かえみち ひわたくし ほ / 、じよ、つ そんなある日、私は牧場の馬を見まわりにいった帰り道、モセウシナイ沢のは絽 さいしょひとこ、えみじか ーもい′ 。か - り・ゅ、つ るか下流の森の中から、「ギャツ、ギャーン」といった、最初の一声が短く、つぎの すこ ごえみみ ひとこえなが 一声が長いキツネのさけび声を耳にしました。そして、それから少し間をおいて、こ ひめい まえ すこさわ んどは少し沢をのぼったあたりから、則よりも、もっとはげしく、しかも悲鳴としか 、つ士 ( ど、つ わたくし ご、えき 聞きとれないようなさけび声を聞きました。とっさに私は、乗っていた馬の胴を、 さわ かかとでけると、沢にそって、子どもの背たけほどものびた、クサソテッやイラクサ、 こえ オオイタドリの中を走って、その声のするほうへ、かけつけました。 あか かわはば 川幅のある明るくて州のようにひらけたところに出ました。 森をぬけると、ふいに、 ) よ、っそ、つ そこで、とほうもなく、けわしい形相でむかい合っている二頭のキツネを見つけた 」、つ こしひく くび さわなが のです。よく見るまでもなく、一頭は、沢の流れに背をむけて、腰を低く首をすくめ わかおす てかまえている、若い雄ギッネの「フレップ」で、それを見すえるように、私のほ うに背をむけているのが、母ギッネの「ケマ」でした。 まえ もうだいぶ前から、母ギッネの「ケマ」が、子ギッネどもを無視したり、うさんく さくあしらっているのを、ときどき見かけていましたが、こんなにあらあらしく、む 、つまみ と、つ わたくし ざわ
ちたい はんとうさいほくたん 北極圏に近いカナダのツンドラ地帯や、スカンジナビア半島の最北端にある、ノ こうげんちたい どうぶつ たいちょう おみしか ルウェイの高原地帯に、レミングという動物がすんでいます。尾の短い、体長一四 ど、さ ひく せ センチメートルくらいのネズミのなかまですが、コケと背たけのごく低い草しかはえ こ、っち むすう しゅうだんせいかっ ていない高地の地下に、無数のトンネルを掘って、集団で生活しています。このレ ド」よ、つ ねんしゅうき たいはんしよく はんしょノ、 かず ミングは、だいたい三年から四年の周期で、異常な大繁殖をします。その繁殖で数 だいしゅうだんやまお しんりんちたい がふくれあがり、たえきれなくなると、大集団で山を降り、森林地帯になだれこみ、 ひょ、つ・カ かわおよ フィヨルド ( 氷河によってできた入り江 ) や大峡谷の川を泳ぎわたり、そのあげく し は / と、つさき一 みさき うみ のはては、岬や半島の先から、つぎつぎと海にとびこんで死んでいき、わずかに生 こ、つげん ゅうめい き残ったものだけが、 もとの生まれた高原にもどる、といわれる有名な動物です。 だいいどう あ そして、このレミングの異常な大移動に、タイミングを合わせたかのように、レミ てんてき ングの天敵たちが、おそいかかります。ワシやタカ、フクロウなどの鳥をはじめ、キ どうぶつ ぞ、つしよく だいいどう ツ、不やイタチと、つこカ勿ゞ しオ重牛力、これも増殖したり、群れをなしてレミングの大移動 まえ せかい の前に、立ちはだかるのです。まさに、こうした生きものたちの世界は、かぎりなく おもしろ れんぞく 面白く、そしてふしぎさの連続でもあるのです。 ほっ医」よ′けんちか ねん え む レトり どうぶつ
すがたみ きになって牙をむき、子ギッネにせまっている姿を見たのは、その日がはじめてで こ、つげ・医」 り・よ、つま、えあし じようたい した。「ケマ」が目をすえ、上体を両前足にのせて、攻撃のかまえを見せるたびに、 くち ひら おお めはなさき一 目と鼻の先で、すくんだように身をかがめている「フレップ」か、大きく開いたロの こえはっ おくから、「クワーツ」とも「クフ 1 」ともとれないような、威かくの声を発しなが おやこ じようたい ら、そのたびに、上体をさらにのけぞらします。だれが見ても、これはただの親子 / 、、つご 、け・つ」、つ げんかではなく、決闘といった、ただならぬ空気です。 さわうえ 私は、二〇 ~ 三〇メートルほどへだてた、沢の上から馬に乗ったまま、このよう し、 あき すを見ていましたが、これは明らかに、キツネの「子わかれ」の仕来たりであって、 ぎしき 儀式ともいうべきものだったのです。 ひじよ、つ むざん おや 親と子が、はた目には、無残とも非情ともいえるような、はげしいかみ合いをしな ふるさとふるす じぶん さいご がら、最後は、子どもたちが、自分たちが生まれた古里 ( 古巣 ) から、それも産みの ちから なさよ、つ 親から情け容しやもなく、カづくで追い出されていくのです。そういった光景は、 ゆる にんガんたちば 私たち人町の立場から見ると、とても許すことのできない、すじみちからはずれた A 」、つレ」ノ \ りんり わたくし おも ことのよ、つに田」えます。私たちは、「倫理 ( 道徳 ) 」とか「人間らしさ」といったこ おや わたくし 、つまの
ひとり立ちのために じぶん キツネの子どもたちが、えものを自分で狩ったり、それを自分だけで、ひとり占め こ、つと、つ にしようとしたり、かくしたりする行動は、親から教えられることもあります。しか ナいけん カ / 、しゅ、つ じぶんせいちょう し、たいていは、自分の成長につれて、さまざまな学習 ( 経験 ) をつみながら、身 にんげんしやかい こ、つと、つど、つぶつ につけていくものなのです。高等な動物といわれる人間の社会では、はじめは、親が 」よ、ついノ、 くにしゅ、つだんしやかい せきにん 「しつけ」をし、そのあとは、国や集団社会が、責任をもって教育をほどこします。 じぶん カくしゅ、つ ところが野生の動物たちは、親ばなれをしたあとは、まったく自分ひとりの学習に つか よって、身についた知えと技を使いこなして、生きていかねばならないのです。 せいぞんきようそう やせい ことにキツネという野生の生きものは、生存競争 ( 淘汰 ) がはげしく、生まれて びよ、つ一 から一〇年をこえるものは、ほとんど見られないといわれています。それほど、病気 ー ) よ、つ ちよくご おや じこおおどうぶつ や事故の多い動物ですから、親ばなれをした直後から、子ギッネたちのはげしい消 しそん めつばう もう ( 死か、あるいは滅亡 ) がはじまります。そして、種 ( 子孫 ) を残せる親ギッネ ねん やせい どうふつ わざ おや じぶん おや のこ おや おや
びようかん はっせい か、二〇 ~ 三〇秒間かくで二、三度くりかえされ、それも、横に移動しながら発声 ある しているように聞こえました。これは、あとになって、足あとにそって歩いてみてわ こうおん ある かったことですが、止まっているときは高音で、歩いているときは、それよりもいく おも へんか ぶんていおん 分低音でさけんでいるのではないかと思えるほど、足あとに小さな変化が見られたの でした。 わたくし 私は、キツネが「コンコン」と鳴くとい、つことを、子どものころから聞かされて げんや こうして北の原野にとけこんで生活し、この生き 育ってきました。しかし実さいに、 とお こえみみ ものの生の声を耳にしますと、それは、数千キロメートルも、もっと遠くから、 りゅうひょうむひょうあいだふ かぜ 流氷や霧氷の間を吹きぬけてきた風が、キツネの絶叫をとおして、そのように は , ん、ごよ、つ おも 反響して聞こえるのだ、と思ったことさえあります。 もりおくふか ところで、このキツネは、そのときは森の奥深く逃げ去りましたが、夜になってか 会 ゆき こやちか つき のらふたたび、小屋に近づいてきました。月のない晩でしたが、周囲の雪が、あまりに しろ なかある すがた すみえ も白く浮き出して見えていましたので、その中を歩いてくるキツネの姿が、墨絵の ように、きれいに見えたほどです。 そだ なま すう ばん あし ぜっき一よ、つ せいかっ しレ」、つ よる
2 親ギッネ , 子ギッネ やがて、子ギッネたちが、母ギッネによって、えさをあたえられていたころから、 じしん あいだみ ちから それぞれが自身で「狩り」をおほえるまでの間に見せてきた、「たがいに力すくで、 どくせんよく うばい合う」といった独占欲が、こんどは、それか、だれにもわからない場所に、え ざいさんほんのう ものを運んで、かくしたり、たくわえたりする「財産本能」にまで育ちます。そのう そういえば、風のないタぐれどきに、子ギッネたちが、飛んでいるカナプンや、カ く、っちゅ、つ こ、っちゅ、つるい おも ミキリムシ、クワガタムシといった甲虫類を、思いっきり空中にジャンプし、はた こうふんすいちゅう き落としたり、また、とがったロ吻を水中につつこんで、しやくりあげるようにし てザリガニをとるところなどを、これまでにもたびたび見かけていました。ですから、 すがた みき おそらくは、もう子ギッネたちのそうした姿に、「ケマ」か、ある " 見切り ~ という かん かん ものを、感じとったのかもしれません。それよりも、感じやすさの強い子ギッネたち しょノ、よ / 、 こ、つきしん ゅうわく にとって、今は、しきりに、動くものへの好奇心や、食欲をそそるにおいへの誘惑 つよはんのうしめじき に、もっとも強い反応を示す時期でもありました。ですから、子ギッネに対する「ケ じようねっ マ」の情熱と負たんは、こうして日ごとに、目に見えてうすれていったのでしよう。 かぜ ゅう つよ
じかん みち じ道を、ものの小一時間もたたないうちに、ふたたびもどるときには、それはもう、 おどろくほど大たんになっていました。それは、木のしげみも、石ころもない平たん あし からだぜんたい ちけ、 な芝の上でもつつ走るかのように、どんな地形にも合わせられる足と腰と、体全体 おも のバランスを、つまくコントロールする術を、身につけてしまったよ、つに田」えました。 きかん この子ギ 生まれてから、ひとり立ちするまでの期間が、わずかに五か月しかない、 あいた ツネたちは、その間に、親から、キツネとして身につけておかなければならないノ くんれん たいけんてきおし ちしき ぎじゅっ ウハウ ( 知識や技術 ) のすべてを、体験的に教えられたり、訓練されたりするわけで みち じかっ じぶんじしん ちち おわ はありません。したがって、乳ばなれが終れば、あとは、自分自身で自活の道をもと めていくことになるのです。 ざわ ともあれ、こうして、モセウシナイ沢の「ケマ」の子どもたちは、やがてやってく きたあきあ る北の秋に合わせるかのように、めまぐるしく動きまわっていました。 ちち はんっきご はや おも 思えば早いもので、はじめは、母ギッネの乳をのみ、その半月後には、親ギッネの たくましさと お運んでくるえもののカロリーの高い肉を食べるようになり、日ごとに、 敏しようさを身につけていって、ついには、体つきや体重こそ親ギッネには及ばな肪 びん うえ おや からだ おや おや およ
さわ と、つ 五頭の子ギッネのうち、「フレップ」と「サク」の二頭は、こうして、この沢から と、つ 未知の世界へ巣立っていきました。残った三頭の子ギッネのうちの「チナ」と「レー からだちい ン」 ( 雄と雌 ) は、それからまもなく、ゆくえが知れなくなり、もっとも体の小さな さわのこ あか 雌の「ポン・フレチノ」 ( 小さな赤いキツネ ) だけが、このモセウシナイの沢に残り ました。しかし、この「ポン・フレチノ」にも、母ギッネの「ケマ」とわかれる日が きたのです。 わたくしおとうと 私の弟や妹たちは、この「ポン・フレチノ」のために、いろいろな心づく そうべっゅう しの食べものをもちょって、 " 送別のタベ…を計画していました。ところが、このこ はんたい じぜん とを事前に知った、タイチーじいさんが、かんこに反対をとなえて、計画をこわして しまいました。 . り : ゅ・、つ その反対の理由というのは、 ~ 卩 々只 たにがわ すだ 「キツネが、親ばなれして巣立っときは、ちょうど、このあたりの谷川を、産卵の じき一 である ためにマスがのばり、好物のノネズミがさかんに出歩く時期でもある。それに、ガや えいようぶんおおこんちゅう こ、っちゅ、つ 甲虫をはじめ、栄養分の多い昆虫どもが、わんさとみだれとぶ時期だから、それは簡 はんたい おや い、も、つ」 こうぶつ こころ さんらん
、かん・か / 、」の、つ ↓つよ、つ、かノ、 tJ ゅ、つ・か′ くうふくぎみ 空腹気味で、聴覚や嗅覚、視覚といった感覚機能がピリピリと張りつめ、それらが田 どうぶっとくせい えいびんれんどうあ 鋭敏に連動し合っていなければ、その動物の特性 ( えものを狩るテクニック ) を、じ ゅうぶんにあらわすことができないのです。 かんか・、、の、つ けがわじゅう どうふつ やせい 野生の動物、ことに毛皮獣のこうした感覚機能に、むかしの罠師たちは目をつけま した。たとえば、テンやカワウソどもは、おもにどんなにおいに、さそわれやすいか まな ち ナいけん といった、かれらの好物についての情報や知しきを、経験からよく学んでいました。 す そして狩ろ、つとするえものの、もっとも好きなえさをつくって、罠をしかけることが ひみつじようほう 多く、そのえさづくりの " 秘密情報。は、どんなに仲のよいなかまにも、教えること は、まずなかったのです。 ともあれ、タイチーじいさんが、反対して、いいたかったことは、ほかでもない、 しんてんち せいぞんきようそう さわ ・かん・き一よ、つ このモセウシナイの沢から、環境のきびしい、生存競争のはげしい新天地へ、ひと おも こころ り立ちしていく最後の子ギッネへの、心からの、はなむけだったと思います。 よ わたくし 私たちから「ポン・フレチノ」と呼ばれた子ギッネは、こうして、ほかの兄弟 おお こうぶつ ド ) よ、つほ、つ はんたい わなし わな おし め きようたい
」カい・カん す キツネの好きなすみか よこナそ、っち ひとす ほっ・かいマっ げんや 北海道の東部の原野には、あちこちに、あれた畑や草地、そして、人の住まなく ち 一」、つ↓ノ、 ほね はいおく み なった廃屋が見られます。それらの光景は、かってそこを、墳墓の地 ( そこに骨をう ゅめ ふうん めるときめたところ ) にしようとちかって、開拓の鍬を入れた人たちが、不運にも夢 さ がやぶれて、むなしく去ったあとなのです。 ちくしゃ おもやちゅうしん きぐお それらの廃屋は、母屋を中心に、サイロや畜舎、機具置き場などが見られますが、 イ」っそ、つ やしき なかあし み 外観はともかく、一歩、家敷の中に足をふみ入れると、身のたけをこすような雑草が としよ、つじ おくない おいしげり、屋内のふすまも、戸障子も、あれるにまかせて、鬼気せまるようです。 ところか、人にとってはそうであっても、キツネたちにとっては、そこが、またと ・カ かん医、よ、つ ないかくれ家であり、まずは、、つってつけの環境でさえあるのです。 かん一よ、つ もりどうぶつ どうぶつ キツネという動物は、もともとは、森の動物というより、こういった環境にもす みつく動物なのです。森がきりはらわれてしまったあとにできる、うずたかくつみあ どうぶつ はいおく とうぶ ひと くわ ふんば ひと み