禅師 - みる会図書館


検索対象: とんち小僧から名僧に 一休
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1. とんち小僧から名僧に 一休

うた 一休さんは歌をつくって、だまって見せました。 わが宿は柱もたてずふきもせず かぜ 雨にもぬれず風もあたらず 「その家はどこにあるのですか。」 蜷川はききました。一休さんがあまり大きなことをいうので、ちょっとなにかいいた かったのです。 いっきゅうぜんじ ( いくら一休禅師でも、雨にあったらいい気はしないだろう。 ) おも と思ったものですから。 ( しかし、このぼうず、あんかいへいきかもしれな、。 おも とも思いました。いや、へいきなはずはないでしよう。 いっきゅう にながわ あめ いえ やどはしら いっきゅう あめ み おお

2. とんち小僧から名僧に 一休

いました。 びようき 「この病気をなおせる男は、いま一人きりいない。その男を紹介するから、そのむすこ さんをつれていったらいいだろう。」 「そのかたはどなたです。」 きようと とお 「すこし遠いが、京都にいる。」 とお 「どんな遠いところでも、なおしていただければ、まいります。なんというかたです。」 いっきゅうぜんじ ひと しゅじんびようき 「一休禅師だ。あの人でないと、おまえのところのわか主人の病気はなおるまい。」 「それなら、一休さまのところへおつれもうしましよう。」 「それがいいだろう。」 「どうしておつれしたらいいでしよう。」 あ 「おとうさんに会わせてあげる、といって、つれ出したらいいだろう。」 も - っ 「そんなことを申しても、だいじようぶでございますか。」 いっきゅう おとこ ひとり おとこ しようかい 171

3. とんち小僧から名僧に 一休

ゆき その武士はきがるに庭に出て、さおでその雪をはらったら、みんなじぶんがあびてし圏 まいました。 かえ 武士はなんにも気がっかずに、帰ってきました。 ゆき 「雪をはらってきました。」 ゆき ゆき ゆき 「どうもごくろうさん。雪をはらったとき、雪は、雪をはらってこい、といったわたし ひと にふりかかったのですか。それとも、たのまれてじぶんが手をくだした人に、ふりか かったのですか。」 ごん 武士は、それには一言もありませんでした。 また、ある人が一休さんにいいました。 ひと にんげん ぜんじ 「禅師さま、人間というものは、どんな人でもみな、死んでしまうものですね。わたし おもひと たちがえらいぼうさんだと思う人も、おなじく死んでしまって、あの世へいかれますが、 ひと いっきゅう にわで

4. とんち小僧から名僧に 一休

いっきゅうぜんじ 3 一休禅師の巻 一生考えぬけ : とっととゆけ : 手を出すな、頭を出すな : 一休旅ごろも : ・ ごはんをいただきたい : ようじん ようじん ) 」用心、 ) 」用心 : せんす屋をたすける : たけにすずめ : し ちち あ 死んだ父に会いに : おなら一ばっ : し 死にとうない : て いっきゅうたび しようかんが だ や まき あたまだ ワリ ・ 4 4 -0 ・ 8 一休の年表 : ・ かいせつ 解説 : れきししんぶつじてん 歴史人物事典 えいさい 栄西 : せっしゅう 雪舟 : ・ あしかがよしまさ 足利義政 : ザビエル : ひょうしえ みすさわけん 表紙絵・さし絵 / 水沢研 しばたしん カット / 柴田慎 いっきゅうねんびよう ワ ~ 8 ワ ~ ワ ~ ワ ~ ワ ~ え 市、 白 弦 198 194 、ちかわはくげん

5. とんち小僧から名僧に 一休

3 一休禅師の巻 一生考えぬけ きようと どうだばう 一休さんは四十五さいのとき、京都の銅駝坊の北に、ト だいとくじ によいあん 四十七さいのときに、大徳寺のうちの如意庵にすみました。 一休さんは、どこにすんでも、一休さんでした。まずしい生活にあまんじていました。 さけの た しっそ ときには酒も飲み、肉も食べましたが、しかし、いつも質素にくらしていました。 そして、教えをこいにくるものがあれば、一休さんらしいやりかたで、みちびきまし ひとびと 人々は、一休さんの逸話をきいて、どんなばうずかと見にきましたが、一休さんは年 いっきゅう いっきゅう いっきゅうぜんじ おし しようかんが いっきゅう まキ」 いっきゅう いっきゅう きた み / さないおりをつくってすみ、 せいかっ いっきゅう ね ん 115

6. とんち小僧から名僧に 一休

んは気持ちよさそうにねています。 もんじん 門人たちはなおおこって、一休さんをなぐろうとしましたら、主人はとめました。 いっきゅうぜんじ 「まて、もしかしたら、このぼうさんは一休禅師かもしれない。 「こんなこじきばうずが。」 「いや、このねいきは、ほんとうにねているもののねいきだ。こんなさわぎのときに、 へいきでねているのは、一休さんよりほかにはあるまい。」 「それでも、たぬきねかもしれません。」 「いや、ちがう。だいじにしろ。一休さんにちがいない。」 りようり いっきゅう そこで主人は、そっと一休さんにふとんをきせ、さっそく料理をつくらせました。 ひとびとたいど 一休さんが目をさますと、人々の態度がすっかりかわっていました。 かお 「お目ざめでございますか。どうぞお顔をおあらいになってください。」 いっきゅう 主人のおくさんがきて、なにかとせわをしました。一休さんも正体を見やぶられたこ しゅじん いっきゅう め しゅじん め いっきゅう いっきゅう いっきゅう しようたい しゅじん み 14 7

7. とんち小僧から名僧に 一休

「きようは、これでおしまいにいたします。」 人々はぶつぶついいましたが、 一休さんが出てきたので、ありがたがって、べつに苦 じよう 情もいいませんでした。 こうぎよう ここんとうざい ろうにんおも かね 古今東西に類のない興行は、こうしておわりましたが、浪人は思いがけない金がは かえ って、ぶじにふるさとに帰ることができました。 ちち あ 死んだ父に会いに えちぜんふくいけん 越前 ( 福井県 ) の永平寺に、禅居禅師という人がいて、一休さんを尊敬していました。 し し かみどんや ぜんご あるとき、禅居の知っている大きな紙問屋のだんなが死にました。ところが、そのむ き ちち おやこ・つこ・つ すこが大の親孝行もので、父が死んだのをあまりなげいて、気がへんになりました。 ばんと・つ ぜんご ばんとう 番頭たちはしまつにこまって、禅居のところにそうだんにきました。禅居は番頭にい ひとびと し え じ ぜんごぜんじ おお し せんご いっきゅう で ひと いっきゅう そんけい 170

8. とんち小僧から名僧に 一休

こうとくぜんじ ぜんしゅう ぎほう 相国寺にはいり、供徳禅師に禅宗をまなぶかの技法をならって帰国しました。 そうげんが たいかしゅうぶん につばんおうにん たわら、宋元画の大家、周文に絵のおしえをそのころ、日本は応仁の乱という戦争の せっしゅう せっしゅう うけました。こうして雪舟は、四十さいをすまっさいちゅうだったので、雪舟は、それを ぜんそう カカ きゅうしゅう ねん ・つんこくし ぎたころには、禅僧としても、また画家としさけ、九州にやく十年、それから雲谷寺にも ねん せい・さく ても、その名をひろくしられるようになってどって二十年、絵の制作にはげみました。 だいみよう・おお すおうやまぐちけん せっしゅう ねんすおう いました。そして、周防 ( 山口県 ) の大名、大雪舟は一五〇六 ( 飛正三 ) 年、周防、一説で ・つん・」くじ いわみしまねけん 内氏にまねかれ、城下の雲谷寺にうつり、画は石見 ( 島根県 ) で、八十六さいでなくなりま 室をひらきました。 おうにんがんねんけんみんし につばんすいばくが ひとせっしゅう 一四六七 ( 応仁元 ) 年、遣明使について中国へ 日本の水墨画を大成させた人、雪舟の代表 せっしゅう てんどうさん ぜんべんきよう そうげんか わたった雪舟は、天童山で、禅の勉強にはげ作としては、それまでの宋元画から、あたら てんどうだい ざしゅざ ぜんそう す・いほくが かんせい ははくさんすい み、天童第一座 ( 首座 ) という、禅僧としてたい しい水墨画の技法を完成させた「破墨山水 せっしゅう ちょうゆうせい さんすいらようかん へんな名誉をうけます。また、雪舟は長有声図」「山水長巻」などがよくしられています。 りざい すいほく あらいひでお や李在という大家から、絵の色づけや、水墨 ( 新井英生 ) しようこくじ え ちゅうごく ぎはう きこく せんそう だいひょう 209

9. とんち小僧から名僧に 一休

一休さんは、どこだときかれると、いつものちやめつけが出ました。で、もうひとっ うたか 歌を書きました。 わが庵は都のたつみしかぞすむ うじゃまひと よを宇治山と人はいうなり きせんほうしゅうめい 蜷川はおどろきました。百人一首にもでてくる、喜撰法師の有名すぎる歌ですから。 きせんほうし 「さては喜撰法師といっしょにおすまいですか。」 といいました。 きせん 「いや、喜撰からかりている。」 しやくや 「それなら、借家ずまいなのですね。」 と、わらいました。 にながわ いっきゅう いおみやこ にんしゅ で うた

10. とんち小僧から名僧に 一休

ぜんどう 人々は、善導や法然さまも、たこを食べたことがあるのかと、ふしぎそうなばかづら間 をして、その絵を見ました。一休さんは、もったいつけていいました。 あみだ しようぞう ぜんどう 「よくこの肖像をごらんください。この善導や法然というかたは、阿弥陀さまを食べた くち ぞんあみだ ことがないのに、ロから三尊の阿弥陀さまが出たのです。 くち あみだ ぜんどうだいし 善導大師でさえ、ロから食わない阿弥陀が出るのですから、わたしのようなおろかな くち だ ぼうずが、食わないものを口から出すのは、しかたがありません。」 かんしん ひとびと 人々はわらいました。なかには手をうって感心するものもありました。 かんしん いっきゅう 人々はいまさらに、一休さんのとんちに感心したのです。 にながわあ し ( ました。 一休さんはあとで、蜷川に会ったとき、 「あれにはまいったよ。」 おお ふたり そして、二人でまた大わらいしました。 ひとびと ひとびと いっきゅう え ほうねん み いっきゅう て た で で ほうねん た