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検索対象: 日本の街道 6 夢誘う山陽山陰

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰から 161件ヒットしました。

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰


' 土 - 道 地 図 大 満 寺 山 △ 島 後 隠 岐 諸 島 ー 県 ー 山 陽 道 そ の 他 の 街 道 の 国 名 〇 お も な 城 下 町 ロ お も な 宿 場 ・ 町 隠 岐 島 前 播 磨 経 ケ 岬 5()km ミ ↓ - ノ 豊 岡 丹 、 \ 後 地 蔵 崎 島 根 半 島 八 鹿 須 賀 ノ 山 出 震 市 日 御 碕 大 山 倉 吉 ー 木 次 智 虹 [ 蒜 山 都 和 田 亠 大 森 島 新 ル 美 Ⅱ ・ 釘 小 川 久 世 叫 ・ 曲 峠 道 後 山 後 落 合 西 恥 往 備 中 佐 Ⅲ 勝 岡 正 条 ・ い 口 自 山 線 船 坂 【 倉 敷 ( 本 ) , に 前 . 野 村 北 条 町 加 二 木 三 本 布 野 路 川 市 本 出 羽 Ⅲ 本 艮 見 島 高 州 赤 津 和 野 三 段 峽 兵 和 矢 山 芸 小 立 島 . 津 西 条 西 条 冠 山 、 \ 々 野 来 和 野 量 山 り 、 一 0 こ 、 市 長 “ 錦 町 量 手 ⅱ 線 山 市 、 船 周 賛 岐 、 一 ニ ロ 国 山 口 伊 防 府 長 府 大 島 岡 月 リ ′ 、 高 土 佐

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、 - 、 物 斷 れ 蒜 山 高 原 蒜 山 三 座 の 裾 野 の 東 西 14 キ ロ メ ー ト ル 、 南 北 5.5 キ ロ メ ー ト ル の 草 原 て 、 牛 が 放 牧 さ れ て い る 。 イ 2

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物 を ゞ 、 愛 を 第 、 を を い い い を い い っ た こ と か ら 者 ) え る と 、 神 様 に も 、 と き に よ り 、 は や り す た り が あ る の で あ ろ う 。 と い う 意 味 の こ と を 書 い て い る 。 道 標 に 頼 る 参 詣 の 長 道 中 金 毘 羅 信 仰 が 、 船 乗 り ・ 漁 民 た ち か ら 一 般 民 衆 に 広 ま り 、 海 か ら 遠 く 離 れ た 農 村 ・ 山 村 に ま で 金 毘 羅 か ん じ よ う 宮 が 勧 請 さ れ る 江 戸 後 期 に な る と 、 旅 に 不 案 内 な 参 詣 客 の た め に 、 讃 岐 金 毘 羅 道 の 道 標 が い た る と こ ろ に 建 て ら れ る よ う に な っ た 。 岡 山 県 下 に は 周 知 の 金 毘 羅 道 の 道 標 が 八 基 あ る て ん ぼ う び っ ち ゅ う が 、 最 古 の も の は 天 保 四 年 ( 一 一 0 備 中 吉 備 津 宮 の 門 前 町 宮 内 に 建 て ら れ た 道 標 で 、 「 左 こ ん び ら 宮 、 も う 右 き び 津 宮 の ば り 道 」 と 刻 ま れ て い る 。 吉 備 津 詣 で を 終 え て 、 金 毘 羅 詣 で に 向 か っ た 参 詣 客 も 少 な く な か っ た の で あ ろ う 。 な か に は 手 の こ ん だ も の も あ る 。 安 政 六 年 (lä) さ が わ 九 月 建 立 の 岡 山 市 狭 川 の 道 標 が そ れ で 、 四 角 柱 の 一 ゆ が ・ 倉 し き 面 に 「 吉 備 津 駄 」 、 他 の 一 面 に 「 金 毘 羅 玉 島 ・ か さ 岡 匕 日 道 」 と 刻 み 、 さ ら に 狭 川 町 の 吉 岡 屋 庄 吉 ・ 同 康 右 衛 ・ 吉 見 屋 善 吉 が 寄 付 し 、 倉 敷 石 工 伝 松 が 刻 ん だ こ く ど く と を 記 し て い る 。 こ の 功 徳 に よ っ て 神 仏 の 加 護 に あ ず か ろ う と し た の で あ ろ う か 。 ぶ ん き ゅ う 金 毘 羅 か ら い ち ば ん 遠 方 の 道 標 は 、 文 久 三 年 ( 八 , ) 建 立 の 真 庭 郡 落 合 町 上 河 内 の も の で 「 讃 州 金 毘 さ ん ひ る ぜ ん 羅 江 三 十 三 里 」 と あ る 。 お そ ら く 蒜 山 の 麓 「 山 石

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伯 耆 の 国 は 大 山 ・ 蒜 山 と 、 山 で 代 表 さ れ る 国 で あ る 。 伯 耆 と は 、 山 峡 が 道 に 迫 る 意 味 の 峰 岐 が 転 化 し た と い わ れ る ほ ど の 山 の 国 で あ る 日 本 海 沿 い に は 米 子 ・ 御 来 屋 ・ 赤 碕 ・ 由 良 ・ 橋 津 ・ 浜 村 を 経 て 因 幡 の 鳥 取 へ 入 っ た が 、 畿 内 へ の 往 来 は 、 主 に 中 国 山 地 の 峠 越 え で あ っ た 。 伯 耆 の 中 心 は 国 分 寺 の 置 か れ た 倉 吉 だ っ た 。 因 幡 は 稲 葉 が 転 化 し た 稲 そ よ ぐ 国 と い わ れ 、 池 田 氏 三 ニ 万 五 千 石 の 城 下 町 鳥 取 が 中 心 で 、 鳥 取 か ら は 浦 富 海 岸 を 通 っ て 但 馬 の 香 住 海 岸 へ 、 因 幡 国 府 の あ っ た 国 府 を 経 て 但 馬 へ 、 若 桜 を 通 っ て 播 磨 へ 、 用 瀬 ・ 智 頭 を 通 っ て 美 作 へ と 道 が 通 じ て い た 。 い す れ に し ろ 、 因 伯 の 地 は 、 古 代 か ら 畿 内 と 出 雲 を 結 ぶ 神 話 の 回 廊 だ っ た 。 た い せ ん ひ る せ ん た し ま 裏 大 山 一 - ー ・ 大 山 は 日 本 海 側 か ら は 表 大 山 、 中 国 山 地 側 か ら は 裏 大 山 と 呼 ぶ 。 鏡 ケ 成 高 原 か ら 見 る 裏 大 山 は 美 し い 。 伯 耆 の 海 ー ー ー 東 の 浦 富 海 岸 を 除 い て 、 海 岸 線 は 大 き な 出 入 り に 乏 し い が 、 西 の 弓 ケ 浜 は - 大 砂 嘴 て ゆ る や か な 曲 線 を 描 い て い る 。 赤 碕 付 近 の 野 菜 畑 後 醍 醐 天 皇 ゆ か り の 地 と し て 知 ら れ る 船 上 山 の あ る 赤 碕 付 近 は 、 農 林 ・ / 魚 業 の 地 て も あ る 。 705

日本の街道 6 夢誘う山陽山陰


蒜 山 三 座 ー ー 大 山 火 山 群 に 属 し 、 右 か ら 下 蒜 ・ 中 蒜 ・ 上 蒜 と つ づ く 。 広 い 高 原 は 蒜 山 原 と も 呼 ば れ 、 西 の 軽 井 沢 と も い わ れ る 。 か の 地 来 と 、 大 山 の 雄 姿 が 遠 望 さ れ る 。 こ こ に 大 山 を 拝 む 華 北 辺 の 北 に 噴 出 し た 大 山 火 山 群 で あ っ て 、 そ の 広 大 の 日 む 、 王 ′ / ィ ー 0 か っ 下 三 中 耆 た ト 作 の 伯 っ 表 ( 鳥 居 ) が あ っ た 。 「 鳥 居 ケ 乢 、 嘗 て 郡 人 華 表 を な 麓 野 は 東 西 一 五 キ ロ メ ー ト ル に 展 開 し 、 南 北 四 キ け だ イ 美 泉 は あ サ 温 て て 植 え 、 大 山 大 智 明 権 現 を 奉 ず 。 蓋 し 老 幼 婦 女 、 こ こ ロ メ ー ト ル ほ ど の 盆 地 を な す 。 現 在 東 流 し て い る 旭 ム 原 っ 町 ダ 呂 湯 か 場 に 遙 拝 し て 以 て 大 山 詣 で に 準 ず る な り 。 華 表 今 は 亡 川 は 、 火 山 噴 出 前 は 西 流 し て い た も の で 、 こ れ を 火 原 風 つ 、 宿 湯 天 一 て の ぶ 。 こ の 道 は 伯 州 の 往 還 な り 」 と 『 新 訂 作 陽 誌 』 は 山 噴 出 物 が 塞 き 止 め 、 湖 を つ く り 、 や が て 東 流 さ せ 記 す 。 華 表 と は 大 山 を 中 心 に 東 西 南 北 の 方 位 に 建 て た の が 永 い 地 形 の 歴 史 で あ っ た 。 現 在 で は 「 蒜 山 高 た 鳥 居 で あ る 。 鳥 居 ケ 乢 の 華 表 は 南 東 の 位 置 に あ る 原 」 と し て 観 光 の 対 象 に な っ て い る が 、 広 大 な 土 も の で 、 近 年 発 掘 さ れ た 。 こ こ か ら 拝 む 大 山 の 雄 姿 地 、 旭 川 の 水 源 を 控 え た 豊 か な 水 の た め か 、 農 産 物 は ま た す ば ら し い も の が あ る 。 が 豊 か で 、 村 民 は 観 光 産 業 に 対 す る 興 味 は う す く 、 ひ ば り 峠 に は 「 雲 雀 塚 」 が あ る 。 寛 政 五 年 (R) 、 郷 原 水 田 耕 作 を 中 心 に 、 苦 労 し て 生 み 出 し た 蒜 山 大 根 を の 俳 人 鳥 飼 長 尚 が 友 人 安 田 覧 水 な ど と 、 俳 人 芭 蕉 の 栽 培 し 、 広 大 な 牧 野 に ジ ャ ー ジ ー 乳 牛 を 放 牧 し 、 大 百 年 忌 に 建 て た 句 碑 で あ る 。 地 に 力 強 く 生 き て い る の で あ る 。 左 側 北 面 に 「 蒜 山 は 雪 が 多 い 。 夏 た め こ ん で 、 冬 は 唄 を う た っ こ の 鳥 居 ケ 乢 、 昔 大 山 遙 拝 の 神 門 あ り し に い ず て 過 ご す 」 と 湯 原 の 人 は い う 。 「 他 人 の 花 は 赤 い 」 れ の 時 よ り か 朽 爛 れ て 埋 し 跡 は こ な た の 丘 に な と 同 程 度 の 意 味 で あ ろ う が 、 蒜 山 地 方 に は 唄 が 多 ぜ に だ い こ れ り と ぞ 星 霜 隔 り て 今 は 知 る 人 稀 な り ゝ 。 江 戸 末 期 、 出 雲 か ら 伝 わ っ た と い う 「 銭 太 鼓 」 残 る 名 と 雲 雀 に 聞 く や 鳥 居 ケ 乢 ( 脩 竹 亭 朝 尚 ) ( 嚇 筒 に 銅 貨 を 入 れ ) に 合 わ せ て う た う 「 サ ン コ 節 」 は 右 側 南 面 に 無 形 文 ) に 使 わ れ る 。 盆 踊 り の 「 大 宮 踊 り 」 ( 化 財 祖 翁 行 脚 の 旧 跡 に は あ ら ね ど 所 柄 の 風 情 を 思 い 「 大 宮 踊 り 」 の 音 頭 の 一 節 に 「 お い と し ゃ 孫 六 さ ま か や べ の 合 せ 此 の 句 を 以 っ て 神 霊 と な し ぬ は 、 霧 に 迷 よ や る 茅 部 野 で : : : 」 と あ る が 、 蒜 山 高 道 雲 雀 よ り う へ に 休 ら ふ 峠 か な ( は せ を 〈 芭 蕉 〉 ) 原 の 南 辺 、 鳥 居 ケ 乢 を 下 っ た と こ ろ が 茅 部 野 で あ の 庶 裏 面 に る 。 真 っ 黒 な 火 山 灰 土 で 覆 わ れ た 台 地 で 、 茅 の 茂 る 啼 く 雲 雀 仰 ぐ に 高 し 西 の 富 士 ( 渓 雲 人 覧 水 ) の 広 大 な 草 原 で あ る 。 同 じ 広 野 の 東 の 端 に 住 む 美 し い へ 山 干 時 寛 政 五 丑 初 冬 郷 原 鳥 飼 長 尚 建 之 娘 「 お き り さ ん 」 を 恋 し 、 「 夜 ば い 」 に 通 う 孫 六 が 大 こ こ よ り 眺 め る 蒜 山 三 座 ( 東 よ り 、 下 ・ 中 ・ 上 ) ・ 霧 の 深 い 夜 道 で 狐 に 騙 さ れ 、 道 に 迷 う 姿 を う た っ て み な が せ ん ぎ ぼ し が せ ん 皆 山 ・ 擬 宝 珠 山 ・ 大 山 は 火 山 で あ る 。 中 国 山 地 の い て 、 無 情 の 霧 を 有 情 の 恋 物 語 に 仕 立 て あ げ て い ひ ょ う

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備 中 / 美 作 て へ て 浦 栄 中 松 天 三 前 は 梁 で の に の ぬ 川 、 伯 氏 え 世 平 領 千 岡 蒔 は 、 津 注 中 け が 備 、 か 氏 と 石 山 田 板 関 山 ぐ 心 高 新 中 姫 森 耆 ニ し の に 氏 倉 氏 な 、 梁 見 は 路 氏 へ 万 津 ら 三 山 吉 〇 て 陣 出 ー 氏 ー ど 新 総 盆 盆 中 出 万 ま 千 か 井 万 栄 屋 る 万 五 万 と 見 社 地 地 国 る 五 た 石 ら 川 石 え 町 足 石 万 八 結 は を を を 山 道 千 、 の は 水 の た で 守 の 石 千 ば 伯 ほ 経 過 通 地 な 石 智 , , 陣 旭 運 城 。 あ は 陣 の 石 れ 耆 2 て ぎ り に ど の 頭 す 屋 川 の 下 美 つ 、 屋 城 の る の が 三 を 町 が 基 町 作 た 木 が 下 陣 交 米 倉 古 吉 き を あ 日 経 勝 流 地 津 の 。 下 あ 町 屋 通 子 敷 代 備 ひ も っ 月 て 山 れ と 山 中 倉 氏 り 町 の 、 か 吉 高 っ た を 因 , を る し で 心 敷 ニ 、 総 要 美 ら 備 原 高 経 幡 ; 経 三 て 、 は は 万 備 社 高 衝 作 旁 海 国 を 梁

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清 水 寺 ー ー - ー ー 山 陰 道 の 安 来 の 南 東 に あ る 。 推 古 5 年 ( 596 ) 建 立 さ れ た と い う 古 刹 。 境 内 に あ る 木 の 燈 籠 は 珍 し い 。 出 雲 の 家 敷 森 ー ー 出 雲 平 野 は 山 陰 有 数 の 穀 倉 地 帯 て 、 強 い 西 風 を 防 ぐ た め 、 築 地 松 と 呼 ば れ る 木 々 に 囲 ま れ た 農 家 が 散 在 す る 。 70 ノ

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護 め の ら 綿 は 山 陰 よ り 山 陽 の ほ う に 数 多 く 送 ら れ て い る 記 録 2 守 崇 霊 じ 馬 て 死 信 か 多 い 牛 し 、 と と は 境 神 山 の こ れ ら の 物 資 は 、 久 世 ま で 牛 馬 の 背 で 送 ら れ 、 旭 川 を 高 瀬 舟 に 乗 せ ら れ 、 備 前 岡 山 ま で 送 ら れ て い 【 ) な 〉 ~ ー 魯 「 遠 農 た 他 き 山 ・ れ く て 大 神 ら 赴 れ た 。 物 資 の 集 散 、 道 の 険 し さ か ら 考 え る と 、 三 坂 、 金 貫 月 月 ー の 宿 が こ の 往 来 で 最 も 重 要 な と こ ろ と な る 。 釘 貫 小 川 宿 の 御 用 人 馬 問 屋 の 勢 力 は 強 く 、 大 山 道 の 輸 送 を 勝 手 に 行 い 、 各 地 で 紛 争 を 起 こ し て い 広 大 な 蒜 山 盆 地 を 望 む 「 ひ ば り 塚 」 み せ ひ ち ば ら ひ じ ゃ く ろ く い 湯 本 ー 三 世 七 原 ー 小 童 谷 ー 黒 杭 は ぶ お ん だ き 土 居 藤 森 羽 部 ー 男 滝 ー 立 石 ー 中 山 た わ ご う ば ら ー 鳥 居 ケ 乢 ー 郷 原 ー 延 助 大 山 道 の 最 短 コ ー ス は 羽 部 を 通 る 道 で あ る 。 し か が 主 で あ っ た 。 鉄 ・ 煙 草 は 「 山 中 」 の 産 で 、 木 綿 は し 、 羽 部 ー 男 滝 の 間 に 柞 ( 法 曾 ) 坂 が あ る 。 険 し い 山 陰 の 産 で あ る 。 坂 で あ る の で 、 勾 配 の 小 さ い 湯 本 経 由 の 道 も と き に ま が た る ご う ろ く 鉄 は 当 時 、 中 国 山 地 が 日 本 の 中 心 的 産 地 で あ る 。 は 使 わ れ た 。 「 山 中 」 に は 真 賀 ・ 足 ・ 郷 緑 ・ 湯 本 と か ん な ひ な 「 山 中 」 に お い て 、 「 鉄 穴 流 し 」 と い う 水 路 を 利 用 し 鄙 び た 温 泉 が 散 在 し 、 付 近 の 農 民 の 湯 治 場 と さ れ て た 水 選 に よ り 鉄 分 を と り 出 し 、 木 炭 に よ る 「 た た ら い た 。 湯 本 経 由 の 往 来 は 、 今 は 湯 原 ダ ム の 底 に 没 し 製 鉄 」 を 行 っ て い た 。 風 化 し た 花 崗 岩 の 山 体 は 切 り て い る が 、 そ の ダ ム サ イ ト の 下 に あ る 露 天 風 呂 は 、 崩 さ れ 、 谷 は 埋 め た て ら れ 、 水 田 は 拡 大 し て い っ 旅 人 が 足 を 休 め 、 ま た 牛 馬 を 湯 に つ け て 休 ま せ た と じ よ う き よ う た 。 ま た 、 煙 草 は 中 国 地 方 の 中 心 的 産 物 で 、 「 当 村 こ ろ と い う 。 藤 森 は 貞 享 四 年 (& し 津 山 藩 が 定 め さ ば き の 煙 草 、 是 迄 売 捌 方 の 儀 は 、 当 国 三 備 州 は 申 す に た 二 四 宿 の 一 つ で あ る 。 お き い わ み あ き お よ そ 及 ば ず 、 伯 耆 ・ 出 雲 ・ 隠 岐 ・ 石 見 ・ 安 芸 ・ 凡 西 国 五 藤 森 の 北 が 鳥 居 ケ 乢 ( 」 S 地 で 峠 ) で あ る 。 峠 に 登 ひ る ぜ ん 、 北 に 広 大 な 蒜 山 盆 地 と 、 そ の 背 景 に 蒜 山 三 座 岡 山 大 学 付 属 図 書 館 ) と 記 し て い る 。 木 ・ る と ヶ 国 売 来 : ・ ・ ・ ・ 」 ( 蔵 「 徳 山 家 文 書 』 ほ っ そ

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山 陽 鉄 道 の に 号 機 関 車 北 海 道 の 炭 鉱 鉄 道 会 社 の 技 術 者 を 招 き 、 明 治 29 年 に 兵 庫 工 場 て 製 作 し た 。 0 7 こ う し て 、 三 石 ・ 岡 山 尸 ( 。 司 四 〇 い し は 明 治 二 十 四 年 三 月 十 八 日 に 開 通 し た 。 岡 山 駅 当 日 の よ う す を み る と 、 神 戸 発 一 番 列 車 が 一 六 〇 人 の 乗 客 を 乗 せ て 岡 山 駅 に 到 着 し た の は 、 予 定 時 刻 よ り 遅 れ る こ と 三 時 間 余 り で あ っ た 。 予 定 時 刻 の 午 前 十 一 時 ご ろ 、 駅 付 近 は 見 物 人 が 群 が り 、 町 々 は 戸 ご と に 国 旗 を 掲 げ て 開 通 を 祝 っ た 。 し か し 、 汽 車 の 開 通 を 死 活 問 題 と 考 え て い た 人 力 車 夫 が レ ー ル の 上 に 乗 っ て 妨 害 を お こ な っ た り し た 。 当 時 の 運 賃 は 下 等 一 マ イ ル に つ き 一 銭 、 中 等 一 一 銭 、 上 等 三 銭 (% 価 当 升 が 、 ) 岡 山 ・ 神 戸 間 の 所 要 時 間 は 四 時 間 三 〇 分 で 汽 車 賃 七 〇 銭 で あ っ た 。 列 車 編 成 は 客 車 と 貨 車 で 七 両 編 成 、 朝 五 時 よ り 夕 方 七 時 ま で 上 下 線 一 五 本 の 列 車 が 単 線 で 往 復 し た 。 路 線 策 定 を め ぐ る 利 害 対 立 岡 山 ・ 三 原 間 は 、 岡 山 市 か ら 倉 敷 ・ 笠 岡 を 経 て 広 島 県 に 入 り 、 福 山 町 ・ 尾 道 町 を 経 て 三 原 町 に 達 す る は な む し ろ も の で 、 綿 作 ・ 藺 草 作 ・ 塩 業 ・ 綿 織 物 業 ・ 花 筵 業 ・ 近 代 紡 績 業 な ど の 展 開 を み た 山 陽 地 方 随 一 の 富 裕 な 地 帯 で あ っ た 。 そ の た め か 、 こ の 区 間 で は 路 線 北 寄 り に 敷 設 す る こ と に な っ た 。 し た が っ て 、 こ の 選 定 や 用 地 買 収 を め ぐ っ て し ば し ば 紛 糾 が 生 じ た 。 長 尾 停 車 場 ( 現 ・ 玉 島 駅 ) に つ い て は 、 会 社 側 は 建 地 帯 の 工 事 に 際 し て は 、 し ば し ば 妨 害 が 繰 り 返 さ れ 、 設 資 材 が い っ せ い に 運 び 込 め る 海 岸 沿 い の 路 線 を 計 ま た 工 事 労 務 者 の 同 盟 罷 業 事 件 も 起 こ っ た 。 た か は し 用 地 買 収 の 紛 糾 は 尾 道 町 に お い て も 起 こ っ た 。 山 画 し た が 、 高 梁 川 舟 運 の 衰 微 や 、 列 車 の 煤 煙 に よ る 塩 田 汚 染 を 恐 れ た 住 民 の 反 対 運 動 に よ り 、 予 定 よ り 陽 鉄 道 会 社 側 は 尾 道 町 を 縦 貫 す る 案 を 主 張 し 、 尾 道 み つ い し い ぐ さ 倉 敷 停 車 場 落 成 式 の 祝 辞 あ に な か べ け 海 已 ニ 汽 船 ノ 便 ア リ 、 陸 豈 汽 車 ノ 設 ケ 無 ル 可 ン ヤ 、 け だ し こ の げ ん じ 盖 文 明 ノ 利 益 此 二 者 ノ 右 ニ 出 ル モ ノ ナ カ ラ ン 、 現 時 ま さ 本 邦 長 足 ノ 進 歩 ヲ 以 テ 此 工 事 ヲ 相 競 ヒ 縦 横 応 ニ 全 国 ニ あ ま あ じ あ し ゅ う ち ゅ う せ ん べ ん 遍 ネ カ ラ ン ト ス 、 是 亜 細 亜 州 中 先 鞭 ノ 栄 ヲ 博 セ シ モ ち ょ う み つ ひ ん ば ん ノ ナ リ 、 然 ル ニ 民 ロ 稠 密 運 輸 頻 繁 ナ ル 此 中 国 ニ シ テ ひ そ か 従 前 此 大 計 画 ニ 着 手 ス ル ノ 運 ニ 至 ラ サ リ シ ハ 竊 ニ 志 士 ノ 憾 ト ス ル 所 ナ リ 、 時 ナ ル 哉 茲 ニ 山 陽 鉄 道 会 社 ノ 興 ル し も マ イ ル ア リ 、 其 事 業 タ ル 上 神 戸 ョ リ 下 馬 関 ニ 至 ル 数 百 哩 ノ あ し か し わ れ ま た そ の 間 ヲ 一 貫 ス ル ニ 在 リ 、 而 テ 吾 窪 屋 郡 亦 其 沿 道 ノ 中 ニ 当 レ リ 、 本 年 六 月 我 岡 山 県 庁 ノ 命 ヲ 奉 シ テ 初 テ 之 レ ヲ 関 じ ら い き っ き ょ ろ く え っ げ つ し よ く 係 ノ 人 民 ニ 発 表 シ 爾 来 拮 据 奔 走 六 閲 月 会 社 ノ 事 務 ニ 嘱 お お む ス ル 、 工 事 ノ 一 部 分 ヲ 除 ク ノ 外 百 事 概 ネ 結 了 シ 、 本 か し よ う あ そ の 日 正 ニ 倉 敷 停 車 場 落 成 式 挙 行 ノ 佳 招 ニ 遇 ヒ 其 班 別 ニ 加 え き ん き の じ よ う ル ヲ 得 欣 喜 情 禁 ス 可 ラ サ ル ナ リ 、 戯 之 レ ヲ 小 ニ シ テ ハ 本 郡 行 旅 商 工 ノ 便 益 ヲ 賀 シ 、 之 レ ヲ 中 ニ シ テ ハ 会 ほ う か 社 ノ 繁 昌 ヲ 祝 シ 、 之 レ ヲ 大 ニ シ テ ハ 邦 家 ノ 隆 盛 ヲ 慶 ぶ わ い か え り ス 、 故 ニ 蕪 穢 ヲ 省 ミ ス 敢 テ 数 言 ヲ 陳 ス ト 云 明 治 廿 三 年 十 二 月 廿 八 日 窪 屋 郡 長 森 田 佐 平 森 田 佐 平 は 当 時 、 備 中 を 代 表 す る 知 識 人 の 一 人 。 翻 訳 文 学 で 著 名 な 森 田 思 軒 は 佐 平 の 息 子 す で わ れ か み こ の こ 9

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ち ゅ う ほ う き 中 」 地 方 、 あ る い は 伯 耆 地 方 の 人 び と も 、 こ れ ら の 道 標 を 頼 り に 泊 ま り を 重 ね 、 讃 岐 へ の 長 道 中 を 歩 い た も の と 思 わ れ る 。 「 金 毘 羅 往 来 」 風 物 洋 薯 ド を 讃 岐 の 金 毘 羅 に 通 じ る 道 は 金 毘 羅 道 と 呼 ば れ た が 、 備 前 ・ 備 中 地 方 で は 、 金 毘 羅 道 の 幹 線 に 当 た る ) 、 、 ト 岡 山 城 下 と 下 津 井 港 を 結 ぶ 街 道 を 、 い つ の こ ろ か ら か 金 毘 羅 往 来 と 呼 ぶ よ う に な っ た 。 金 毘 羅 参 詣 を 志 し 備 前 岡 山 の 城 下 に 出 た 旅 人 た ち お お も と よ ね く ら は 、 大 元 の 宗 忠 神 社 の 門 前 を 過 ぎ て 米 倉 に 向 か っ さ さ が せ せ の お た 。 笹 瀬 川 を 渡 っ て 備 中 に 入 る と 、 ほ ど な く 妹 尾 村 じ ゅ え い で あ る 。 地 名 の 起 源 は 妹 尾 太 郎 兼 康 が 、 寿 永 ( 一 一 ← す は ま 五 ) の 昔 、 こ の 地 須 浜 の 丘 に 居 館 を 構 え た こ と に 由 来 す る と い う 。 漁 村 か ら 発 達 し た 町 で 「 妹 尾 千 軒 ま ほ っ け る 法 華 」 と い わ れ る よ う に 日 蓮 宗 ( 法 華 宗 ) の 盛 ん な 町 で あ る 。 妹 尾 を 過 ぎ る と 早 島 村 で 、 昔 は 吉 備 の あ な う み は や し ま て ん し よ う 穴 海 に 浮 か ぶ 隼 島 と い う 小 島 で あ っ た 。 天 正 十 二 う き た ひ で い え ろ が っ て い た 。 年 (&) の 宇 喜 多 秀 家 の 新 田 開 発 で 陸 つ づ き と な っ ぐ さ 潮 川 を 渡 る と 岡 山 藩 家 老 池 田 氏 の 陣 屋 町 天 城 で あ た 。 江 戸 時 代 は 藺 草 の 栽 培 と 畳 表 の 生 産 で 栄 え 、 出 入 り の 商 船 も 多 く 、 旦 那 衆 の 町 と し て 知 ら れ た 。 早 る 。 陣 屋 ( 御 茶 屋 ) を 中 心 に 武 家 屋 敷 ・ 町 屋 ・ 寺 院 が 島 の 宇 喜 多 堤 を 南 下 す る と 、 金 毘 羅 往 来 の 街 道 茶 屋 城 下 町 さ な が ら に 配 置 さ れ 、 金 毘 羅 往 来 に 沿 い 、 潮 し お か わ Ⅱ の 港 で あ っ た こ と も あ っ て 、 昔 は け っ こ う 賑 わ っ で 賑 わ っ た 茶 屋 町 で 、 町 並 み を 過 ぎ 潮 川 を 渡 る と 再 び 備 前 に 入 る 。 こ の 妹 尾 か ら 茶 屋 町 の 間 は 、 興 除 新 た も の で あ る 。 潮 川 の 本 流 ( 倉 敷 川 ) を 渡 る と 、 真 こ さ っ ぶ ん せ い 田 が 開 か れ る 文 政 年 司 ( 尸 ( 当 〇 ' ・ ) 以 前 は 海 道 で 、 瀬 一 一 一 一 〕 宗 の 古 刹 藤 戸 寺 の 門 前 町 か ら 起 こ っ た 藤 戸 浦 で 、 し に せ 戸 内 海 の 余 漣 を 漂 わ せ る 児 島 湾 が 、 往 来 近 く ま で ひ 寿 永 三 年 ( ← し の 創 業 と い う 藤 戸 饅 頭 の 老 舗 が 、 藤 を 注 意 岡 山 市 吉 備 津 宮 門 前 町 の 道 標 吉 備 津 宮 の 門 前 町 宮 内 は 、 江 戸 時 代 、 山 陽 道 屈 指 の 歓 楽 街 。 そ の 片 隅 に 天 保 4 年 ( 18 33 ) 金 毘 羅 道 の 道 標 が 建 て ら れ た 。 藤 戸 饅 頭 の 老 舗 ー ー ー 藤 戸 合 戦 ゆ か り の 藤 戸 寺 の 麓 て 、 寿 永 以 来 の 老 舗 を 誇 る 。 昔 な が ら の 店 構 え が 詩 情 を そ そ る 。 野 崎 武 左 衛 門 と 野 崎 浜 け む り 児 島 郡 味 野 村 ・ 赤 崎 村 沖 の 野 崎 浜 に 、 塩 焼 く 烟 が 最 初 に 立 ち 上 0 た の は 、 文 政 十 二 年 ( 一 ル ) の こ と で あ っ た 。 そ れ が の ち に 備 前 随 一 の 豪 商 ・ 地 主 と な っ た 武 い し ず え 左 衛 門 が 、 磐 石 の 礎 を 築 い た と き で あ っ た 。 武 左 衛 門 は 味 野 村 の 旧 家 多 田 屋 貞 右 衛 門 の 長 男 に 生 ま れ た 。 貧 苦 の 中 で 学 問 を 修 め た が 、 と く に 彼 を 奮 起 さ せ た の は そ の 愛 読 書 『 太 閤 記 』 で あ っ た と い う 。 青 雲 の 志 を 胸 に 秘 め 、 小 倉 足 袋 の 製 造 と 販 売 こ も か ぶ や り に 従 事 し 、 銀 一 二 〇 貫 目 を 蓄 え た 彼 は 、 菰 を 被 る か 鑓 け ん こ ん い っ て き は ら を 立 て る か 、 乾 坤 一 擲 の 胆 を き め て 塩 浜 を 築 い た 。 こ れ が 野 崎 浜 で あ る 。 武 左 衛 門 は そ の 後 、 東 野 崎 浜 な ど 多 く の 塩 浜 を 開 き 、 福 田 新 田 な ど 広 大 な 新 田 を 開 発 し て 大 地 主 と な り 、 位 も 大 庄 屋 格 か ら 大 庄 屋 に 進 ん だ 。 長 年 の 勤 功 で 苗 字 を 許 さ れ た と き 、 彼 は 野 崎 浜 に ち な ん で 野 崎 姓 を 名 乗 っ た 。 『 太 閤 記 』 は つ い に 武 左 衛 門 を 塩 田 王 に 育 て 上 げ た の で あ る 。 ぶ ん せ い あ ま き 6