その男はまた、ききました。 よ 「世の中のありさまはいかん。」 一休さんはいいました。 なにごともみないつわりの世の中に し 死ぬるというぞ誠なりけり その男はえたりといいました。 いっきゅう なにごともみないつわりの世の中に おとこ なか おとこ ますもしやくしもなにたのむらん まこと よ よ なか なか 186
きゅう とか 「世の中がいやになったからだろう。」 とか じさっ 「さとれないので、一休がわかいとき、こころみたような意味で、自殺したのだろ とか、いろいろ説がありました。 おも じさっ しかし、おしいとは思いましたが、自殺してしまったものはしかたがありません。一 休さんは、べつに気にかけていませんでした。 いっきゅう りゅう ところが、一休さんをそねむものがあって、それにありもしない理由をつけて、うつ だいとくじ たえたものがありました。それで、大徳寺のぼうさんが五、六人っかまって、ろうやヘ いれられてしまいました。 一休さんは、生まれてはじめてのように、はらをたてました。そして、すぐさま譲羽 いっきゅう なか せつ いっきゅう じよう - っ 12 8
とんち小ぞうの一休さん。 かずかず その数々のとんちばなしは、 わらいの中に、ちょっぴりにがい味があります。 きんかくじぎんかくじ 金閣寺・銀閣寺がたった むろまちぶんか はなやかな室町文化のうらがわには、 せんらん あくびよう りゅうこ・つ 戦乱・ききん・悪病の流行・こう水・大風、 たいか 地しん・つなみ・大火など、 さまざまなわざわいかあいつぎ、 なかふあん 世の中は不安におののいていました。 一休さんが、よれよれのころもをまとい でんきものがたり この伝記物語を読むまえに よ いっきゅう こ よ いっきゅう あじ たいふ・つ
はとけ みち の道にはいったわけではありませんでした。 かん それどころか、年をとるにつれて、なんとなく世の中に、むなしさを感じるのでした。 まな しゅぎよう おし 仏のとく教えも、それを学ぶ修行のしかたも、意味がないように見えてくるのでした。 ほんとうのさとりとはどんなものか、りくつではわかっても、なんだかそらぞらしく おも 思えます。 まわりを見わたしても、ほんとうにさとっている人はいません。みんないいゝナ ところでごまかして、その日その日をすごしているように見えるのです。 そのうちにも、月日はたっていきました。 しゅうけん 周建はもう十六、七さいになっていました。ますますしんけんにならないではいられ ませんでした。 周建のつくる詩は、ますます人々にほめたたえられました。だが、それで、まんぞく するわけにはいきませんでした。 しゅうけん つきひ ひとびと ひと
いっぺん死んだので、もう生きかえりたくないのだそうです。わたしのくそになって かえ 出たいのだそうです。それで、ざんねんですが、きようはお帰りください。」 いっきゅう 一休さんはそういって、しずかにへやにはいってしまいました。 みんなは人をばかにしていると、はらをたてました。そのうちの一人のもの知りが、 ひとびと いっきゅう 「いや、さすがに一休さまはえらい。人々がうそをいってほめたのを、かえって気持ち おも わるく思って、そんなばかなことができるわけのものでないことをしめされたのだ。」 といいました。 かえ みんなはぶつぶついって帰りましたが、それからは、だれも、一休さんが食ったさか なが生きかえる、なぞとはいわなくなりました。 ほとけ うそのうわさをたてさせて、生き仏になりたがる人のおおい世の中には、一休さんの ような男は、なお気持ちがいいではありませんか おとこ ひと ひと いっきゅう ひとり なか いっきゅう
かん がふと頭をもたげてくるのを感じました。 そうじゅん 宗純はむちゅうになって、湖水の船にのりました。そして、一人であしのあいだを、 しずかにこいでいきました。 そうじゅん 宗純は、じぶんがこの世にいることをわすれました。じぶんと世の中とをわすれまし そうじゅん 宗純は、このとき、いままで、はいりたくってはいれなかった世界にはいれたのです。 そうじゅんし かそう なんにち それから何日かたったとき、宗純は師の華叟に一つの歌を見せました。 かえひとやす むろじ 有漏路より無漏路に帰る一休み かぜ 雨ふらばふれ風ふかばふけ 有漏路とはこの世のこと、無漏路とはのちの世のこと。 うろじ あたま あめ よ よ こすい ふね よ うたみ ひとり せかい よ
じゅう、きばつなことばかりや 0 ている男ではありませんでした。まじめなときがおお かったのです。 だ力、いざというときがくると、一休さんは本性をあらわしました。 ある ひとりおとこ ある日、一休さんが歩いていると、一人の男がとび出してきて、いきなりいいました。 「しやかの親は。」 すると、一休さんは、しりをたたいて、 「くそくらえ。」 男がびつくりしているうちに、一休さんはどこかへいってしまいました。 なか ち 世の中には、たえず血なまぐさいことがつづいていました。 たいか びようき りゅうこ・つ いっきゅう 戦争・ききん・大火、わるい病気の流行 : : : しかし、一休さんは、そんなことでおど ろきはしませんでした。おちつきはらっていました。 しようぐんあしかがよしのり あかまつみつすけ しえころ 四十八さいのとき、将軍の足利義教が、赤松満祐の家で殺されるという事 ( 「嘉部の せんそう おとこ よ ひ おや いっきゅう いっきゅう いっきゅう いっきゅう おとこ し ( ました。 ほんしよう 116
この世は地獄 ふはい 政治の腐敗と内乱の時代は、天災の時代でもありました。世の乱れが天災の害をいっそうき かもがわなか でんせんびよう おおかぜ 甲川の流れが死体 びしいものにしたのです。大風・こう水・ききん・伝染病がくりかえされ、 かんらく でせきとめられたのも、しばしばでした。そのようなときでさえ、歓楽の街にはにぎやかな遊 し びがつづいたのであり、一休はこれをいきどおった詩をいくつものこしております。 よ かんが こうした世の中を、一休は地獄だと考えました。この世の地獄のなかで、人間はどのように ひとびと ちょうにんのうみんぶんじんゅう ちょうてい もんだい 生きるのか、一休はそうした問題をたずさえて、朝廷の人々から武士・町人・農民・文人・遊 しやかい しょえんげいしゃ みぶんしよくぎよう 女・演芸者など、さまざまな身分・職業のなかへはいっていったのでした。一休が社会のあら みぶんひとびと ゆる身分の人々から、したしまれ、尊敬されたのも、ふしぎではありません。 じぶん そして一休は、自分のかわいがっていたすずめが死んだとき、ひどくかなしんで手あっくほ うむり、お墓をたて、とむらいのことばをつづるというように、すべて生きもののいのちをた いせつにする、なさけぶかいおぼうさんでした。 いっきゅう よ よ いっきゅう なか じ 1 」く いっきゅう いっきゅう てんさい そんけい しだい し よ みだ てんさい まち いっきゅう て あそ 205
( 年齢は数え年 ) 一休の年表 き 世の中のうごき 年 代 ちち ねんあしかがよし みんか おうえい がつついたちきようと 一三九四 ( 応永 1 ) 一月一日、京都の民家に生まれる。父は後小一三九七年足利義 みつきんかくじ せんぎくまる まってんのうようめい ( 一さい ) 満、金閣寺をたて 松天皇。幼名は千菊丸。 おうえい きようとあんこくじぞうがい 一三九九 ( 応永 6 ) 京都安国寺の像外のもとで、僧になるためのる。 しゅうけん しゅぎよう 修行をはじめる。周建とよばれ、とんち小ぞ一三九九年応永の ( 六さい ) 乱おこる。 , っとしてひょ , つばんになる。 し ねんきようと おうえい 一四〇七年京都に 一四〇六 ( 応永 ) はじめて詩をつくり、みなをおどろかす。 おおじしん ( 十三さい ) 大地震おこる。 べんきよう ぶってん けんおう 一四一〇 ( 応永ⅱ ) 西金寺の謙翁について、仏典などを勉強する。 そうじゅん ( 十七さい ) 宗純とよばれるようになる。 おし けんおう 一四一三 ( 応永 ) 謙翁より、教えるべきことはすべて教えつく ( 二十さい ) したといわれる。 いっきゅうねんびよう ねん おうえい おうえい さいこんじ で おし ・つ と らん よ ねんれい なか ねんおうえい かぞどし 194
ししよう しようちょうがんねん かくち みんはんらんだいひょう 民の反乱に代表されるような一揆が、各地にあいつぎました。正長元年といえば、一休の師匠 きようと としやましな ほっ しがけんかたた かそう 華叟が滋賀県堅田に没した年であり、この年、山科・醍醐の一揆は、さらに京都・奈良などへ げこくしよう だいきぼ ひろがっていった年でした。これもまた大規模な下克上にほかなりません。 こうした世の入れかわりは、地方における農・エ・商の発達と貨幣の発達にささえられてい かねてんか ました。「金は天下のまわりもの」ということわざとともに、「おあしー ( お金 ) ということばが とみ ほ・つ・んき みん ちゅうしん 生まれました。堺の港を中心として明との貿易がさかんになり、富がここに集まったのもこの し 1 」く かね 時代であり、どんなにつらいこと、めんどうなこともお金さえあればかたづく、つまり、「地獄 ちゅうしん のさたも金しだいーという世の中になりました。そこで、幕府を中心に、わいろ ( 不正なおく り物 ) の政治がはびこりました。 もの この時代は、下からの成り上がり者と、上からの成り下がり者とが入れかわる時代でした。 かん 落ちぶれて成り下がる者が、わが身のうきしずみのなかで、人の世のはかなさ、むなしさを感 ふん じぶんりえきめいよ じるのに反して、成り上がる者は、自分の利益と名誉、勢力や権力をもとめて、いろいろと奮 もの かね さ力、 みなと もの もの ちほう もの しよう せいりよく はったっ ひと いっき けんりよく はったっ あっ いっきゅう 201