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検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
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1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

てその木を川に投げ入れた時に、先にして流れて行く方に 細い糸をつけよう。また、糸のもう少し太いのを細い糸に みつ しるしをつけておっかわしになったところ、ほんとうにそっないで、あちらのロに蜜を塗ってみよ』と言ったので、 うなのだった。 中将は帝にそのように申しあげて、蟻を入れたところ、蜜 子 へび また、五尺ぐらいの蛇の、ただ同じようなのを、『どち の匂いをかいで、ほんとうに、とても早く、穴の向こうの 草 おす めす もろこし みかど らが、雄か、雌か』といって唐土から帝に奉った。これも 口に出てしまったのだった。そうして、その糸がおのずと また、全然知ることができない。い つものように中将が親向こうに通っているのをおっかわしになったそのあとでは ひき わかえだ の所に行って問うと、『二匹を並べて、尾の方に細い若枝じめて、日本は賢い国だということがわかったということ のちのち をさし寄せる時に、尾を動かすならそれを、雌と識別せ で、その後々は唐土の帝はそういうこともしなかったのだ だいり よ』と言ったので、そのままそれは、内裏の中でそのよう にしたところ、ほんとうに一匹は動かず、一匹は動かした 帝はこの中将をすばらしい人とお思いあそばされて、 ので、また、しるしをつけておっかわしになったのだった。 『この恩賞にはわたしはお前に、どういうことをして、ど ななまが 唐土の帝は、その後久しくたってから、七曲りにくねく んな位をお前は賜ったらよいのか』と仰せになったので、 かんつう つかさ ねと曲っている玉の、中は貫通していて、左右にロがあい 『いっこうに官も位もいただきますま い。ただ年とってい しっそう ているので、小さいのを、奉って、『これに綱を通して、 る父母がこうして失踪してどこかにおりますのを探し出し それをちょうだいしましよう。こちらの国では、みなして て、都に住わせることをお許しあそばしてくださいまし』 おりますことです』と言って、奉ったのに、これではどん と申しあげたので、『たいへんたやすいことだ』というこ さいく なに立派な細工の名人でも役に立たないことだろう。多く とで、許されたので、たくさんの親が生きて喜ぶことは非 かんだちめ の上達部をはじめとして、ありとあらゆる人が『わからな常なものだった。帝は中将をば、大臣におさせなさってい らっしやるのだった。 い』と一言うのに、中将はまた親の所に行って、『こうこう あり です』と言うと、『大きな蟻を二匹つかまえて、その腰に そういうことがあって、その後、その老父が神になって ほそ にお さが

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

容貌がたいそうきれいで、気持も風雅を解する人が、筆持のほどがよくわかりましたとでも知ってもらいたいもの だ、といつも感じられるのである。 跡も見事に書き、歌もしみじみと詠じて、男を恨んでよこ しなどするのに、男は返事はこざかしくするものの、その 自分のことを必ず思ってくれるはずの人、自分を訪ねて 女の所へは寄りつかず、可憐なさまにため息をついて座り くれるはずの人は、それが当然のことなので、特別感激も こんでいる女を、見捨てて、ほかの女の所へ行きなどする 。しかしそんなに思ってくれるはずのない人が、ち よっとした応答をもこちらが安心するようにしてくれるの のは、全くあきれはてるばかり、公憤しきりというところ で、はたで見ている気持としても全くいやな感じがするは は、うれしい態度である。それは非常に簡単なことなのだ ずなのだけれど、男は自分の身の上のこととしてそういう けれど、実際にはほとんどあり得ないことであるよ。 ことが起った場合には、全然相手に対する気の毒さがわか 大体気だてが良い人で、ほんとうに才気がひらめくとい らないことよ。 った人は、男でも女でもめったにないことのように思われ る。しかしまた、そんな人も当然たくさんいるはずではあ 一四よろづのことよりも情あるこそ ろう。 すべてのことにまさって、情のあるのは、男はもちろん 一五人のうへ言ふを腹立つ人こそ のこと、女にも結構なことに思われる。ほんのちょっとし た言葉であるけれど、そして痛切に心の中に深くしみ通る 人のことについてうわさするのを聞いて腹を立てる人こ わけではないけれど、気の毒なことに対しては「お気の毒そ、ひどくわけがわからないものである。どうして人のこ 第 とを言わないではいられようか。自分の身のことはさてお に」とも一一 = ロ い、かわいそうなことに対しては「ほんとうに、 付 どんなに思っておいででしよう」などと言ったのを、人か き、これほど非難したくまた言いたいものが他にあろうか けれど人のことを言うのはよくないことのようでもある。 ら伝え聞いたのは、面と向って言うのを聞くよりもうれし いものだ。どうかしてこの言葉を言ってくれた人に、お気また言われた人は自然とその悪口を聞きつけて恨んだりす

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

こうべん はり、ひどくわれながら身の程知らずに、どうしてこのよ さるのを、抗弁のことばなどを申しあげるのは、目を疑う うに宮仕えに立ち出てしまったことかと、汗がにじみこば ばかりで、あきれるほどまで、赤らめたところでどうしょ うもないことながら、顔が赤らむことであるよ。大納言様れて、ひどくつらいので、いったい何を御応答申しあげよ くだもの うか。ちょうどよい具合に陰になるものとして差しあげて は御果物を召しあがりなどして、中宮様にも差しあげなさ いる扇をまで大納一言様がお取り上げになっているので、ふ る。 ひたいがみ みきちょう りかけて顔を隠すべき額髪のみつともなさをまで考えると、 大納言様が、「御几帳の後ろにいるのは、だれだ」とき 「すべてほんとうに、わたしのそうした様子がみすばらし っと女房におたずねになるのであろう、そして女房が「こ く見えていることであろう、早くお立ちになってくださ れこれです」と申しあげるのであろう、座を立ってこちら い」などと思うけれど、扇を手でもてあそんで、「この絵 においでになるのを、どこかほかへいらっしやるのであろ はだれが描かせたのか」などとおっしやって、急にもお立 うかと思うのに、たいへん近くお座りになって、お話など ふ そで みやづか なさる。わたしがまだ宮仕えに参上しなかった時に、お聞ちにならないので、顔に袖を押し当てて、うつぶしに臥し もからぎぬ ているのは、裳や唐衣におしろいが移って、顔はまだらで きおきなさったのだったことなどを、「ほんとうにそうだ あろう。 ったのか」などとおっしやるので、今まで御几帳を隔てて、 大納言様が長いこと座っていらっしやるのを、もちろん 遠くからよそ目にお見申しあげるのでさえ気おくれをおば えていたのだったのに、ひどく思いがけなくて、じかにおつらいとわたしが思っているだろうと中宮様はお察しあそ 段 こればしていらっしやるのだろうか、大納言様に「これを御覧 向い申しあげている気持は、現実とも感じられない。 ぐぶ ぎようこう なさい これはだれが描いたのですか」と申しあげあそば まで、行幸などを見物するのに、供奉の大納言様が、遠く 第 からこちらの車のガにちょっとお目をお向けになる場合は、すのを、うれしいと思うのに、「いただいて、見ましよう」 したすだれ と申しあげなさるので、中宮様は、「やはりここへ」と仰 車の下簾の乱れをあらため、こちらの人影が透いて見える せあそばすと、大納言様は「わたしをつかまえて立たせな かもしれないと、扇をかざして顔を隠した、それなのにや おうぎ す

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ふえ せい・一う 来などするはずがあろうか。しかし、生まじめな性向の人時などは、ましてたいへんおもしろい。客が笛などを吹い て帰って行ってしまったのに、自分は、急にも寝られず、 は、「夜が更けてしまった。御門も不用心のようです」と 言って帰って行く人もある。ほんとうにこちらに対する志人のうわさ話などもし、歌など話したり聞いたりするまま に、寝入ってしまうのこそおもしろい が特別な人は、「早くお帰りください」などと何度も追い 払われると、それでもやはり座ったままで夜を明かすので、 一七九雪のいと高くはあらで 門番はたびたび見てまわるのに、夜が明けてしまいそうな 雪がたいして深くはなくて、うっすらと降っているのな 様子を、異常なことに思って、「たいへん大事な御門を、 どは、たいへんおもしろい 今晩はライサウとあけひろげて」と客のお耳にはいるよう いまキ一ら また、雪がとても深く降り積っているタ暮時から、部屋 に申しあげて、今更そうしてもはじまらないことながら ひおけ はしぢか あかっき の端近な所で、気の合った人が二、三人ぐらい、火桶を中 暁になってからしめるようである。その態度はどんなに にすえて、話などをするうちに、暗くなってしまったので、 にくらしいことか。でも、親が一緒に住んでいる人の場合 こちらには火もともさないのに、あたりいったい雪の光が、 は、やはりこういうふうなものなのだ。まして、ほんとう ひばしはい かよ とても白く見えているなかで、火箸で灰などをわけもなく の親でない人は、女のもとに通って来る男の客のことをど おとこきようだい んなに思っているだろうとまで遠慮されて。男兄弟の家な掻きながら、しんみりした事もおもしろい事も、話し合う のこそおもしろい 段ども、愛想がない間柄の場合では、同様であろう。 宵も過ぎてしまっているだろうと思うころに、沓の音が 夜中、暁を問わず、門はたいして気をつけてきびしくし めるというのでもなく、何の宮様、宮中、あるいは殿たち近く聞えるので、変だなと思って外を見ていると、時々、 やしき 第 こうした折に、思いがけなく現れる人なのだった。「今日 のお邸にお仕えする女房たちが応対に出て、格子なども上 なん げたままで、冬の夜を座り明かして、客が退出したあとも、の雪をどう御覧になるかとお思い申しあげながら、何とい さまた ありあけ うこともないことで、お伺いすることが妨げられて、その 部屋の中から見送っているのこそおもしろい。有明の月の ふ くっ

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

しておられることだろうよ。良少将といった人で、毎年舞 たいへん、終ってしまおうことは、残念である。上達部な びと どもつづいて出ておしまいになったので、ひどく物足りな人であって、それをすばらしいものとして思い込んでしま な かみみやしろ みかぐ かえだ く残念なのに、賀茂の臨時の祭の場合は、還り立ちの御神ったのだった人が、亡くなって、上の御社の、一の橋の下 にその霊がいるそうだということを聞くと、気味が悪く、 楽などによってこそ気持がなぐさめられるものだ。庭火の いちずに物を思い込まないようにしようと思うけれども、 煙の細く立ちのばっている折に、神楽の笛の音が明るく晴 ふる っこ , っ田い垣 れやかに震えて、細い音で吹き澄しているのに、歌の声も、やはりこの祭のすばらしいことをこそは、い てることはできそうにもない。 とても身にしみじみと感じられ、たいへん明るく晴れやか し・よギ、い うちぎめ に冴えて立ちのばって、打衣もとても肌に冷たく、扇を持「八幡の臨時の祭の終ったあとこそ、とても所在ないもの です。どうして帰って、また舞うことをしなかったのでし っている手が冷えるが、夢中なのでそれも感じられない。 にんじようぎえおのこ よ , つ。そ , っしたらおもしろいことでしょ , つのに。禄をもら 人長が才の男たちをお呼び寄せになって、才の男たちが跳 って、後ろから退出するのこそ、期待はずれでがっかりし んで来ているのも、人長の気持よさそうな様子などがたい しゅ 2 しし 4 う ます」などと女房たちが言うのを、主上におかせられては したものだ。 いっ第一う お聞きあそばされて、「あした帰って来ようのを、召して 里にいる時は、ただ一行が通って行くのを見るのに、そ みやしろ のお通りを見るだけでは不満足なので、御社まで行って見舞わせよう」などと仰せになる。「ほんとうでございまし ようか。そうしたら、どんなにすばらしいことでしよう」 る折もある。大きな木のもとに、車を立ててあるので、松 明の煙がたなびいて、その火の光に舞人の半臂の緒や、衣などと申しあげる。うれしがって、中宮様にも、「やはり それをお舞わせあそばしてくださいませ」と、集って夢中 装の艶も、昼間よりは格段にまさって見られる。橋の板を 第 で申しあげたところが、その時は帰って舞ったのは、うれ 踏み鳴らし踏み鳴らしして、声を合せて舞う折もとてもお しかったことだった。「まさかそんなことはあるはずがな もしろいのに、水の流れる音、笛の音などがそれと一緒に なって聞えるのは、ほんとうに神さまもうれしいと思し召かろう」と油断しているのに、舞人が、主上におかせられ つや かんだちめ ろく

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

わたしの乗っているのは、見た目がきれいに作ってあっ 定の所に漕ぎつける間に、舟に波がうちかけているありさ もこうすきかげ つまど まであるのは、あれほどにも余波さえもなかった海とも見て、帽額の透影や、妻戸をあけ、格子を上げなどして、さ まざまの造作が設けてあってもほかの舟と同じほど重そう えないのだ。 子 でもないので、まるで家の小さいのといったふうだ。 思うに、舟に乗って漕ぎまわる人ほど、不気味で恐ろし 草 舟の中にいて、ほかの舟を見やるのこそ、ひどく恐ろし いものはないのだ。いいかげんな深さであってさえも、何 枕 遠いのは、ほんとうに笹の葉で小舟を作ってうち散ら とも頼りない様子の物に乗って、漕いで行っていいもので してある様子に、とてもよく似ている。舟泊りしている所 はないのだよ。まして底の果てもわからす、千尋などあろ で、舟ごとに火をともしているのは、おもしろく見える。 うというのに、舟に物をとてもたくさん積み入れてあるの ふなにんそくげすおとこ みず ! わ はし舟と名づけてたいへん小さい舟に乗って漕ぎまわる、 で、水際は一尺ぐらいさえもないのに、船人足の下衆男た その早朝の様子など、とてもしみじみと心にしみた感じが ちが、少しも恐ろしいとも思っていないふうで走りまわり、 しらなみ ちょっとでも手荒く扱えば沈みもしようかと思うのに、大する。「あとの白波」は、歌にあるようにほんとうにたち きな松の木などの、長さ二、三尺ぐらいで丸いのを、五つまち次々と消えてゆくものなのだ。相当の身分の人は、舟 に乗って動きまわることはすべきではないことと、やはり 六つ、ばんばんと舟の中に投げ入れなどするのこそたいへ やかた 、。けれど、 んなものだ。貴いお方は屋形というもののほうを御座所と感じられる。陸地の徒歩もまたとても恐ろしし しておいでになる。けれど、奥にいる者は、少し安、いだ。 それは、何が何でも、地面にちゃんと足が着いているのだ 舟の端に立っている者たちこそ、目がくらむような気がすから、とても頼りになると思うので。 はやお 海女が海にもぐっているのは、気のふさぐしわざだ。腰 る。早緒をつけて、のんびりとすげたその早緒の弱そうな についている物が切れた時は、どうしようというのだろう。 ことったら。もし切れてしまったら、何の役に立っという のだろうか。とたんに海に落ち込んでしまうだろう。それせめて男がそれをするのなら、それもよいだろうが、女は、 並一通りの気持ではないであろう。男は舟に乗って、歌な でさえ、たいして太くなどもないのだ。 ちひろ ささ

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

くろいあそばしていらっしやるのを、女房たちが集って、 が、この時は、あの女の身に、たった今なりたいものだと じようだん 冗談。 こくやしがって何やかや言うようだ。 感じられた。 琴や笛など習う場合、これもまた、文字を書く場合のよ 男も、女も、坊さんも、よい子を持っている人は、た、 うにこそ、未熟のうちは、あの人のように早くなりたいと へんうらやましい。髪が長くきちんと整っていて、下がっ とうぐう しゅじよう めのと 当然感じられるようだ。主上や、東宮の御乳母はうらやま ている端などがすばらしい人。身分の高い人が、人にオし ほうばうきさきによう 1 」 せつにかしずかれなさるのも、とてもうらやましい。文字しい。主上付きの女房で、方々の后や女御がたに出はいり さんまい よいあかっき じよ、つ がうまく、歌を上手に詠んで、何かの折にまっ先に選び出することを許されているの。三昧堂を建てて、宵や暁に祈 すごろく っておられる人。双六を打つのに、相手の賽のよい目が出 される人。 し第一う ひじり りつば ているの。ほんとうに世間を思い捨てている聖。 立派なお方の御前に、女房がとてもたくさん伺候してい る時に、おくゆかしいお方の所へお届けあそばすはずの代 一六三とくゆかしきもの 筆のお手紙などを、だれだって鳥の足跡みたいな文字では、 まきぞめ しもつばね 早く結果が知りたいもの巻染、むら濃、くくった物な どうして書いているはずがあろうか。けれど、下局などに すずり どを染めている時。人が子を生んだのは、男か女か早く聞 いるのを、わざわざお呼び寄せになって、御自分の御硯を きたい。身分の高い人については言うまでもない。つまら 取りおろしてお書かせになるのは、うらやましい。そうし ねんちょうしゃ ない者や、身分の低い人の場合でさえ聞きたいものだ。除 段たことは、そのお仕えする場所の年長者の女房なんかとな 一もく 目のまだ早い翌朝、必ずしも知っている人で任官するはず ってしまうと、ほんとうに難波津の歌を書く程度から遠く へた の人などがない折も、結果を聞きたいものだ。愛する人が もないような下手な人も、事柄次第で書くのだが、これは かんだちめ みやづか 第 よこしている手紙 そうではなくて、上達部のもとや、また、はじめて宮仕え 1 ) んじよう に参上しようなどと、人が言上させているだれかの娘など 一六四心もとなきもの には、特に気をつかって料紙をはじめとして、何かとおっ なにわづ 0 じ

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

てみな一緒にかたまってさえいるのなら、隠れ所があるだ を刺し、化粧をする様子は、あらためて言うまでもなく、 ろうが、四人ずつ、書きあげたものに従って、「だれそれ、 髪などというものは、明日からのちは、もうどうでもよい だれそれ」と呼び立ててお乗せになって、その呼名につれ といったふうに見えるほど、今日一日に熱中している。 とら て車のもとまで歩いて行く気持は、ひどくほんとうに思い 「寅の時に、中宮様はお出かけあそばすはずだということ おうぎ がけない感じがして、あらわだといっても、世間並で、何 です。どうして今まで参上なさらなかったのですか。扇を みす 一カ 御簾の内側に、大勢のお方の御 とも言い表しようがない。 / 使いに持たせて、あなたをお探し申しあげる人がありまし ひとり 目の中でも、とりわけて中宮様が「見苦しい」と御覧あそ た」などと、一人の女房がわたしに告げる。 ばそうのは、あらためてまたやりきれない気持がすること そういうことで、ほんとうに寅の時かと思って、すっか からだ カ限りもない。身体から汗がにじみ出るので、きれいに り身支度を整えて待っているのに、時が過ぎて夜が明けて、 さかだ からびさし 日も出てしまった。「西の対の唐廂に、車を寄せて乗るは整えた髪なども、逆立つであろうと感じられる。何とかう ふたり わたどの まくそこを通り過ぎたところが、お二人ともたいへん、こ ずだ」というので、いる限りの女房が全部、渡殿を通って しんざんもの ちらが気おくれするはどおうつくしく見える御様子で、大 行く時には、まだうぶな新参者たちは、ひどく遠慮してい さんみ 、、ゝ、ここにこしてこちらを御覧になる るような様子なのに、西の対には関白様がお住いあそばす納一言と三位の中将と力し のは、現実とは感じられない。けれど、倒れないで、そこ ので、中宮様におかせられてもそこにおいであそばして、 はじめに女房たちを関白様が車にお乗せあそばすのを御覧まで行き着いてしまったことこそ、いったいえらいのか、 しげいしゃ みすうち あっかましいのかと、われながら感じられるけれど、みな あそばすということで、御簾の内に中宮様、淑景舎、三の かた 君、四の君、関白様の北の方、その御妹君がお三方、立ち乗り終ってしまったので、車を御門から引き出して、二条 第 の大路に榻を立てて、物見車のようにして立ち並べている 並んでおいであそばす。 さんみ のは、たいへんおもしろい。きっと人もそう見ているであ 車の左右に大納言と三位の中将のお二方で、簾を上げ、 00 したすだれ 下簾を引き上げて、わたしたち女房をお乗せになる。せめろうと、自然胸がどきどきする。四位、五位、六位などの けしよう すだれ おおじ しじ

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 354 みやづか それをつらいことに思って、また別の方面に宮仕えして身 を立てようと思い立っこともなくて過したのに、しかるべ く親しく頼りにすることのできる人も、しだいに世を去っ 奥書 てしまって、子なども全く持っていなかったために、どう しようもなくて、年老いてしまったので、かたちを尼姿に 枕草子は、だれもが持っているけれども、ほんとうによ めのとご あわ い本は世に存在しにくい物である。これもそれほどよいと変えて、乳母子の縁故があって、阿波の国に行って、粗末 かやぶき な萱葺の家に住んだのだった。つづりという物を帽子にし いうのではないけれど、能因の本と聞くので、そう悪くは あるまいと思って、書き写してあるのですよ。草子の様子て、青菜という物を乾しに、外に出て帰るという時に、 のうしすがた 「昔の直衣姿こそ思い出されることだ」と言ったというの も、筆跡も劣っているけれど、これはあまり人などに貸さ こそ、やはり昔の気持が残っていたのだったかと、しみじ ないでおいていただきたい。一般に枕草子の伝本がたくさ みと心にしみる感じがする。だから、人の命の終りの、思 んある中で、まあ見られるものではあるけれども、やはり うようであることは、若い時に立派であることにも拠るも この本もたいへんすぐれているとも感じられません。先の いつばん のではないのだった、とこそ感じられる。 一条院の一品の宮の本、ということで見たのこそ、すばら もと しかった、と元の本に見えている。 どはず これを書いている清少納言は、度外れて優美な人であっ て、普通の人が、まじめに頼りにしてしまうべきことなど ゅうえん は語ってはいないで、優艶に情趣のあることをだけ思って 過ぎてしまったのだった。宮の御もとにも、御世が衰えて しまったのちには、いつも伺候していたわけではない。そ うしているうちに宮がお亡くなりになってしまったので、

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

て、夜鳴くものはすばらしい チトモ、それはすばらしくないよ。 二五一せめておそろしきもの 子 かみなり 二四九八月つごもりに、太秦に詣づとて ひどく恐ろしいもの夜鳴る雷。近い隣に盗人が入って 草 うずまささんけい いるの。自分が住む所に入っているのは、ただもう無我夢 八月末に、太秦に参詣するということで外出した。穂が 枕 出ている田に、人がたいへんたくさんいて騒ぐ。稲を刈る中なので、何ともわからない。 ま のであった。「さ苗取りし、いつの間に」と歌にあるのは、 かも 二五二たのもしきもの ほんとうになるほど、先だって、賀茂に参詣するとて道で ま ずほう 頼もしいもの病気のころ、坊さんがたくさんいて修法 見たそのさ苗が、いつの間にかしみじみと心にしみて感じ をしているの。愛する人が病気のころ、はんとうに頼みに られる風情にもなってしまっていたのだったよ。この場合 なる人が、話をしてなぐさめて、頼りにさせているの。何 は女性もまじってはいず、男が片手に、とても赤い稲で、 か恐ろしい時の、親たちのそば。 根もとは青いのを刈って持って、刀か何だろうか、根もと らくらく を切る様子が楽々としていてすばらしいので、ひどく自分 二五三いみじうしたてて婿取りたるに でやってみたいように見えることだよ。どうしてそんなこ りつば とをしているのだろうか、穂を上に向けて立てて、自分た たいへん立派な支度をして婿を取ったのに、たちまちの うちにそこに通って来なくなった婿が、しかるべき所など ちは並んで腰をおろしているのが、とてもおもしろく見え しゅうと で舅に出会っているのは、さすがの婿も舅を気の毒と思っ る。仮小屋の様子が変っている。 ているだろうか 二五〇いみじくきたなきもの ある人が、たいへん時めいている人の婿となって、たっ ほうき ひどく汚いものなめくじ。粗末な板敷を掃く箒。殿上た一か月ぐらいもはかばかしくも通って来ないでそれつき か り や きたな せん ′」うし の合子。 めすびと