を、いちじ近所のお寺であずかってもらったほどでしたから、道仙先生のとりはか , りいま、 いっそうありがたいことだったのです。 ねんはる かんせい その年もあけ、一七九九 ( 寛政十一 ) 年の春がやってきました。 春とはいっても、まだ二月のことですから、 かぜ ていば・つ 堤防には、つめたい風がふきわたっていました。 はる とし てら がっ かわ 川ぶしんがおわってまのない、酒匂川の ひと りよう さかわがわ

6. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

どうせんせんせい さかぐち きんじろう そのかわり、道仙先生をまもるために、坂口のつつみからうえはじめよう、と金次郎 はかんがえました。 ひ きんじろう つぎの日から金次郎は、まつなえをうえはじめました。それも、となり村にやとわれ し 1 」と ている仕事のほうをちこくしないために、くらいうちにおきての作業でした。そして、 じかん 時間がくると、やとい主の家へかけつけるのでした。 さかわがわ なみき しようねんきんじろう いま酒匂川のつつみにある、ふるいまっ並木は、少年金次郎が、こうして、いまから 百八十年ほどまえにうえたそのときのものなのです。 ひと どうせんせんせい どうせんせんせい おん ( 道仙先生はえらい人だから、道仙先生にご恩がえしをするとすれば、村のためになる おん ことをするのが、いちばんのご恩がえしになる。ああ、まつなえをかってきてよかっ ねん さぎよう むら むら

7. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

あなたがもっとよくなって、そ 「いや、わたしは、田地をうったお金はうけとれない。 でんち の田地ではたらきだしたら、そのはたらいたお金をうけとりましよう。」 りえもん しかし、そんなことをしたらばちがあたる、とおもいますから、利右衛門はききませ んでした。 どうせんせんせい 道仙先生はかんがえました。 りえもん ( なるほど、利右衛門さんは、りちぎものだから、それでは気がすまないのだろう。よ し、半分だけうけとろう。のこりの半分は、いつでもらくにはらえるとき、はらっても らおう。 ) どうせんせんせい りえもん どうせんせんせい 道仙先生はそう利右衛門にいって、こんどは、道仙先生のほうがゆずりませんでした。 きんじろう りえもん 「それにな、利右衛門さん。わたしはかねがね、金次郎どんを、まれにみるりつばなむ きんじろう すこさんだとおもっている。その金次郎どんにめんじて、あとの一両は、いつでもいい ことにしたんですよ。 はんぶん でんち かね はんぶん かね りよう

8. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

かれの貯金は、大いばりで医者にかかれるほど、ありもしないのです。 さかぐち 先生のすむ坂口までは、すぐでした。 はなし きんじろう どうせんせんせい 道仙先生は、金次郎の話をきくと、 りえもん かね 「ほう、お金がなくて、わしをよびにくるのがおくれた、といわれるのか。利右衛門さ かね んも、りちぎものじゃの。よろしい、すぐいってしんぜよう。お金なんぞ、できたとき りえもん ちよきん で、いつでもよろしい。あんたさんは、その貯金で、利右衛門さんに、すきなお酒でも かってあげなさい。酒は百薬の長といいますからの。」 しんさっ どうせんせんせい 道仙先生の診察したところによると、お父さんは、なかなかの重病とのことでした。 しかし、気をながくもって養生すれば、かならずなおる、ということでした。 かあ きんじろう 金次郎とお母さんは、あいかわらず、ねっしんなかんびようをおこたりませんでした。 と・もきち やく このごろでは友吉も、けっこう役にたつようになり、家にいて、お父さんの用がたせ はたけあんしん きんじろう るので、お母さんも金次郎も、畑で安心してはたらけるのでした。 せんせい かあ やくちょう ようじよう しゃ と・つ じゅうびよう

9. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

どうせん りえもん こういわれて利右衛門は、もうさからえないで、なみだをながしてかんしやし、道仙 せんせい 先生のことばにしたがいました。 りよう どうせんせんせい かお 道仙先生は、その一両をうけとるとき、顔をにこにこさせて、じようだんをいいまし りえもん きんじろう きんじろう 「利右衛門さんをなおしたのは、このわたしではなくて、金次郎どんじゃよ。金次郎ど こうこ・つざけ んの孝行酒じゃよ。」 りえもん どうせんせんせい 利右衛門は、道仙先生の家をでると、なんだかきゅうにげんきがでて、しらぬまに、 さかぐち その坂口のつつみをかけあがっているのでした。 川ぶしんの人のはたらくすがたが、あり すると、あるくにつれ、はるか上のほうに、 のようにみえてくるのでした。 し 1 」と りえもん こころ 利右衛門は、村のだいじな仕事にはげんでいる人々に、とおくのほうから、心から頭 。な きんじろう をたれるのでした。そして、その中にまじってはたらいている金次郎のすがたをみつけ むら うえ かわ ひとびと ひと あたま

10. 農と村に生きた尊徳 二宮金次郎

ばた くち 口にはださなかったことを、ちゃんとみぬいていたのでした。それをお父さんは、こん きんじろう なふうに、金次郎にはなしたのです。 どうせんせんせい しゃ どうせんせんせい じんじゅっ 「医は仁術というが、道仙先生こそ、まことのお医者さんだ。道仙先生はな、村のまず めいしん かね しい人が、お金がなくてお医者にかかれないと、やすあがりな迷信のほうに、すぐた どうせんせんせい よってしまう。そうすると、なおる病でも、わるくして、死んでしまう。道仙先生は、 そんな村人がきのどくでみていられないのだ。 かね お金がないときでも、お医者にかかる気をおこさせるために、まずしい人からは医料 むらしゅうめいしん をとろうとなさらない。 つまり、村の衆を迷信におちいらせまいとなさっているのだ。 ひと それからな、むりに医料をとろうとすると、まずしい人は、やむなく、たいせつな田 畑をうって、お金をこしらえようとする。そのため、まずしい人はますますまずしくな かねも かねも ひとでんばた り、金持ちだけが人の田畑をたくさんかいしめて、ますます金持ちになる。これは、世 の中のためによくないことだ。 なか ひと むらびと かね りよう しゃ しゃ やまい ひと と・つ ひと むら でん りよう