修行 - みる会図書館


検索対象: とんち小僧から名僧に 一休
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1. とんち小僧から名僧に 一休

しゅぎよう そうじゅん しかし、宗純は、そんなことにはおどろきませんでした。むしろ、それを修行のたし にしました。 きようと かね かえ また、金がなくなると、京都へいって、香づつみなどをつくって、金をもうけて帰っ しゅぎよう てきて、それでまた修行をつづけました。 そうじゅんくすり ゅびき あるとき、宗純は薬をきざんでいて、あやまって指を切りました。すると、血がひど ながで く流れ出ました。 み それを見て、華叟がいいました。 ゅび 「わかいのに、なんというやわらかい指をしているのだ。」 かそう そうじゅん こころなか だが、華叟はもちろん、宗純をにくんでいるのではありませんでした。心の中では、 そうじゅん そうじゅん 宗純をおもんじていました。だが、宗純のこだわりをなくすためには、あまやかしては し ならないことを知っていたのです。 おも この男こそ、きたえればきたえるほど、ものになる男だと思ったにすぎませんでした。 おとこ かそう こう おとこ かね ち

2. とんち小僧から名僧に 一休

そうしゅん ていねいに頭をさげて、宗純はにこっとわらいました。 そうしゅんしゅぎよう それからの宗純の修行は、ひととおりではありませんでした。だが、二年たっても、 そうじゅん 三年たっても、宗純はまだ、どこかこだわりがありました。 そのこだわりはなにか そうじゅん けんおう 宗純はここにいて、あらゆるびんぼうのくるしみをなめました。謙翁のところでも、 まずしい生活をつづけてはいましたが、ここでは、それがいっそうきびしくおそいか かってきました。 た き 食べるもののないときも、よくありました。また、着るものも不足していました。 ふゆさむ ふね 冬の寒いときには、知っているりようしの船にのって、よもぎをふとんのかわりにし どうじよう てねました。りようしたちは同情して、食べものなどをくれましたが、女房たちにはきら そうじゅんふねうえしゅぎよう ゅ われて、宗純が船の上で修行をしていると、湯がまをたたいて、じゃましたりしました。 ねん せいかっ あたま し た ふそく にようば・つ ねん

3. とんち小僧から名僧に 一休

しゅぎよう くるしい修行 そうじゅん けっしんつよ しゅぎよう それから宗純は、ますます決心を強くしました。そして、だれについて修行したらい いか、ねっしんに師とするにたる人をさがしました。 いろいろの人につてをもとめて会ってみました。あるいは、うわさをいろいろきいて ひと であ みました。が、これという人には出会いませんでした。 そうじゅんしつばう おうみくに しがけんかたたぜんこうあん だが、宗純は失望しないでもとめました。そして、近江の国 ( 滋賀県 ) 堅田の禅興庵の ひと かそうろうし しようすいじ 華叟老師 ( のちに祥瑞寺を開く ) こそ、じぶんのもとめる人だということを知りました。 そうしゅん しようかいじよう 宗純はまっすぐに、だれの紹介状ももたずに、華叟の門をたたきました。 「わたしがまちがっていました。見ていてください。きっとさとってお目にかけます。」 「よくいってくださった。わたしは一生、いまのおことばをわすれません。」 ひと し ひら ひと あ み しよう かそうもん め し

4. とんち小僧から名僧に 一休

いつき 4 う ↑ー休さんが修行した祥瑞寺の山門 ー休さんの→ 「狂雲彙 ↓ー休さんのお墓の ある寺 , 酬恩庵 : 、つきゅう し 4 うおんあん ↑ー休さんの書

5. とんち小僧から名僧に 一休

しがけん なのかかん けんおう いしやまかんのん 一四一四 ( 応永幻 ) 謙翁なくなる。石山観音 ( 滋賀県 ) に七日間 びわこ み こもるが、さとれず、琵琶湖に身をなげよう としてすくわれる。 ( 二十一さい ) ぜんこうあんかそう しゅぎよう おうみくにかたた 一四一五 ( 応永 ) 近江の国堅田の禅興庵の華叟のもとで修行を はじめる。 ( 二十二さい ) しゅぎよう きようと 一四一六 ( 応永 ) 生活にこまり、京都に出て内職しながら修行 する。 ( 二十三さい ) おうえい 一四一八 ( 応永為 ) 華叟より「一休ーの号をさずけられる。 ( 二十五さい ) おうえい 一四二〇 ( 応永 ) 華叟より、さとりをひらいたという印証をわ一四二〇 5 一四二八 年このころ、大 たされるが、うけなかった。 ( 二十七さい ) おうえい かんご いっきゅうよる かそうびようき 一四二一 ( 応永 ) 華叟が病気になる。一休は夜もねないで看護ききん・えき病が りゅう・」う 流行し、おおくの ( 二十八さい ) する。 ししゃ 1 」こまつじようこう 死者がでる。 ( 三十四さい ) 一四二七 ( 応永 ) 後小松上皇に拝謁する。 しようちょう ( 三十五さい ) 一四二八 ( 正長 1 ) 華叟、堅田でなくなる。 おうえい おうえい おうえい おうえい せいかっ かそう かそう かそうかたた いっきゅう はいえっ ごう ないしよく いんしよう ねん びよう 195

6. とんち小僧から名僧に 一休

しいました。 どろかずに、 ぶっぽうしゅぎよう 「わたしは仏法修行のものですが、おをうかがいにまいりました。」 いっきゅう 一休さんはすぐいいました。 「仏法とはどんなものですか。」 その男はとくいになって、 仏法はますではからぬ米五升 たかぬなべにてめしとなりけり ぶつほう 一休さんもすぐいいました。 いっきゅう ぶつぼう たきもせでめしとなりけるなべならば おとこ こめしよう しいました。 まなし 185

7. とんち小僧から名僧に 一休

はとけ みち の道にはいったわけではありませんでした。 かん それどころか、年をとるにつれて、なんとなく世の中に、むなしさを感じるのでした。 まな しゅぎよう おし 仏のとく教えも、それを学ぶ修行のしかたも、意味がないように見えてくるのでした。 ほんとうのさとりとはどんなものか、りくつではわかっても、なんだかそらぞらしく おも 思えます。 まわりを見わたしても、ほんとうにさとっている人はいません。みんないいゝナ ところでごまかして、その日その日をすごしているように見えるのです。 そのうちにも、月日はたっていきました。 しゅうけん 周建はもう十六、七さいになっていました。ますますしんけんにならないではいられ ませんでした。 周建のつくる詩は、ますます人々にほめたたえられました。だが、それで、まんぞく するわけにはいきませんでした。 しゅうけん つきひ ひとびと ひと

8. とんち小僧から名僧に 一休

しようさまのお食べになっているものは、なまぐさではないのですか。もし、なまぐさ でないのなら、わたしたちも食べたいものです。」 そういいました。 しゅうけん みんなはくすくすわらいました。周建はどこまでもまじめなので、おしようさんはこ まってしまいました。 「いや、それは、わたしのように年をとると、しぜんにからだがおとろえて、仏の教え しゅぎようちゅう をとくことができなくなる。だから、薬のつもりで食べているからいいが、修行中のわ かいものが食べるとばちがあたるのだ。」 にんげん 「そうでございますか。おなじ人間で、こぞうだけばちがあたるのは、ちょっとおかし はなし な話ではないのですか。年とっていろいろのことがわかる人が食べたら、なおばちがあ たっていいわけではないのですか。」 ( し。オしカわたしは引導 ( 死んだものを極楽へいかせること ) を 「それは、ただ食べてま、ナよ、ゞ、 くすり いんどう ひと 1 」くらく ほとけおし

9. とんち小僧から名僧に 一休

そして、あくる日、夜があけると、すぐにとび出して、生きたこいを買ってきました。 くび そして、みそしるをつくるために、まさにそのこいの首をちょん切ろうとしたとき、お しようさんが、ほかの小ばうずの注進をきいて、やってきました。 しゅうけん そして、周建が小ばうずのくせして、大きなこいをつかまえて、じぶんにつらあてを しようとしているのを見て、はらをたてました。 しゅぎよう 「なんということをしているのだ。きのういったとおり、修行のうちは死んださかなの ころ おお 肉さえ食べてはいけないのに、生きたものを殺して食うとは、大きなこころえちがいだ さっそくはなしてやれ。」 「それはいけません。わたしはこのこいに引導をわたすのですから、食べてもいいので いんどう 「引導をわたす ? どういう引導をわたすのだ。」 「見ていてください。」 こ こ いんどう ちゅうしん おお いんどう

10. とんち小僧から名僧に 一休

母と子 けんおう そうしゅん 宗純は、謙翁のもとで、文字どおり死にものぐるいに勉強しました。 ここで、ほんとうのぼうさんらしい、まずしい生活を知りました。 そのうえに、 しゅぎようほう けんおう ぜんしんしんとう 謙翁はすぐれた禅 ( 心身を統一する仏教の修行法の一つ ) の師匠でしたが、三年たったあ ひそうじゅん る日、宗純にいいました。 「わしの知っていることは、のこらず教えつくした。もう教えるものはなにもない。だ しようしょ いんしよう それゆえ、おま が、わしは師から印証 ( さとったしるしをさずける証書 ) をうけていない。 えに印証をあたえることもしない。」 「けっこうでございます。」 こた そうしゅん 宗純はさわやかに答えました。 いんしよう こ ぶつきよう し べんきよう ししよう せいかっし ねん