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検索対象: 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ
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1. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

こうざんしよくぶつ あたりのお ~ 世畑で、一日じゅう、高山植物の実を食べてくらします。そして、日ご やまお とに寒さがましてくるにつれて、どんどん山を降り、ヤマブドウや、コクワやドング たいりよう ひか ふゅあな リなどをあさりなから、冬の穴ごもりにそなえて、皮下に大量の脂肪をたくわえま あな おな また、このヒグマと同じように、穴ごもりする小さなシマリスやナキウサギたちも、 このころ、草の実や、木の実などを、その場で食べたり、巣にはこんだり、ためこん ふゅ だりして、さかんに動きまわります。そして、そんな冬じたくのために、いそがしく 山を登り降りする小さな動物たちを狩るために、たくさんのキタキツネが、とちゅう でまちぶせたり、追いかけたりして、一日じゅうかけまわります。 ひがし だいせつざん ちょうどそのころにはまた、大雪山から東へ二〇〇キロメ 1 トルもはなれた、 おこな どうぶつ おな 私たちの住む原野でも、ま 0 たく同じようなことが、動物たちによって行われて いました。 だいはんしよく その年は、エゾャチネズミという小さなノネズミか、、大繁殖をした年だ 0 たので、 はっせいちあっ それを目当てに、たくさんのキタキツネが、その発生地に集まってきていました。 どうぶつ

2. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

「ケマの子たちは、どれくらいに育ったか、見当がつく ? 」 「さあーーーこ ぜんご 「生まれたときは一〇〇グラム前後だけど、おそらくはもう、親からえさをもらっ て食べているころだから、五〇〇グラムくらいにはなっているだろうね。」 はや 「そんなに早く ? 」 「これからは、もっともっと、育ちが早くなる。まあ、かいつまんでいえば、一三 にちぜんご 日前後で目があき、二〇日くらいで、親のあたえるえものの肉を食べはじめ、動きが かつばっ 活発になり、体重も、そのころからめつきりふえつづける。四〇日ごろには、一キ そだ ログラムぐらいになる。クマもそうだが、 " 、 月さく産んで大きく育てよ ~ ということ わざは、そんなところから出たんだ。」 ほっかしと、つ A 」、つ凵 1 ノ、、ぶ ほ、つ、」 タイチーじいさんは、おもに、北海道の東北部から北部にかけて、野生動物の宝庫 げんやもり どうぶつ すがた といわれた原野や森で、動物たちの生きる姿を、もう何年にもわたって、つぶさに じゅ、つ しぜんなかある お見てきたのです。しかも自由に、自然の中を歩きつづけてきた男らしく、 どこでも、そうした生きものたちの社会のふしぎさを、こともなげに語れるのだと たいじゅう おや はや 。け・んレ」、つ ほくぶ なんねん おお おとこ おや やせいどうぶつ いつでも、

3. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

しぜん おわ 、り・ こうした霧でおおわれたまま、終ってしまうのです。しかし、自然はよくしたもので、 のとり そうげんもり 十いにっ けおお こんなしめり気の多い、こごえるような毎日にもかかわらず、草原や森では、野の鳥 すだ はんしよく どうぶつ も動物たちも、つぎつぎと繁殖して、巣立っていくのです。 ホ 1 ムレンジ ざわさむざむ モセウシナイ沢の寒寒とした初夏は、母ギッネの「ケマ」にとっては、食べても食 しょ / 、よ / 、 一、つド」 べても、おなかがすいて、また同時に、働いても働いても、子ギッネたちの食欲 がつはい を満たしてやれないほどのせわしなさでした。でも七月に入ると、なんとはなしに、 へんか おやこあいだ 今までにはなかった一つの変化が見えてきました。それは、子ギ この親子の間に、 ツネたちが、あるていど自分たちで、えものをつかまえるころから、あらわれはじめ わたくし た、母ギッネの子ギッネに対する態度が変わったことでした。私はそれを、「ケマ」 おも ひろ、つ と思ったのですが、タイチーじいさんは、「そろそろ、 の疲労のせいかもしれない、 子ギッネへの育に、かげりが出はじめたせいによるものだ。」と見たのでした。 じぶん はたら はたら

4. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

また一方では、人間によるおそろしい仕かけが、待ちかまえていることがあります。 にんげんしん にんげんしん それは、ひとりの人間を信じたばかりに、すべての人間を信じて、肉やくだものに仕 くち ばくやく かけられた、ロハッヾ ( 爆薬 ) をかんで、頭をくだかれたり、人のにおいのついた、 どくい ころ おも 毒入りのえさを食べて殺されたりするのです。そうかと思うと、ノウサギを追ってい わか げんや は . りか、ね くとちゅうで、若いキツネたちは、原野の子どもたちの仕かけた、針金のウサギ罠に、 しれん いともかんたんに、 引っかかったりします。何ごとも試練とはい、ん、あまりにも、つか わか あな むすう つなことですが、若いキツネたちのゆく手には、こうした残こくなおとし穴が、無数 に待っているのです。 りよ、つしつ ながあいだ ハンターや キツネは、良質な毛皮をもっカワウソや、テンとともに、長い卩 わなし けがわ い罠師にねらわれてきました。そして、そのもっとも良質な毛皮がとれる時期が、 まふゅ わか 北国の真冬です。そのころはまた、若いキツネたちにとって、ひとり立ちして、これ カ′、しゅ、つ 学習 ( 経験 ) がたりないことや、むこう見ずなことによるしくじりともいえましょ つほ、つ けがわ あたま りよ、つしつ ざん ひと わな

5. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

じかん みち じ道を、ものの小一時間もたたないうちに、ふたたびもどるときには、それはもう、 おどろくほど大たんになっていました。それは、木のしげみも、石ころもない平たん あし からだぜんたい ちけ、 な芝の上でもつつ走るかのように、どんな地形にも合わせられる足と腰と、体全体 おも のバランスを、つまくコントロールする術を、身につけてしまったよ、つに田」えました。 きかん この子ギ 生まれてから、ひとり立ちするまでの期間が、わずかに五か月しかない、 あいた ツネたちは、その間に、親から、キツネとして身につけておかなければならないノ くんれん たいけんてきおし ちしき ぎじゅっ ウハウ ( 知識や技術 ) のすべてを、体験的に教えられたり、訓練されたりするわけで みち じかっ じぶんじしん ちち おわ はありません。したがって、乳ばなれが終れば、あとは、自分自身で自活の道をもと めていくことになるのです。 ざわ ともあれ、こうして、モセウシナイ沢の「ケマ」の子どもたちは、やがてやってく きたあきあ る北の秋に合わせるかのように、めまぐるしく動きまわっていました。 ちち はんっきご はや おも 思えば早いもので、はじめは、母ギッネの乳をのみ、その半月後には、親ギッネの たくましさと お運んでくるえもののカロリーの高い肉を食べるようになり、日ごとに、 敏しようさを身につけていって、ついには、体つきや体重こそ親ギッネには及ばな肪 びん うえ おや からだ おや おや およ

6. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

せいかつけんほしよう しかし、よく観察するとわかりますが、人間によって、その生活圏を保障されなが せいちょう ら、何千年も生活してきたイエネコと、そうではないキツネとでは、成長しながら まな にんげ・んと、つ一よ けいけんなかみ 学んでいく経験の中身がまったくちがいます。つまり、人間と同居するイエネコは、 ひと きけん えたい 人のあたえる食べものを食べていれば、わざわざ危険なめにあって、得体のしれない 生きものにまで、手を出す必要はまったくないのです。 まえ 私の家にいた「オンジョ」は、一びき前になってからは、ときには、二メートル ど、 A 」、つ ほどのアオダイショウを、いつも苦闘をして討ちとっては、小屋にはこんできました。 ころ おしお でも、年老いてから、今まで一度もなかったドジをふんで、シマフクロウに殺されて しまいました。 タイチ 1 じいさんも、私も、そうした、たった一度の失敗で、命をうしなって どうぶっすがた しんざんもの いく動物の姿を、身につまされながら見てきたので、この新参者の「ポーン」の姿 ふあん を見かけるたびに、不安な気持ちにかられたものです。 わか おも 実さいに、 野にいるほかの若ギッネたちも、すべてそうだと思いますが、「ポーン」 つき みじゅく のように、ひとり立ちして、いく月もたっていない未熟なキツネは、えもの一つをと わたくし なんぜんねんせいかっ かんさっ だひつよう わたくし いのち すがた

7. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

しよ、つしん ものおと 馬という動物は、のんびりした牛とちがって、とても小心で、ささいな物音や影肥 ノ、さ 、つ 6 むしん にも、おびえては暴走するくせがあります。ことに、無心になって草を食べている馬 まえ おん じよ、つ医」医」かんしゃ とっ エスエル すがた の前に、突じよとして黒煙をふきながら、ごう音をたてて ( 蒸気機関車 ) が姿 ぎ一やくじよ、つ はんごよ、つらん をあらわすと、とたんに馬は逆上します。そして半狂乱になって、そのおそろし しり エスエル かいぶつ もうぜん " 屋物。からのがれようとして、に尻をむけて、猛然とつつ走ります。こうし むざん さいしょてつきようわた て馬が、最初の鉄橋の渡し板をふみぬいたところで、無残にも、にはねられて しまったのです。 れっしやじこ ねんかん そうした、馬とによる列車事故は、その当時は、年司こ、 しいく度となくおき、 なんじかん ふつう そのたびに、可時間も、リ 歹車か不通になりました。 きてき エスエル そんなとき、のふきならす、けたたましい汽笛を聞きつけて、たくさんの人た かえ ちが、そこに集まり、はねられた馬の肉をもらって帰ったのです。ついで、やはり さ きてき ないぞう 汽笛を聞きつけて集まってきたカラスたちによって内臓がもち去られ、さらに夜にな げんや ほね ってからは、原野のキツネたちに、骨つきザンギ ( から揚げ ) のように、残りものの ひ はヘん すうじかん 破片が、ことごとく、くわえ出されました。そして、数時間たった日の出ごろには、 、つ十 どうぶつ うまエスエル あっ あっ ば、つ第、、つ こくえん れっしゃ 、つ十 ` レ」、つドレ エスエル レ」 で よる ひと

8. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

こ、つと、つしら じゅしん でんば その電波を受信して行動を調べる、バイオ・テレメトリー法とか、テレメーター法と わたくし かによって、かれらの実能 ~ を、あるていど知ることができるでしよ、つ。しかし、私 げんや たちが、この原野でキツネとっき合いはじめたころは、そういった方法はありません でした。そこで、アルミニウムやゴム片を、テグス ( 釣り糸 ) の輪につけて、ペノタ からた めだ きす くび みみさき ントのようにして、キツネの首につけて放したり、耳の先や体の一部に、目立っ傷 をもったキツネをマークして、それをしつこく追う、といったことでもしないかぎり、 こ、つと、つ かれらの行動の、おおよそのデータも得られませんでした。 でんばきき すうねん たいへいようせんそうおわ しかし、太平洋戦争が終って一〇数年ほどたって、カメラや電波機器がめざましく ちか はったっ 発達しました。それにつれて、それまで近づくことができなかったり、うかかうこと よるとり・ みぢか やせい すらできなかった、野生のけものたちゃ夜の鳥たちの、生きるようすまでが、身近な ものとして、とらえることができるようになったのです。

9. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

しれん きびしい試練が待っている みつきちか 「ポ 1 ン」が、母ギッネの「ケマ」とわかれてから三月近くたっていました。 おや くべっ からだ そのころにはもう、体つきも、毛なみも、ほとんど親とは区別かっかないほど、 ほくそ、っち あか はやし まえ げんやある 一びき前になっていて、原野を歩きながら、明るい林や、牧草地で、この「ポーン」 しんざんもの ことし ひと を見かけた人たちでも、この雌ギッネが、今年の春に生まれたばかりの新参者とは、 だれも気づかないほど、スマートで、きれいなキツネに見えました。 ひとり立ちしたこのキツネに、久しぶりで会ったタイチーじいさんも、 じかん 「あれがポーンだとわかるまで、だいぶ時間がかかったよ。」といい すこ それから少し間をおいて、 やしき 「でも、あの屋敷 ( 廃屋 ) に入れてよかったな。そうでもしなけりや、今ごろどこ いをさまよってたか、わからんかったよ。」 ′、 - ち・よ、つ むね やっと胸をなでおろした、といった口調で、「ポーン」を見つめたまま、ひとりご はいおく めす ひさ はる ました。

10. 生き生き動物の国 野山の名ハンター キツネ

ノ、不ズミ狩り とち ところで、前にものべたように、「ポ 1 ン」のホームレンジは、その土地を買 0 た 人が、乳牛用の放牧場にするということにな 0 て、さしあた 0 ては、「ポ 1 ン」か わたくし 追放されることにはならずにすみ、私は、ほ 0 としました。 はいおく そのころ「ポーン」は、ほとんど一日じゅう、その廃屋のかくれ家から出ては、あ ′さはら れはてた畑の、かれ草の原を、。ハトロールに出歩いていました。 ごえくさ ひとみみ ノネズミの鳴き声や草を 「ポーン」は、どこへいっても、人の耳には聞こえない、 あし ふむ音が聞こえるらしく、ノネズミをとらえるために、ひんばんに足をとめては、じ おな 野 0 と耳をかたむけていました。北海道大 ( アイヌ大 ) もそうですが、同じイヌ科の 医」よ′ \ 亠っ ち動物であるキタキツネにしても、また、極地のレミングを狩るホ〉キ ' クギッネにし じめん とても、たくみにノネズミを狩ります。そのばあい、一たん、その場から地面をけ 0 て りよ、つま、えあし らっか とびあがり、つぎのしゅん間、えもののま上から落下して、両前足ではさみつける 、、つ、え である