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検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代から 262件ヒットしました。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


表 I ー 1 和 風 謚 号 神 日 本 磐 余 彦 天 皇 神 渟 名 川 耳 天 皇 「 日 本 書 紀 」 の 編 年 の あ ら ま し 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 巻 二 十 30 31 32 33 34 35 巻 二 四 36 巻 二 五 37 38 巻 二 七 巻 一 39 料 40 131 ー 190 192 ー 200 201 ー 269 270 ー 310 313 ー 399 400 ー 405 406-410 412 ー 453 454 ー 456 457 ー 479 480 ー 484 485 ー 487 488 ー 498 499 ー 506 507 ー 531 534 一 535 536 ー 539 540 ー 571 572 ー 585 586 ー 587 588 ー 592 593 ー 628 629 ー 641 642 ー 644 645 ー 649 655 ー 661 662 ー 671 神 武 天 皇 綏 靖 大 皇 安 寧 天 皇 懿 徳 天 皇 孝 昭 天 皇 孝 安 天 皇 孝 霊 天 皇 孝 元 天 皇 開 化 天 皇 崇 神 天 皇 垂 仁 天 皇 景 行 天 皇 成 務 天 皇 仲 哀 天 皇 神 功 皇 后 応 神 天 皇 仁 徳 天 皇 履 中 天 皇 反 正 天 皇 允 恭 天 皇 安 康 天 皇 雄 略 天 皇 清 寧 天 皇 顕 宗 天 皇 仁 賢 天 皇 武 烈 天 皇 継 体 天 皇 安 閑 大 皇 宣 化 天 皇 欽 明 天 皇 敏 達 天 皇 用 明 天 皇 崇 峻 天 皇 推 古 天 皇 舒 明 天 皇 皇 極 天 皇 孝 徳 天 皇 斉 明 天 皇 天 智 天 皇 天 武 天 皇 持 統 天 皇 磯 城 津 彦 玉 手 看 天 皇 大 日 本 彦 耜 友 天 皇 観 松 彦 香 殖 稲 天 皇 日 本 足 彦 国 押 人 天 皇 大 日 本 根 子 彦 太 瓊 天 皇 大 日 本 根 子 彦 国 牽 天 皇 稚 日 本 根 子 彦 大 日 日 天 皇 御 間 城 入 彦 五 十 瓊 殖 天 皇 活 目 入 彦 五 十 狭 茅 天 皇 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 稚 足 彦 天 皇 足 仲 彦 天 皇 気 長 足 姫 尊 誉 田 天 皇 大 鷦 鷯 天 皇 去 来 穂 別 天 皇 瑞 齒 別 天 皇 雄 朝 津 間 稚 子 宿 禰 天 皇 穴 穂 天 皇 大 泊 瀬 幼 武 天 皇 白 髪 武 広 国 押 稚 日 本 根 子 天 皇 弘 計 天 皇 億 計 天 皇 小 泊 瀬 稚 鷦 鷯 天 皇 男 大 迹 天 皇 広 国 押 武 金 日 天 皇 武 小 広 国 押 盾 天 皇 天 国 排 開 広 庭 天 皇 渟 中 倉 太 珠 敷 天 皇 橘 豊 日 天 皇 泊 瀬 部 天 皇 豊 御 食 炊 屋 姫 天 皇 息 長 足 日 広 額 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 万 豊 日 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 命 開 別 天 皇 天 渟 中 原 瀛 真 人 天 皇 高 天 原 広 野 姫 天 皇 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 五 巻 七 巻 七 巻 八 巻 九 巻 十 巻 十 一 巻 十 二 巻 十 二 巻 十 三 巻 十 三 巻 十 四 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 六 巻 十 七 巻 十 八 巻 十 八 巻 十 九 巻 紀 年 数 60 年 9 年 69 年 41 年 87 年 6 年 5 年 42 年 3 年 23 年 5 年 3 年 11 年 8 年 25 年 2 年 4 年 32 年 14 年 2 年 5 年 36 年 13 年 3 年 5 年 ( 大 化 ド 3 5 年 ( 白 雉 ) 7 年 10 年 14 年 1 年 ( 赤 鳥 ) 11 年 享 年 127 歳 84 歳 57 歳 77 歳 ( 立 ) 料 114 歳 ( 立 ) 137 歳 ( 立 ) 128 歳 ( 立 ) 116 歳 ( 立 ) 115 歳 120 歳 140 歳 106 歳 107 歳 52 歳 100 歳 110 歳 82 歳 70 歳 73 歳 63 歳 ( 生 ド 2 75 歳 70 歳 在 位 期 間 B . C .29 ー 70 B . C. 97 ー 30 B. C. 157 ー 98 B . C. 214 ー 158 B . C. 290 ー 215 B . C. 392 ー 291 B. C .475 一 393 B. C .510 ー 477 B . C. 548 ー 511 B . C. 581 ー 549 B. C .660 ー 585 ー ノ い 巻 三 十 71 ー 130 687 ー -- 697 672 ー 685 650-654 686 * 1 : 立 太 子 時 の 年 齢 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 立 ) と 記 す 。 * 2 : 出 生 年 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 生 ) と 記 す 。 * 3 : 西 暦 645 年 は 、 6 月 18 日 ま で は 、 皇 極 四 年 、 6 月 19 日 以 降 は 大 化 元 年 と な る 。 * 4 : 「 日 本 書 紀 」 で は 、 天 武 天 皇 は 第 39 代 、 持 統 天 皇 は 第 40 代 で あ る が 、 明 治 時 代 に 大 友 皇 子 が 弘 文 天 16 皇 と し て 第 39 代 天 皇 と し て 数 え ら れ る よ う に な っ た た め 、 今 日 で は 、 天 武 天 皇 以 下 代 数 が 一 代 下 が る 。

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1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 番 号 205 表 V ー 4 推 古 紀 に 所 見 さ れ る 「 皇 太 子 」 内 容 皇 太 子 ( 1 ) お よ び 大 臣 に 詔 し て 、 三 宝 を 興 し め た 。 こ の 時 、 諸 臣 、 連 ら は 君 親 の 恩 の た め 、 競 っ て 仏 舎 を 造 っ た 。 す な わ ち 、 こ れ を 寺 と い う 。 高 句 麗 僧 恵 慈 が 帰 化 し た 。 即 、 皇 太 子 ( 2 ) の 師 と さ れ た 。 皇 太 子 ( 3 ) は 、 初 め て 宮 を 斑 鳩 に 興 し た 。 来 目 皇 子 が 筑 紫 に て 薨 じ た 。 す ぐ に 駅 使 を も っ て 奏 上 し た 。 こ に 、 天 皇 こ れ を 聞 い て 大 い に 驚 か れ た 。 即 、 皇 太 子 ( 4 ) と 蘇 我 大 臣 を 召 し た 。 皇 太 子 ( 5 ) が 諸 大 夫 に 言 わ れ る に は 、 「 わ た く し は 尊 仏 像 を 所 有 し て い ま す が 、 こ の 像 を 得 た い と 思 う 人 は 誰 か お ら ぬ か 」 と 。 恭 し く 拝 ん で い る と 、 秦 河 勝 が 進 み 出 て 曰 く 。 「 臣 が こ れ を 拝 み ま し よ う 」 と 。 仏 像 を 受 け 、 こ れ に 因 ん で 蜂 岡 寺 を 造 っ た 。 こ の 月 、 皇 太 子 ( 6 ) は 天 皇 に 請 う て 、 大 楯 お よ び 靭 を 作 っ た 。 靭 は 由 岐 ( ゆ き ) と 云 う 。 ま た 、 旗 幡 に 絵 を 描 い た 。 皇 太 子 ( 7 ) は 、 み ず か ら 初 め て 憲 法 十 七 条 を 作 っ た 。 天 皇 は 、 皇 太 子 ( 8 ) 、 大 臣 、 お よ び 諸 王 、 諸 臣 に 詔 し て 、 と も に 誓 願 を 発 し た 。 も っ て 、 初 め て 金 銅 製 の 丈 六 の 仏 像 一 躰 ず つ を 作 っ た 。 皇 太 子 ( 9 ) は 、 諸 王 、 諸 臣 に 命 じ て 、 重 ね の 衣 を 着 用 さ せ た 。 皇 太 子 ( 10 ) は 、 斑 鳩 宮 に 居 し た 。 天 皇 は 、 皇 太 子 ( (I) に 請 い 、 勝 鬘 経 を 講 義 す る よ う 命 じ ら れ た 。 三 日 間 こ れ を 説 い た 。 是 歳 。 皇 太 子 ( 12 ) は ま た 岡 本 宮 で 法 華 経 を 講 義 し た 。 天 皇 は こ れ を 喜 ば れ た 。 播 磨 国 の 水 田 百 町 を 皇 太 子 ( 13 ) に 施 入 し た 。 こ れ に 因 ん で 斑 鳩 寺 に 納 め た 。 皇 太 子 ( 14 ) は 、 お よ び 大 臣 は 百 寮 を 率 い 、 祭 祀 を も っ て 神 祇 を 拝 ま れ た 。 皇 太 子 ( 15 ) は 、 片 岡 に 遊 行 さ れ た 。 時 に 、 飢 者 が 道 端 に 臥 せ っ て い た 。 皇 太 子 ( 16 ) は 、 こ れ を 見 て 、 飲 食 を 与 え ら れ た 。 皇 太 子 ( 17 ) は 、 使 人 を 遣 わ し て 飢 者 の 様 子 を 見 さ せ ら れ た 。 使 者 は 帰 っ て く る と 言 っ た 。 「 飢 者 は す で に 亡 く な っ て お り ま す 」 と 。 こ に 皇 太 子 ( 18 ) は こ れ を 大 い に 悲 し ま れ た 。 す ぐ に そ の 場 所 に 埋 葬 さ れ 、 墓 を 固 く 封 印 さ れ た 。 数 日 後 、 皇 太 子 ( 19 ) は 、 近 習 の 者 を 召 し て 言 わ れ た 。 皇 太 子 ( 20 ) は 、 ま た 、 使 者 を 返 し て そ の 衣 を 取 ら せ 、 い つ も の よ う に 御 召 に な っ た 。 時 に 人 々 は 大 い に お ど ろ い て 言 っ た 。 「 聖 が 聖 を 知 る と は 本 当 の こ と だ 」 と 。 こ の 年 、 皇 太 子 ( (1) は 、 嶋 大 臣 と と も に 、 「 天 皇 記 」 「 国 記 」 の 臣 連 伴 造 国 造 百 八 十 部 井 公 民 等 本 を 録 す こ と を 議 さ れ た 。 A 列 : 715 ( 霊 亀 元 ) 年 推 古 三 年 五 月 条 A 列 : 714 ( 和 銅 7 ) 年 推 古 二 年 二 月 条 条 推 古 十 五 年 二 月 条 A 列 : 726 ( 神 亀 3 ) 年 推 古 十 四 年 七 月 条 A 列 : 726 ( 神 亀 3 ) 年 推 古 十 四 年 七 月 条 A 列 : 726 ( 神 亀 3 ) 年 推 古 十 四 年 七 月 条 A 列 : 725 ( 神 亀 2 ) 年 推 古 十 三 年 十 月 条 A 列 : 725 ( 神 亀 2 ) 年 推 古 十 三 年 閏 七 月 条 A 列 : 725 ( 神 亀 2 ) 年 推 古 十 三 年 四 月 条 A 列 : 724 ( 神 亀 元 ) 年 推 古 十 二 年 四 月 条 A 列 : 723 ( 養 老 7 ) 年 推 古 十 一 年 十 一 月 条 A 列 : 723 ( 養 老 7 ) 年 推 古 十 一 年 十 一 月 条 A 列 : 723 ( 養 老 7 ) 年 推 古 十 一 年 二 月 条 A 列 : 721 ( 養 老 5 ) 年 推 古 九 年 二 月 条 A 列 : 740 ( 天 平 12 ) 年 推 古 二 十 八 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 733 ( 天 平 5 ) 年 推 古 二 十 一 年 十 二 月 条 A 列 : 727 ( 神 亀 4 ) 年 第 五 章 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 、 大 命 受 賜 而 歳 次 丁 卵 年 仕 奉 。 ほ し や ど る ( 〔 仮 訳 〕 池 辺 大 宮 に 天 下 を 治 め ら れ し 天 皇 、 御 身 を い た っ き た ま い し 時 。 歳 次 丙 午 ( 五 八 六 年 ) 。 大 王 天 皇 と 太 子 を 召 し 、 し か る に 誓 願 を 賜 る 。 我 が 大 病 の 平 癒 せ ん こ と を 欲 し 、 故 に 詔 し て 、 ま さ に 、 造 寺 ・ 作 薬 師 像 に 仕 え 奉 れ 。 し か れ ど も 、 崩 御 に あ た り 、 造 る を え ず 。 小 治 田 大 宮 に 天 下 を 治 め ら れ 銘 し 大 王 天 皇 と 東 宮 聖 王 、 大 命 を 受 け 賜 る 。 し か し て 歳 次 丁 卵 の 年 ( 六 〇 七 年 ) 、 仕 え 奉 る ) ( 干 支 年 に 対 応 す る 西 暦 年 代 は 筆 者 が 記 す ) 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 の 銘 文 に つ い て は 上 記 の よ う な 仮 訳 を 試 み て み ま し た が 、 解 釈 に つ い て は 、 定 説 は あ り ま せ ん 。 ま た 、 銘 文 中 に 登 場 す る 傍 線 ① か ら ⑤ の 人 物 名 に は 、 『 書 紀 』 の 人 物 名 と 「 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 ( 法 隆 寺 蔵 )

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表 V ー 2 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 749 197 西 元 正 、 上 天 A 列 上 の 用 明 ・ 崇 峻 ・ 推 古 紀 乙 巳 丁 未 己 酉 ス 壬 子 癸 丑 甲 寅 乙 卯 辰 丁 巳 巳 辛 酉 壬 癸 ス 甲 子 乙 丑 丁 身 辰 己 巳 壬 癸 酉 乙 ス 子 丁 丑 戊 寅 己 身 辰 巳 乙 酉 戌 丁 亥 A91 14 用 明 元 用 明 2 年 示 峻 元 示 峻 2 示 峻 3 示 峻 4 示 峻 5 推 古 2 年 推 古 3 推 推 推 4 5 6 7 9 10 11 推 古 12 年 B 列 天 、 宝 元 天 平 感 宝 元 年 天 平 20 天 平 19 天 平 18 天 平 17 天 平 16 天 、 15 天 平 14 天 平 13 天 平 12 天 平 11 天 平 10 年 天 、 9 天 平 8 天 平 7 天 平 6 天 平 5 天 平 4 天 平 3 天 平 2 天 平 元 5 4 3 2 神 亀 元 年 老 7 老 6 老 5 老 4 老 3 老 2 老 元 霊 亀 元 年 和 銅 7 年 和 ロ 6 銅 3 銅 2 銅 元 慶 雲 4 年 天 文 一 天 文 武 天 皇 元 日 天 元 明 天 皇 元 正 天 元 正 天 皇 聖 一 天 聖 武 天 皇 太 上 天 元 正 太 上 天 皇 元 日 太 上 天 元 明 太 上 天 皇 推 推 13 15 16 17 19 20 21 22 23 24 25 、 子 首 皇 子 聖 一 天 阿 倍 内 親 王 推 古 26 年 27 28 29 30 31 推 32 33 34 35 己 丑 舒 明 元 年 第 五 章 聖 徳 太 子 実 在 ・ 非 実 在 論

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文 』 の 作 製 の 再 開 を 促 し た と も 考 え ら れ ま す 。 こ の こ と か ら 、 「 丁 卯 ー の 年 は 、 書 紀 編 年 の 列 上 に お い て は 意 味 を も た な い 年 代 で す が 、 列 上 に お い て は 非 常 に 意 味 の あ る 年 代 と な っ て い る こ と が わ か り ま す 。 文 銘 以 の 列 と 列 を 踏 ま え こ 証 結 果 か ら も 、 『 = 師 如 来 像 光 背 銘 』 は 奈 良 時 代 に 作 ら れ た と 背 光 考 え て よ い の で は な い か と 思 わ れ ま す 。 像 尊 迦 釈 ー ー 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 の 登 場 人 物 の 比 定 と 説 造 文 「 大 王 天 皇 」 「 太 子 」 「 東 宮 聖 王 」 は 誰 か 銘 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 が 奈 良 時 代 初 頭 に 作 ら れ た と な り ま す と 、 「 天 皇 」 の 文 武 天 皇 だ け で は な 背 像 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 に 登 場 す る そ の 他 の 人 々 も 、 奈 良 時 代 の 人 物 に 擬 さ れ て い る と 考 え ら れ 来 如 ま す 。 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 全 文 は 六 二 頁 に 記 し て あ り ま す が 、 便 宜 上 、 以 下 に 再 び 記 し ま す 。 師 薬 ① 池 辺 大 宮 治 天 下 天 皇 大 御 身 労 賜 時 、 歳 次 丙 午 、 召 於 大 王 天 皇 与 太 子 而 誓 願 賜 、 我 大 御 病 三 第 太 平 欲 坐 故 、 将 造 寺 薬 師 像 作 仕 奉 詔 。 然 当 時 崩 賜 造 不 堪 者 。 小 治 田 大 宮 治 天 下 大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 、 大 命 受 賜 而 歳 次 丁 卵 年 仕 奉 。

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用 明 天 皇 有 子 日 聖 徳 太 子 年 三 歳 聞 十 人 語 同 時 解 之 七 歳 悟 仏 法 于 菩 薩 寺 講 聖 鬘 経 天 雨 曼 陀 羅 華 当 此 土 隋 開 皇 中 遣 使 泛 海 至 中 国 求 法 華 経 ( 用 明 天 皇 に は 子 が あ り 聖 徳 太 子 と ) っ こ 。 し オ 三 歳 に し て 一 度 に 十 人 の 言 葉 を 聞 き 理 解 し た 。 七 歳 に し て 菩 薩 寺 に て 仏 法 を 悟 り 、 聖 鬘 経 天 雨 曼 陀 羅 華 を 講 じ た 。 ま さ に こ れ 隋 の 開 皇 年 間 に 海 を わ た り 使 を 遣 わ し て 、 中 国 に 法 華 経 を 求 め し め た ) 文 章 は 、 用 明 天 皇 に 聖 徳 太 子 と い う 名 の 子 が あ り 、 開 皇 年 間 中 に 使 を 遣 わ し た と 記 し て い ま す 。 し か し な が ら 、 「 多 利 思 比 孤 ー と い う 名 は で て ま い り ま せ ん 。 子 太 徳 多 利 思 比 孤 は 用 明 天 皇 の 皇 子 聖 そ し て 、 先 に 記 し た 文 章 << を 見 て み ま す と ( 『 宋 史 』 で は 、 文 章 ↓ 文 章 < の 順 と な っ て い ま す ) 、 文 章 < の 「 案 ず る に 、 隋 の 開 皇 二 十 年 に 倭 王 が あ り 、 姓 は 阿 毎 、 名 は 自 多 利 思 比 孤 と 云 っ た 。 使 を 此 ち ょ う ね ん 遣 わ し 書 を 致 し た 」 の 文 章 は 、 「 : : : 皆 奝 然 の 記 す と こ ろ を い う 」 と い う 「 王 年 代 記 」 か ら の 引 用 多 文 と そ れ 以 外 の 文 章 と の 区 切 り を 示 す 文 言 の 直 後 に で て く る 文 章 で す の で 、 『 宋 史 』 の 編 纂 者 が 別 章 の 史 料 を 参 照 し て 作 っ た 一 文 と 考 え ら れ ま す 。 し た が っ て 、 文 章 < は 、 「 王 年 代 記 」 の 文 章 を 補 四 足 し て い る と も 言 え ま す 。 そ こ で 、 「 王 年 代 記 」 の 文 章 を さ ら に 詳 し く 見 て み ま す と 、 傍 線 ⑤ に 「 用 明 天 皇 に は 子 が あ り

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第 三 章 * 1 ー ー 福 山 敏 男 「 法 隆 寺 問 題 管 見 」 「 東 洋 美 術 』 十 九 一 九 三 三 年 。 * 2 ー ー 福 山 敏 男 「 法 隆 寺 の 金 石 文 に 関 す る 二 三 の 問 題 」 「 夢 殿 』 十 三 一 九 三 五 年 。 * 3 ー ー 高 田 良 信 「 日 本 の 古 寺 美 術 1 法 隆 寺 — 〔 歴 史 と 文 献 〕 」 保 育 社 一 九 八 七 年 。 ー ー 瀬 間 正 之 「 推 古 朝 遺 文 の 再 検 討 」 大 山 誠 一 編 「 聖 徳 太 子 の 真 実 』 平 凡 社 一 一 〇 〇 三 年 。 * 5 ー ー ー 東 野 治 之 「 長 屋 王 家 木 簡 の 文 体 と 用 語 」 「 長 屋 王 家 木 簡 の 研 究 』 塙 書 房 一 九 九 六 年 。 「 浄 味 片 絶 曾 ( 浄 き 味 き 片 そ ) 」 「 奉 都 ( 奉 り つ ) 」 「 入 奈 加 良 進 出 ( 入 れ な が ら 進 り 出 せ ) 」 「 糯 阿 礼 粟 阿 礼 ( 糯 に あ れ 粟 に あ れ ) 」 な ど の 事 例 が あ り ま す 。 * 6 ー ー 舘 野 和 己 「 釈 迦 三 尊 像 台 座 か ら 新 発 見 の 墨 書 銘 」 『 伊 珂 留 我 』 一 五 一 九 九 四 年 。 前 掲 「 法 隆 寺 の 金 石 文 に 関 す る 二 三 の 問 題 」 。 * 8 ー ー 田 村 圓 澄 「 新 羅 と 厩 戸 王 ・ 新 羅 と 聖 徳 太 子 」 「 東 ア ジ ア の 古 代 文 化 』 一 〇 二 号 大 和 書 房 二 〇 〇 〇 年 。 * 9 ー ー 大 山 誠 一 「 法 隆 寺 釈 迦 三 尊 像 台 座 の 墨 書 銘 」 、 前 掲 『 聖 徳 太 子 の 真 実 』 。 東 野 治 之 「 ほ ん と う の 聖 徳 太 子 」 「 も の が た り 日 本 列 島 に 生 き た 人 た ち 」 三 岩 波 書 店 二 〇 〇 〇 年 。 ー ー 金 沢 英 之 「 金 石 文 ・ ー ー 五 世 紀 の 刀 剣 銘 、 七 世 紀 の 造 像 ・ 碑 文 類 か ら 」 「 国 文 学 』 四 七 巻 四 号 二 〇 〇 二 年 。 ー ー ー 浅 井 和 春 「 飛 鳥 ・ 奈 良 の 仏 教 美 術 と 律 令 国 家 」 佐 藤 信 編 『 律 令 国 家 と 天 平 文 化 』 吉 川 弘 文 館 一 一 〇 〇 一 一 年 。 「 日 本 古 典 文 学 大 系 風 土 記 』 岩 波 書 店 一 九 五 八 年 。 「 夫 先 代 旧 事 本 紀 者 。 聖 徳 太 子 且 所 」 撰 也 。 于 」 時 小 治 田 豊 浦 宮 御 宇 豊 御 食 炊 屋 姫 天 皇 即 位 廿 八 年 歳 次 庚 辰 春 三 月 甲 午 朔 戊 戌 。 摂 政 上 宮 厩 戸 豊 聡 耳 聖 徳 太 子 尊 命 ・ 大 臣 蘇 我 馬 子 宿 禰 等 。 奉 レ 勅 撰 定 」 「 先 代 旧 事 本 紀 』 「 先 代 旧 事 本 紀 序 」 。 。 ー ー 神 道 大 系 編 纂 会 「 神 道 大 系 古 典 編 八 先 代 旧 事 本 紀 」 一 九 八 〇 年 「 解 題 」 参 照 。 「 日 本 書 紀 』 推 古 一 一 十 九 年 条 に は 、 「 是 歳 。 新 羅 遣 二 奈 末 伊 彌 買 一 朝 貢 。 仍 以 ニ 表 書 一 奏 二 使 旨 一 。 凡 新 羅 上 レ 表 。 蓋 始 起 ニ 于 此 時 一 歟 」 の 一 文 が 加 わ る 。 第 四 章 16 15 ー ー 石 原 道 博 編 訳 「 中 国 正 史 日 本 伝 ( 1 ) 魏 志 倭 人 伝 ・ 後 漢 書 倭 伝 ・ 宋 書 倭 国 伝 ・ 隋 書 倭 国 伝 』 岩 波 書 店 一 九 五 260

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そ し て 、 傍 線 ③ の 「 太 子 」 で す が 、 七 二 七 年 の 時 点 で 皇 太 子 で あ っ た の は 、 先 述 い た し ま し た よ う に 幼 皇 太 子 で す が 、 幼 皇 太 子 は 造 仏 事 業 が 開 始 さ れ た 七 〇 六 年 に は 当 然 生 ま れ て い ま せ ん 。 一 方 、 傍 線 ③ の 「 太 子 」 は 造 仏 の 開 始 と か か わ っ て お り ま す の で 、 七 〇 六 年 の 時 点 を 基 準 と し て み ま し ょ 文 武 天 皇 の 時 代 に は 皇 太 子 は 立 て ら れ て お り ま せ ん の で 、 七 〇 六 年 に お い て 「 太 子 」 と い う 立 場 と し て 認 識 さ れ る 人 物 は 、 文 武 天 皇 の 後 継 者 で あ る と 推 論 す る こ と が で き ま す 。 そ こ で 、 「 太 子 」 は 、 文 武 天 皇 の 遺 詔 に よ っ て 皇 位 を 継 承 し た 元 明 天 皇 の こ と で は な い か と 考 え ら れ ま す 。 理 由 を ま と め て み ま す と 以 下 の よ う に な り ま す 。 お び と し よ う む 一 、 文 武 天 皇 に は 、 七 〇 七 年 の 時 点 で 当 時 六 歳 の 幼 子 、 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) が 遺 さ れ て お り ま し た の で 、 「 太 子 , は 首 皇 子 で あ る と も 考 え ら れ ま す が 、 首 皇 子 の 立 太 子 の 時 期 を め ぐ っ て は 、 『 続 日 本 紀 』 は 、 和 銅 七 年 の 七 一 四 年 の こ と と 記 し て い ま す の で 、 七 〇 六 年 の 時 点 に お い て は 皇 太 子 で は あ り ま せ ん 。 二 、 文 武 天 皇 が 七 〇 六 年 に 疾 病 を 患 っ た 際 に 、 阿 閇 皇 女 ( の ち の 元 明 天 皇 ) に 「 天 皇 」 位 を 譲 ろ う と さ れ た こ と は 前 述 い た し ま し た 。 阿 閇 皇 女 を め ぐ っ て は 、 立 太 子 さ れ た と い う 記 述 は あ り ま せ ん が 、 七 〇 六 年 当 時 、 す で に 皇 位 継 承 予 定 者 と し て 認 識 さ れ て い た 可 能 性 が あ り ま す 。 三 、 「 大 王 天 皇 与 太 子 」 と 「 大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 」 と い う 一 対 の 表 現 が 銘 文 に お い て 用 い ら れ て

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平 凡 社 の 関 連 書 よ り [ 歴 史 ・ 民 俗 ] 古 代 人 と 死 【 平 凡 社 選 書 】 大 地 ・ 葬 り ・ 魂 ・ 王 権 西 郷 信 綱 2625 円 聖 徳 太 子 の 真 実 大 山 誠 一 編 2940 円 中 世 日 本 文 化 史 論 考 横 井 清 4200 円 生 き る こ と の 近 世 史 【 平 凡 社 選 書 】 人 命 環 境 の 歴 史 か ら 塚 本 学 2835 円 く 都 〉 の 成 立 飛 鳥 京 か ら 平 安 京 へ 門 脇 禎 ニ ・ 狩 野 久 編 天 下 人 の 時 代 16 ~ 17 世 紀 の 京 都 3045 円 朝 尾 直 弘 ・ 田 端 泰 子 編 3045 円 続 日 本 紀 全 4 巻 【 東 洋 文 庫 】 直 木 孝 次 郎 他 訳 注 1 ・ 3 = 各 2940 円 2 = 2730 円 4 = 3150 円 寺 院 神 社 大 事 典 大 和 ・ 紀 伊 平 凡 社 編 8190 円 寺 院 神 社 大 事 典 近 江 ・ 若 狭 ・ 越 前 平 凡 社 編 6090 円 * 定 価 は 2005 年 1 月 現 在 の も の で 、 5 % の 消 費 税 を 含 ん で い ま す 。

聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


ー ー 推 古 天 皇 の モ デ ル 推 古 天 皇 の 謎 そ こ で 、 『 書 紀 』 編 纂 者 は 、 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 を モ デ ル と し て 推 古 天 皇 を 設 定 し て い る の か 、 と い う 重 要 な 問 題 に 入 っ て ゆ く こ と に し ま し よ う 。 こ の 問 題 は 、 『 書 紀 』 推 古 紀 の 編 年 問 題 と も か か わ っ て く る こ と に な り ま す 。 「 法 興 」 年 号 が 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 の た め の 年 号 で あ っ た の な ら ば 、 「 法 興 」 年 間 は 推 古 年 間 と 大 部 分 重 な り ま す の で 、 当 然 、 推 古 天 皇 は 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 を モ デ ル と し て い る と 考 え ら れ ま す 。 こ の よ う な 仮 説 の 支 証 を 求 め れ ば 、 以 下 の 点 を 指 摘 す る こ と が で き ま す 。 第 一 に 、 『 書 紀 』 の 用 明 即 位 前 紀 の 分 注 に 「 見 = 炊 屋 姫 天 皇 紀 ご と 見 え 、 斎 宮 酢 香 手 姫 皇 女 が 推 か し き や 古 朝 に お い て 日 神 の 祭 祀 を 行 な っ た と す る 記 述 は 、 炊 屋 姫 天 皇 紀 ( 推 古 紀 ) に 所 見 さ れ る と 記 さ れ て い ま す 。 と こ ろ が 、 推 古 紀 に は 、 酢 香 手 姫 皇 女 に 関 す る 記 事 は ま っ た く あ り ま せ ん 。 推 古 紀 に 記 載 の な い 記 事 を 、 あ え て あ る と し て い る こ と に は 、 な ん ら か の 理 由 が あ る と 推 察 さ れ る で し よ う 。 す な わ ち 、 『 書 紀 』 の 編 纂 者 が こ の よ う な 記 述 を 行 な っ た 理 由 と し て は 、 ① 『 書 紀 』 の 推 古 紀 に は 、 か な り の 加 筆 ・ 修 正 ・ 削 除 が 加 え ら れ て い る と い う こ と を 示 唆 す る た め 、 ⑦ 本 来 、 推 古 紀 に お い て 1 16