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検索対象: 日本の街道 8 日燃ゆる九州

日本の街道 8 日燃ゆる九州から 162件ヒットしました。

日本の街道 8 日燃ゆる九州


島 原 半 . ′ 島 湯 を 大 矢 天 草 五 橋 池 0 有 明 富 崗 0 坂 瀬 川 0 ' 和 天 草 上 島 琴 北 。 本 渡 > 0 都 呂 々 0 栖 本 灘 0 小 田 床 、 = 0 高 浜 0 小 宮 地 0 天 草 大 。 。 津 。 宮 野 河 内 魚 貫 0 歴 史 と 詩 の 島 ・ 天 草 キ リ シ タ ン と レ ジ ス タ ン ス の 道 道 と な っ た 。 し か も 、 昭 和 四 十 一 年 九 月 か ら は 、 天 ′ 」 き よ う 天 草 の 海 と 生 活 の 道 草 の 東 部 の 島 々 を 結 ぶ 「 五 橋 」 が で き て 、 熊 本 へ の 天 草 は 「 キ リ シ タ ン の 島 」 「 レ ジ ス タ ン ス の 島 」 従 属 が い っ そ う 強 ま っ た 。 し か し 、 天 草 の 生 活 交 流 「 歴 史 と 詩 の 島 」 な ど 、 い ろ い ろ と い わ れ て き た 。 圏 は 昔 か ら 、 下 島 の 東 北 部 は 鬼 池 を 起 点 に 島 原 へ 、 う し ぶ か 天 草 は 四 つ の 海 に 囲 ま れ て い る 。 西 は 東 シ ナ 海 へ 西 北 部 は 富 岡 を 起 点 に 長 崎 へ 、 南 部 は 牛 深 を 起 点 に し ら ぬ 続 く 天 草 灘 、 東 南 は 不 知 火 海 、 東 北 は 有 明 海 、 西 北 薩 摩 へ と 結 ば れ て い た 。 ち ぢ わ は 千 々 石 湾 で あ る 。 天 草 は 平 野 が 少 な い 島 で あ る 。 天 草 の 歴 史 探 訪 と か 歴 史 散 歩 を す る 場 合 、 ① 有 明 こ の た め 、 天 草 に は 他 国 と 結 ぶ 「 天 草 街 道 」 と か 、 海 沿 岸 コ ー ス Ⅱ 「 天 草 の 乱 の 道 」 、 ② 天 草 灘 沿 岸 コ 「 天 草 路 」 と い っ た 呼 び 名 は な い 。 陸 上 交 通 は 海 岸 ー ス Ⅱ 「 キ リ シ タ ン 里 の 道 」 、 ③ 下 島 南 岸 コ ー ス Ⅱ ぞ い の 道 か 、 山 越 え 、 あ る い は 山 の 尾 根 の 道 だ っ た 「 明 治 三 大 騒 動 の 道 」 、 ④ 上 島 南 岸 コ ー ス Ⅱ 「 農 民 一 の で 、 海 上 交 通 の ほ う が 便 利 で 、 さ か ん で あ っ た 。 揆 の 道 」 、 以 上 の 四 つ の 道 に 分 け ら れ る 。 天 草 の 道 は 、 そ れ ぞ れ 〃 往 還 〃 と 呼 ば れ て 、 す べ し も し ま 天 草 の 乱 の 道 て が 天 草 下 島 西 北 部 の 富 岡 町 へ 通 じ て い た 。 こ の 町 け い ち ょ う 有 明 海 沿 岸 コ ー ス の 「 天 草 の 乱 の 道 」 は 、 有 明 海 が 慶 長 八 年 (81*fi) か ら 明 治 六 年 ( 七 0 ま で 天 草 の 中 心 だ っ た か ら で あ る 。 そ の た め 、 海 陸 と も 、 富 岡 を は さ ん で 、 対 岸 の 雲 仙 岳 が 東 西 に 長 い 裾 野 を 垂 れ へ の 年 貢 米 を 運 ぶ 道 か ら 発 達 し た 。 て 、 い つ も 美 し く 見 え る 。 有 名 な 天 草 ・ 島 原 の 乱 明 治 六 年 三 月 以 後 、 天 草 の 中 心 地 は 、 富 岡 か ら 本 は 、 寛 永 十 四 年 ( 一 一 し 十 月 、 島 原 南 目 と 天 草 北 目 の た ち か え 渡 へ 移 っ た 。 ま た 、 こ れ ま で 天 領 と し て 肥 前 の 島 原 農 漁 民 が キ リ シ タ ン に 立 帰 り 、 一 体 と な っ て 一 揆 を や 長 崎 の 管 轄 下 に あ っ た の が 、 熊 本 県 へ 所 属 が 移 っ 展 開 し た も の で あ る 。 島 原 と 天 草 を 結 ぶ 有 明 海 の 真 た た め 、 そ れ 以 後 の 天 草 の 道 は す べ て 熊 本 へ 通 じ る ん 中 に 浮 か ぶ 湯 島 は 、 両 地 の 幹 部 が 作 戦 を 談 合 し た 0 天 草 下 御 所 浦 島 島 0 深 海 0 牛 深 島 長 と み お か ほ ん 鶴 田 文 史 熊 本 史 学 会 会 員 お に い け . 746

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竜 ヶ 岳 よ り 不 知 火 海 天 草 群 島 中 名 勝 山 の 一 つ て 上 島 南 東 岸 に 、 . 存 立 。 地 域 農 漁 民 の 生 活 を 昔 か ら 見 ま も っ て こ う ち う ら か わ う ら 十 三 年 以 降 は 天 草 氏 の 本 城 河 内 浦 城 下 で あ る 河 浦 説 岸 地 域 で 、 不 知 火 海 に 浮 か ぶ 大 小 の 島 々 が 島 影 を 映 が 有 力 で あ る 。 し て 、 い つ も 美 し く 見 え る 。 こ の 地 域 は 、 天 草 で も 古 墳 が 多 い と こ ろ で あ る 。 明 治 三 大 騒 動 の 道 天 草 の 農 民 一 揆 は 、 天 草 ・ 島 原 の 乱 後 、 幕 末 ま で 下 島 南 岸 コ ー ス の 「 明 治 三 大 騒 動 の 道 」 は 、 下 島 約 五 〇 件 も 発 生 し て い る 。 そ の な か で も 、 最 後 で 最 の 南 端 の 九 州 で も 有 数 な 水 産 都 市 牛 深 を 中 心 に 、 西 大 の 一 揆 が 、 そ の 前 哨 戦 と も い う べ き 天 保 十 五 年 こ う か は 天 草 灘 、 東 は 不 知 火 海 沿 岸 の 地 域 を ふ く む 。 牛 深 (h) の 一 揆 に つ づ く 、 弘 化 四 年 (ö) の 世 直 し 一 の 遠 見 番 所 跡 か ら の 景 観 は 遠 い 南 国 さ え 見 え る よ う 揆 で あ る 。 前 者 は 、 大 矢 野 か ら 始 ま っ て 上 島 全 土 へ な 雄 大 さ で あ る 。 拡 大 し 、 ま た 後 者 は 、 上 島 南 西 部 の 元 栖 本 氏 の 居 城 「 明 治 三 大 騒 動 」 と は 、 明 治 六 年 の 徴 兵 令 に 対 し て 地 で あ っ た 栖 本 が 中 心 地 で 、 上 島 か ら 下 島 へ と 展 開 し た 。 こ の 一 揆 は 天 草 の 乱 と 同 じ く 大 規 模 な も の 反 対 の 闘 争 が 崎 津 ・ 今 富 に 発 生 し た こ と を は じ め 、 同 十 年 西 南 戦 争 時 の 官 軍 の 徴 用 に 対 し て 徴 用 拒 否 の で 、 古 江 村 庄 屋 永 田 隆 三 郎 が 指 導 し て 、 「 第 二 の 天 草 の 乱 」 と も 呼 ば れ た 。 こ の 大 一 揆 関 係 の 史 跡 は 多 闘 争 が 深 海 や 宮 野 河 内 や 上 島 南 岸 で 発 生 し た こ と 、 ほ っ か い び よ う ど う り そ し て 同 四 十 二 年 炭 鉱 に お け る 賃 金 遅 配 と 年 末 一 時 い が 、 と く に 義 民 永 田 翁 が 建 立 し た 「 法 界 平 等 利 金 を め ぐ る 天 草 最 初 の 労 働 争 議 が 魚 貫 で 発 生 し た こ 益 」 な る 平 等 思 想 を あ ら わ す 等 身 大 の 石 碑 二 基 が 現 と を さ す の で あ る 。 存 し て い る 。 こ れ は 封 建 社 会 に お い て 建 立 さ れ た と い う 点 で 、 全 国 的 に も き わ め て 貴 重 な 歴 史 的 遺 産 と な お 、 こ の 道 の 途 中 に あ る 久 玉 城 跡 は 、 中 世 城 郭 え よ , つ 。 の 遺 構 と し て は 熊 本 県 下 で は 第 一 級 で あ り 、 県 文 化 財 に 指 定 さ れ て い る 。 ま た 、 小 宮 地 新 田 は 、 平 野 が 最 後 に 、 天 草 は 「 か ら ゆ き さ ん の 島 」 と み ら れ て 少 な く 新 田 干 拓 が 多 か っ た 天 草 で は 最 も 古 く て 広 い お り 、 獅 子 文 六 の 『 南 の 風 』 、 円 地 文 子 の 『 南 の 新 田 の 典 型 で あ ろ う 。 楠 浦 に は 、 旧 庄 屋 宗 像 家 の 大 肌 』 、 山 崎 朋 子 の 『 サ ン ダ カ ン 八 番 娼 館 』 な ど 、 天 草 き な 役 宅 が 現 存 し 、 ま た 天 草 一 の 美 し い 眼 鏡 橋 が あ 草 の か ら ゆ き さ ん に つ い て の す ぐ れ た 作 品 が あ る 。 島 の 詩 し か し 「 か ら ゆ き さ ん 」 は 、 天 草 独 自 の も の で は な 史 く 、 西 日 本 各 地 に 散 在 し て い た の で あ る 。 天 草 の 島 農 民 一 揆 の 道 を 「 か ら ゆ き さ ん の 島 」 と し て レ ッ テ ル を 貼 る よ う 9 上 島 南 岸 コ ー ス の 「 農 民 一 揆 の 道 」 は 、 上 島 の 南 な こ と は で き な い 。

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/ 至 武 雄 ま 。 わ 杵 キ リ シ タ ン 文 化 と 東 西 貿 易 港 町 ・ 平 戸 と 長 崎 経 ヶ 岳 △ 与 日 見 峠 上 浦 津 時 道 時 崎 て 、 瀬 戸 内 の 水 軍 に な ら ぶ 一 大 海 上 勢 力 を 誇 っ た 。 絹 と 胡 椒 の 十 字 路 そ の 海 は 、 ひ と ま た ぎ で 真 北 は 釜 山 、 真 西 は 揚 子 ひ ら ど 博 多 発 の 急 行 「 平 戸 」 は 、 松 浦 線 経 由 の 長 崎 行 き 江 下 流 域 に 達 す る の で 、 彼 の 地 の 沿 海 民 と 合 流 し た わ こ う で あ る 。 唐 津 ・ 伊 万 里 を 経 て 二 時 間 半 で 「 日 本 最 西 「 倭 寇 」 の 舞 台 は 、 九 州 西 岸 を 南 下 し て 、 琉 球 か ら ル ソ ン 端 の 駅 」 平 戸 口 に 着 く 。 長 崎 ま で の ち ょ う ど 半 路 で 呂 宋 ・ 華 南 ( 中 国 ) 南 部 ・ イ ン ド シ ナ ま で の び て い る 。 天 あ る 。 文 十 二 年 (ff) わ が 国 に は じ め て 鉄 砲 を 伝 え た ポ ル ト ガ ル 人 も 、 マ ッ ラ の 海 を 根 城 に し た 中 国 人 王 直 の こ こ か ら 平 戸 島 翁 戸 ) へ は 、 近 年 開 通 の 平 戸 大 橋 を 、 バ ス ・ 車 や 徒 歩 で 渡 る こ と も で き る が 、 渦 を 巻 帰 り 船 に 便 乗 し て 種 子 島 に 着 い た の で あ る 。 有 史 以 い て 流 れ る 平 戸 瀬 戸 ( 。 初 代 オ ラ ン ダ 商 館 長 の 名 し は 、 や 来 、 マ ッ ラ の 海 は 、 日 本 と 中 国 大 陸 、 南 海 ・ 琉 球 と は り 万 葉 人 や ザ ビ エ ル ら が た ど っ た よ う に 、 船 で 当 朝 鮮 半 島 と を 結 ぶ 、 東 西 と 南 北 の 海 の 十 字 路 で あ ふ と う 時 の 埠 頭 に 迫 る ほ う が 趣 が 深 い 。 ど ち ら に し て も 、 り 、 そ れ は 東 西 の 絹 、 南 北 の 胡 椒 の 十 字 路 で 、 朱 印 三 〇 分 内 外 の コ ー ス で あ る 。 船 や 南 蛮 ・ 唐 蘭 貿 易 を 通 し て 、 マ カ オ ・ ジ ャ カ ル さ ら に メ キ シ コ に 平 戸 を 中 心 に 、 東 は 唐 津 付 近 か ら 西 南 の 五 島 列 島 タ ・ ア ラ ビ ア 半 島 ・ ヨ ー ロ ッ パ 、 ま で の 、 直 線 で 一 五 〇 キ ロ メ ] ト ル に お よ ぶ 沿 岸 一 い た る 異 国 へ の 路 で あ っ た 。 ま つ ら 帯 は 、 古 代 か ら 明 治 初 年 ま で 「 肥 前 国 松 浦 郡 」 で あ そ の ぎ コ ル ネ リ ヤ の 涙 っ た 。 こ れ と 南 の 長 崎 辺 の 彼 杵 郡 を 含 め た 九 州 北 西 沿 岸 部 は 、 西 海 国 立 公 園 に 代 表 さ れ る 日 本 屈 指 の 沈 平 戸 の 緑 は 輝 い て い る 。 フ ェ リ ー が 桟 橋 に 近 づ く 降 海 岸 で 、 無 数 の 浦 と 小 島 か ら な る 。 土 地 は 狭 く 、 と 、 ソ テ ッ ・ ビ ロ ウ が 自 生 し 、 ホ ル ト ノ キ ・ イ ヌ ガ 集 落 は 孤 立 し て い る が 、 『 魏 志 』 倭 人 伝 以 来 同 じ 海 シ な ど の 暖 地 性 樹 林 の 下 に 、 石 積 み の 塀 と 低 い 屋 根 人 族 と し て 固 く 結 ば れ 、 中 世 に は 「 松 浦 党 」 と し の 武 家 屋 敷 が 点 在 し 、 そ の 下 の 湾 沿 い に 町 屋 が 続 く び と フ ェ リ ー も ん 中 村 質 九 州 大 学 助 教 授 て ん 8

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黒 潮 う ず ま く 「 海 上 の 道 」 琉 球 王 国 と 南 海 の 島 々 方 か ら 流 れ 寄 る 二 つ の 潮 流 は 、 い ず れ も 流 速 が は や 「 海 上 の 道 」 を 移 動 し た 人 と 文 化 く 、 ま た き び し い も の が あ る 。 し か し 南 の 人 び と 古 代 以 降 、 南 国 と い え ば 鹿 児 島 、 南 島 と い え ば 薩 は 、 こ れ ら の 潮 流 を う ま く 活 用 し 、 あ る い は 自 然 の は ん し よ う や く た ね が し ま 南 の 屋 久 ・ 種 子 島 以 南 の 島 々 を も っ て 汎 称 し て き 厳 し さ に よ く 耐 え 、 そ し て こ れ を 克 服 し て き た 。 た 。 こ の 南 の 島 々 は 、 九 州 か ら 台 湾 に い た る ま で 飛 南 か ら 黒 潮 に の っ て 北 上 し た 諸 々 の 文 化 を 俗 に 黒 び 石 状 に 点 在 し 、 大 き く 太 平 洋 に 向 か っ て 弧 状 を な 潮 文 化 と よ ん で い る が 、 黒 潮 の 道 と い う 名 称 は あ ま し て 張 り 出 し て い る 。 そ の た め 近 年 は 弧 状 列 島 と り 馴 染 み が な い 。 こ の 黒 潮 文 化 は ど ち ら か と い う と 島 か 、 あ る い は 琉 球 弧 の 島 々 な ど と よ ば れ る よ う に な 有 史 以 前 に 多 く 、 歴 史 時 代 以 後 に お い て は む し ろ 北 っ ? 」 0 か ら 南 下 し た 文 化 の 方 が は る か に 多 か っ た よ う で あ 島 0 。 山 国 島 重 こ れ ら の 島 々 は 、 は る か 八 重 の 潮 路 の 彼 方 な る 位 る 。 し か し 、 南 方 海 上 か ら 本 州 沿 岸 に 北 上 し て き た ・ 那 0 表 八 お う せ き 与 西 置 に あ り な が ら 、 往 昔 か ら そ れ ほ ど 交 通 不 便 な 島 で 黒 潮 の 道 を も 包 含 し て 、 こ れ を ひ ろ く 「 海 上 の 道 」 は な か っ た 。 わ ず か な 例 外 を 除 け ば 、 ほ と ん ど の 島 と 唱 え た の は 柳 田 国 男 で あ る 。 そ れ 以 後 、 「 海 上 の 貧 ス 声 餮 ′ . に イ を は そ の 島 影 を 見 失 う こ と な し に 航 海 が 可 能 で 、 そ の 道 」 と い う 用 語 は 多 く の 考 古 学 ・ 民 俗 学 者 た ち に よ ま ま 台 湾 に い た る の で あ る 。 さ ら に は 南 下 し て フ ィ っ て 盛 ん に 使 用 さ れ る よ う に な っ た 。 リ ピ ン や イ ン ド ネ シ ア の 島 々 に い た る 。 そ の た め 先 こ の 「 海 上 の 道 」 は 、 少 な く と も 繩 文 時 代 の 前 期 か そ れ 以 前 冫 。 史 時 代 か ら こ の 海 上 の 道 を 通 っ て 多 く の 人 び と が 、 こ ま 、 す で に 開 拓 さ れ て い た と い わ れ ま た 文 化 が 、 そ れ ぞ れ 南 北 に 移 動 し て き た 。 る 。 弥 生 時 代 に は 「 貝 の 道 」 と も よ ば れ 、 そ の こ ろ 琉 球 弧 の 島 々 は 、 南 か ら 北 上 す る 黒 潮 と 、 さ ら に 南 海 産 の 「 イ モ ガ イ 」 や 「 ゴ ホ ウ ラ 」 な ど の 貝 が 、 は 北 の 伊 豆 七 島 地 方 か ら 小 笠 原 環 流 の 作 用 に よ っ て 弥 生 人 の 腕 輪 の 原 料 と し て 未 加 工 の ま ま 、 長 駆 黒 潮 南 下 す る 高 速 度 の 潮 流 に 洗 わ れ て い る 。 こ の 南 北 両 に の っ て は る か 九 州 本 土 ま で 北 上 し て い た 。 一 方 、 錦 江 物 臥 蛇 島 一 , こ 3 に 子 島 平 島 \ 屋 久 島 ー 丈 ロ 之 島 ・ ・ 一 ; え 。 。 、 中 之 島 。 \ 諏 訪 瀬 島 ラ ゝ 宝 島 悪 石 島 し フ 。 喜 界 島 徳 之 島 0 奄 美 大 島 ⑦ 中 永 良 部 島 写 論 島 冲 縄 本 島 討 い 第 、 区 宮 古 島 喜 舎 場 一 降 兼 大 学 教 授

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鰐 浦 第 戸 よ 吽 対 馬 豊 手 。 朝 示 船 越 尾 崎 。 ツ 金 田 城 ま 三 ′ 尹 大 船 越 小 茂 田 。 美 津 島 万 公 院 卍 厳 原 豆 酘 。 山 船 峠 江 、 大 陸 へ の 懸 け 橋 ・ 対 馬 の 道 実 に 千 数 百 年 つ づ い た 対 馬 の 姿 で も あ っ た 。 居 る 処 は 絶 島 対 馬 か ら 隣 島 の 壱 岐 へ 七 三 キ ロ メ ー ト ル 、 福 岡 へ 対 馬 は 日 本 海 の 西 の 入 り 口 に 浮 か ぶ 島 で あ る 。 南 一 四 七 キ ロ メ 1 ト ル で あ る の に 対 し て 、 島 の 北 部 か 北 に 細 長 い 地 形 で 、 上 島 と 下 島 の 二 島 か ら な り 、 そ ら 韓 国 の 釜 山 ま で は 、 わ ず か に 五 三 キ ロ メ ー ト ル の 間 を 細 い 地 峡 が つ な い で い る 。 南 北 の 長 さ は 八 二 で 、 対 馬 は 九 州 本 土 よ り も は る か に 朝 鮮 半 島 に 近 キ ロ メ ー ト ル 、 東 西 は 狭 く 、 最 も 広 い と こ ろ で 一 八 数 万 年 前 に は 、 対 馬 は ア ジ ア 大 陸 と 地 つ づ き だ キ ロ メ ー ト ル で 、 総 面 積 は 七 〇 九 平 方 キ ロ メ ー ト ル っ た と い わ れ 、 い ま も そ の 名 残 と し て 、 本 土 と は 異 で あ る 。 切 り 立 っ た リ ア ス 式 海 岸 が 全 島 を と り ま な る 動 植 物 の 棲 息 分 布 を み る の で あ る 。 た と え ば 、 あ そ う わ に う ら き 、 こ と に 上 島 と 下 島 の 間 に あ る 浅 茅 湾 は そ の 典 型 北 の 端 鰐 浦 00 に は 、 大 陸 系 の 植 物 ヒ ト ッ パ タ ゴ で 、 溺 れ 谷 と 大 小 無 数 の 島 々 か ら な る 景 観 は す ば ら が 多 数 自 生 し 、 五 月 と も な れ ば 海 に せ ま る 断 崖 に 白 い 花 が 咲 き 乱 れ る 。 動 物 で は 、 対 馬 特 産 亜 種 の ツ シ 全 島 の 八 七 パ ー セ ン ト が 山 林 で 、 海 抜 二 〇 〇 — 三 マ テ ン や 、 中 国 ・ 朝 鮮 と 対 馬 だ け に 棲 む ッ シ マ ヤ マ 〇 〇 メ ー ト ル の 山 々 が 海 岸 ま で せ ま っ て い る 。 平 地 ネ コ な ど が い る 。 が ほ と ん ど な く 、 地 味 が や せ て い る た め 、 古 来 、 対 隣 村 へ も 船 で 馬 の 農 業 生 産 は 島 内 の 需 要 を と う て い 満 た す こ と が で き な か っ た 。 『 魏 志 』 倭 人 伝 に よ る と 、 対 馬 は 、 一 五 世 紀 に 朝 鮮 で 編 纂 し た 『 海 東 諸 国 紀 』 に は 、 望 か ・ し 岸 眺 右 配 海 る 居 る 処 は 絶 島 で 、 土 地 は 山 が 険 し く 、 深 林 が 多 く 、 対 馬 の 村 落 と し て 総 計 八 二 の 浦 々 を あ げ て い る が 、 の を 東 あ み ち 、 て 坂 島 当 は っ 道 は 獣 の 径 の よ う で あ る 。 良 田 が な い の で 海 産 物 を そ う し た 状 況 は 今 日 で も あ ま り か わ ら な い 。 急 斜 面 お 三 島 浜 一 ね に 緒 の の 主 食 と し て 自 活 し 、 船 に よ る 交 易 で 生 計 を 立 て て い の 山 地 が 多 い 島 の 内 陸 部 は 、 集 落 の 立 地 に は 適 さ な ( 沖 根 こ 緒 景 緒 下 く 根 絶 る 、 と 記 し て い る 。 こ れ は 、 そ の 後 近 世 末 期 ま で 、 い が 、 海 岸 線 の 入 り く ん だ 沿 岸 部 に は 、 い た る と こ 根 ら 神 た の 長 正 統 九 州 大 学 教 授 2

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旧 宮 良 殿 内 一 一 文 政 2 年 ( 1819 ) の 建 造 。 沖 縄 の 旧 上 級 士 族 屋 敷 の 一 つ 。 門 構 え や 赤 瓦 屋 根 、 庭 園 な ど に そ の 面 影 を と ど め て い る 。 か わ っ た 。 わ ず か に 那 覇 港 の み は 中 国 か ら の 冊 封 使 日 本 文 化 の 南 限 地 帯 で あ る 。 八 重 山 の 石 垣 島 や 与 那 船 ( 冠 船 ) が 来 航 し て 昔 日 の 賑 わ い を と ど め る こ と 国 島 な ど で は 平 家 の 落 人 説 が あ り 、 今 日 で も 、 海 岸 や ま と う ん て ん ま き み な と が あ っ た が 、 北 部 の 運 天 港 や 中 部 の 牧 港 は い ず れ 線 の 近 く に は 平 家 の 残 党 の 伝 承 を と ど め る 「 大 和 や し ま ば か も 衰 微 し て し ま っ た 。 運 天 港 は 、 源 為 朝 が か っ て 伊 墓 」 や 、 「 八 島 墓 」 と よ ば れ る 古 墓 が あ る 。 こ の 八 豆 の 大 島 か ら 運 を 天 に ま か せ て 船 出 し た の ち 漂 着 し 重 の 潮 路 の 彼 方 な る 南 の 島 々 に は 、 大 和 箱 し の 戦 た と い わ れ る 港 で 、 そ の た め 運 天 の 名 で よ ば れ 、 一 陣 か ら 落 ち の び て き た 哀 れ な 武 士 団 の 伝 説 が あ り 、 方 、 牧 港 は 、 為 朝 が 後 日 こ の 港 か ら 日 本 に 向 か っ て ま た 倭 寇 の 渡 来 し た 話 や 彼 ら の 住 居 跡 と い わ れ る 所 船 出 し た と い う 。 そ の た め 、 彼 の 妻 子 は こ の 地 に 居 が あ っ て 、 旅 人 の 眼 を と め る も の が あ る 。 南 島 の 島 々 は 、 南 下 す れ ば す る ほ ど 海 の 色 が あ ざ を 構 え 、 為 朝 の 帰 来 を ひ た す ら 待 ち わ び て い た の で 、 い っ し か 「 待 ち 港 」 と よ ば れ る よ う に な り 、 そ や か と な る 。 原 色 そ の も の の 博 物 館 で あ る 。 最 果 て ま き み な と の 「 待 ち 港 」 が 転 訛 し て 「 牧 港 」 に な っ た と い わ の 与 那 国 島 に い た っ て は 、 ま さ に 国 境 の 島 で あ り 、 れ る 。 そ の 真 偽 の ほ ど は は か り か ね る が 、 あ く ま で 国 境 の 町 で あ る 。 台 湾 に い た る 距 離 は 、 な ん と 県 庁 伝 説 的 紛 飾 の 濃 い 決 め 手 の な い 民 間 伝 承 で あ る 。 し 所 在 地 の 沖 繩 本 島 の 那 覇 ま で の 約 三 分 の 一 に 過 ぎ な か し な が ら 、 こ の 二 港 は 那 覇 港 同 様 中 世 に は き わ め ) 。 わ ず か 一 七 〇 キ ロ メ ー ト ル で あ る 。 快 晴 の 日 に て 栄 え て い た 港 で あ る 。 運 天 の 港 は 今 日 で は ま さ に は 台 湾 の 山 々 が 眼 前 に く つ き り と そ び え 立 っ て い 静 寂 と い う 言 葉 が び っ た り す る よ う な 静 か な 佇 ま い る 。 い や が う え に も 、 そ の 勇 姿 を 見 せ つ け ら れ る 。 の 入 り 江 で あ る 。 し か し 牧 港 は 、 ま っ た く 跡 形 も な ま た 、 島 の す ぐ そ ば は 黒 潮 が 轟 音 を た て て 激 流 し 、 く 、 昔 日 を 偲 ぶ よ す が す ら な い 。 南 か ら の 文 化 を 運 ぶ 大 道 脈 と な っ て き た 。 沖 繩 本 島 か ら さ ら に 南 に 下 る と 、 宮 古 ・ 八 重 山 の 人 び と は こ の 最 南 端 の 与 那 国 島 か ら 奄 美 に い た る 島 々 が あ る 。 し か し 沖 繩 か ら 宮 古 島 に い た る 間 は 、 琉 球 弧 の 島 々 を 南 北 の か け 橋 と 見 が ち で あ る 。 事 実 い わ ゆ る 宮 古 水 道 で 何 ひ と っ 島 影 が な い 。 こ の 水 道 ま た 、 そ の 部 分 は き わ め て 多 い 。 日 本 が 世 界 の 博 物 上 海 を 越 え る と 、 そ こ に は 先 島 の 島 々 が 群 立 し て い る 。 館 と い わ れ る よ う に 、 こ こ 「 海 上 の 道 」 の 中 心 地 帯 士 6 文 化 的 に は 琉 球 弧 の 中 で も っ と も 南 方 的 文 化 の 色 彩 は 、 南 北 文 化 の 博 物 館 的 性 格 の つ よ い 地 帯 で あ る 。 潮 の つ よ い 地 域 で あ る 。 明 ら か に 南 部 琉 球 文 化 圏 と も 南 九 州 の 海 岸 か ら 旅 路 の 枕 を と り つ つ 南 下 す る 船 旅 い う べ き 一 帯 で あ る 。 し か し な が ら 、 北 か ら の 文 化 は 、 好 個 の 旅 情 が あ り 、 南 島 情 趣 を 限 り な く 満 喫 さ 7 6 の 南 進 が な い わ け で は な く 、 多 分 に あ っ て 、 そ こ が せ る も の が あ る 。 ば か ぐ に

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当 、 ま レ 早 春 の 開 聞 岳 ー ー ー 薩 摩 半 島 南 東 の 秀 峰 て 、 薩 摩 富 士 と も 呼 ば れ る 。 陸 に は 長 い 裾 野 を ひ ろ げ 、 海 に は 断 岸 と な っ て 落 ち 込 む 。 今 見 る 枕 崎 の 街 は 、 ほ と ん ど 木 か な い む き 出 し に し た 木 造 家 屋 だ け で あ る 。 か ろ う じ て 柳 の 街 路 樹 か あ る か 、 幹 の 太 さ が 手 首 ぐ ら い で 、 風 に い た め ら れ て か 葉 も し な び て い る 。 ふ り 返 る と 町 並 み の 向 う に 、 開 聞 岳 の 山 容 か 見 え る 。 ( 梅 崎 春 生 『 幻 化 』 日 南 毎 岸 の 都 井 岬 最 南 端 て 、 岬 に は 古 い 時 代 か ら 野 生 馬 が 住 み っ き 、 蘇 鉄 ( そ て っ ) の 自 生 林 が あ る 。 よ り 75

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日 向 青 島 - ー 一 日 向 灘 に 浮 か ぶ 周 囲 約 860 メ ー ト ル の 小 島 。 「 鬼 の 洗 洋 板 」 と 呼 ば れ る 奇 岩 に 囲 ま れ 、 中 央 に 青 島 神 社 が 祀 ら れ て い る 。 日 向 街 道 は 、 豊 後 か ら 宗 太 郎 越 え で 日 向 に 入 っ た 道 が 千 穂 ) を 抜 け 、 北 方 か ら 延 岡 に 出 て 、 日 向 街 道 に 結 ば れ み や こ の し よ う 延 岡 に 出 て 、 参 勤 交 代 に 使 わ れ た 日 向 東 方 の 細 島 、 古 代 人 吉 か ら は 、 加 久 藤 越 え を し て 、 小 林 ・ 都 城 に 出 て の 港 美 々 津 を 通 り 、 秋 月 氏 三 万 石 の 高 鍋 、 島 津 氏 の 支 藩 飫 肥 で 結 ば れ 、 こ の 道 を 飫 肥 街 道 と 呼 ん だ 。 こ の 三 つ の ニ 万 七 千 石 の 佐 土 原 、 清 武 ・ 山 狩 屋 ( 山 仮 屋 ) を 経 て 、 道 が 日 向 の 主 な 道 だ が 、 日 南 海 岸 沿 い の 延 岡 か ら 高 鍋 ま 伊 東 氏 五 万 三 千 石 の 飫 肥 、 そ し て 鹿 児 島 へ 向 か う 道 で あ で を 除 い て は 山 ま た 山 で 、 山 な み も 南 へ 行 く ほ ど 険 し く る 肥 後 街 道 か ら は 、 高 原 、 ま た は 馬 見 原 か ら 三 田 井 ( 高 旅 人 は 難 渋 を き わ め た 。 わ を ノ 02

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西 頴 娃 よ り 開 聞 岳 ー ー ー ー 薩 摩 半 島 の 南 端 に そ び え 立 ち 、 南 島 航 路 の 指 標 と な っ た 。 旧 名 開 聞 ( ひ ら き き ) 、 の ち 海 門 ( か い も ん ) と 呼 ば れ た 。 琉 球 ・ 中 国 船 が 多 く 入 港 し た 。 天 文 十 五 年 (*) ポ 港 と 寺 院 ル ト ガ ル 船 が 入 港 し て 以 降 、 一 七 世 紀 初 頭 ま で 、 ル ソ ン 航 路 な ど に も 利 用 さ れ た 。 島 津 氏 の 三 州 統 一 薩 摩 の 港 に 寺 院 は っ き も の で あ る 。 山 川 の 臨 済 宗 し よ う り ゅ う じ い ち じ よ う い ん り う が ん じ 後 、 山 川 は 、 鹿 児 島 の 外 港 的 性 格 を も ち 、 坊 津 に か 正 龍 寺 、 坊 津 の 真 言 宗 一 乗 院 龍 巌 寺 、 志 布 志 の 律 ほ う ま ん じ だ い じ じ 宗 宝 満 寺 、 臨 済 宗 大 慈 寺 な ど 、 い ず れ も 由 緒 が 深 く 、 わ っ て 薩 摩 の 玄 関 口 と な っ た 。 慶 長 十 四 年 (8 し 琉 文 教 の 中 心 と し て 栄 え た 。 球 攻 め の 兵 三 〇 〇 〇 と 一 〇 〇 余 艘 の 軍 船 が 出 航 し た 慶 長 の こ ろ 、 近 世 儒 学 の 祖 藤 原 惺 窩 は 明 へ の 渡 航 が 、 そ の 後 、 山 川 港 の 重 要 性 は ま す ま す 高 ま り 、 南 あ 中 、 風 波 に 遭 い 、 鬼 界 ヶ 島 よ り 帰 路 に つ い た が 、 こ の 島 通 い の 船 の 発 着 点 と な っ て い る 。 南 島 に く だ る 役 さ つ な ん け い あ ん げ ん じ ゅ な ん ぼ ぶ ん し じ よ う こ く と き 正 龍 寺 に お い て 薩 南 学 派 の 僧 桂 庵 玄 樹 ・ 南 浦 文 之 人 は 山 川 で 妻 子 と 別 れ 、 上 国 す る 島 役 人 は こ こ で の 『 大 学 章 句 』 を 見 つ け 、 そ の 内 容 の 立 派 さ に 驚 き 、 上 陸 、 鹿 児 島 へ 向 か っ た 。 ま た 、 こ こ に は 南 の 富 、 も は や 明 に 留 学 す る 必 要 は な い と 、 そ の 書 を 京 に 持 ち と く に 南 島 産 の 黒 糖 が 多 く 運 ば れ 、 盛 時 に は 豪 奢 な 帰 り 、 新 註 を 講 じ て 京 学 派 を 興 し た と い う 。 料 亭 が 軒 を つ ら ね た と い う 。 そ し て 、 明 治 の 初 め ま 一 乗 院 は 、 紀 州 根 来 寺 の 別 院 、 西 海 の 本 寺 で 、 島 津 氏 の 尊 崇 も 厚 く 、 島 津 貴 久 ・ 義 久 ・ 義 弘 ら は こ こ で 教 で 、 山 川 港 は 、 藩 用 で 砂 糖 を 積 み に 行 く 民 間 の 商 船 育 を 受 け 、 ま た 、 大 慈 寺 の 盛 時 に は 、 禅 門 に 学 ぶ 雲 水 「 ば い 船 」 で 賑 わ っ た 。 か い も ん だ け 一 〇 〇 人 を 数 え た と い う 。 い ず れ も 、 明 治 初 年 の 排 仏 開 聞 岳 を ま わ り 、 東 シ ナ 海 沿 岸 を 西 へ 進 む と 、 知 き し や く か ど の う ら 毀 釈 に よ っ て 、 壮 厳 な 堂 塔 ・ 伽 藍 ・ 文 書 類 な ど を 破 壊 覧 郷 の 門 之 浦 ・ 松 ヶ 浦 ・ 東 塩 屋 浦 ・ 西 塩 屋 浦 の 小 良 さ れ た が 、 こ れ ら の 寺 院 は 常 に 辺 境 に お け る 学 間 ・ 文 港 が つ づ く 。 知 覧 は 、 麓 の 武 家 屋 敷 の 庭 園 が と く に 化 の 中 心 と し て 、 琉 球 ・ 南 西 諸 島 や 中 央 と の パ イ プ 役 有 名 で 、 国 指 定 の 史 跡 と な っ て い る 。 こ こ は 早 く か を 果 た し 、 港 の 繁 栄 を 支 え て き た の で あ る 。 ら 海 運 業 が 発 達 し た が 、 天 保 年 間 (— 四 四 〇 ) 海 運 業 し あ き め 者 は 麓 武 士 か ら 金 融 を 受 け て お り 、 一 方 、 麓 武 士 は 志 ・ 秋 目 の 総 称 で 、 狭 い 山 ひ だ に 千 軒 甍 が ひ し め と び い し そ の 利 潤 に よ っ て い っ そ う 富 裕 化 し た 。 麓 の 庭 園 い て い た 。 遣 唐 使 の 盛 時 に は 、 坊 津 か ら 南 島 を 飛 石 に つ は 、 こ う し た 経 済 的 背 景 に よ る も の で あ る 。 琉 球 貿 づ た い に 中 国 へ 渡 る 南 島 路 が 用 い ら れ 、 こ れ を 「 入 と 、 つ ′ . 一 、 つ 易 で 繁 栄 し た 志 布 志 の 麓 に も 、 立 派 な 庭 園 を も っ 武 唐 道 」 と も 呼 ん だ 。 家 屋 敷 が 残 っ て い る 。 島 津 氏 は 中 世 以 来 、 対 琉 貿 易 の 独 占 に 努 め た 。 文 枕 崎 港 を 過 ぎ 、 耳 取 峠 を 越 え る と 坊 津 で あ る 。 古 明 二 年 (AL8) 、 島 津 忠 国 は 坊 津 か ら 渡 琉 す る 計 画 を ぼ う ・ と ま り く 来 、 日 本 三 津 の 一 つ と い わ れ た 坊 津 は 、 坊 ・ 泊 ・ 久 た て た が 、 そ の 目 的 は 、 琉 球 国 が 中 継 す る 中 国 貿 易 し ん ね ご ろ せ い か い ら か は い ぶ つ 762

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第 ノ 仲 か よ い と は い え な い 。 お 互 い 明 ら か に 文 化 圏 を 異 良 部 に 対 し て は る か 南 に 位 置 す る 奄 美 の 沖 永 良 部 島 に し て い る か ら で あ ろ う か 。 ト カ ラ の 島 々 が 南 九 州 や 、 そ の 南 の 沖 繩 島 な ど を 中 心 と す る 「 沖 の み や こ さ き し ま や え や ま 文 化 圏 に 位 置 し て い る の に 対 し 、 奄 美 の 島 々 は 明 ら 島 々 」 、 さ ら に そ の 先 の 宮 古 ・ 八 重 山 な ど の 先 島 諸 か に 北 部 琉 球 文 化 圏 に 属 し て い る 。 そ こ に は や や 明 島 、 す な わ ち 「 先 の 島 々 」 、 そ し て そ の 最 南 端 の 波 て る ま 瞭 な 境 界 が あ っ て 、 一 つ の 線 を ひ く こ と が で き る 。 照 間 島 な ど の 「 果 て の 島 々 」 。 い ず れ も 、 か っ て の 奄 美 の 島 々 は 、 薩 南 か ら 南 に 約 二 〇 〇 キ ロ メ ー ト 南 島 統 治 時 代 の 構 想 を 示 す も の で あ る 。 奄 美 は 、 そ き か い お お し ま と く の し ま お き の え ル の 位 置 に あ る 。 北 か ら 喜 界 ・ 大 島 ・ 徳 之 島 ・ 沖 永 の 「 沖 の 島 々 」 の 入 り 口 部 に 位 置 す る 島 で あ り 、 ま ら ぶ よ ろ ん 良 部 ・ 与 論 島 と 並 ん で い る 。 そ し て 南 端 の 与 論 島 か た 「 道 の 島 々 」 で も あ っ た 。 そ し て 、 こ こ か ら 明 確 ら は 、 春 秋 の 区 別 な く 沖 繩 本 島 の 北 端 部 を い つ で も な 琉 球 文 化 圏 と な る の で あ る 。 の ぞ め る 。 ま っ た く 隣 接 し て い る と い っ て よ い 。 近 旧 琉 球 王 国 の 島 々 世 の 慶 長 十 四 年 (&{) ま で は 旧 琉 球 王 国 領 で あ っ た が 、 そ れ 以 後 は 薩 摩 藩 の 直 接 支 配 す る 属 領 と な っ 奄 美 の 島 々 か ら 南 下 し て い く と 、 す ぐ そ こ に 旧 琉 た 。 そ の た め 、 薩 琉 間 の 航 路 上 に 位 置 し て い た こ れ 球 王 国 時 代 の 主 島 で あ る 沖 繩 本 島 が あ る 。 こ こ 沖 繩 ら の 島 々 は 、 以 後 「 道 の 島 々 」 と よ ば れ る よ う に な ロ メ ー ト ル の 那 覇 港 は 鹿 児 島 か ら 約 三 八 〇 里 ( 約 一 四 八 〇 キ ) 。 日 っ た 。 海 路 は ほ ば 一 路 平 安 で 、 ト カ ラ 列 島 の よ う な 藩 時 代 の 琉 球 国 楷 船 で 海 流 と 風 便 を 得 、 順 風 満 帆 に て し へ 式 。 一 路 平 安 ひ た す ら 北 上 す れ ば 、 約 三 日 で 鹿 児 島 の 山 し 用 摩 国 船 厳 し さ は ほ と ん ど な い 。 と 使 薩 中 型 船 ど て 。 大 こ の 奄 美 列 島 か ら は 「 沖 の 島 々 」 の 中 に 入 る 。 川 に 到 着 し た 。 か っ て 、 中 世 の 室 町 時 代 に は 倭 寇 が ~ 貢 ほ し た の 進 回 装 し 型 「 沖 の 島 々 」 と は 、 古 代 に お け る 南 島 統 治 時 代 の よ こ の 航 路 上 に も 進 出 し 、 ま た 博 多 や 堺 の 商 人 た ち も 三 改 と ク な は の つ に ち 船 ン 国 の 官 ャ び 名 の 名 残 で あ る 。 薩 南 一 二 島 中 、 九 州 に 近 い 五 島 当 時 の 国 際 貿 易 港 的 存 在 の 那 覇 津 に 集 散 し て い た 。 楷 中 た の ジ を か っ て 「 ロ の 島 々 」 と 称 し 、 遠 い 七 島 は 「 奥 の 一 方 、 琉 球 の 商 船 も 同 じ よ う に 南 海 産 の 特 産 物 や 中 島 」 と も 、 「 沖 の 島 」 と も よ ん で い た 。 『 源 平 盛 衰 国 の 絹 織 物 そ の 他 を 満 載 し て 、 博 多 や 堺 の 港 に た び 記 』 の 「 長 門 本 」 や そ の 他 当 時 の 軍 記 物 な ど に は 、 た び 往 来 し た 。 こ れ ら の 島 々 を 「 ロ 五 島 」 「 奥 七 島 」 と か 、 「 ロ 五 し か し 、 な ん と い っ て も 、 こ の 航 路 が 落 ち 着 き を 島 」 「 端 七 島 」 な ど と よ ぶ 用 例 が あ る 。 い わ ゆ る 薩 み せ た の は 、 近 世 以 降 の こ と で あ る 。 江 戸 幕 府 の 鎖 く ち の え ら ぶ 南 の ロ 永 良 部 を 中 心 と し た 「 ロ の 島 々 」 、 ト カ ラ の 国 政 策 や 島 津 氏 の 琉 球 統 治 と い う 新 事 態 に よ っ て 、 中 之 島 な ど を 中 心 と し た 「 中 の 島 々 」 、 そ し て 口 永 そ れ 以 後 も つ ば ら 薩 琉 両 国 船 の み が 往 来 す る 海 路 と 守 礼 の 門 - ー ー 最 初 は 待 賢 門 と 称 す 。 の ち 「 守 礼 之 邦 」 の 扁 額 を 梁 上 に あ げ て か ら 守 礼 の 門 と よ ば れ た 。 か い せ ん