なんのこともおこりません。 まったく死んでからさきのことは、わかりませんね。なんだか考えると、死の車は一 にち にち 日一日、わたしたちに近づいてきて、いつむかえがくるかわからないもので、なんだか こころ 、いぼそ、 いやな気がします。このような気持ちでいるときに、死ななければならない おも と思うと、たまりませんが、死んださきはどうなるのでしよう。」 いっきゅう 一休さんは、そこでまた、歌をつくりました。 死してのちいかなるものとなりぬらん ちゃ めし酒だんご茶とぞなりける 「おしようさん、それだけなのですか。」 「それだけだよ。」 ちか うた かんが くるま 12 5
かね 「お金なんかはいただきません。」 「そんなことはいわずに、とっておけ。」 「いえ、もっと大きなお願いがあるのです。」 「なんだ。」 「生きているうちに、おしようさんに引導をわたしていただきたいのです。」 「知っているのか。」 「おしようさんを知らないものはありませんよ。」 、んどう 「そうでもないが、 しかし、知っているなら引導をわたしてやろう。いまわたしてやろ うか、それとも寺へやってくるか。」 「ぜひ、おうかがいします。」 にんげん 「それならまっている。人間はいっ死ぬかわからぬものだ。死なないうちに早くこい おお てら ねが いんどう はや 134
そして、あくる日、夜があけると、すぐにとび出して、生きたこいを買ってきました。 くび そして、みそしるをつくるために、まさにそのこいの首をちょん切ろうとしたとき、お しようさんが、ほかの小ばうずの注進をきいて、やってきました。 しゅうけん そして、周建が小ばうずのくせして、大きなこいをつかまえて、じぶんにつらあてを しようとしているのを見て、はらをたてました。 しゅぎよう 「なんということをしているのだ。きのういったとおり、修行のうちは死んださかなの ころ おお 肉さえ食べてはいけないのに、生きたものを殺して食うとは、大きなこころえちがいだ さっそくはなしてやれ。」 「それはいけません。わたしはこのこいに引導をわたすのですから、食べてもいいので いんどう 「引導をわたす ? どういう引導をわたすのだ。」 「見ていてください。」 こ こ いんどう ちゅうしん おお いんどう
「ありがとうございます。」 にながわ かえ 一休さんは、蜷川とよろこんで帰ってきました。 あ せけん 「おもしろいやつに会った。世間にはなかなかおもしろいやつがいるものだね。」 ナカナカししのでした。 一休さんのきげんは、よゝよゝ、、 ひろくぞう そのあくる日、六蔵がやってきました。 「早いな。」 さすがの一休さんもおどろきました。 はやし 「早く死ぬとたいへんですから。」 「ははははは。そういそがなくってもいいだろう。だが、よくきた。それならひとつ、 いんどう 引導をわたしてあげよう。」 「ありがとうございます。」 一休さんは恥ぼうずをよんで、池からかめを一つと「てこい、といいました。 はや いっきゅう いっきゅう いっきゅう いっきゅう 13 5
しようさまのお食べになっているものは、なまぐさではないのですか。もし、なまぐさ でないのなら、わたしたちも食べたいものです。」 そういいました。 しゅうけん みんなはくすくすわらいました。周建はどこまでもまじめなので、おしようさんはこ まってしまいました。 「いや、それは、わたしのように年をとると、しぜんにからだがおとろえて、仏の教え しゅぎようちゅう をとくことができなくなる。だから、薬のつもりで食べているからいいが、修行中のわ かいものが食べるとばちがあたるのだ。」 にんげん 「そうでございますか。おなじ人間で、こぞうだけばちがあたるのは、ちょっとおかし はなし な話ではないのですか。年とっていろいろのことがわかる人が食べたら、なおばちがあ たっていいわけではないのですか。」 ( し。オしカわたしは引導 ( 死んだものを極楽へいかせること ) を 「それは、ただ食べてま、ナよ、ゞ、 くすり いんどう ひと 1 」くらく ほとけおし
「それなら、すこしよくがふかすぎますが、百五十さいまで。」 「百五十さいでいいのですか。百五十さいといっても、すぐたってしまいますよ。あな ねん たは八十さいといわれるが、百五十さいでは、あと八十年は生きられませんよ。八十年 もいつのまにかたつものですからね。」 老人はだまって考えていました。 にんげん 「人間っていくつまで生きられたら、まんぞくできるものですかね。百五十さいになっ ても、三百さいになっても、死ぬときまると、あまりいい気はしませんね。しかし、百 さいまでで死ぬのだと、あと二十年もないのですから、こまります。」 「二十年なんか、ゆめのようにすぎますよ。」 「あなたは、、 しくつまで生きられればいいのですか。」 「わたしたちばうずは、死なないことになっているのです。」 「死なないことに ? ろうじん ねん かんが ねん ねん 103
いしやまかんのんなのかかん て、石山観音に七日間こもって、いっしんにいのりました。 ふあん いしやまかんのん だが、不安はさらず、絶望はきえませんでした。い っそうやせて、カなく石山観音を さりました。 それから、琵琶湖のほとりをさまよいました。 」し ( すべてすててしまえ。そこで死ぬものなら死ね。生きかえれたら、生きかえれ。 すてるものをすてないから、じぶんはものにならないのだ。じぶんには、みれんがあ りすぎるのだ。すててこそ、うかぶ瀬もある。 いや、うかぶ瀬を考えるから、じぶんはだめなのだ。みれんなくなにもかもすててし まえ。 ) そうじゅん 宗純はなにかにいのりました。 し し 「死んでもいいものなら、死なしてください。」 そうじゅん だが、宗純がみずうみに身を投げようとしたとき、一人の男がだきとめました。 せかんが ぜっぽう み し ひとりおとこ ちから
死にとうない だいとくし 一休さんは大徳寺の住持になったあとも、薪村のけしきや生活がわすれられず、薪村 に小さいいおりをつくり、そこで質素な、だれにもさまたげられない生活をするのをよ ろこびました。 そう だいとノ、じ まずしい 大徳寺で、むらさきのころもを着た僧として死ぬよりも、薪村で名もない、 し ぼうさんとして死ぬことをのぞみました。 きもの むかし、人より着物をだいじにした男をわらった一休さんは、じぶんがむらさきの ころもを着て、すましている気にはなれませんでした。もとのままのすがたで、おしと おしました。 一休さんは、不幸な人や、びんばうをすくい、他人をくるしめているものを反省さ いっきゅう いっきゅう し ふこうひと じゅうじ しっそ おとこ たきぎむら し たにん いっきゅう せいかっ たきぎむら せいかっ はんせい たきぎむら 189
こころ かんしゃ 心から感謝して , つけとりました。 だれの不幸をものぞまず、すべての人のやすらかな生活をのぞんでいる一休さんに、 敵はありませんでした。 かん 一休さんは年をとるとともに、じぶんが人々に愛されていることを感じました。 一休さんはますますおちついてきました。 一休さんは八十八さいになりました。 にち ぶんめい そして、文明十三 ( 一四八一 ) 年、十一月二十一日、一休さんは、とうとう長い一生を おわりました。 しゅうおんあんし だいとくじ 一休さんは大徳寺では死なず、薪村の酬恩庵で死にました。さいごのことばは、 し 「死にとうない・ のひとことだったとったえられています。 てき いっきゅう いっきゅう いっきゅう いっきゅう ふこう し ねん たきぎむら ひと がっ ひとびとあい せいかっ いっきゅう いっきゅう ( おわり ) しよう 193
「きようは、これでおしまいにいたします。」 人々はぶつぶついいましたが、 一休さんが出てきたので、ありがたがって、べつに苦 じよう 情もいいませんでした。 こうぎよう ここんとうざい ろうにんおも かね 古今東西に類のない興行は、こうしておわりましたが、浪人は思いがけない金がは かえ って、ぶじにふるさとに帰ることができました。 ちち あ 死んだ父に会いに えちぜんふくいけん 越前 ( 福井県 ) の永平寺に、禅居禅師という人がいて、一休さんを尊敬していました。 し し かみどんや ぜんご あるとき、禅居の知っている大きな紙問屋のだんなが死にました。ところが、そのむ き ちち おやこ・つこ・つ すこが大の親孝行もので、父が死んだのをあまりなげいて、気がへんになりました。 ばんと・つ ぜんご ばんとう 番頭たちはしまつにこまって、禅居のところにそうだんにきました。禅居は番頭にい ひとびと し え じ ぜんごぜんじ おお し せんご いっきゅう で ひと いっきゅう そんけい 170