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検索対象: 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ
14件見つかりました。

1. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

ひとり立ちのために じぶん キツネの子どもたちが、えものを自分で狩ったり、それを自分だけで、ひとり占め こ、つと、つ にしようとしたり、かくしたりする行動は、親から教えられることもあります。しか ナいけん カ / 、しゅ、つ じぶんせいちょう し、たいていは、自分の成長につれて、さまざまな学習 ( 経験 ) をつみながら、身 にんげんしやかい こ、つと、つど、つぶつ につけていくものなのです。高等な動物といわれる人間の社会では、はじめは、親が 」よ、ついノ、 くにしゅ、つだんしやかい せきにん 「しつけ」をし、そのあとは、国や集団社会が、責任をもって教育をほどこします。 じぶん カくしゅ、つ ところが野生の動物たちは、親ばなれをしたあとは、まったく自分ひとりの学習に つか よって、身についた知えと技を使いこなして、生きていかねばならないのです。 せいぞんきようそう やせい ことにキツネという野生の生きものは、生存競争 ( 淘汰 ) がはげしく、生まれて びよ、つ一 から一〇年をこえるものは、ほとんど見られないといわれています。それほど、病気 ー ) よ、つ ちよくご おや じこおおどうぶつ や事故の多い動物ですから、親ばなれをした直後から、子ギッネたちのはげしい消 しそん めつばう もう ( 死か、あるいは滅亡 ) がはじまります。そして、種 ( 子孫 ) を残せる親ギッネ ねん やせい どうふつ わざ おや じぶん おや のこ おや おや

2. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

じぶんりようゆう えさらに、その場所に尿などをつけて、「自分の領有する、すべてのもの」という こ、つど、つ めじるし 目印にする、「マーキング」という、おとなの行動がはじまるのを、私ははっきり と見ました。 みと ーり・よ、つゆ・、つ このマーキングといわれる、自分の領有するものを、ほかのなかまに認めさせる 一」、つレ」、つ たしよ、つ という行動は、多少のちがいはありますが、ほかのどの鳥や、けものたちにも見られ と。り・ まいはるみなみくに わた わたくし しゅ、っせい る習性です。たとえば、私たちがふつう、渡り鳥と呼ぶ、毎春、南の国からやっ さいしょ えいそう かれ てくる野の鳥たちがそうです。彼らが、ここを営巣の地ときめた場所で、最初に聞か せんげん おすうたごえ せる雄の歌声を、テリトリーソング ( なわばりを宣一言する歌 ) といいます。ついで、 りようちなか むね じぶん そうすることで決まった自分たちの領地の中で、胸をはって、ひときわ美しく、高 あい おすうた らかに聞かせる雄の歌を、ラブソング ( 愛の歌 ) といっています。 せいかつけん この、なわばりとか生活圏 ( ホームレンジ ) とは、おもに、その動物たちの雌雄や そだ すちゅうしん 番いが、巣を中心にして、ひなや子どもたちが育つのに必要なえさをとって、巣ま ひろ めんせき かえ で運んで帰れるきより内、またはその広さ ( 面積 ) のことをいいます。 ・れい・カし せいかつけん キツネの生活圏も、その例外ではありません。そして、このホームレンジと呼ばれ のとり じぶん り・ ひつよう どうぶつ わたくし しゅ、つ

3. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

る生活圏も、テリトリーと呼ばれるなわばりも、目でたしかめることのできない しるし 「印」によってきめます。キツネたちは、特しゅなにおいをもった自分の尿や、ふ もっち んなどによって、徹底して、盛り土や、つき出ている岩や石、木の根っこといったも りよ、っちしるし じぶん じぶん のに、自分のにおいをすりこんで、自分の「領地の印」とするのです。やがて、子 しるし ぐち すあな をもっころには、さらに巣穴の出入り口にまで「印」をつけます。 」かんき一よ、つ このキツネたちのホームレンジは、そのキツネたちのすんでいる環境によって、 さわ くらた・ ふか げんやあさあか みなまちまちです。つまり、そこにある原野の浅く明るい沢や、深く暗い谷といった こ、つよ、つじゅ . り - よ、つは、つ ・もり・ じよ、つり - よど、じゅ ら / 、よ、つじゅしんよ、つじゅ おな じようたい 状態や、同じ森でも常緑樹とか落葉樹、針葉樹とか広葉樹、またはその両方が入 こんこ、つりん じようたい りまじった混交林とでは、状態にたいへんなちがいがあります。したがって、ホー かたちひろ ムレンジの形や広さについても、それぞれちがってくるわけです。ことに、そこに そうおん こうつうりようおおど、つろ かわぬま 大きな川や沼があり、そのほかにも、あとで、騒音のはげしい交通量の多い道路や おお ちか てつどう 鉄道が、その近くにできたりすると、キツネのホームレンジは大きく変わります。そ はんしよく して、ホームレンジは、どんな動物にとっても、そこで繁殖できるかどうか、食物 があるかどうかによって、えらばれもしたり、すてられもしているのです。 おお せいかつけん てってい どうぶつ じぶん しょ′ v' もっ

4. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

1 キツネとの出会い ーも . り・ まいにちかよ 力いこんち よくじっ ぬれわらじ 、ます ) 。そして、その翌日から森の開墾地へ毎日通いながら、二 「濡草鞋」ともいし ひとす ほったてごや 〇日ほどかけて、やっと、掘立小屋ではありましたが、はじめて人の住める家を、こ 、も . り・ の森に建てました。 じぶん す じぶん みち やせいち 見よう見まねとはいえ、こうして、未知の野生地に、自分の住まいを自分でかまえ こころしゆっぱってん ・カ わたくし ることができたという、その誇りとゆとりか、私たち一家の心の出発点にもなり かんさっ せかい と、つじ わたくし ました。同時に、私にとって、それから、北の野生の生きものたちの世界を観察す おも る、よりどころにもなったと思っています。 私たち一家が、ここに落ち着いたのは、二月の下旬でしたから、そろそろ、この 北国にも、春のきざしが、見えはじめるころでした。 きたぐに 北国の春 こおり ほそさわがわ 力いこんごやのきした 開墾小屋の軒下を流れる、小さく細い沢川は、まだ、張りつめた氷こそ落ちては ひ みずおと いませんでしたが、その下を流れる水音は、日ごとに大きくなっていました。また一 わたくし はる はる み きたやせい がっ おお お

5. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

おも のではないかと思いました。 「ポ 1 ン」のホ 1 ムレンジ きようたい ところで、ほかの兄弟ギッネたちのゆくえは、まったくわかりませんでした。で はいおく わたくしさい力し も、この「ポン・フレチノ」は、私と再会したときにはもう、このあれはてた廃屋 ちゅ、つしん おも せいかつけん を中心に、ホームレンジ ( 生活圏 ) をつくっていたのではないかと思われました。 じぶんりようち こうした動物たちのホームレンジというものは、「ここからここまでが、自分の領地 だ。」といった、とりきめや区分けできまるものではありません。よほど、えさの少 まえ ・かん」よ、つ はなし ない環境でもないかぎり、前にもお話したように、つぶれたり、すてられたりした 小屋のような、あれはてた「かくれ家」があったり、そして、よそからおそわれたり かたちひろ かんけい しぜん するおそれさえなければ、あとは、形や広さに関係なく、自然に、それがきまって いくものなのです。 とち したみ その後、「ポーン」のホームレンジである土地に、買い手がついて、そこを下見に どうふつ

6. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

しぜん おわ 、り・ こうした霧でおおわれたまま、終ってしまうのです。しかし、自然はよくしたもので、 のとり そうげんもり 十いにっ けおお こんなしめり気の多い、こごえるような毎日にもかかわらず、草原や森では、野の鳥 すだ はんしよく どうぶつ も動物たちも、つぎつぎと繁殖して、巣立っていくのです。 ホ 1 ムレンジ ざわさむざむ モセウシナイ沢の寒寒とした初夏は、母ギッネの「ケマ」にとっては、食べても食 しょ / 、よ / 、 一、つド」 べても、おなかがすいて、また同時に、働いても働いても、子ギッネたちの食欲 がつはい を満たしてやれないほどのせわしなさでした。でも七月に入ると、なんとはなしに、 へんか おやこあいだ 今までにはなかった一つの変化が見えてきました。それは、子ギ この親子の間に、 ツネたちが、あるていど自分たちで、えものをつかまえるころから、あらわれはじめ わたくし た、母ギッネの子ギッネに対する態度が変わったことでした。私はそれを、「ケマ」 おも ひろ、つ と思ったのですが、タイチーじいさんは、「そろそろ、 の疲労のせいかもしれない、 子ギッネへの育に、かげりが出はじめたせいによるものだ。」と見たのでした。 じぶん はたら はたら

7. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

3 子わかれの季節 あし めん すがた ギッネたちが、まったく姿を消してしまった日から、ちょうど五日めの夕方、この さわ 沢のホームレンジから去っていきました。「ポン・フレチノ」は、五頭の兄弟ギッネ わたくし からたちい のうちでも、一ばん体が小さく、私たちの目には、いつも母ギッネの「ケマ」の はんめん あま 足に、しつこくまつわりついて、はなれない「甘えんほう」に見えました。その反面、 ひめい きようだい ほかの兄弟ギッネが、母ギッネにはげしくかまれて悲鳴をあげているときでも、ち れいせい やっかりとすわって、じっとそれを冷静にながめていられる、といったずうずうしい 面も、もっていました。 子ギッネたちは、どこへ : わたくし ところで、私たちは、「この子ギッネたちが、親ばなれしたあと、いったん、ど じふんりようち せいかつけん こをどのようにして、自分の領地とか、生活圏としてさがしていったか。」というこ 一よ、つみ とに、興味をもっていました。 はっしんき げんざい かがくぎじゅっすす 科学技術の進んだ現在なら、それぞれの子ギッネの首輪に、発信機をつけて放し、 おや くびわ と、つ きようだい ゅうがた

8. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

わたくし 野生の社会では、キツネをはじめ、多くの動物たちの親が、私たちが見るところ、 ひじよ、つ こ、つと、つ おも みちせかい 残こくとも、非情とも思えるような行動で、きびしく未知の世界へ、わが子をつきは 、」、つレ」、つ なすのだ、とい、つことをお話しました。しかし、そうした行動をよく見ていると、 にんげ - んい力し 人間以外の野生の生きものは、そのようにして、親と子のきずなを切ることによって、 おや せいりてき そのときから、生理的にも、「親」は「親」でなくなり、「子」は「子」でなくなるこ おすめす せいべっ とかわかります。つまり、「雄と雌」、いいかえれば、「男と女」といった性別がで しぜん きる、自然のしくみにくみこまれるのです。 と、つ まえ そうなることによって、一びき前になった一頭のキツネが、自分をふくめて、子を ちゅうしん すあな 養うためのえさを得られる範囲 ( 新しいホ 1 ムレンジ ) を、巣穴を中心にして、 とうぜん こせいちょう きめることができるのです。ですから、当然のことながら、子が成長すれば、ただ ついほ、つ ちに子たちを、そこから追放しなければならなくなるのです。 ざん やしな やせい たびだ 旅立ち やせい え おや あたら おお どうぶつ おや おとこおんな おや じぶん み み

9. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

と、タイチーじいさんは、そのころ、よくいっていました。 めす そんなわけで、雌ギッネの「ポーン」が、自分のホームレンジをはなれて、 てつどうどうろ ひとどお おおどうろ 鉄道線路や、人通りの多い道路などに、えさ場をもとめて出るようなことは、「ポー かんが ン」のことを知る人たちにとっては、とても、考えられないことだったかもしれま せん。 一の、つ キ」よ、つ ところか、キツネという動物は、昨日、そこにあらわれたから、今日もまた、そこ にあらわれるとはかぎらないのです。このあたりでは、キツネにねらわれるノウサギ さくや ある ( ユキウサギ ) もそうですが、昨夜、という場所をさかんに歩きまわっていたキッ ネが、今夜は、そことはまるで反対の、それも、一キロメートルも二キロメートルも ちてん あそ はなれた、の地点に出かけていって、そこで狩りをしたり、遊んだりするのは、ご むす さんかくけい くふつうのことだったのです。つまり、とと o を結んだ、ほば三角形をしたホー とっぜん ちてん ムレンジをもっているキツネが、から、突然やといった地点に、とんであらわ 「こうして、つかまるキツネは、たいてい、気まぐれな雄ギッネで、雌ギッネは g よ、つじんぶかい あし 用心深いので、めったなことでは、そんな場所にまで、足をのばさないものだよ。」 こんや ひと どうぶつ はんたい じぶん おす めす

10. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

わたくしふば しよ、つわ 私とキツネのつき合いは、昭和のはじめごろ、私が父母にともなわれて、暖 げんや うつ ほっかいど、つと、つぶ まち 」 2 ほ′ん ひろしつげん ふじさん かな富士山ろくの小さな町から、この日本一広い湿原をもつ、北海道東部の原野に移 はんせいき り住んでからのことですから、もうかれこれ半世紀あまりにもなります。 わたくし しようねん そのころは、むろん少年であったこの私もそうでしたが、そのあらあらしい 、も - り・ ある みち かわ医」し しつげん 湿原にそそぐ川の岸や、森の中にできた「けもの道」を歩いて、五 5 六キロメートル そうぞう いみん さ一まちがっこ、つ も先の町の学校にかよう移民の子どもたちにとって、それは、想像もできないほどお わたくし はんめん どうぶつず そろしく、さびしいことでした。でもその反面では、動物好きな私にとって、いろ とり・ あ たの いろな鳥や、けものたちにも会える、といった楽しみもあったのです。 と、つじ やせいどうぶつ えほんどうぶつえん 当時、絵本や動物園でしか、のぞき見ることのできなかった、野生動物たちの姿 ばうえん や習性などを、双眼鏡も望遠カメラも使わずに、それも、クローズアップ ( 大写 おも めはなさきみ し ) で、自分の目と鼻の先で見ることができたのです。そのおどろきは、今にして思 わたくし しゅ、っせい ま、んか じぶん 第、、つカん一よ、つ なか み つか おおうつ あたた すがた