いものの、生後わずか四か月で、おどろくほどり 0 ばな、野生のハンターに成長し ていたのです。 さり・ げんや 霧の原野 こんせんげんやほっかいとう とうぶ くしろ ねむろちほうひろ げんや 根釧原野 ( 北海道の東部、釧路と根室地方に広がる原野 ) の七月は、俗にガスと呼 去、り・ ミ一り・ ほんしゅ、っちほ、つ さんかん ばれる霧の季節です。この霧は、本州地方の山間で、秋のころよく見られる霧やも まいとしりゆ、つひょ、つ ながで うみあ やとはちが 0 て、毎年、流氷が流れ出る海明けのころ、はるか北太平洋からオホー はっせい おお おも いりゆ、つむ ック海にかけて発生する、つぶが大きくて重い移流霧といわれる海霧のことです。こ どかいじよ、つ はっせい れは、一度海上で発生すると、つぎからつぎへと、袵充されながら、風におされて ないりくふか しんにゆ、つ えんがん げんや 内陸深く進入し、たちまち、広大な沿岸の原野を、、つ 0 とうしく暗く冷たい低温の べールに、おしつつんでしまいます。 のうむ このあたりでは、こうした濃霧の日が、一年のうち % 以上もあります。ことに七月 ー刀し・カ の開花どきには、月のうち、晴れの日がほんの数日で、残りの二〇数日は、非情にも、 きせつ つき こうだい ねん すうじっ やせい
「ケマ」親子 」り げんや 霧の原野 ホームレンジ きせつ 3 子わかれの季節 ひとり立ちのために 子わかれの日 おも 子ギッネへの思いやり 子ギッネたちは、どこへ・ 4 ひとり立ちした子ギッネⅡ キツネの好きなすみか 「ポーン」との会 おやこ
こ、つと、つしら じゅしん でんば その電波を受信して行動を調べる、バイオ・テレメトリー法とか、テレメーター法と わたくし かによって、かれらの実能 ~ を、あるていど知ることができるでしよ、つ。しかし、私 げんや たちが、この原野でキツネとっき合いはじめたころは、そういった方法はありません でした。そこで、アルミニウムやゴム片を、テグス ( 釣り糸 ) の輪につけて、ペノタ からた めだ きす くび みみさき ントのようにして、キツネの首につけて放したり、耳の先や体の一部に、目立っ傷 をもったキツネをマークして、それをしつこく追う、といったことでもしないかぎり、 こ、つと、つ かれらの行動の、おおよそのデータも得られませんでした。 でんばきき すうねん たいへいようせんそうおわ しかし、太平洋戦争が終って一〇数年ほどたって、カメラや電波機器がめざましく ちか はったっ 発達しました。それにつれて、それまで近づくことができなかったり、うかかうこと よるとり・ みぢか やせい すらできなかった、野生のけものたちゃ夜の鳥たちの、生きるようすまでが、身近な ものとして、とらえることができるようになったのです。
しれん きびしい試練が待っている みつきちか 「ポ 1 ン」が、母ギッネの「ケマ」とわかれてから三月近くたっていました。 おや くべっ からだ そのころにはもう、体つきも、毛なみも、ほとんど親とは区別かっかないほど、 ほくそ、っち あか はやし まえ げんやある 一びき前になっていて、原野を歩きながら、明るい林や、牧草地で、この「ポーン」 しんざんもの ことし ひと を見かけた人たちでも、この雌ギッネが、今年の春に生まれたばかりの新参者とは、 だれも気づかないほど、スマートで、きれいなキツネに見えました。 ひとり立ちしたこのキツネに、久しぶりで会ったタイチーじいさんも、 じかん 「あれがポーンだとわかるまで、だいぶ時間がかかったよ。」といい すこ それから少し間をおいて、 やしき 「でも、あの屋敷 ( 廃屋 ) に入れてよかったな。そうでもしなけりや、今ごろどこ いをさまよってたか、わからんかったよ。」 ′、 - ち・よ、つ むね やっと胸をなでおろした、といった口調で、「ポーン」を見つめたまま、ひとりご はいおく めす ひさ はる ました。
わかもの 0 て、見るからに、つやつやと療 0 た若者ギッネに成長していました。五頭の子ギ とうめす とうおす ツネのうち、三頭が雄で、二頭が雌でした。 子わかれの日 すあな 巣穴をはなれはじめたころは、母ギッネにまつわりついていて、まずはどこへいく げんや おやこ にもいっしよという、はた目にもほほえましい親子づれでした。でも、この原野にそ なつおわ むらさきいろ ろそろ、うす紫色のヤマハギの花が咲きみだれる、夏の終りごろになると、私た かおあ ちと母ギッネの「ケマ」が顔を合わせることはあっても、もうそのときは、子ギッネ の姿がいっしよとはかぎりませんでした。 おやこ 「そうなっても、親子は、一日のうち三度や五度は、どこかでかならず会っている とろい しいました。といっても、モセウシナイの土囲 ものだよ。」と、タイチーじいさんは、 あそ すあな の巣穴や、そのまわりには、子ギッネたちがもどったようすもなく、遊んだあとさえ なくなっていました。 すがた せいちょう 」、つ わたくし
一」、つレ」、つ し、力し 意外な行動はんい 「ポーン」が、母ギッネの「ケマ」とわかれてから、今のところに落ちついて、さ すがたみ てつどうせんろ らにまた、鉄道線路ぞいにまで姿を見せたのは、けっしてめずらしいことではなか しごと さぎ一よ、ついん せんろ やす ったのです。そのころは、線路のいたるところに、保線の仕事をする作業員たちの休 ほしゅ、つ さいり・よ、つおば む小屋や、工具や補修の材料置き場の小屋がありました。そういった場所はまた、夜 になると、いつ、どこからやってきたかもわからないキツネたちが、ひそむ場所にも なっていたのです。 わなし げんやしつげん ある そして、北の原野や湿原をわたり歩いていたマタギや、罠師たちは、こうした小屋 よ、つ さかな を見つけしだい、その中に、用意してきた、なまの魚やウサギの肉などを、投げこ んでおきます。そして、一、二日たって、ふたたび、その小屋をのぞきにやってきま わな す。もし、そこのえさがなくなっていたら、トラップ ( 罠 ) をかけたり、または、そ こにとまりこんだりして、キツネがあらわれるのを待ったのです。 ほせん よる
5 新しい生活の日日 わかめす さて、こうした新しいホ 1 ムレンジをもったばかりの、若い雌ギッネ「ポン・フ さ一、ざ」 ひと わたくし いまおも かのじよ レチノ」の生きかたを、私は今、思いおこしています。 " 彼女 ~ のゆく先先に、人 はんしよく げんやひょうせっした の目にはけっして映ることのない、原野の氷雪の下を、たえず繁殖しながら移動す 1 、よノ、上っ ぎんいろ る、極地のレミングのような、ノネズミの群れがいます。また、ようやく銀色のつば かわぎ、し あっ みをもちはじめた、ネコャナギに集まる、川岸のユキウサギもいます。それらを、 むひょう すがた しぜん 霧氷の下で、じっと待ちぶせる「ポーン」の姿が、早春の自然にかこまれて、かぎ りなく美しく見えるよ、つです。 てんてき す。これが、このあたりの人たちがよく口にする「ウサギの止め足」という、天敵の ぎ一、、つこ、つと、つ 目をあざむくための、ウサギの擬装行動なのです。 あたら ひと くち そうしゅん とあし いどう 103
まえがき げんだい えば、現代のテレビの映像や、写真などによってもたらされる迫力よりも、はるか おお に大きかったのです。 よ わたくし この本でとりあげた、「ケマ」と私たちに呼ばれた母ギッネと、その子どもたち しよ、つお にんげん のスケッチ ( 話 ) は、人間にくらべれば、ほんの束の間に一生を終えてしまう、こ ひ やせい の野生の生きものたちが、その日そのときを、どうかしこく生きたかを、見ていただ えら おも きたいと思って選んだものです。 おはなし なお、この話の中に出てくる「タイチー」と呼ばれるじいさんは、ほんとうは し わたくし どうぶつ わなし やまだたいち 「山田太一」という、身もとも知れない罠師でしたが、私にとっては、「動物とは だいおんじん 佃か」を教えてくれた大恩人でした。 わたくし げんや この本は、私が、そうした人と原野の生きものたちと、わけへだてなく交わった うつか しぜん ころの、ういういしいキタキツネの生活のようすを、北の自然の移り変わりとともに、 まとめたものです。 昭和六三年二月 ほん ほん はなし えいぞう で ひと しやしん せいかっ つか ながたようへい 永田洋平 み
しす もう、何ごともなかったかのような、静けさにかえっているのでした。 だいそうげん こうした光景は、はるか南のサバンナ ( 大草原 ) で、命をおとしたレイヨウやガ そうげんそうじゃ ゼルに群らがる、ハゲワシやハイエナ、ジャッカルといった、草原の掃除屋を見るよ ゅうだち げんば うです。その現場は、とてもさわやかとはいえませんが、それにしても、タ立の去っ げんや たあとの風景のように、この北の原野も、さり気なく、さばさばと見えるのでした。 「ポ 1 ン」の足あと れっしやじこ 歹車事故の いったい何をしていたのでしよう。リ ところで、そのころ「ポーン」は、 すちく わたくし おなみちある ひまち あった、つぎの日、町から、いつも同じ道を歩いて、私たちの住む地区にやってく ゅうびんぶつ わたくし る郵便屋 ( 配達員 ) さんが、その日は、私のところに郵便物がなかったのに、寄っ てくれたのです。 ′、 4 つよ、つ 「いいニュースですよ。」と、かれは、さももったいぶった口調で、いってから、 すうけん うえある はや せんろ 「じつは今朝がた早く、線路の上を歩いてましたら、そこから二〇数間 ( およそ五〇 みなみ いのち
びようかん はっせい か、二〇 ~ 三〇秒間かくで二、三度くりかえされ、それも、横に移動しながら発声 ある しているように聞こえました。これは、あとになって、足あとにそって歩いてみてわ こうおん ある かったことですが、止まっているときは高音で、歩いているときは、それよりもいく おも へんか ぶんていおん 分低音でさけんでいるのではないかと思えるほど、足あとに小さな変化が見られたの でした。 わたくし 私は、キツネが「コンコン」と鳴くとい、つことを、子どものころから聞かされて げんや こうして北の原野にとけこんで生活し、この生き 育ってきました。しかし実さいに、 とお こえみみ ものの生の声を耳にしますと、それは、数千キロメートルも、もっと遠くから、 りゅうひょうむひょうあいだふ かぜ 流氷や霧氷の間を吹きぬけてきた風が、キツネの絶叫をとおして、そのように は , ん、ごよ、つ おも 反響して聞こえるのだ、と思ったことさえあります。 もりおくふか ところで、このキツネは、そのときは森の奥深く逃げ去りましたが、夜になってか 会 ゆき こやちか つき のらふたたび、小屋に近づいてきました。月のない晩でしたが、周囲の雪が、あまりに しろ なかある すがた すみえ も白く浮き出して見えていましたので、その中を歩いてくるキツネの姿が、墨絵の ように、きれいに見えたほどです。 そだ なま すう ばん あし ぜっき一よ、つ せいかっ しレ」、つ よる