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検索対象: とんち小僧から名僧に 一休
11件見つかりました。

1. とんち小僧から名僧に 一休

ますから。 がんじっ ですが、元日は、ちょっと薬がききすぎますね。」 一休さんはわらって、 くすり 「薬はききすぎるほうがよかないかね。」 こえ そういって、また、声をあげていいました。 「このとおり、このとおり。ご用心、ご用心。用心しないと、このとおり、このとおり。」 「あのばうさん、よっぱらっているの。」 「きみがわるいわね。」 まち 一休さんはいっこうへいきで、町をひとまわりしながら、あいかわらずやっています。 ようじんようじん ようじん 「このとおり、このとおり。ご用心、ご用心。用心しないと、このとおり、このと おり。」 たれいうとなく、 このきちがいじみたおこないは、たちまちひょうばんになりました。。 いっきゅう いっきゅう くすり ようじん ようじんようじん 156

2. とんち小僧から名僧に 一休

あった一休さんは、蜷川とのすぎさったいろいろのことを考えながら、なみだぐむので おも にながわ 蜷川はもういないのです。一休さんは、おしいことをしたと思わないわけにはいきま いっきゅう せん。しかし、一休さんのことです。みれんはありません。だれもうらみません。 しようがつついたち 正月一日、一休さんは、どこからか、されこうべをさがし出してきました。それをた けのさきにつけて、 「このとおり、このとおり。」 といって歩きました。そして、また、 ようじん ようじん 「ご用心、ご用心。」 いっきゅう ようじん ようじん 1 」用心、 1 」用心 ある いっきゅう にながわ いっきゅう かんが だ 151

3. とんち小僧から名僧に 一休

といいました。 かお みちある 道を歩くものは、それを見ていやな顔をしました。しかし、一休さんはヘいきで、 「このとおり、このとおり。」 ようじん ようじん 「ご用心、ご用心。」 ある といって、歩いていきます。 み みんなそれを見て、 ( いやなやつだ。 ) おも と思いました。さけてとおるものもあります。一休さんはなおおもしろそうにいいまし 「このとおり、このとおり。」 ようじん ようじん 「ご用心、ご用心。」 ひとりおとこ これを見た一人の男が、一休さんにむかって、 み み いっきゅう いっきゅう し ( ました。 いっきゅう 15 2

4. とんち小僧から名僧に 一休

こうならなければ、めでたくはないのだ。こうなれば、もうなんのよくもなく、なん のしんばいも、おそれもない。 わたしはこれを見ていると、これよりめでたいものはな おも いと思っている。」 いっきゅう 一休さんは、すましてそういいました。 ようじん ようじん 「それでは、『このとおり、このとおり。』『ご用心、ご用心。』とは、どういう意味なの ようじん ですか。うつかりすると、こんなふうになるから、用心しろ、とおっしやるのではない ころ のですか。いまの世はみだれていて、おたがいに殺しあい、されこうべにしたがってい 「このされこうべをよく見てごらん。 にくげなきこのされこうべあなかしこ めでたくかしくこれよりはなし 155

5. とんち小僧から名僧に 一休

いっきゅうぜんじ 3 一休禅師の巻 一生考えぬけ : とっととゆけ : 手を出すな、頭を出すな : 一休旅ごろも : ・ ごはんをいただきたい : ようじん ようじん ) 」用心、 ) 」用心 : せんす屋をたすける : たけにすずめ : し ちち あ 死んだ父に会いに : おなら一ばっ : し 死にとうない : て いっきゅうたび しようかんが だ や まき あたまだ ワリ ・ 4 4 -0 ・ 8 一休の年表 : ・ かいせつ 解説 : れきししんぶつじてん 歴史人物事典 えいさい 栄西 : せっしゅう 雪舟 : ・ あしかがよしまさ 足利義政 : ザビエル : ひょうしえ みすさわけん 表紙絵・さし絵 / 水沢研 しばたしん カット / 柴田慎 いっきゅうねんびよう ワ ~ 8 ワ ~ ワ ~ ワ ~ ワ ~ え 市、 白 弦 198 194 、ちかわはくげん

6. とんち小僧から名僧に 一休

か と書いてあります。 おしようは、それを見ると、わらっていいました。 ( しました。 「また、やられた。」 このだんな、、 しつもやられているとみえます。 ようじん 「こんど、かたきをうってあげるから、用心していらっしゃい。」 そういいました。 にち しゅうけん いく日かたって、こんどは、おしようがそのだんなの家によばれました。周建がおと ほりかわはし もをしていきました。すると、家の前を流れている堀川の橋に、 このはしわたるべからず み え ま な ルが

7. とんち小僧から名僧に 一休

「おしようさん、ひどいめにあいました。」 「どうしたのだ。」 「けんかをして、けがをして一月ねてしまいました。」 「あいかわらずやっているのだな。そして負けたのか。」 「あいてがなにしろ三人ですからね。」 「どうして、そんなばかなことをしたのだ。」 「それが、いきなり、あいてがぶつかってきて、なぜぶつかるといって、わたしをな ぐったのです。おこらないわけにはいゝよいじゃありませんか。もっとも、そのうちの ひとり 一人を、そのすこしまえに、なぐったことはあるのですがね。」 「どうしてなぐったのだ。」 ある 「それが、わたしがなにか考えて歩いていたら、横町からかけてきて、ぶつかったので ようじん す。『まぬけめ、用心しろ。』そういってなぐってやったのです。」 かんが ひとっき よこちょう

8. とんち小僧から名僧に 一休

こえ も、口々にひなんの声をあげました。 まったのです ( 応仁の乱 ) 。 せいじてき よしみつ じっしよしひさ この乱のさいちゅうに、義政は実子義尚に義政は、義満のような政治的な実力は、も じしようじ しようぐんしよく ねんらん 将軍職をゆずり、一四八三 ( 文明十五 ) 年、乱ちあわせていませんでした。しかし、慈照寺 とうぐどうちゃしつ ふあんてい がしずまったとはいえ、まだまだ不安定な社のなかにつくられた東求堂の茶室が、のちの すいばく ちゃてい じよ きよう 会をかえりみずに、、 しんきょ所として、京の茶亭の手本になったのをはじめとして、水墨 こんにち が れんが ひがしやま じしようじぎんかく 東山に慈照寺 ( 銀閣 ) をたてたのでした。それ画・連歌・能・生け花・庭園など、今日につ しよみん ぶんか よしまさ だいしようぐんよしみつきんかく は、義政がそんけいする三代将軍義満の金閣たわるおおくの文化が、この時期の、庶民の かね まんかん にならったもので、当時の金で、六十万貫もぎせいのうえにさかえ、のちに東山文化とよ ばれるようになりました。 ついやしたりつばなたてものでした。 やしき えんとく したくな屋敷だろう。 「ああ、なんというぜ、 一四九〇 ( 延徳一 l) 年、中風で、自由にしゃ よしまさ われわれが、戦争やききんで、こんなにくるべることもできなくなった義政は、五十五さ あらいひでお ( 新井英生 ) いでこの世をさりました。 しんでいるというのに。」 人々は、そのみごとさにかんたんするより ひとびと せんそう おうにんらん よしまさ ぶんめい しゃ よしまさ くちぐち てほん よ ばなていえん ねんちゅうぶう ひがしやまぶんか じつりよく 211

9. とんち小僧から名僧に 一休

といいました。 「すこし胸がいたみます。」 「それはいけよい。 すこしどこかで休むとしよう。」 きぶん しんざえもんやす 新左衛門は休んでも、ますます気分がすぐれませんでした。 きようとかえ 「京都に帰ったらいいだろう。」 「それでも、せつかくおともをしてきたのですから。」 びようき はやかえ 「病気ではしかたがない。早く帰って養生したほうがいい。 んにはゆくまいから。」 「ありがとうございます。それではそういうことにいたしますか。」 やかたひと 新左衛門は、こし ( 屋形に人をのせ、はこぶのりもの ) にのってわかれるとき、なみだぐ いっきゅう んでいました。一休さんはそれを見ると、わらっていいました。 しんざ 「新左、めでたいな。これをやろう。」 しんざえもん むね み やす ようじよう ここでは手あてもじゅうぶ て 142

10. とんち小僧から名僧に 一休

きようとふつづきぐんたなべらようおおあざたきぎ しゅうおんあん なった山城の国、薪村 ( 京都府綴喜郡田辺町大字薪 ) の酬恩庵 ( 一休寺 ) の一休の墓には、「後 こまってんのうのおうじそうしゅんおうのはか た 小松天皇皇子宗純王墓」の立てふだがあります。 しやかい そのころの社会 むろまちじだい しやかい へんどう 南北朝時代から室町時代をへて戦国時代にかけて、社会に大きな変動がつづきました。その げ - 」くしよう うえもの 変動をさして「下克上」とよびます。身分の下の者が上の者をおしのけて、勢力や権力をにぎ み きぞく なんばくちょう がったい むろまちばくふ る、という意味です。南北朝は合体したものの、朝廷や貴族は実力をうしない、 室町幕府さえ も、地方の武士たちを強くとりしまる力をもちませんでした。 上からの支配は、下からの反逆によってたえずおびやかされ、実権をうばわれていきました。 しようぐんよしのり あかまつみつすけ ころ しようぐんよし・、わ かんれいほそかわまさもとついほう たとえば、将軍義教は、守護の赤松満祐に殺され、将軍義穉は、管領細川政元に追放され、そ ほそかわし みよしし みよしし しんまつながし して細川氏は、家来の三好氏に、三好氏は、その臣、松永氏にたおされる、というありさまで しようちょうがんねん これにくわえて、正長の土一揆、すなわち一四二八 ( 正長元 ) 年にぼつばっした、土地の住 へんどう うえ なんほくらようじだい ちほう やましろくに たきぎむら しようちょう つよ はんぎやく き せんごくじだい みぶんしたもの ちょうてい おお じつりよく じつけん せいりよく いっきゅう けんりよく とち