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天皇の世紀 3

天皇の世紀 9 天皇の世紀 大佛次郎 文春文庫 大老・井伊直弼が桜田門外におい て斬殺され、幕府の権威は地に墜 ちた。残された閣老たちは公武合 体策に復権をかけるが、対朝廷、 雄藩、列強、いずれとの交渉にも 果断を欠き、いよいよ窮地へ追い 込まれてゆく。腐朽した幕府組織 の内実と、世情の混乱が生み出し たテロルの様相を見事に描出した 四篇を収める。解説・福島行一 著者紹介 大佛次郎 ( おさらぎ・じろう ) 明治 30 ( 1897 ) 年、横浜市生れ。 本名・野尻清彦。長兄は英文学者 の野尻抱影。大正 10 ( 1921 ) 年、 東京帝国大学政治学坏斗を卒業後、 鎌倉高等女学オ交 ( 現・鎌倉女学院 高等学オ交 ) 教師となったが、翌年 外務省条約局勤務 ( 嘱託 ) に。 13 年、鎌倉の大仏の裏手に住んて、い ことに由来する大佛次郎の筆名 て、、「隼の源次」、ついて、「鞍馬天狗」 シリーズ第一作「鬼面の老女」を 発表、作家活動をはじめる。「赤穂 浪士』『パリ燃ゆ』『ドレフュス事件』 『帰郷』「天皇の世紀』 ( 絶筆・未完 ) など、日赫に小説から現代小説、歴 史小説、ノンフィクション、工ッ セイと、幅広いテーマとスタイル て、多くの作品を手がけた。昭和 48 ( 1973 ) 年 4 月 30 日逝去。 大佛次郎の本 終戦日記 天皇の世紀 ( 1 ト ( 12 ) 1920195007909 旧 BN978-4-16-777356-4 C0193 \ 790E 定価 ( 本体 790 円十税 ) ③大佛次郎 風 お 44 4 文春文庫 お 4 文春文庫 文春文庫 題字・小泉淳作 装丁・野中深雪 790 十税

天皇の世紀 1

天室の世紀 大Ⅱ第町一 天皇の世紀 文春文庫 歴史とは何か ? 日本人とは何か ? 「天皇の世紀』 ( 全 12 巻 ) は、文豪・ 大佛次郎が史実の中に真の人間像 を追求した渾身の大作て、ある。卓抜 した史観と膨大な資料渉猟によっ て、明治天皇の誕生から戊辰戦争 に至る激動の時代を照射し、世界 史上の工ポックともなった明治維 新の真義と、日本人の国民的性格 を明らかにする。解説・福島行一 お 44 2 著者紹介 大佛次郎 ( おさらぎ・じろう ) 明治 30 ( 189 の年、横浜市生れ。 本名・野尻清彦。長兄は英文学者 の野尻抱影。大正 10 ( 192D 年、 東京帝国大学政治学利・を卒業後、 鎌倉高等女物交 ( 現・鎌倉女完 高等学オ交 ) 教師となったが、翌年 外務省条約局勤務 ( 嘱託 ) に。 13 年、鎌倉の大仏の裏手に住んて、い ことに由来する大佛①にの筆名 て、、「隼の源次」、ついて、「鞍馬天狗」 シリーズ第ヨ乍「鬼面の老女」を 発表、作家活動をはじめる。「赤穂 浪士』『パリ燃ゆ』『ドレフュス牛』 『帰郷』「天皇の世紀』 ( 絶筆・未完 ) など、時代小説から現代小説、歴 史小説、ノンフィクション、工ッ セイと、幅広いテーマとスタイル て、多くの作品を手がけた。昭和 48 ( 1973 ) 年 4 月 30 日逝去。 大佛次郎の本 終戦日記 天皇の世紀 ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) ( 5 ) 旧 BN978-4-16-777339-7 C0193 \ 790E 定価 ( 本体 790 円 + 税 ) 黒船渡来 大佛次郎 文春文庫 お 2 文春文庫 文春文庫 題字・小泉淳作 装丁・野中深雪 790 十税

湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

社務所の前中央に「湯 立神楽」の舞台となる お祓所がある。 その神楽は藤沢市指 定無形民俗文化財で、 掲示板には下記のよ うに記されている。 湯立神楽の舞台となる御祓所 ( H11. 6. 12 撮影 ) ゆだてかぐら 市指定無形民俗文化財湯立神楽 白旗神社を中心に神官により継承されている神事芸能。湯立を伴う神楽で、湯 花神楽、鎌倉神楽等の名称で藤沢 , 鎌倉から三浦半島一円に及んでいる。古くは 関東一帯に分布したとされる神代神楽を源流とし、鎌倉の鶴岡八幡宮の神楽男 が伝承し、次第に近隣に定着したものとされる。「湯立」という神事手法に組み 込まれた神楽には品格があり、舞にも洗練されたものである。演目は 11 で、打 囃子、初能、御祓、御幣招、湯上、中入、掻湯、大散供、笹の舞、弓祓、最後 の剣舞毛止幾で神人共楽の内に終了する。 白旗神社神事 10 月 28 日 平成 8 年 3 月 1 日指定 藤沢市教育委員会 白旗神社境内の東側には「弁慶藤」の藤棚と「芭蕉句碑」がある。 石碑には次のような 俳句が刻されている。 化藤 じ比豸 や の 年 くたびれ 弁慶藤と芭蕉句碑 ( H11. 6. 12 撮影 ) 139

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境川の流全体図 八王子市 兄川源流 川崎市 城山町一 草戸山 相模原市 z ー鬯 町田市 さ和市 生間市 ◎ ( ' 綾瀬「 ( 横浜市 神丁 厚木市◎ 兄和 伊勢原市◎ 柏尾川ニ 秦野市 寒川町 藤。市◎ 茅ヶ崎市 平塚市◎ 鎌倉市 日河口 ) 大磯町 相模湾 江ノ島 5 々 m 12

湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

③山門 ( 元治元年 ( 1864 ) 竣ェ ) ④妙見堂 ( 享保 5 年 ( 1720 ) 竣工 ) ⑤大本堂 ( 天保 3 年 ( 1832 ) 竣工 ) 本堂は神奈川県の代表的木造大建築で「神奈川建築物百選」に選ばれている。 本堂への階段手前右手に右記の如く 霏跡本山龍ロ寺縁起 本寺の縁起を記した掲示板がある。 当山は寂光山と号し龍ロ寺と称す日蓮宗 霊跡。本山の随一にして龍のロ御法難の 霊跡なり。文応元年 ( 1260 ) 7 月 16 日大 聖人が幕府に建白せる立正安国論壱巻は 国難を予言すると共に鎌倉諸山の高僧へ 11 通の諫状を送り仏法の正邪を決すべく 迫る。彼等は対決の見込みに非なるを思 いて表裏より幕府に讒言を構え就中、極 楽寺良観は特に雨乞いの祈祷に破れたる を怨み武者頭平左衛門と陰に謀略を以て 暗約を結ぶに至る。時に文永 8 年 ( 127D9 月 12 日平左衛門以下数百人の徒党を以て 松葉が谷の庵室を襲、大聖人を捕え市中 引廻し、由比ヶ浜、七里ヶ浜を経て龍の ロ刑場え着き敷皮石の上に据えられ、依 智ノ三郎太刀を振り上げたる時、一天俄 かにかき雲り烈風強雨、江の島の方より 満月の如き光り物飛び来り。太刀取りは 眼眩んで倒れ伏し、他の警護の武士も皆 恐れ怖いて茲に聖人の首を斬ること能は ず。この奇瑞に依て首の座の大法難を免 るに至る。実に龍のロは日蓮聖人がこの 法難の試練を経て法華経の行者として完 成され、本化上行末法救済の大導師とし て御自覚を得られた宗門随一の霊場にし て聖人自から「龍のロに日蓮が命を止め おくことは法華経の御故なれば寂光土と もいうべきか」と申された永劫不滅の霊 場なり。 ⑥日蓮聖人銅像 本堂の右横に 「日蓮聖人銅像」と 「延寿の鐘」が並ん で建立されている。 更にその横に、重厚 な建築の寺務所「大 書院」がある。 170

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無量寺 高鎌橋の東、県道 22 号の北にある 寺院である。入口の掲示板には次の ように記されている。 帰命山長寿院無量寺 当山は鎌倉安養院第 19 世深誉 呑霊上人が文禄 2 年 ( 1593 ) に 開創したと伝えられている。ま た「相模風土記稿」には開山は 善如 ( 承應 2 年寂 1653 ) とある。 伝承では初め他所に創建された が天災により本堂庫裡等すべて 倒壊してしまい現在地に移転し て再建されたという。本尊阿弥 陀如来像は相州鎌倉郡扇ヶ谷の 仏師後藤左近の作 ( 元禄 15 年 1702 ) 。 浄土宗 刀、日 本尊 阿弥陀如来 総本山 京都知恩院 称名 南無阿弥陀仏 境内にある 宗祖 法然上人 名木古木指定 所求 極楽浄土往生 のイチョウ ( H11. 7. 1 撮影 ) 三柱神社 無量寺の南方にある神社で境内には上飯田南町町内会館がある。この神社の由来は 入口の立札によると、「上飯田下組といわれた地域内に古くから祀られていた日枝 神社大山咋命 ( 山王様 ) ・神明社豊受津姫命 ( 稲荷様 ) ・天満宮 ( 菅原道真 ) の 3 っ みはしら の神社を大正元年 12 月に寄宮して三柱神社としたのが始まり」とのことである。 無量寺入口、正面が本堂 ( H11. 7. 1 撮影 ) 5 第 5 三柱神社入口 三柱神社本殿 ( H11. 7. 1 撮影 ) ( H11 . 7. 1 撮影 ) 120

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瑞光寺 稲荷橋の東南方向にある禅寺であ る。車なら国道 16 号の橋本本町信 号から西側に入って突き当たりに ある。山門の前に「本然学舎・橋 本学校開設の地」と銘された石碑 があり、その裏に下記 ( 左 ) の内 容が刻まれている。また、境内に ある立札には本寺について下記 ( 右 ) のように書かれている。 瑞光寺の山門と学校開設の地の記念碑 ( H11. 5.18 撮影 ) 本然学舎・橋本学校開設の胆 曹洞宗橋本山瑞光寺 当山本尊 : 釈迦牟尼如来坐像 明治 5 年学制の発布あり、翌 6 年 9 月橋本 本尊唱名 : 南無釈迦牟尼佛 村はここに学校を開設し、本然学舎と称す。 : 福井県永平寺 大本山 瑞光寺 19 世岱獄量宗大和尚 ( 米齋 ) 安田蔵 御開山高祖道元禅師 宗が教師に任ぜられ、 6 歳より 12 歳までの 横浜市総持寺 御開山太祖瑩山禅師 男子 18 名及び女子 2 名が生徒となる。明治 伝統 : お釈迦様よりの正伝の仏法は達磨大 35 年相原村立学校発足し、翌 36 年学校名 師によって中国へ伝えられ曹洞の禅風 を旭小学校と改む。昭和 59 年 10 月建立。 として開花し、鎌倉時代道元禅師のお伝 生徒後裔縁故者 えにより日本開宗となす。その教義は瑩 当山 27 世住職上村利行 山禅師によって広く全土に実践教化さ れ今日に至る。 企画協賛橋本郷土研究会 お寺の人の話によると、上記小学校は「当時、丁度山門の方にいつも美しい朝日を 眺めることができたことから旭小学校と名付けられた。」とのことである。 両国橋 町田街道と国道 16 号が交差する相 原交差点の近くに両国橋がある。 武蔵国と相模国にまたがる意味から 付けられた名前である。 両国橋の上流側の欄干 ( H11. 5. 18 撮影 ) 40

湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

住吉神社 島橋から J R 線路の下に設けられてい る横断歩道トンネルをくぐり町田市側 へ出ると住吉神社がある。 本殿の右横には山王社も祀られている。 住吉神社御由 御祭神上筒男命、中筒男命、底筒男命 寛永 17 年 ( 1640 ) 9 月武州多摩郡本森村鎮 守として勧請建立された。宝永 7 年 ( 1710 ) 12 月再興。嘉永 3 年 ( 185 の 9 月御厨 子入尊像造立 ( 現存 ) 、内宮外殿建替。慶 応 2 年 ( 1866 ) 11 月石造鳥居建立 ( 現存 ) 。 明治 4 年 ( 187D4 月妙延寺境内から元の社 地 ( 現在地 ) へ御遷座。 山王社御由緒 おおやまつみのみこと 御祭神大山咋命 勧請の年月不詳。昭和 50 年 ( 1975 ) 3 月森 野 2 丁目 12 番より当境内へ御遷座。 住吉神社本殿横に祀られている山王社 ( H11. 7. 16 撮影 ) 森野橋 森野橋は幹線道路・都県道 52 号 ( 鎌倉街道 ) が通る橋で交通量が極めて多く、両 側には幅広い歩道が設けられた長大な橋である。橋は境川と J R 線路を跨いで高 い位置にあり、橋上からの見晴しがよい。 JR 線を跨ぐ部分は住吉橋という 橋名がついている。 住吉橋 森野橋側歩道から見た住吉橋 ( H11. 7. 16 撮影 ) 住吉神社本殿 ( H11. 7. 16 撮影 ) 町田市側から見た森野橋 ( H11. 7.16 撮影 ) 65

湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

立石橋 ~ 大道 明神社 東西橋 幵 横わ道境川水隆橋ー 立石橋 ー横浜市 ュ石神社 ヾ ' 呂総 月田急電鉄江ノ島 ド 境 . 、 大 ) 水橋Ⅱ 鎌倉市 0 6 幵柄沢神社・ / 、 白旗神 卍隆昌院卍慈眼 、小轆 - 、卍 卍諏訪 殿橋。 橋 。。光寺卍 王社藤市 、丞勝卍 藤沢橋卍感こ、院 卍天嶽院 耳船玉神社 肖荷 大正橋 御所 / 橋 境月大橋 遊行寺 尾 東橋 卍去善寺 勒了 J R 東海道本線 藤沢 道 境川は立石橋を過ぎると横浜市との境界を離れていよいよ藤沢市の中心部へと向う。 藤沢市の現在の中心は J R 藤沢駅周辺であるが、かっての藤沢地区は藤沢・大鋸・西 富の三つの大字からなり特に藤沢橋付近の旧東海道に沿った「藤沢宿」一帯が中心で あった。従ってこの付近には遊行寺や白旗神社をはじめ由緒ある神社仏閣が多い。 立石オ喬 ( H2 年架設 ) 東側から見た立石橋全景 ( H11. 6. 12 撮影 ) 133

湘南散歩境川・引地川 : 歴史・文化と自然のある風景

引地川流域全体図 相模原 . 座間市 東京都ノ 大和市 海老名市 ) 綾瀬市 川一 寒川町 横浜市 藤沢市 茅ヶ崎市 柏 鎌倉市 相模湾 引地川河口・、 . 江ノ島 184