死ん - みる会図書館


検索対象: とんち小僧から名僧に 一休
38件見つかりました。

1. とんち小僧から名僧に 一休

なんのこともおこりません。 まったく死んでからさきのことは、わかりませんね。なんだか考えると、死の車は一 にち にち 日一日、わたしたちに近づいてきて、いつむかえがくるかわからないもので、なんだか こころ 、いぼそ、 いやな気がします。このような気持ちでいるときに、死ななければならない おも と思うと、たまりませんが、死んださきはどうなるのでしよう。」 いっきゅう 一休さんは、そこでまた、歌をつくりました。 死してのちいかなるものとなりぬらん ちゃ めし酒だんご茶とぞなりける 「おしようさん、それだけなのですか。」 「それだけだよ。」 ちか うた かんが くるま 12 5

2. とんち小僧から名僧に 一休

かね 「お金なんかはいただきません。」 「そんなことはいわずに、とっておけ。」 「いえ、もっと大きなお願いがあるのです。」 「なんだ。」 「生きているうちに、おしようさんに引導をわたしていただきたいのです。」 「知っているのか。」 「おしようさんを知らないものはありませんよ。」 、んどう 「そうでもないが、 しかし、知っているなら引導をわたしてやろう。いまわたしてやろ うか、それとも寺へやってくるか。」 「ぜひ、おうかがいします。」 にんげん 「それならまっている。人間はいっ死ぬかわからぬものだ。死なないうちに早くこい おお てら ねが いんどう はや 134

3. とんち小僧から名僧に 一休

そして、あくる日、夜があけると、すぐにとび出して、生きたこいを買ってきました。 くび そして、みそしるをつくるために、まさにそのこいの首をちょん切ろうとしたとき、お しようさんが、ほかの小ばうずの注進をきいて、やってきました。 しゅうけん そして、周建が小ばうずのくせして、大きなこいをつかまえて、じぶんにつらあてを しようとしているのを見て、はらをたてました。 しゅぎよう 「なんということをしているのだ。きのういったとおり、修行のうちは死んださかなの ころ おお 肉さえ食べてはいけないのに、生きたものを殺して食うとは、大きなこころえちがいだ さっそくはなしてやれ。」 「それはいけません。わたしはこのこいに引導をわたすのですから、食べてもいいので いんどう 「引導をわたす ? どういう引導をわたすのだ。」 「見ていてください。」 こ こ いんどう ちゅうしん おお いんどう

4. とんち小僧から名僧に 一休

「ありがとうございます。」 にながわ かえ 一休さんは、蜷川とよろこんで帰ってきました。 あ せけん 「おもしろいやつに会った。世間にはなかなかおもしろいやつがいるものだね。」 ナカナカししのでした。 一休さんのきげんは、よゝよゝ、、 ひろくぞう そのあくる日、六蔵がやってきました。 「早いな。」 さすがの一休さんもおどろきました。 はやし 「早く死ぬとたいへんですから。」 「ははははは。そういそがなくってもいいだろう。だが、よくきた。それならひとつ、 いんどう 引導をわたしてあげよう。」 「ありがとうございます。」 一休さんは恥ぼうずをよんで、池からかめを一つと「てこい、といいました。 はや いっきゅう いっきゅう いっきゅう いっきゅう 13 5

5. とんち小僧から名僧に 一休

しようさまのお食べになっているものは、なまぐさではないのですか。もし、なまぐさ でないのなら、わたしたちも食べたいものです。」 そういいました。 しゅうけん みんなはくすくすわらいました。周建はどこまでもまじめなので、おしようさんはこ まってしまいました。 「いや、それは、わたしのように年をとると、しぜんにからだがおとろえて、仏の教え しゅぎようちゅう をとくことができなくなる。だから、薬のつもりで食べているからいいが、修行中のわ かいものが食べるとばちがあたるのだ。」 にんげん 「そうでございますか。おなじ人間で、こぞうだけばちがあたるのは、ちょっとおかし はなし な話ではないのですか。年とっていろいろのことがわかる人が食べたら、なおばちがあ たっていいわけではないのですか。」 ( し。オしカわたしは引導 ( 死んだものを極楽へいかせること ) を 「それは、ただ食べてま、ナよ、ゞ、 くすり いんどう ひと 1 」くらく ほとけおし

6. とんち小僧から名僧に 一休

「それなら、すこしよくがふかすぎますが、百五十さいまで。」 「百五十さいでいいのですか。百五十さいといっても、すぐたってしまいますよ。あな ねん たは八十さいといわれるが、百五十さいでは、あと八十年は生きられませんよ。八十年 もいつのまにかたつものですからね。」 老人はだまって考えていました。 にんげん 「人間っていくつまで生きられたら、まんぞくできるものですかね。百五十さいになっ ても、三百さいになっても、死ぬときまると、あまりいい気はしませんね。しかし、百 さいまでで死ぬのだと、あと二十年もないのですから、こまります。」 「二十年なんか、ゆめのようにすぎますよ。」 「あなたは、、 しくつまで生きられればいいのですか。」 「わたしたちばうずは、死なないことになっているのです。」 「死なないことに ? ろうじん ねん かんが ねん ねん 103

7. とんち小僧から名僧に 一休

いしやまかんのんなのかかん て、石山観音に七日間こもって、いっしんにいのりました。 ふあん いしやまかんのん だが、不安はさらず、絶望はきえませんでした。い っそうやせて、カなく石山観音を さりました。 それから、琵琶湖のほとりをさまよいました。 」し ( すべてすててしまえ。そこで死ぬものなら死ね。生きかえれたら、生きかえれ。 すてるものをすてないから、じぶんはものにならないのだ。じぶんには、みれんがあ りすぎるのだ。すててこそ、うかぶ瀬もある。 いや、うかぶ瀬を考えるから、じぶんはだめなのだ。みれんなくなにもかもすててし まえ。 ) そうじゅん 宗純はなにかにいのりました。 し し 「死んでもいいものなら、死なしてください。」 そうじゅん だが、宗純がみずうみに身を投げようとしたとき、一人の男がだきとめました。 せかんが ぜっぽう み し ひとりおとこ ちから

8. とんち小僧から名僧に 一休

死にとうない だいとくし 一休さんは大徳寺の住持になったあとも、薪村のけしきや生活がわすれられず、薪村 に小さいいおりをつくり、そこで質素な、だれにもさまたげられない生活をするのをよ ろこびました。 そう だいとノ、じ まずしい 大徳寺で、むらさきのころもを着た僧として死ぬよりも、薪村で名もない、 し ぼうさんとして死ぬことをのぞみました。 きもの むかし、人より着物をだいじにした男をわらった一休さんは、じぶんがむらさきの ころもを着て、すましている気にはなれませんでした。もとのままのすがたで、おしと おしました。 一休さんは、不幸な人や、びんばうをすくい、他人をくるしめているものを反省さ いっきゅう いっきゅう し ふこうひと じゅうじ しっそ おとこ たきぎむら し たにん いっきゅう せいかっ たきぎむら せいかっ はんせい たきぎむら 189

9. とんち小僧から名僧に 一休

こころ かんしゃ 心から感謝して , つけとりました。 だれの不幸をものぞまず、すべての人のやすらかな生活をのぞんでいる一休さんに、 敵はありませんでした。 かん 一休さんは年をとるとともに、じぶんが人々に愛されていることを感じました。 一休さんはますますおちついてきました。 一休さんは八十八さいになりました。 にち ぶんめい そして、文明十三 ( 一四八一 ) 年、十一月二十一日、一休さんは、とうとう長い一生を おわりました。 しゅうおんあんし だいとくじ 一休さんは大徳寺では死なず、薪村の酬恩庵で死にました。さいごのことばは、 し 「死にとうない・ のひとことだったとったえられています。 てき いっきゅう いっきゅう いっきゅう いっきゅう ふこう し ねん たきぎむら ひと がっ ひとびとあい せいかっ いっきゅう いっきゅう ( おわり ) しよう 193

10. とんち小僧から名僧に 一休

「きようは、これでおしまいにいたします。」 人々はぶつぶついいましたが、 一休さんが出てきたので、ありがたがって、べつに苦 じよう 情もいいませんでした。 こうぎよう ここんとうざい ろうにんおも かね 古今東西に類のない興行は、こうしておわりましたが、浪人は思いがけない金がは かえ って、ぶじにふるさとに帰ることができました。 ちち あ 死んだ父に会いに えちぜんふくいけん 越前 ( 福井県 ) の永平寺に、禅居禅師という人がいて、一休さんを尊敬していました。 し し かみどんや ぜんご あるとき、禅居の知っている大きな紙問屋のだんなが死にました。ところが、そのむ き ちち おやこ・つこ・つ すこが大の親孝行もので、父が死んだのをあまりなげいて、気がへんになりました。 ばんと・つ ぜんご ばんとう 番頭たちはしまつにこまって、禅居のところにそうだんにきました。禅居は番頭にい ひとびと し え じ ぜんごぜんじ おお し せんご いっきゅう で ひと いっきゅう そんけい 170