おお おお めす やがて、雌のおなかが大きくなってきます。 しず しせい 水面で、腹ばいの姿勢で、そのまま静かに浮いているときは、おなかが、よけいに しゆっさん げつまえ ど、つさ 大きく見えます。動作もゆったりとしてきます。とくに出産の一 ~ 二か月前になる と、妊娠がはっきりとわかります。 たいどう ) ます ) 。おなかの、右のほう よく見ると、おなかがときどき動きます ( 胎動といし げんき なかあか とか左のほうとかが動いた、とわかるくらいです。おなかの中の赤ちゃんが、元気 ちくび に動いているのです。おかあさんラッコの乳首も、少しふくらんできます。ラッコ かいじゅうちくひかず ちくび の乳首は、おなかの下のほうに、二つ横にならんでいます。海獣の乳首の数は、ク ジラ、イルカ、アザラシ、セイウチは二つ、アシカやオットセイ、トドは四つです。 かんさっきろく しゆっさん しぜん 泉よ、ないといっていいよ、つ ラッコの出産については、自然でのたしかな観察記金 ( しゆっさん かん すいぞくかん です。水族館 ( アメリカとカナダ ) でも、今までに、ラッコの出産のしゅん間の えいぞうきろく 、んい・カ かんさっ 観察や、映画やテレビによる映像記録はありませんでした。 し しゆっさん みと ハラダイスでは、なんとかして、出産のほんとうのようすを知ろ そこで三津シー きろく かんさっ うと、観察をつづけたのです。そのときの記録をお話しましよう。 すいめん にんしん ひだり はら はなし すこ みぎ
世界で最初にラッコが飼われたのは、ひょ 0 としたら、二〇〇年以上も前のことだ部 ったかもしれません。 こ、ってい まっ、つかいはっ どめ たんけんたい はけん 一七四一年、ロシアの皇帝が、北方開発のため、二度目のべ ーリング探険隊を派遣 ひとり どうぶつ したとき、隊員の一人に、動物たちをくわしく調べたステラーという人がいました。 けんきゅうねっしん 研究熱心なステラーなら、おそらくラッコをつかまえて、飼って観察したかもしれ かんが ない、と考えられるからです。 ねん ねんかん その後、一九三二年から一九四〇年までの八年間、ソ連の生物学者バラバシ、Ⅱ うみ 社一いにし キロホフたちは、アラスカのいなかの海べで、ラッコの生態を観察、研究し、飼育 もしました。 ねんだい ほんかくてき 一九五〇年代にな 0 て、いよいよ本格的にラッコをつかまえ、運び、飼育したのは、 おも アメリカのカール・・ケニオンだと思います。 わたくしちよしゃ ふるとも ケニオンさんと私 ( 著者 ) とは、古い友だちです。おたがい。 こ、一九五二年、 につほんえんがんおこな にちべ かさんごくきよ、つど、つ 日本の沿岸で行われた、日・米・加三国共同オ〉トセイ調査に派遣された、各国の かずすく せいぶつがくしやひとり 数少ない生物学者の一人だったのです。 せかい たいいん ねん ねん
えいめい ③チシマラッコ。英名はクリル・シ 1 ・オッター、またはクリル・カムチャッカ がくめし シー・オッター。学名は、エンヒドラ・ルトリス・グラシアリス。 けん」ゅ、つしゃ ラッコの研究者のなかには、アラスカとカリフォルニアのラッコは、はっきりし しゅちょ、つ おなあしゅ たちがいかないので、同じ亜種でよいと主張している人たちもいます。 きよりすうせん 、かいゅ、つ おな 力いじゅ、つ 同じ海獣のなかまのオットセイは、大きな回游をします。その距離は数千キロ ・カい・刀・ん メ 1 トルにもなります。しかしラッコは、海岸にそって、あるていど移動するくらい ・カいゅ・、つ で、大きな回游はしません。 ひょうしきようふだ ひこ、つき かんさっ ラッコの移動については、飛行機から観察したり、標識用の札 ( タグといいます ) おんばはっしんよう をつけたり、音波発振用のラジオ・トランスミッターをつけたりして ( バイオ・テレ システムといし 、ます ) 、調査しています。 おお ちょ、つさ おお ひと しどう
たんじよう あか ラッコの赤ちゃん誕生〃 ド ) よ、つ よ、つじん おかあさんラッコをよく観察し、何か異常があったときの用心のために、ふだんか しゆくち一よく よるひとり ー ) いど、カカーり・ひレ」 ら飼育係の人が、いつもラッコのそばにいて、夜は一人が宿直をしています。 しき ズーム式のビデオカメラも二台セットしてあり、必要なことは、そのままテープに きろく 記録しています。 ーかかり・ひと ラッコがもうすぐ出産となると、係の人たちはみなはり切って、二、三人ずつで、 昼も夜も、プールのガラスごしに、交たいで見はります。ビデオカメラも、テープを まわしつばなしにしておきます。 まえ わたくし フールの前のコンクリートのゆかに、 はじめのころ、私も、いく晩もつづけて、。 赤マットをしいてとまりこみ、つかれると、そのままうとうととねむりました。 みずおと ガバガバ、ザ、ザーツと水の音がして、ラッコかガラスごしに近づいてくると、ま きぶん じぶん みずなか るで自分も、水の中にいるような気分でした。 ひるよる しゆっさん かんさっ ばん ひつよう ちか
レ」、つ ときもまた、飼われているラッコは一頭だけでした。それは、シアトルのタコマ ほんひょ、つし、つらしやしん おす すいぞくかん 水族館にいた、雄のラッコ「ガス」だったのです。 ( この本の表紙の裏の写真 ) 。 4 」、かやノ みずふか ガスは、長さ三メートル、幅一・五メートル、高さ約二メートル、水の深さ九〇セ まど もくせいちい ンチメートルの、木製の小さな水そうで飼われていました。客たちは、ガラスの窓 せつび きちょ、つど、つぶつ から見ることができるようになっていました。貴重な動物なのに、こんな設備で、と かたそまっ ガスが気の毒になり、その飼い方の粗末さに、ちょっと、がっかりしたものです。で しやしん かんさっ ・か・か・り・ハし A 」 しんせつ も係の人が、親切にドアをあけてくれたので、よく観察でき、写真もとれました。 おも ほんと、つに、ありかたく田いました。 しせつ 今では、タコマのラッコの水そうは、大きな施設になっています。 ねんかん ねん ガスは、一九六五年から一三年間も生きていました。 きろく その後、一九七六年には、アメリカでは、飼育ラッコが九頭と記録されていますが、 -XJ 、つ げん、ざい 現在 ( 一九八七年 ) では、アメリカの五か所、カナダの一か所で、三〇頭ほどが飼わ れ、子どもも生まれています。 ねん ねん おお
じかん あとざんたいばん ふくろ たいじぶんべん 後産 ( 胎盤など、胎児の入っていた袋 ) は、胎児が分娩されたあと一 ~ 一〇時間 あいた の間にでます。でると、すぐにしずんでしまいます。 さん ラッコがお産をする場所は、飼われているものは、今までの例では、みな水中で りくじよ、つしゆっさん 、つみはい しぜん す。自然では、陸上で出産して、すぐに海へ入ることがあるようです。 しゆっさん ねん ラッコは、出産の時期は一年じゅうあって、とくにきまっていません。生殖 こ、つひ じきおな あきおお ふゆすく ( 交尾をする ) 時期と同じように、やはり春から秋に多く、冬は少ないようです。 ははおや にんしんきかん あいだ しぜん ラッコの子が母親のおなかにいる間、 つまり妊娠期間は、自然では九 ~ 一一か月 かんカ げつはん にもなる、と考えられています。飼われているラッコでは、六か月半から八か月だ ということが、アメリカやカナダでの例で、あるていどわかっていました。それが、 かんさっきろく 日本での、くわしい観察や記録ではっきりと、たしかめられたのです。 ラッコが、子を産むようになるのは、一一歳以上だということも、たしかなようです。 かん ねん ねんご 一頭の雌がお産をする間かくは、一年半から二年ですが、早いものでは一年後に、 つぎの子を産む雌もいます。つまり年子です。 につほん とうめす さん とし ) 」 ねんはん はる はや すいちゅ、つ せいしよく