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昭和天皇(上)


日 本 の 読 者 へ る の は 私 の 大 き な 喜 び で あ る 。 二 〇 〇 二 年 七 月 ノ ノ ー ト ・ ß--q ・ ビ ッ ク ス

昭和天皇(上)


本 書 は 、 昭 和 天 皇 、 天 皇 制 、 お よ び か っ て 「 天 皇 イ デ オ ロ ギ ー 」 を 構 成 し て い た 概 念 、 価 値 、 信 念 に 焦 点 を あ て 、 日 本 の 二 〇 世 紀 を 再 検 討 し た も の で あ る 。 本 書 で 読 者 が 出 合 う の は 、 ゆ が め ら れ た 公 的 な 天 皇 像 と は ま っ た く 異 な っ た 天 皇 で あ る 。 こ の 伝 記 で 取 り 上 げ た 昭 和 天 皇 は 、 受 け 身 の 立 憲 君 主 で も 、 日 本 き っ て の 平 和 主 義 者 ・ 反 軍 国 主 義 者 で も な か っ た 。 そ れ ど こ ろ か 天 皇 は 、 昭 和 時 代 に 起 き た 重 要 な 政 治 的 ・ 軍 事 的 事 件 の 多 く に 積 極 的 に 関 わ り 、 指 導 的 役 割 力 し ら い を 果 た し た 。 そ の 指 導 性 の 独 特 な 発 揮 の 仕 方 は 、 「 独 裁 者 」 か 「 傀 儡 」 か 、 「 主 謀 者 , か 「 単 な る 飾 り 」 か と い う 単 純 な 二 分 法 で は 理 解 で き な い 。 天 皇 が 全 権 を 握 っ た り 、 独 力 で 政 策 を 立 案 し た り す る こ と は な か っ た が 、 天 皇 と 宮 中 グ ル 1 プ は 、 内 閣 の 決 定 へ が 正 式 に 提 出 さ れ る 前 に 、 天 皇 の 見 解 や 意 思 が 決 定 に 盛 り 込 ま れ る よ う 尽 力 し た 。 そ し て 、 天 皇 の 賛 否 こ そ が 決 者 読 定 的 だ っ た 。 天 皇 が 賛 否 を 口 に し な く と も 、 何 も 言 わ な い と い う 行 為 自 体 が 、 天 皇 の 意 思 を 実 行 に 移 す 当 局 者 を 日 大 き く 左 右 し た 。 日 本 の 読 者 へ

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く 訳 者 略 歴 〉 岡 部 牧 夫 ( お か べ ・ ま き お ) 1941 年 、 東 京 生 ま れ 。 成 蹊 大 学 政 治 経 済 学 部 卒 業 。 著 述 、 翻 訳 業 。 著 書 に 『 満 州 国 』 ( 三 省 堂 選 書 、 1978 ) 「 出 処 進 退 に つ い て 一 一 昭 和 史 省 察 』 ( み す ず 書 房 、 1989 ) 『 地 球 環 境 を め ぐ る 旅 』 ( 三 一 書 房 、 1992 ) 「 十 五 年 戦 争 史 論 ー ー ー 原 因 と 結 果 と 責 任 と 』 ( 青 木 書 店 、 1999 ) 「 海 を 渡 っ た 日 本 人 』 ( 山 川 出 版 社 、 2002 ) な ど が あ る 。 川 島 高 峰 ( か わ し ま ・ た か ね ) 1936 年 、 東 京 生 ま れ 。 明 治 大 学 大 学 院 修 了 、 政 治 学 博 士 。 現 在 明 治 大 学 講 師 。 著 書 に 「 銃 後 一 一 流 言 ・ 投 書 の 「 太 平 洋 戦 争 」 』 ( 読 売 新 聞 社 、 1997 ) 「 敗 戦 ー ー 占 領 軍 へ の 50 万 通 の 手 紙 』 ( 読 売 新 聞 社 、 1998 ) な ど が あ る 。

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第 一 部 皇 太 子 の 教 育 一 九 〇 一 ( 明 治 三 四 ) 年 ー 一 九 二 一 ( 大 正 一 〇 ) 年 第 一 章 少 年 と 家 族 と 明 治 の 遺 産 : ・ 第 二 章 天 皇 に 育 て る 第 三 章 現 実 世 界 に 向 き あ う : 第 二 部 仁 愛 の 政 治 一 九 一 三 ( 大 正 二 ) 年 ー 一 九 三 〇 ( 昭 和 五 ) 年 第 四 章 摂 政 時 代 と 大 正 デ モ ク ラ シ ー の 危 機 第 五 章 新 し い 皇 室 、 新 し い 国 家 主 義 : ・ 序 章 ・ : 日 本 の 読 者 へ 凡 例 謝 辞 目 次 79 ラ 9 3 3

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凡 例 一 本 書 は 二 〇 〇 一 年 に 刊 行 さ れ た ペ ー ー バ ッ ク 版 (First Perennial edition) の 翻 訳 で あ る 。 一 本 文 中 の ( ) 内 は 原 著 者 に よ る 補 足 で あ り 、 〔 〕 内 は 訳 者 に よ る 補 足 で あ る 。 一 本 文 中 の 日 本 語 引 用 資 料 で 旧 漢 字 カ ナ ま じ り 文 で 書 か れ て い る 箇 所 は 、 読 者 の 利 便 を 考 え て 、 原 則 と し て 新 字 ・ ひ ら が な に 改 め る と と も に 、 難 読 文 字 に は ふ り が な を 加 え た 。 一 ま た 、 引 用 資 料 に は 満 州 、 満 州 国 、 支 那 、 京 城 、 穢 多 、 非 人 な ど 、 今 日 で は 好 ま し く な い 用 語 が 使 用 さ れ た り 、 誤 解 や 偏 見 を 助 長 す る 表 現 が 含 ま れ て い る が 、 歴 史 資 料 の 性 格 、 お よ び 当 時 の 社 会 状 況 を 考 慮 し 、 原 文 の ま ま と し た 。 一 著 者 執 筆 時 に 未 刊 行 資 料 で そ の 後 に 刊 行 さ れ た も の は 、 公 刊 資 料 名 を 掲 げ た 。 一 原 著 の 事 実 関 係 、 固 有 名 詞 、 日 本 語 資 料 の 引 用 ペ ー ジ な ど の 誤 り に つ い て は 、 著 者 と 協 議 の 上 、 そ の 同 意 を 得 て 訂 正 し 一 翻 訳 の 分 担 は 以 下 の 通 り で あ る 。 〈 上 巻 〉 序 章 ー 第 六 章 岡 部 牧 夫 第 七 章 ー 第 九 章 川 島 高 峰 〈 下 巻 〉 第 一 〇 章 ー 第 一 三 章 川 島 高 峰 第 一 四 章 ー 第 一 五 章 永 井 均 第 一 六 章 ー 第 一 七 章 岡 部 牧 夫

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を 築 い て き た 。 そ れ ば か り で な く 、 個 人 的 な 聡 明 さ 、 カ リ ス マ 性 、 そ し て 高 い 家 柄 の す べ て が 備 わ っ て 近 衛 は 政 権 の 座 へ 浮 上 し た の で あ る 。 ・ 一 一 六 事 件 後 、 昭 和 天 皇 と 側 近 ら は 広 田 、 林 首 相 の も と 、 理 論 上 は 臣 下 が 犯 す こ と の で き な い 天 皇 の 権 威 の 強 化 を い っ そ う 支 持 す る よ う に な っ た 。 文 部 省 は こ の 文 脈 か ら 、 い ず れ 起 こ る で あ ろ う 長 期 戦 に 備 え 、 国 民 精 神 を さ ら に 動 員 す る 試 み を 加 速 さ せ た 。 一 九 三 七 年 五 月 三 一 日 に は 『 国 体 の 本 義 』 を 二 〇 万 部 刊 行 し 、 学 校 に 配 布 し た 。 最 終 的 に は 二 〇 〇 万 部 以 上 が 日 本 中 で 販 売 さ れ た 。 『 国 体 の 本 義 』 と は 、 「 国 体 ー そ し て 、 日 本 の 仁 愛 と 道 義 の 象 徴 と し て 天 皇 が 持 つ イ デ オ ロ ギ ー 的 、 精 神 的 役 割 に 関 す る 解 説 だ っ た 。 こ の 過 渡 期 の イ デ オ ロ ギ ー を 示 す 小 冊 子 は 、 西 洋 の 思 想 や 制 度 を 完 全 に 否 定 す る も の で は な か っ た が 、 日 本 文 化 の 固 有 性 を 単 に 強 調 す る こ と を は る か に 越 え る も の が あ っ た 。 「 明 き ー 「 清 き 」 そ し て 無 私 の 日 本 人 の 「 心 」 を 賞 賛 し 、 近 代 西 洋 の 個 人 主 義 と 「 抽 象 的 な 全 体 主 義 」 に 国 体 を 対 置 さ せ 、 日 本 民 族 お よ び 日 本 国 が 世 界 の す べ て の 国 に 絶 対 的 な 優 越 性 を 持 っ こ と を 強 調 し た 。 「 わ れ ら 臣 民 は 西 洋 諸 国 に お け る い わ ゆ る 人 民 と 全 く そ の 本 性 を 異 に し て : : : そ の 生 命 と 活 動 の 源 を 常 に 天 皇 に 仰 ぎ 奉 る 」 と い う の で あ る 。 『 国 体 の 本 義 』 は ま た 、 家 族 国 家 、 家 、 祖 先 が 持 つ 中 心 的 な 役 割 を 強 調 し 、 読 者 に 「 神 風 。 を 想 起 さ せ た 。 「 神 風 」 は 一 三 世 紀 末 、 二 度 に 及 ぶ 蒙 古 襲 来 か ら 日 本 を 救 い 、 日 本 が 神 の 国 で あ り 、 不 敗 で あ る こ と を 疑 い も な く 証 明 し た も あ き っ 新 の と さ れ て い た 。 わ け て も こ の 小 冊 子 は 、 天 皇 が 大 元 帥 で あ り 、 「 皇 祖 皇 宗 の 御 心 の ま に ま に 我 が 国 を 統 治 し 給 う 現 み か み ( 行 ) 和 御 神 」 で あ る と の イ メ ー ジ を 植 え つ け よ う と し た 。 す べ て の 日 本 臣 民 は 昭 和 天 皇 に 絶 対 随 順 し な け れ ば な ら な か っ ( 爲 ) 章 た 。 実 際 、 そ れ は 「 小 我 を 捨 て て 大 い な る 御 稜 威 〔 御 威 光 ・ 威 勢 〕 に 生 き 、 国 民 と し て の 真 生 命 を 発 揚 す る 」 こ と を 意 味 し て い た 。 そ れ は 神 道 、 仏 教 、 朱 子 学 、 そ し て 西 洋 の 君 主 制 の 理 想 が 特 異 な 形 で 融 合 し た も の で あ り 、 「 皇 道 」 と 叨

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害 は い く つ か の 侵 略 相 手 国 よ り 軽 微 で あ る 。 以 上 の よ う に ア ジ ア は 大 き な 被 害 を 受 け た が 、 ヨ ー ロ ッ パ が 受 け た 戦 争 被 害 は さ ら に ( リ 寡 頭 政 治 家 と 明 治 天 皇 は と も に 、 天 皇 の 「 統 帥 権 」 は 、 そ の 甚 大 で 、 ナ チ ス ・ ド イ ツ と の 戦 闘 の 大 半 を 担 っ た ソ 連 は と く に そ 行 使 に 当 た っ て 国 務 大 臣 の 輔 弼 は ま っ た く 要 し な い も の と 考 え て う だ っ た 。 小 田 部 雄 次 / 林 博 史 / 山 田 朗 『 キ ー ワ ー ド 日 本 の 戦 争 い た 。 彼 ら の 観 点 で は 、 明 治 維 新 の 本 質 は ま さ に 天 皇 の 軍 人 君 主 犯 罪 』 雄 山 閣 出 版 、 一 九 九 五 年 、 五 四 ペ ー ジ を 参 照 。 ソ 連 の 犠 牲 と し て の 地 位 の 回 復 に あ っ た 。 3 ) 台 湾 で は さ ら に 一 〇 年 間 戦 闘 が 続 き 、 九 五 九 二 人 の 日 本 人 兵 者 に つ い て は 、 John Erickson, "Soviet War Losses: Calcula ・ tions and Controversies" in John Erickson and David DiIks, 士 が 戦 死 し た 。 君 島 和 彦 「 植 民 地 帝 国 へ の 道 」 浅 田 喬 二 編 「 近 代 日 本 の 軌 跡 ( 一 〇 ) 「 帝 国 」 日 本 と ア ジ ア 』 吉 川 弘 文 館 、 一 九 九 eds. , B ミ 、 き ss ミ The ミ ミ the AIIies, Edinburgh Univer ・ sity Press, 1994 , pp. 255 ー 277 を 参 照 。 四 年 、 六 〇 ー 六 一 ペ ー ジ 。 ( 7 ) 田 所 泉 「 昭 和 天 皇 の 和 歌 』 創 樹 社 、 一 九 九 七 年 、 一 六 ー 一 七 第 一 章 少 年 と 家 族 と 明 治 の 遺 産 ( 8 ) 昭 和 天 皇 の 没 後 一 〇 年 に あ た り 、 『 読 売 新 聞 』 は 、 宮 内 庁 は 昭 和 天 皇 の 編 年 史 の 事 業 に す で に 九 七 〇 〇 万 円 あ ま り を 支 出 し 、 ( 1 ) 児 島 襄 『 天 皇 (—) 若 き 親 王 』 文 春 文 庫 、 一 九 八 一 年 、 一 二 一 九 九 九 年 度 に も 一 二 七 四 万 円 の 予 算 が 組 ま れ て い る と 報 じ た 。 ペ ー ジ 。 河 原 敏 明 『 天 皇 裕 仁 の 昭 和 史 』 文 藝 春 秋 、 一 九 八 三 年 、 ミ 0 ミ こ ミ 7 ・ , Jan. 8 , 1999. ( ) ね ず ま さ し 『 天 皇 と 昭 和 史 ( 上 ) 』 三 一 新 書 、 一 九 七 六 年 、 ( 9 ) 東 野 真 、 前 掲 一 四 二 ペ ー ジ 。 東 野 に よ る と RG331 , B 。 X763 2 で あ る 〔 東 野 は B 。 X763 中 の 「 天 皇 は 戦 犯 で あ る か 」 と い う 文 書 一 だ け が 非 公 開 で あ る と し て い る 〕 。 ( 3 ) 飛 鳥 井 雅 道 「 明 治 大 帝 』 筑 摩 書 房 、 一 九 八 九 年 。 ち く ま 学 芸 ( 川 ) 安 田 浩 『 天 皇 の 政 治 史 ー 睦 仁 ・ 嘉 仁 ・ 裕 仁 の 時 代 』 青 木 書 文 庫 、 一 九 九 四 年 、 二 三 二 べ ー ジ 。 店 、 一 九 九 八 年 、 二 七 七 ペ 1 ジ 。 4 ) 一 八 九 五 年 、 天 皇 睦 仁 は 嘉 仁 の い く つ も の 持 病 の 定 期 診 療 ( Ⅱ ) 同 時 に 公 布 さ れ た 皇 室 典 範 で は 、 皇 室 の 古 代 か ら の 慣 習 や 制 を 、 ド イ ツ 人 医 師 エ ル ヴ ィ ン ・ ベ ル ツ に 許 し た 。 ト ク ・ ベ ル ツ 度 と 、 明 治 期 に 新 し く つ く ら れ た そ れ と の 違 い が あ い ま い に さ れ 編 / 菅 沼 竜 太 郎 訳 『 ベ ル ツ の 日 記 ( 上 ) 』 岩 波 文 庫 ( 改 訳 ) 、 一 九 て い た 。 典 範 は 、 多 く の 勅 令 と と も に 、 憲 法 に 基 づ い て 議 会 が 制 七 九 年 、 一 七 一 ー 一 七 二 ペ ー ジ 。 岩 井 忠 熊 「 明 治 天 皇 ー 「 大 帝 」 定 す る 法 と は ま っ た く 別 個 の 法 体 系 を 形 成 し た 。 横 田 耕 一 「 『 皇 伝 説 』 三 省 堂 、 一 九 九 七 年 、 一 三 九 ペ ー ジ 。 室 典 範 』 私 注 」 横 田 耕 一 / 江 橋 崇 編 著 「 象 徴 天 皇 制 の 構 造 ー 憲 法 ( 5 ) 田 中 惣 五 郎 『 天 皇 の 研 究 』 三 一 書 房 、 一 九 七 四 年 、 一 一 一 八 ペ 学 者 に よ る 解 読 』 日 本 評 論 社 、 一 九 九 〇 年 、 一 〇 五 ー 一 〇 六 ペ ー 3 0

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幼 少 の こ ろ か ら 、 裕 仁 は 自 然 に 魅 せ ら れ る よ う に な っ た 。 学 習 院 に 在 学 中 、 貝 や 昆 虫 の 収 集 家 だ っ た あ る 侍 従 の 勧 め で 、 彼 は 自 然 の 世 界 に 目 を 開 か れ た 。 一 二 歳 だ っ た 一 九 一 三 年 、 自 分 で 昆 虫 の 標 本 を つ く っ た 。 蝶 や 蝉 の 標 本 を 添 え て 、 植 物 と 昆 虫 と の 関 係 を 図 解 し た 。 そ れ は 、 事 物 を 厳 密 に 、 理 性 的 に 評 価 す る 彼 の 能 力 が 開 花 す る 第 一 歩 だ っ は っ と り ひ ろ た ろ う 一 九 一 四 年 か ら 一 九 年 ま で の 中 等 科 時 代 、 博 物 と 物 理 の 教 師 だ っ た の は 服 部 広 太 郎 で あ る 。 服 部 は さ ら に 三 十 年 余 り に わ た っ て 彼 の 科 学 研 究 の た め に 仕 え 、 子 ど も の と き の 昆 虫 趣 味 を 伸 ば し て 、 海 洋 生 物 学 と 分 類 学 に 対 す る 彼 の 生 お か あ さ じ ろ う 涯 に わ た る 強 い 関 心 を 育 て た の で あ る 。 彼 は 服 部 の 勧 め で 、 ダ ー ウ イ ン の 進 化 論 を 解 説 し た 啓 蒙 家 丘 浅 次 郎 の 『 進 化 論 講 話 』 ( 一 九 〇 四 年 ) を 読 み 、 ま た ダ ー ウ イ ン の 『 種 の 起 原 』 の 日 本 語 訳 も 読 ん だ よ う で あ る 。 一 九 二 七 年 ご ろ 、 彼 は ダ ー ウ イ ン の 小 さ な 胸 像 を 贈 ら れ 、 以 後 ェ イ プ ラ ハ ム ・ リ ン カ ー ン 、 ナ ポ レ オ ン ・ ポ ナ バ ル ト の 像 と 一 緒 に 書 斎 に 飾 っ て い た 。 る 育 摂 政 に 就 任 し て 四 年 め の 一 九 二 五 年 九 月 、 彼 は 赤 坂 御 所 の 中 に 小 規 模 な が ら よ く 整 っ た 生 物 学 研 究 所 を 持 っ こ と に 皇 な っ た 。 三 年 後 、 天 皇 に な っ て 二 年 め に は 、 温 室 と 、 そ れ ぞ れ 標 本 室 、 図 書 室 を 備 え た 二 棟 の 大 き な 実 験 室 か ら な る 生 物 学 御 研 究 所 を 吹 上 御 苑 に 建 て さ せ た 。 服 部 は こ の 研 究 所 に 加 わ り 、 続 く 四 年 間 、 天 皇 に 週 一 回 科 学 の 基 礎 を 講 じ 章 第 た 。 服 部 を は じ め と す る 協 力 者 は 、 一 九 四 四 年 ま で 、 年 に 三 、 四 回 は 葉 山 に あ る 裕 仁 の 私 的 な 臨 海 研 究 所 で も 手 助 け 動 す る よ う に な っ て ゆ く 。 要 す る に 、 裕 仁 は 雑 種 的 教 育 の 産 物 で あ り 、 彼 の 真 実 を 語 ろ う と す る な ら 、 そ こ か ら 生 ず る 緊 張 に 目 を つ ぶ る わ け に は い か な い 。 維 新 の 観 念 に 基 づ く 明 治 後 期 の 伝 統 の 創 始 は 、 彼 の 自 己 認 識 と 基 本 方 向 を 定 め た 。 伝 統 と 衝 突 し た の は 、 近 代 科 学 の 学 習 で あ る 。 ふ た つ の 世 界 観 の 間 の 緊 張 は 、 彼 の あ ら ゆ る 行 動 の 奥 に 横 た わ っ て い た 。

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に か け て の ア メ リ カ で も 、 戦 争 を 継 続 さ せ 、 南 ベ ト ナ ム で の 行 き づ ま り と 敗 北 を 公 に 認 め な か っ た の は 政 府 当 局 者 だ っ た 。 私 が 神 秘 に 包 ま れ た 昭 和 天 皇 に 焦 点 を 当 て た の は 、 二 〇 世 紀 の そ れ ぞ れ の 時 期 に お け る 日 本 の 政 策 決 定 を 把 握 し 、 日 本 と い う 国 家 全 体 の 権 力 構 造 を さ ら に よ く 理 解 す る た め で あ る 。 さ ら に 、 民 主 主 義 的 な 変 化 が 少 数 特 権 集 団 に よ る 権 威 と 権 力 行 使 と を 脅 か す た び に 、 そ う し た 変 化 を 封 じ 込 め る の に 果 た し て き た 近 代 天 皇 制 の 役 割 に つ い て も 私 は 検 討 を 加 え た 。 こ の テ ー マ の 追 及 に あ た っ て 私 は 、 日 本 社 会 を ひ と つ に 結 び 、 昭 和 天 皇 と そ の 官 僚 の 政 策 に 浸 透 し て い っ た 政 治 的 思 考 と 道 徳 的 信 念 と を 議 論 の 対 象 と し た 。 つ ま り 、 国 体 、 皇 道 、 天 皇 親 政 、 そ し て 精 神 的 に 優 れ 、 神 に 加 護 さ れ た 民 族 と し て 均 質 の 比 類 な き 日 本 と い っ た 観 念 に 対 し て で あ る 。 こ う し た 特 徴 が 、 天 皇 崇 拝 や さ ま ざ ま な 抑 圧 制 度 、 言 語 習 慣 な ど と と も に 、 無 答 責 の エ リ 1 ト に よ る 戦 時 下 の 権 力 行 使 を 正 当 化 し て き た 。 こ れ ら の 思 想 の あ る も の は 、 一 九 四 五 年 八 月 の 敗 戦 後 に 復 活 し 、 敗 北 に 至 っ た 戦 争 の 本 質 を あ い ま い に す る た め に 利 用 さ れ て い る こ と は 否 定 で き な い 。 し た が っ て 本 書 は 、 敗 戦 国 の 元 首 が 、 間 接 的 に せ よ 著 し い 暴 虐 に 加 担 し た の に 、 処 罰 を ま ぬ が れ 名 誉 と 権 威 の あ る 地 位 に 留 ま る こ と を 許 さ れ た 場 合 、 そ の 国 が ど う な る か の 研 究 で も あ る 。 今 日 、 我 々 は 天 皇 の 免 責 に 異 議 を 唱 え る 必 要 性 を い っ そ う 強 く 自 覚 し て い る が 、 そ の 取 り 組 み は 、 世 界 秩 序 を 維 持 す る 時 代 の 戦 略 方 針 に よ っ て 踏 み に じ ら れ て い る の で あ る 。 本 書 の 優 れ た 日 本 語 版 を 産 み 出 す の に お 骨 折 り く だ さ っ た 翻 訳 者 、 岡 部 牧 夫 、 川 島 高 峰 、 永 井 均 の 諸 氏 に 深 く 感 謝 申 し 上 げ る 。 吉 田 裕 氏 に は 細 部 に い た る ま で 入 念 に 本 書 全 体 を 監 修 し て い た だ き 、 田 畑 則 重 氏 と 編 集 ス タ ッ フ 一 同 は 本 書 を み ご と に 完 成 さ せ て く だ さ っ た 。 昭 和 天 皇 を 題 材 に し た 本 書 が 講 談 社 か ら 日 本 の 読 者 に 提 供 さ れ

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排 除 せ ら る ゝ に 至 り ぬ 。 日 韓 関 係 に 関 す る 白 鳥 の 解 説 は 、 併 合 の 時 期 に 日 本 人 一 般 が 抱 い て い た 朝 鮮 に 対 す る 道 徳 的 自 己 満 足 と 偽 善 を 反 映 し た も の だ っ た 。 , 冫 彼 よ 天 皇 の 企 図 は そ れ 自 体 で 賢 明 か っ 合 理 的 で あ り 、 韓 国 の 併 合 は 地 域 に 平 和 を も た ら し 、 朝 鮮 人 の 進 歩 を 意 味 す る と 示 唆 し た 。 白 鳥 は 、 皇 太 子 の 祖 父 明 治 天 皇 を 詳 細 に 描 い て 明 治 時 代 の 章 を 締 め く く っ て い る 。 白 鳥 に よ れ ば 明 治 天 皇 は 、 幼 少 の と き か ら 活 発 で 勇 敢 な う え 、 謹 厳 で 規 律 を 重 ん じ 、 質 素 、 寛 仁 、 英 明 を 兼 ね 備 え 、 つ ね に 臣 下 に 寛 容 だ っ た 。 ま た い つ も 側 近 に 道 を 説 か せ 、 他 の 言 を よ く 聞 い た 。 そ の う え 「 天 皇 は 深 く 和 歌 を 好 み て 日 夕 吟 詠 を 友 と し 給 ひ し か ば 、 お お み ご こ ろ 御 製 に よ り て お の づ か ら 大 御 心 ( そ の 仁 愛 の 心 ) を し の び 奉 る を 得 」 た の で あ る 。 実 例 を 挙 げ な が ら 皇 太 子 に 天 皇 の 仁 愛 を 示 し 、 日 本 の 歴 史 の 発 展 過 程 を 語 り 、 歴 史 一 般 へ の 関 心 を 促 す と い う 白 鳥 の 目 的 は 成 功 し た 。 裕 仁 は 後 年 、 『 明 治 天 皇 紀 』 ( 明 治 天 皇 の 年 代 記 ) に よ っ て 明 治 時 代 の い っ そ う 詳 し い 知 識 を 得 る 。 『 明 治 天 皇 紀 』 は 宮 内 省 の 役 人 が 編 ん で 一 九 三 三 年 に 完 成 さ せ た が 、 明 治 維 新 一 〇 〇 周 年 に あ た っ て 一 九 六 八 年 に 最 初 の 巻 が 刊 行 さ れ る ま で 、 同 省 が 秘 蔵 し て き た 。 学 者 は 現 在 で も 、 そ れ が 基 礎 に し た 史 料 の 調 査 を 許 さ れ て い な い 。 み つ く り げ ん ば ち 皇 太 子 は 、 東 京 帝 国 大 学 教 授 箕 作 元 八 か ら 西 洋 史 の 講 義 も 受 け た が 、 , 彼 の 『 西 洋 史 講 話 』 は と く に 愛 読 し た 教 科 書 だ っ た 。 『 ナ ポ レ オ ン 時 代 史 』 ( 一 九 二 三 年 ) 、 二 巻 本 の 『 仏 蘭 西 大 革 命 史 』 ( 一 九 一 九 ー 二 〇 年 ) 、 ポ リ シ ェ ビ キ 革 命 と ヨ ー ロ ッ パ 各 国 の 君 主 制 の 崩 壊 直 後 に 出 さ れ た 『 世 界 大 戦 史 』 ( 一 九 一 九 年 ) な ど 、 彼 は 箕 作 の 主 な 本 を む さ ば り る 読 ん だ 。 こ れ ら は 革 命 と 戦 争 を 君 主 制 に 対 す る 最 大 の 脅 威 と 規 定 し 、 革 命 の 防 波 堤 と し て の 強 力 な 中 産 階 級 の 重 要 性 育 を 力 説 し て い た 。 皇 箕 作 の 著 書 は 、 ロ シ ア の ロ マ ノ フ 朝 と プ ロ イ セ ン の ホ ー エ ン ツ オ レ ル ン 朝 の 没 落 に 関 す る 説 得 的 な 説 明 を 与 え た 。 章 そ れ ら は 歴 史 と ヨ 1 ロ ッ パ の 政 治 に 対 す る 彼 の 関 心 を 深 め 、 広 い 視 野 で 考 え 、 個 々 の 出 来 事 の 間 の 全 体 的 な 関 連 性 に 第 目 を 向 け る よ う に 促 し た 。 こ れ に 対 し て 白 鳥 の 著 作 は 、 政 策 決 定 で 対 立 が あ る と き に 参 照 す べ き 歴 史 の 教 訓 に 満 ち て ぎ よ せ い