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検索対象: 増補改訂版 写楽は歌麿である

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増補改訂版 写楽は歌麿である


昭 和 Ⅱ 年 Ⅱ 月 1 巻 9 号 ⑤ 研 究 貴 人 某 森 清 太 郎 「 写 楽 に 就 い て 」 『 浮 世 絵 界 』 所 載 昭 和 貶 年 4 月 2 巻 4 号 ⑥ 研 究 能 役 者 関 西 絵 師 説 三 谷 松 悦 「 写 楽 に 就 て 」 『 浮 世 絵 芸 術 』 所 載 ⑦ 研 究 浮 世 絵 師 三 派 師 系 説 三 隅 貞 吉 昭 和 年 3 月 号 「 写 楽 の 新 研 究 」 『 日 本 美 術 ・ 工 芸 』 誌 所 載 蔦 屋 重 三 郎 説 昭 和 引 年 2 月 川 日 発 行 ⑧ 研 究 版 元 ( 葛 飾 北 斎 説 に 横 山 隆 一 「 珍 ・ 写 楽 考 」 『 週 刊 朝 日 』 特 別 号 所 載 転 向 ) 昭 和 年 Ⅱ 月 よ り 「 日 本 名 匠 伝 ロ ⑨ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 横 川 毅 一 郎 『 萠 春 』 釀 ・ 犯 ・ 号 連 載 東 洲 斎 写 楽 」 「 写 楽 は だ れ か 」 昭 和 年 7 月 5 日 ・ 8 月 4 日 ⑩ 研 究 本 派 絵 師 円 山 応 挙 説 田 口 迎 二 郎 『 神 戸 新 聞 』 ( 正 ) ( 続 ) 「 写 楽 昭 和 年 8 月 幻 日 『 朝 日 新 聞 』 と 応 挙 は 同 一 人 物 か 」 昭 和 年 度 『 芸 術 新 潮 』 連 載 「 小 説 日 本 芸 譚 ・ @ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 松 本 清 張 昭 和 年 6 月 新 潮 文 庫 本 写 楽 」 牟 礼 俊 十 昭 和 年 川 月 Ⅱ 日 よ り @ 小 説 武 家 ( 蜂 須 賀 家 々 老 小 島 政 一 一 郎 「 葛 飾 北 斎 」 『 日 本 経 済 新 聞 』 夕 刊 連 載 の 伜 ) ラ ジ オ 最 上 三 郎 昭 和 年 2 月 % 日 浮 世 絵 師 中 島 鉄 蔵 「 写 楽 は 俺 だ 」 浪 曲 ( 後 の 北 斎 ) ・ ロ 演 放 送 昭 和 年 Ⅱ 月 号 ⑩ 研 究 本 派 絵 師 谷 文 晁 説 池 上 浩 山 人 「 写 楽 の 臆 説 」 『 萠 春 』 所 載 昭 和 年 月 平 凡 社 版 ⑩ 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 横 山 隆 一 「 写 楽 」 の 解 説 世 界 名 著 全 集 『 浮 世 絵 の 世 界 』

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① 研 究 版 元 蔦 屋 重 三 郎 阿 部 清 昭 和 浦 年 3 月 3 日 『 読 売 新 聞 』 秋 田 蘭 画 の 昭 和 田 年 小 説 近 松 昌 栄 高 橋 克 彦 絵 師 『 写 楽 殺 人 事 件 』 ( 講 談 社 ) 昭 和 田 年 劇 画 浮 世 絵 師 喜 多 川 歌 麿 石 森 章 太 郎 『 死 や ら く 生 』 ( 中 央 公 論 社 ) 昭 和 年 ① 研 究 戯 作 者 十 返 舎 一 九 宗 谷 真 爾 『 季 刊 浮 世 絵 』 ・ 号 ⑩ テ レ ビ 歌 舞 伎 役 者 中 村 此 蔵 池 田 満 寿 夫 昭 和 年 7 月 1 日 特 集 私 は 、 さ ら に こ の あ と に 次 の 六 点 を 追 加 し た い 。 昭 和 2 年 2 月 里 文 出 版 ⑨ 研 究 浮 世 絵 師 鳥 居 清 政 説 中 右 瑛 『 写 楽 は 十 八 歳 だ っ た ! 』 の 研 究 浮 世 絵 師 写 楽 は 写 楽 説 瀬 木 慎 一 昭 和 年 4 月 美 術 公 論 社 『 新 説 ・ 写 楽 実 像 』 昭 和 年 9 月 ~ 昭 和 8 年 川 月 の 研 究 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 説 梅 原 猛 『 芸 術 新 潮 』 「 写 楽 が み つ か っ た " こ @ 研 究 戯 作 者 山 東 京 伝 説 谷 峯 蔵 昭 和 年 川 月 毎 日 新 聞 社 『 写 楽 は や つ ば り 京 伝 だ 』 ① 研 究 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 説 梅 原 猛 昭 和 年 5 月 新 潮 社 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 ⑩ 研 究 狂 言 作 者 篠 田 金 治 説 渡 辺 保 昭 和 年 5 月 講 談 社 『 東 洲 斎 写 楽 』 工 9 第 一 章 写 楽 論 の 原 点

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『 仮 名 の 喜 劇 』 で は な い か 。 こ れ に つ い て は 、 後 に 第 十 一 章 で 再 考 す る 。 写 楽 が 豊 国 だ と わ か ら な か っ た 理 由 梅 原 説 梅 原 氏 は 、 証 明 要 件 の 第 五 の 写 楽 ⅱ の >< が 豊 国 で あ る こ と が 、 今 ま で 何 故 わ か ら な か 0 た の か 。 >< が 豊 国 だ と す る と 、 江 戸 浮 世 絵 史 、 あ る い は 江 戸 文 化 史 の 見 方 は ど う 変 わ る か に つ い て 、 『 毎 日 』 ェ ッ セ ー で 、 次 の 如 く の べ る 。 、 落 款 の 違 い に 迷 う 「 人 間 は 名 前 に 迷 わ さ れ や す い 。 も し も 、 こ の 同 時 代 の 写 楽 絵 と 豊 国 絵 に 落 款 が な か 0 た ら 、 二 人 の 絵 を 同 一 の 作 者 と 考 え た に ち が い な い 。 し か し 、 落 款 は 二 人 の 絵 の 間 に 大 き な 距 離 を 置 く 。 な ぜ な ら 、 歌 川 豊 国 は 文 化 、 文 政 の 浮 世 絵 界 の 第 一 人 者 で あ り 、 そ の 後 の 浮 世 歉 界 を 歌 川 派 が 独 占 的 に 支 配 す る 基 礎 を つ く 0 た が 、 今 は 評 価 が 低 い 。 し か し 、 写 楽 は 、 か の ク ル ト に よ 0 て 世 界 の 一 一 一 大 肖 像 画 家 と し 説 て 高 い 評 価 を う け て い る 。 こ の 評 価 の 高 い 写 楽 と 、 評 価 の 低 い 豊 国 が 同 一 人 物 で あ る は ず は な い 。 そ う 思 0 て い る の で 、 こ の 二 人 の 関 係 は 今 ま で よ く わ か ら な か 0 た が 、 無 心 に 二 人 の 絵 を 見 れ ば 、 私 の の 説 は 決 し て 奇 説 で は な い こ と が わ か る で あ ろ う 。 氏 わ れ わ れ は 、 も う い い 加 減 に 外 人 に よ 「 て 見 ら れ た 日 本 美 術 史 の 評 価 を 克 服 し 、 自 ら の 眼 で 、 自 己 の 伝 統 を 見 る 眼 を 創 造 し な く て は な ら な い の で あ る 」 章 八 2 、 薩 長 政 府 は 後 期 江 戸 文 化 を 否 定 し た 第 梅 原 氏 は 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 の 最 終 第 十 一 章 で は 前 記 1 の 論 旨 の ほ か に 、 次 の 如 き 事 由 を も つ け 加 え る 。

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昭 和 年 4 月 号 ⑩ 小 説 能 役 者 春 藤 次 左 衛 門 今 東 光 「 写 楽 の 腕 」 『 文 芸 春 秋 オ ー ル 読 物 号 』 所 載 昭 和 年 Ⅱ 月 号 ⑦ 研 究 能 役 者 某 小 野 忠 重 「 写 楽 の 謎 」 『 芸 術 新 潮 』 所 載 昭 和 年 1 月 久 保 書 店 発 行 大 江 戸 名 匠 か た ⑩ 小 説 能 狂 言 師 匠 某 横 倉 辰 次 『 浮 世 絵 師 秘 話 』 ぎ 「 女 浮 世 絵 師 」 昭 和 年 3 月 芸 文 新 書 版 第 二 話 「 青 い 乳 ⑩ 小 説 能 役 者 斎 藤 十 郎 兵 衛 小 田 仁 一 一 郎 『 流 戒 十 郎 う き 世 草 紙 』 「 一 つ き り の 秘 の 小 説 面 つ く り 師 斎 藤 十 郎 兵 衛 西 村 亮 太 郎 昭 和 年 5 月 久 保 書 店 発 行 『 江 戸 秘 芸 帖 』 画 」 昭 和 年 5 月 第 号 中 村 正 義 「 写 楽 蒔 絵 師 説 」 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 昭 和 犯 年 7 月 号 「 謎 の 人 幻 想 の の 戯 作 浮 世 絵 師 鳥 居 清 政 説 君 川 也 寸 志 『 浮 世 絵 芸 術 』 所 載 写 楽 」 昭 和 犯 年 9 月 号 の 小 説 浮 世 絵 師 歌 川 豊 国 石 沢 英 太 郎 「 秘 画 」 『 推 理 ス ト ー リ ー 』 所 載 点 原 の 昭 和 犯 年 月 三 彩 社 発 行 「 東 洲 斎 写 楽 」 の 研 究 共 同 制 作 者 某 或 い は ( 十 返 瀬 木 慎 一 論 代 表 舎 一 九 ) 推 薦 『 古 美 術 』 幻 号 特 輯 楽 写 昭 和 年 5 月 第 号 及 び 号 「 写 楽 ・ 抱 一 同 の 研 究 本 派 絵 師 酒 井 抱 一 説 向 井 信 夫 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 人 説 」 「 同 」 ( 続 ) 一 第 昭 和 7 月 号 「 写 楽 は 北 斎 と ア 3 研 究 浮 世 絵 師 葛 飾 北 斎 説 由 良 哲 次 『 芸 術 潮 』 所 載 同 一 人 で あ る 」

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は じ め に 江 戸 時 代 の 庶 民 芸 術 ・ 浮 世 絵 は 、 こ れ ま で 外 国 文 化 を 受 容 す る だ け だ っ た 日 本 文 化 が 、 外 国 文 化 に 大 衝 撃 を 与 え た は じ め て の 実 例 で あ る 。 ま ず 歌 麿 、 北 斎 、 広 重 が 高 く 評 価 さ れ 、 明 治 末 年 に は 、 埋 れ て い た 写 楽 が 世 界 三 大 肖 像 画 家 の 一 人 と し て 発 堀 さ れ た 。 だ が 、 今 に 到 る ま で そ の 正 体 の 謎 は 解 明 さ れ て い な い 。 一 体 ど ん な 研 究 を し て き た の か と 、 奇 異 の 感 を 抱 か れ る 向 き も 少 な く な い で あ ろ う 。 最 近 は 、 Ztæ が 放 映 し た 、 版 画 家 で あ り 作 家 の 池 田 満 寿 夫 氏 の 歌 舞 伎 役 者 中 村 此 蔵 説 、 「 梅 原 日 本 学 」 で 名 高 い 梅 原 猛 氏 が 『 芸 術 新 潮 』 に 連 載 し 、 今 度 一 本 に ま と め た 歌 川 豊 国 説 、 そ し て グ ラ フ ッ ク ・ デ ザ イ ナ ー 谷 峯 蔵 氏 の 山 東 京 伝 説 等 が 、 次 々 に 発 表 さ れ た 。 し か し 失 礼 な が ら 成 程 と 納 得 さ せ ら れ た と い う 話 は 、 寡 聞 に し て ま だ き い て い な い 。 私 は 、 こ れ ら の 諸 説 を 熟 考 し た 結 果 、 そ れ ら に は 共 通 の 重 大 欠 陥 が あ る の に 気 づ い た 。 そ れ は 、 「 歌 麿 は 、 版 元 蔦 屋 の お 蔭 で 名 声 を あ げ た が 天 狗 に な り 、 写 楽 開 版 の 直 前 に 、 専 属 を 強 い る 蔦 屋 に 反 抗 、 と び 出 し て フ リ ー に な っ た 」 と い う 説 に 立 脚 し て い る 点 で あ る 。 そ れ は 、 ど ん な 根 拠 に よ っ て い る の だ ろ う か 。 私 は そ の 所 論 を 調 べ た が 、 何 も 確 実 な 証 拠 は 示 さ れ て い な い の に 驚 い た 。 歌 麿 絵 に つ い て は 、 多 く の 本 が 出 版 さ れ て い る が 、 ど れ を 見 て も 多 少 の 違 い は あ る も の の 、 寛 政 七 年 以 後 も 蔦 屋 か ら 刊 行 し て い る こ と を 示 し て い る 。 ま た 、 歌 麿 の 作 品 目 録 を 見 て も 、 や は り 質 量 共 に 蔦 屋 刊 が 多 い こ と は 、 写 楽 開 版 以 前 と 変 り は な い 。

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「 薩 長 政 府 に と 0 て は 、 江 戸 文 化 と く に 後 期 江 戸 文 化 の 価 値 を 認 め る こ と は 、 自 己 の 権 力 の 存 在 を 危 険 に さ ら す こ と に な る 。 そ れ ゆ え 明 治 政 府 は 、 意 識 的 に も 無 意 識 的 に も 、 こ の 江 戸 後 期 文 化 を 否 定 の 目 で 見 て き た の で あ る 。 そ し て 現 在 も ま だ 、 こ の 否 定 の 目 を わ れ わ れ は 十 分 に 克 服 し て い な い 」 梅 原 説 批 判 こ の 二 つ の 理 由 づ け は 、 日 本 人 の 評 価 能 力 お よ び 政 治 権 力 の 文 化 へ の 影 響 力 へ の 誤 認 が あ る 。 1 、 日 本 人 は 過 去 に 、 卓 越 し た 文 化 ・ 芸 術 を 創 造 し 、 正 し く 評 価 ・ 鑑 賞 し て き た 。 一 時 的 に は 混 乱 、 誤 解 が あ 0 て も 、 長 い 眼 で 見 れ ば 、 間 違 い は な か 0 た 。 こ の こ と は さ き に 第 四 章 の 日 本 画 の 流 れ に つ い て の 概 観 で 自 明 で あ ろ う 。 し か る に 梅 原 氏 は 日 本 人 の 鑑 賞 ・ 評 価 の 能 力 に つ い て 否 定 的 で あ る 。 日 本 人 は 、 ド イ ツ 人 ク ル ト の 写 楽 を 世 界 三 大 肖 像 画 家 の 一 人 に あ げ た 説 に し た が い 、 評 価 を 変 え た が 、 同 時 に 豊 国 が 低 い 評 価 と な っ た こ と に も 同 調 し て し ま っ た 、 と 非 難 す る 。 だ が 、 ク ル ト に よ る 発 掘 後 既 に 八 十 年 近 い 。 そ の 間 、 た く さ ん の 日 本 の 鑑 賞 家 、 評 論 家 、 学 者 た ち が 、 写 楽 と 豊 国 と の 絵 を 見 つ め て き た 。 多 少 の 個 人 差 は あ 0 て も 、 さ き の 吉 田 暎 二 氏 の 見 解 の 通 り 、 両 者 に 質 的 な 隔 た り が あ る こ と に つ い て は 、 異 論 が な い 。 念 の た め 詩 人 野 口 米 次 郎 の 『 浮 世 絵 概 説 』 ( 昭 和 四 年 刊 ) と 岸 田 劉 生 の 『 浮 世 絵 版 画 の 画 工 た ち 』 ( 昭 和 四 十 五 年 刊 ) か ら 、 豊 国 の 評 価 を 紹 介 す れ ば 、 次 の 如 く で あ る 。 ま ず 、 野 口 米 次 郎 は い う 。 「 豊 国 の 濫 作 は 傷 し さ の 極 み で あ 0 て 今 日 の 私 共 に 悲 惨 の 感 を 与 え る け れ ど も 、 無 批 判 な 彼 の 時 代 に 於 て は 、 そ れ が 自 然 に 宣 伝 の 役 目 を し て 、 彼 を 時 代 の 大 家 た ら し め る に 至 0 た : : : 。 彼 の 成 功 は 真 実 の 芸 術 必 ず し も 正 当 に 時 の 批 判 を 受 け な い と い う 言 葉 を 反 対 に 立 証 し て い る 。 濫 作 も 剽 窃 も 名 声 を 得 ー 96

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テ レ ・ ヒ 土 左 衛 門 の 次 郎 Z カ ラ ー 放 映 の 映 画 能 面 師 太 昭 和 年 2 月 第 号 の 研 究 浮 世 絵 師 司 馬 江 漢 説 福 富 太 郎 『 浮 世 絵 』 誌 所 載 昭 和 年 3 月 『 浮 世 絵 芸 術 』 Ⅱ 号 上 3 研 究 版 元 蔦 屋 重 一 二 郎 説 ( 筆 者 ) 昭 和 年 4 月 『 同 』 号 中 こ の 表 は 昭 和 四 十 一 二 年 ま で の も の で あ る 。 次 に 、 梅 原 猛 氏 は 「 写 楽 が み つ か っ た ″ こ ( 第 三 回 『 芸 術 新 潮 』 昭 和 五 十 九 年 十 一 月 ) の 中 で 、 こ の あ と を 次 の 如 く つ な い で い る 。 3 研 究 俳 人 谷 素 外 説 ⑨ 研 究 浮 世 絵 師 一 筆 斎 文 調 研 究 絵 師 片 山 写 楽 ① 研 究 阿 波 藩 絵 師 矢 野 典 博 研 究 版 元 蔦 重 工 房 説 ① 研 究 戯 作 者 山 東 京 伝 昭 和 年 川 月 日 酒 井 藤 吉 『 読 売 新 聞 』 昭 和 菊 年 出 井 祐 治 『 季 刊 浮 世 絵 』 犯 号 昭 和 町 年 近 藤 喜 博 『 季 刊 浮 世 絵 』 号 昭 和 年 瀬 尾 長 『 季 刊 浮 世 絵 』 号 昭 和 年 鈴 木 敏 夫 『 江 戸 の 本 屋 』 ( 中 央 公 論 社 ) 昭 和 浦 年 谷 峯 蔵 『 写 楽 新 考 』 ( 文 藝 春 秋 ) 「 写 楽 は ど こ へ 行 っ た 」 序 説 「 写 楽 は 江 漢 な り 」 「 蔦 屋 重 三 郎 の 回 想 ー 写 楽 は 蔦 屋 重 三 郎 な り 」 8

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ゆ る 政 演 の お ん も り と し た 画 風 は 完 全 に 放 棄 さ れ て い る 。 『 賤 妓 』 と 題 し た か な り の 年 齢 を 感 じ さ せ る 安 女 郎 の 顔 は ど う だ ろ う 。 恨 み の こ も っ た 眼 に は 妖 気 す ら た だ よ っ て い る 。 長 い 間 安 い 金 で 男 の 相 手 を さ せ ら れ 、 虐 げ ら れ た 生 き 方 を さ れ て い る 女 の 恨 み を 、 京 伝 は リ ア リ ズ ム に 徹 し て 表 現 し て い る し 、 デ フ ォ ル メ で 戯 画 化 し た 『 夜 鷹 』 の 図 は 、 写 楽 の 『 三 世 佐 野 川 市 松 の 祗 園 町 の 白 人 お な よ 』 を さ ら に 上 ま わ る 醜 怪 さ で 、 ど ん な に 安 く て も 買 う 気 の お こ ら な い 夜 の 女 で あ る 。 歌 麿 は 、 夜 鷹 の 一 枚 絵 で も 彼 ら し い 美 化 を し て い る が 、 京 伝 は こ れ を ま っ た く 拒 否 し て い る 。 写 楽 も 京 伝 も 、 美 は 美 と し 、 醜 は 醜 と し て と ら え 、 自 己 の 絵 と し て い る 。 た だ し 醜 を 醜 の ま ま 終 ら せ た の で は 芸 術 で は な い 。 醜 を 醜 の ま ま 終 ら せ る こ と な く 、 そ れ を 自 己 の 美 の 領 域 に 引 き 入 れ 、 自 己 の キ ャ ラ ク タ ー で 濾 過 し 具 体 化 し た と こ ろ に 、 そ の 芸 術 が 構 成 さ れ 、 世 界 的 に 高 く 評 価 さ れ る 成 果 と な っ た の で あ る 」 筆 名 の 類 似 性 谷 氏 は さ ら に 、 京 伝 と 写 楽 は 筆 名 に お い て も 類 似 性 が あ る 、 と 次 の 如 く 説 く 。 「 山 東 京 伝 の 山 東 の 庵 号 は 当 初 は " 山 ひ が し 。 と 訓 ん で い る 。 命 名 の 根 拠 は 京 橋 、 あ る い は 京 屋 が 江 え ど も み じ ゃ ま ひ が し の ま さ の ぶ 戸 城 紅 葉 山 の 東 と い う 意 味 か ら の 命 名 だ っ た 。 こ れ は 『 東 都 楓 葉 山 東 政 演 画 』 ( 肉 筆 『 桜 下 大 夫 図 』 ) 、 も み じ ゃ ま ひ が し の い ん し 『 楓 葉 山 東 隠 士 京 伝 老 人 』 ( 天 明 七 年 刊 『 叡 和 歌 始 衣 抄 』 序 ) な ど の 署 名 か ら も 充 分 に 理 解 さ れ る 」 「 京 伝 は 弟 京 山 の 舅 ・ 佐 野 東 洲 か ら の ヒ ン ト で 唐 洲 の 仮 号 を 用 い 、 ま た 山 東 の 庵 号 か ら 『 山 東 省 は 唐 の 国 』 の 洒 落 で 、 山 東 唐 洲 の 仮 号 を 設 定 し た 」 「 山 東 京 伝 ー ー ー 山 東 唐 洲 ー ・ ー 東 洲 斎 写 楽 と な ら べ て 見 る と 、 そ こ に 一 連 の 脈 絡 、 つ ま り 地 理 的 ・ 地 名 的 な 字 義 を 根 底 と し た 発 想 に よ っ て 、 ど の 号 も 構 成 さ れ て い る 。 そ の 酷 似 性 、 同 一 性 は 驚 き の ほ か な 寛 政 六 年 の 執 筆 の 空 白 性 と こ ろ で 京 伝 は 安 永 七 年 ( 一 七 七 八 ) 十 八 歳 で 処 女 作 を 発 表 し 、 文 化 十 三

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の 中 村 仲 蔵 の 扮 す る 百 姓 っ ち 蔵 実 は 惟 高 親 王 の 顔 は 、 豊 国 が 同 八 年 七 月 上 演 の 「 菅 原 伝 授 手 習 鑑 」 の 仲 蔵 の 松 王 丸 の 顔 と 「 び っ た り 重 な る 」 ( 同 書 第 七 章 ) ② 同 じ く 寛 政 六 年 十 一 月 、 河 原 崎 座 上 演 の ま つ は み さ お お ん な く す の き 「 松 貞 婦 女 楠 」 の 市 川 高 麗 蔵 の 小 山 田 太 郎 の 画 写 楽 絵 は 、 『 豊 国 浮 世 絵 集 』 ( 没 後 百 年 記 念 ) の 中 ~ 4 に あ る 大 判 半 身 像 ( 版 元 ・ 山 口 屋 忠 助 ) と 「 ウ リ 1 , 二 つ 」 で 「 色 変 り し た も の と い え よ う 」 。 ー 1 気 国 「 お そ ら く 豊 国 の 絵 は 写 楽 絵 を も と に し 、 そ れ は を も っ と 派 手 な 色 彩 に し た も の で あ ろ う 」 「 こ 左 の 写 楽 の 小 山 田 太 郎 と 豊 国 の そ れ は 、 外 形 ば か 説 3 り か 役 者 の 内 面 的 な 捉 え 方 に お い て ひ ど く 似 て 豊 ~ 高 い る 。 形 や 着 物 の 色 の 多 少 の 意 識 的 な 変 更 に も 楽 市 か か わ ら ず 、 そ の 美 意 識 に お い て ま っ た く 同 質 氏 で あ り 、 受 け る 印 象 も ま っ た く よ く 似 て い る 」 梅 ( 同 上 ) 章 第 4 、 芸 術 家 に お け る 模 倣 と 創 造 右 の 文 章 の 直 後 に 梅 原 氏 は 説 く 。 「 も し も 豊 国 の 絵 が 写 楽 の 絵 よ り 後 か ら 描 か れ 朝 4

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行 点 数 は 四 〇 点 で あ る か ら 、 写 楽 を 除 く 蔦 屋 刊 行 総 点 数 の 約 七 〇 。 ( ー セ ン ト が 、 こ の 時 期 に 集 中 し て い る こ と に な る 。 版 元 印 の な い 錦 絵 も あ る が 、 こ の 表 を 見 た だ け で も 、 歌 麿 と 蔦 屋 の 不 和 説 は 怪 し い と 考 え る の が 当 然 で は あ る ま い か 。 歌 麿 の 版 元 別 作 品 目 録 さ ら に 、 も っ と 決 定 的 な 資 料 が 、 す で に 昭 和 五 十 三 年 に 公 表 さ れ て い る 。 そ れ は 『 浮 世 絵 聚 花 3 』 ( 小 学 館 刊 ) の 巻 末 の 「 喜 多 川 歌 麿 作 品 目 録 」 で あ る 。 こ れ ら の 中 に は 若 干 の 誤 り は あ ろ う が 、 最 新 の 最 も 網 羅 的 な 目 録 と し て 信 憑 性 が 高 い と 考 え ら れ る 。 こ の 中 か ら 寛 政 元 年 よ り 同 十 年 ま で の 分 を 時 期 別 、 版 元 別 に 区 分 し た の が 第 2 表 で あ る 。 え ほ ん む し え ら び 寛 政 元 年 は 、 歌 麿 が 天 明 八 年 刊 『 画 本 虫 撰 』 艶 本 『 歌 ま く ら 』 を 出 版 し て 大 評 判 と な り 、 ま た 同 八 批 年 の 師 鳥 山 石 燕 の 他 界 後 、 独 立 し て 「 自 成 一 家 」 の 印 章 を 使 用 し は じ め た 年 で あ る 。 ま た 、 寛 政 九 年 は 蔦 屋 の 没 年 で あ る が 、 寛 政 元 年 か ら の 九 年 間 こ そ 、 歌 麿 芸 術 の 最 も 充 実 し た 最 盛 そ 説 期 で 、 多 く の 秀 作 が 制 作 さ れ た こ と が わ か る 。 し 以 下 、 も う 少 し 立 ち 入 っ て 第 2 表 の 各 版 元 で の 刊 行 状 況 を 検 討 し て み よ う 。 出 び 、 蔦 屋 と の 関 係 A 」 蔦 屋 か ら は 、 写 楽 絵 出 現 の 直 前 の 寛 政 五 、 六 年 に も 、 ま た 同 七 年 以 降 に も 、 相 当 多 量 の 作 品 を 、 し 蔦 か も 名 品 を 刊 行 し て い る 。 2 、 大 手 版 元 鶴 屋 と の 関 係 出 版 界 最 大 の 大 手 鶴 屋 ( 本 拠 は 京 都 ) か ら は 、 す で に 寛 政 元 年 か ら 出 版 し 、 同 七 年 以 降 も 蔦 屋 に 次 ぐ 章 大 量 点 数 を 出 し て い る 。 な お こ れ よ り さ き 蔦 屋 は 、 鶴 屋 と 京 伝 と と も に 、 天 明 八 年 、 日 光 、 中 禅 寺 に 旅 行 し 、 ま た 寛 政 三 年 頃 に 鶴 屋 と 協 議 し て 潤 筆 料 の 制 度 を 創 始 し た こ と は 既 述 し た 。