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検索対象: 現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集

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現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


416 一 一 月 、 熱 海 市 仲 田 に 別 邸 を 求 め る ( 前 の 雪 後 庵 ) 。 七 月 、 日 本 芸 術 院 会 員 と な る 。 六 十 六 歳 五 十 七 歳 昭 和 ニ 十 六 年 ( 一 九 五 一 ) 昭 和 十 七 年 ( 一 九 四 一 l) 六 月 、 「 き の う き よ う 」 を 「 文 芸 春 秋 」 に 発 表 ( 十 一 月 完 ) 。 こ の 年 一 月 、 「 元 三 大 師 の 母 ー 乳 野 物 語 ー 」 を 「 心 」 に 発 表 。 五 月 「 潤 一 さ さ め ゆ き 郎 新 訳 源 氏 物 語 」 ( 全 十 一 一 巻 ) を 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 始 め る 。 同 月 、 「 細 雪 」 の 執 筆 始 め る 。 五 十 八 歳 文 化 功 労 者 と な る 。 昭 和 十 八 年 ( 一 九 四 = l) 六 十 七 歳 一 月 か ら 「 細 雪 ー を 「 中 央 公 論 」 に 連 載 し は じ め た が 、 検 閲 当 局 の 昭 和 ニ 十 七 年 ( 一 九 五 一 l) こ の 年 健 康 を 害 し 、 静 養 に 努 め る 。 弾 圧 に よ り 六 月 以 降 掲 載 中 止 と な る 。 六 十 九 歳 五 十 九 歳 昭 和 ニ 十 九 年 ( 一 九 五 四 ) 昭 和 十 九 年 ( 一 九 四 四 ) 四 月 、 兵 庫 県 魚 崎 町 よ り 熱 海 市 西 山 に 疎 開 。 七 月 、 「 細 雪 ー 上 巻 を 四 月 、 熱 海 市 伊 豆 山 鳴 沢 に 転 居 ( 後 の 雪 後 庵 ) 。 七 十 歳 二 百 部 限 定 自 費 出 版 し て 友 人 知 己 に 配 る 。 十 二 月 、 中 巻 を 書 き 終 え 昭 和 三 十 年 ( 一 九 五 五 ) る も 、 軍 当 局 の 干 渉 に よ り 印 刷 頒 布 を 禁 止 さ れ る 。 十 一 月 「 過 酸 化 満 俺 水 の 夢 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 七 十 一 歳 昭 和 ニ 十 年 ( 一 九 四 五 ) 六 十 歳 昭 和 三 十 一 年 ( 一 九 五 六 ) 一 月 、 「 鍵 ー を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 ( 十 二 月 完 ) 。 五 月 、 岡 山 県 津 山 市 に 避 難 し 、 七 月 、 同 県 勝 山 町 に 疎 開 。 七 十 四 歳 六 十 一 歳 昭 和 三 十 四 年 ( 一 九 五 九 ) 昭 和 ニ 十 一 年 ( 一 九 四 六 ) 三 月 、 単 身 上 洛 。 八 月 、 「 細 雪 」 上 巻 を 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 。 十 一 十 月 、 「 夢 の 浮 橋 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 七 十 六 歳 月 、 南 禅 寺 下 河 原 町 に 転 居 。 新 居 を 潺 湲 亭 ( 前 の ) と 名 付 け る 。 昭 和 三 十 六 年 ( 一 九 六 一 ) ふ う て ん 昭 和 ニ 十 ニ 年 ( 一 九 四 七 ) 六 十 二 歳 十 一 月 、 「 瘋 老 人 日 記 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 ( 三 十 七 年 五 月 完 ) 。 七 十 八 歳 三 月 、 「 細 雪 」 中 巻 を 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 。 下 巻 を 同 月 、 「 婦 人 公 論 」 昭 和 三 十 八 年 ( 一 九 六 = l) に 発 表 。 十 一 月 、 「 細 雪 」 に よ り 毎 日 出 版 文 化 賞 を 受 け る 。 一 月 、 「 瘋 癲 老 人 日 記 」 に よ り 毎 日 芸 術 大 賞 を 受 け る 。 七 十 九 歳 六 十 三 歳 昭 和 三 十 九 年 ( 一 九 六 四 ) 昭 和 ニ 十 三 年 ( 一 九 四 八 ) 五 月 、 前 後 七 年 に わ た る 「 細 雪 」 脱 稿 。 十 一 一 月 「 細 雪 」 下 巻 を 中 央 六 月 、 全 米 芸 術 院 、 米 国 文 学 芸 術 ア カ デ ミ ー 名 誉 会 員 と な る 。 七 公 論 社 か ら 刊 行 。 月 、 神 奈 川 県 湯 河 原 に 移 転 ( 湘 碧 山 房 と 名 付 け る ) 。 六 十 四 歳 昭 和 四 十 年 ( 一 九 六 五 ) 八 十 歳 昭 和 ニ 十 四 年 ( 一 九 四 九 ) 一 月 、 「 細 雪 」 に よ り 朝 日 文 化 賞 を 受 け る 。 五 月 、 下 鴨 泉 川 町 に 転 七 月 三 十 日 、 腎 不 全 か ら 心 不 全 併 発 し 、 湯 河 原 自 宅 に て 逝 去 。 八 月 居 ( 後 の 潺 湲 亭 ) 。 十 一 月 、 第 八 回 文 化 勲 章 を 授 与 さ れ る 。 十 二 月 、 三 日 、 青 山 斎 場 に お い て 葬 儀 。 九 月 一 一 十 五 日 、 京 都 の 法 然 院 に 葬 る 。 戒 名 、 安 楽 寿 院 功 誉 文 林 徳 潤 居 士 。 十 一 月 六 日 、 百 か 日 法 要 に 「 少 将 滋 幹 の 母 」 を 「 毎 日 新 聞 」 に 連 載 ( 二 十 五 年 三 月 完 ) 。 昭 和 ニ 十 五 年 ( 一 九 五 〇 ) 六 十 五 歳 ち な み 、 染 井 墓 地 慈 眼 寺 の 両 親 の 墓 に 分 骨 。 せ ん か ん マ ン が ン の ら

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


ッ ク な 女 主 人 公 の 傾 向 を 奔 放 に 描 い た た め 、 連 載 中 か ら 評 判 と な 一 一 月 、 「 私 の 見 た 大 阪 及 び 大 阪 人 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 ( 四 月 完 ) 。 ふ う び り 、 主 人 公 の モ ダ ン ガ ー ル 、 ナ オ ミ の 名 が 一 世 を 風 靡 す る 。 十 一 「 盲 目 物 語 」 を 中 央 公 論 社 か ら 、 四 月 、 「 倚 松 庵 随 筆 」 を 創 元 社 か ら 刊 行 。 九 月 、 「 青 春 物 語 」 を 「 中 央 公 論 ー に ( 八 年 三 月 完 ) 、 十 一 月 月 、 「 痴 人 の 愛 」 ( 後 半 ) を 「 女 性 」 に 発 表 ( 十 四 年 七 月 完 ) 。 大 正 十 五 年 ・ 昭 和 元 年 ( 一 九 二 六 ) 四 十 一 歳 「 蘆 刈 」 を 「 改 造 」 に 発 表 ( 十 二 月 完 ) 。 四 十 八 歳 一 月 、 再 び 中 国 旅 行 、 一 一 月 に 帰 国 。 四 月 、 「 上 海 見 聞 録 , を 「 文 芸 昭 和 八 年 ( 一 九 三 = l) 五 月 、 妻 丁 未 子 と 別 居 。 六 月 、 「 春 琴 抄 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 八 月 春 秋 」 に 、 五 月 、 「 上 海 交 遊 記 」 を 「 女 性 」 に 発 表 ( 八 月 完 ) 。 四 十 一 一 歳 戯 曲 「 顔 世 」 を 「 改 造 」 に 、 十 二 月 、 「 陰 翳 礼 讃 」 を 「 経 済 往 来 」 に 昭 和 ニ 年 ( 一 九 二 七 ) 二 月 、 「 饒 舌 録 」 を 「 改 造 」 に 発 表 ( 十 一 一 月 完 ) 。 九 月 、 「 芥 川 君 と 発 表 。 四 十 九 歳 私 」 を 「 改 造 」 に 、 「 い た ま し き 人 」 を 「 文 藝 春 秋 。 ( 芥 川 龍 之 介 追 昭 和 九 年 ( 一 九 三 四 ) 十 月 、 丁 未 子 夫 人 と 離 婚 。 十 一 月 、 「 文 章 読 本 」 を 中 央 公 論 社 よ り 悼 号 ) に 発 表 。 四 十 三 歳 刊 行 。 昭 和 三 年 ( 一 九 二 八 ) 五 十 歳 二 月 、 「 谷 崎 潤 一 郎 篇 」 ( 明 治 大 正 文 学 全 集 ) を 春 陽 堂 か ら 刊 行 。 三 昭 和 十 年 ( 一 九 三 五 ) 月 、 「 卍 ( ま ん じ ) 」 を 「 改 造 ー ( 五 年 四 月 完 ) に 、 十 一 一 月 、 「 蓼 喰 う 一 月 、 根 津 松 子 と 結 婚 。 九 月 「 源 氏 物 語 」 現 代 語 訳 の 執 筆 を 始 め る 。 十 月 「 武 州 公 秘 話 」 を 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 。 虫 」 を 「 大 阪 毎 日 新 聞 」 「 東 京 日 日 新 聞 」 に 発 表 ( 四 年 六 月 完 ) 。 五 十 一 歳 四 十 五 歳 昭 和 五 年 ( 一 九 三 〇 ) 昭 和 十 一 年 ( 一 九 三 六 ) 三 月 、 「 乱 菊 物 語 」 を 「 朝 日 新 聞 」 に ( 九 月 前 篇 終 り ) 、 四 月 、 「 谷 一 月 、 「 猫 と 庄 造 と 一 一 人 の お ん な 」 を 「 改 造 」 に 発 表 。 六 月 、 六 部 崎 潤 一 郎 全 集 」 ( 全 十 二 巻 ) を 改 造 社 か ら 刊 行 ( 六 年 十 月 完 ) 。 八 集 「 蓼 喰 う 虫 」 を 創 元 社 よ り 刊 行 。 月 、 妻 千 代 子 と 離 婚 。 千 代 子 は 佐 藤 春 夫 と 結 婚 す る 。 五 十 二 歳 昭 和 十 ニ 年 ( 一 九 三 七 ) 昭 和 六 年 ( 一 九 三 一 ) 四 十 六 歳 一 一 月 、 六 部 集 「 盲 目 物 語 」 を 創 元 社 よ り 刊 行 。 六 月 、 帝 国 芸 術 院 会 一 月 、 「 吉 野 葛 ー を 「 中 央 公 論 ー に ( 二 月 完 ) 、 四 月 、 「 恋 愛 及 び 色 情 」 員 と な る 。 十 一 一 月 、 六 部 集 「 吉 野 葛 」 を 創 元 社 よ り 刊 行 。 五 十 三 歳 昭 和 十 三 年 ( 一 九 三 八 ) を 「 婦 人 公 論 」 に 発 表 ( 六 月 完 ) 。 同 月 「 卍 」 を 改 造 社 か ら 刊 行 。 譜 古 川 ア た 子 と 結 婚 。 九 月 、 「 盲 目 物 語 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 十 月 、 九 月 、 現 代 語 訳 「 源 氏 物 語 」 ( 三 三 九 一 枚 ) を 山 田 孝 雄 の 校 閲 を 経 「 武 州 公 秘 話 」 を 「 新 青 年 ー に ( 七 年 十 一 月 完 ) 、 十 一 月 、 「 永 井 荷 て 脱 稿 す る 。 準 備 に 一 一 か 年 、 執 筆 に 三 か 年 、 計 五 か 年 か か る 。 五 十 四 歳 年 風 氏 の 近 業 に つ い て 」 ( 「 「 つ ゆ の あ と さ き 」 を 読 む 」 と 改 題 ) を 「 改 昭 和 十 四 年 ( 一 九 三 九 ) 造 」 に 、 「 佐 藤 春 夫 に 与 え て 過 去 半 生 を 語 る 書 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 一 月 、 「 源 氏 物 語 序 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 同 月 、 「 潤 一 郎 訳 源 氏 【 0 物 語 」 ( 全 一 一 六 巻 ) を 中 央 公 論 社 よ り 刊 行 。 表 ( 十 二 月 完 ) 。 五 十 六 歳 四 十 七 歳 昭 和 十 六 年 ( 一 九 四 一 ) 昭 和 七 年 ( 一 九 三 一 l)

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


査 弥 造 ふ と こ ろ 手 を し て 着 物 の 中 で 握 り こ ぶ し を つ く り 、 肩 を 突 き あ げ 張 っ た さ ま 。 査 お 嬢 吉 一 一 一 「 三 人 吉 三 廓 初 買 」 ( 河 竹 黙 阿 弥 作 ) に 登 場 す る 賊 の 名 。 つ ね に 女 装 を し て 現 わ れ る 。 査 唐 人 髷 江 戸 末 期 か ら 流 行 し だ し た 少 女 の 髪 の 結 い 方 。 査 雪 姫 浄 瑠 璃 時 代 物 「 祇 園 祭 礼 信 仰 記 」 に 登 場 す る 女 性 。 「 金 少 年 閣 寺 」 の 段 で 、 父 の 敵 の た め に 、 庭 の 桜 の 木 に し ば り つ け ら れ る 。 彗 一 蠣 殻 町 一 一 丁 目 当 時 の 、 東 京 市 日 本 橋 区 蠣 殻 町 一 一 丁 目 。 明 治 初 期 以 来 、 種 々 の 商 品 取 引 所 ( 特 に 米 問 屋 が 多 か っ た ) が 出 来 、 七 十 五 座 の お 神 楽 「 座 」 は 、 い ろ い ろ な 神 社 で 行 な わ れ る 里 神 楽 の 曲 目 の 数 の こ と 。 盛 況 を み せ た 。 吾 一 水 天 宮 安 産 、 水 難 、 水 商 売 に ご り や く が あ る と し て 、 庶 民 ど 矢 場 の 女 当 時 の 庶 民 の 娯 楽 施 設 の 一 つ で あ っ た 楊 弓 場 に 雇 わ れ て い た 女 で 、 売 春 婦 を 兼 ね る も の も 多 く あ っ た と い う 。 の 信 仰 を 集 め 、 毎 月 五 日 の 縁 日 は 、 こ と に に ぎ わ っ た 。 翌 箱 魅 魍 魎 さ ま ざ ま な 妖 怪 変 化 の 類 の こ と 。 至 有 馬 学 校 水 天 宮 の う し ろ に あ っ た 有 馬 小 学 校 。 五 四 周 延 揚 洲 周 延 ( 1838 ~ 181 ) 明 治 時 代 の 代 表 的 な 浮 世 絵 師 。 セ 五 Urine ( 英 ) 小 便 。 江 戸 城 の 大 奥 の 美 人 を 描 く の に 長 じ て い た 。 神 童 丑 地 ロ の 行 燈 地 ロ と は 、 普 通 に 用 い ら れ る 成 語 を も と に し て 、 語 呂 の 似 た 意 味 の 違 う 別 の 句 を 作 る 一 種 の し ゃ れ 。 戯 画 や し ゃ 契 石 盤 粘 板 岩 の 薄 片 に 木 製 の 枠 を つ け た も の で 、 石 筆 で 文 字 れ の 書 い て あ る 行 燈 の 意 。 祭 礼 の 時 な ど に 路 傍 に 立 て て 用 い る 。 や 数 字 や 図 画 を か い た 。 当 時 の 学 童 の 学 校 用 具 。 猛 獣 遣 い の チ ャ リ ネ の 美 人 イ タ リ ア 人 、 チ ャ リ ネ の ひ ぎ い 冥 天 神 様 菅 原 道 真 ( 5 ~ 83 ) の こ と 。 文 章 博 士 で 漢 詩 文 に る サ ー カ ス 団 。 一 八 八 六 年 来 日 し 、 神 田 、 築 地 、 浅 草 、 靖 国 神 優 れ 、 宇 多 上 皇 に 愛 さ れ 、 右 大 臣 に 進 ん だ が 、 左 大 臣 、 藤 原 時 ぎ ん そ 社 な ど で 興 行 し て 大 評 判 を と っ た 。 平 の 讒 訴 に よ り 、 九 州 大 宰 府 に 流 さ れ 、 そ こ で 没 し た 。 の ち 、 究 に ん べ ん 東 京 日 本 橋 に あ る 有 名 な 鰹 節 販 売 店 。 初 代 の 伊 勢 天 満 宮 に 天 神 と し て 祭 ら れ た 。 屋 伊 兵 衛 の 名 よ り 「 に ん べ ん 」 の 屋 号 が 生 ま れ た 。 冥 此 の 度 は 幣 も ・ : : ・ 東 風 吹 か ば : : : 「 こ の た び は ぬ さ も と り あ 発 緞 帳 芝 居 引 幕 の か わ り に 緞 帳 ( た れ 幕 ) を 用 い た こ と よ り 、 へ ず た む け 山 紅 葉 の 錦 神 の ま に ま に 」 ( 「 古 今 集 , 巻 九 羇 旅 下 等 な 芝 居 を さ し て い う 。 歌 ) 「 こ ち ふ か ば に ほ ひ を こ せ よ む め の は な あ る じ な し と て は 究 覗 き 機 巧 箱 の 中 に 幾 枚 か の 絵 を 装 置 し 、 こ れ を 順 次 に 転 換 る を わ す る な 」 ( 「 拾 遺 集 」 巻 十 六 雑 春 ) さ せ て 前 方 に あ る 眼 鏡 か ら 覗 か せ る も の 。 の ぞ き め が ね 。 四 書 五 経 「 四 書 」 は 「 大 学 」 「 中 庸 」 「 論 語 」 「 孟 子 」 を 、 「 五 注 解

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大 正 ニ 年 ( 一 九 一 III) 二 十 八 歳 を 「 中 外 , に 、 十 月 、 「 柳 湯 の 事 件 」 を 「 中 外 」 に 発 表 。 十 一 月 、 Ⅲ 一 月 、 「 続 悪 魔 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 短 篇 集 「 悪 魔 」 を 籾 山 書 単 身 で 中 国 旅 行 に 出 発 、 十 一 一 月 末 に 帰 国 。 あ つ も の 三 十 四 歳 店 か ら 、 「 羹 」 を 春 陽 堂 か ら 刊 行 。 四 月 、 「 少 年 の 記 憶 」 を 「 大 阪 朝 大 正 八 年 ( 一 九 一 九 ) 日 新 聞 」 に 、 五 月 、 戯 曲 「 恋 を 知 る 頃 , を 、 九 月 、 「 熱 風 に 吹 か れ 一 月 、 「 母 を 恋 う る 記 」 を 「 大 阪 毎 日 新 聞 」 「 東 京 日 日 新 聞 」 に 発 て 」 を い ず れ も 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 表 。 一 一 月 、 父 倉 五 郎 が 死 去 。 享 年 六 十 一 歳 。 六 月 、 「 富 美 子 の 足 」 大 正 三 年 ( 一 九 一 四 ) 二 十 九 歳 を 「 雄 弁 」 に 発 表 。 九 月 、 「 或 る 少 年 の 怯 れ 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 九 月 、 「 饒 太 郎 ー を 「 中 央 公 論 」 に 、 十 一 一 月 、 「 金 色 の 死 」 を 「 東 京 表 。 永 井 荷 風 序 「 近 代 情 痴 集 」 を 新 潮 社 か ら 刊 行 。 十 二 月 、 神 奈 川 朝 日 新 聞 ー に 発 表 。 県 小 田 原 に 転 居 。 三 十 歳 大 正 四 年 ( 一 九 一 五 ) 大 正 九 年 ( 一 九 一 一 〇 ) 三 十 五 歳 五 月 、 石 川 千 代 と 結 婚 、 本 所 向 島 の 新 小 梅 町 に 新 居 を 構 え る 。 一 一 月 、 「 鮫 人 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 ( 十 月 完 ) 。 五 月 、 大 正 活 映 つ や 月 、 「 お 艷 殺 し 」 、 六 月 、 戯 曲 「 法 成 寺 物 語 」 を 「 中 央 公 論 , に 発 ( 株 ) の 脚 本 部 顧 問 に 迎 え ら れ る 。 六 月 、 シ ナ リ オ 「 ア マ チ ュ ア 倶 楽 表 。 同 月 「 お 艷 殺 し 」 を 千 章 館 か ら 刊 行 。 九 月 、 「 お 才 と 巳 之 介 」 を 部 」 を 脱 稿 、 十 一 月 、 有 楽 座 で 公 開 。 泉 鏡 花 「 蔦 飾 砂 子 , を 脚 色 撮 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 十 月 、 「 お 才 と 巳 之 介 」 を 新 潮 社 か ら 刊 行 。 十 影 す る 。 新 興 芸 術 、 映 画 の 質 的 向 上 に 情 熱 を 注 ぐ 三 十 六 歳 一 月 、 「 独 を 「 新 小 説 」 に 発 表 。 華 麗 な 作 風 を 次 々 に 世 に 問 う 。 大 正 十 年 ( 一 九 二 l) 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) 三 十 一 歳 三 月 、 「 不 幸 な 母 の 話 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 同 月 、 「 雛 祭 の 夜 」 一 月 、 「 神 童 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 「 鬼 の 面 」 を 「 東 京 朝 日 新 聞 ー を 撮 影 、 「 蛇 性 の 淫 」 を 脚 色 製 作 。 九 月 、 横 浜 本 牧 に 転 居 。 十 一 月 、 に 、 三 月 、 戯 曲 「 恐 怖 時 代 」 ( 発 魅 9 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 大 正 活 映 を 退 社 。 十 二 月 、 戯 曲 「 愛 す れ ば こ そ 」 ( 第 一 幕 ) を 「 改 三 十 二 歳 造 」 に 発 表 。 大 正 六 年 ( 一 九 一 七 ) 三 十 七 歳 一 月 、 「 人 魚 の 嘆 き 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 「 魔 術 師 」 を 「 新 小 説 ー に 、 大 正 十 一 年 ( 一 九 二 一 l) 一 一 月 、 「 鶯 姫 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 五 月 、 母 関 が 死 去 。 享 年 五 一 月 、 戯 曲 「 堕 落 」 ( 「 愛 す れ ば こ そ 」 第 二 、 三 幕 ) を 「 中 央 公 論 ー 十 四 歳 。 七 月 、 「 異 端 者 の 悲 し み 」 ( 五 年 八 月 作 ) を 、 九 月 、 戯 曲 「 十 に 、 六 月 、 戯 曲 「 お 国 と 五 平 」 を 「 新 小 説 」 に 発 表 。 三 十 八 歳 五 夜 物 語 」 を い ず れ も 「 中 央 公 論 , に 、 「 女 人 神 聖 」 を 「 婦 人 公 論 」 大 正 十 ニ 年 ( 一 九 二 = I) お ら ん だ に 発 表 。 同 月 、 「 異 端 者 の 悲 し み 」 を 阿 蘭 陀 書 房 か ら 刊 行 。 十 一 月 九 月 一 日 、 関 東 大 震 災 に 遭 い 、 同 月 末 、 一 家 を あ げ て 関 西 に 移 る 。 天 災 に よ る 関 西 移 住 が の ち の 谷 崎 文 学 に 大 き な 転 機 を も た ら す 。 「 ハ ッ サ ン ・ カ ン の 妖 術 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 一 一 一 十 九 歳 大 正 十 三 年 ( 一 九 二 四 ) 三 十 三 歳 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) 一 一 月 、 「 兄 弟 」 を 「 中 央 公 論 」 に 、 三 月 、 「 人 面 疽 」 を 「 新 小 説 」 一 月 、 戯 曲 「 無 明 と 愛 染 」 ( 第 一 幕 ) を 「 改 造 」 に 、 三 月 、 「 痴 人 の に 、 四 月 、 コ 一 人 の 稚 児 」 を 「 中 央 公 論 , に 、 八 月 、 「 小 さ な 王 国 ー 愛 」 ( 前 半 ) を 「 大 阪 朝 日 新 聞 、 に 連 載 ( 六 月 ま で ) 。 エ キ セ ン ト リ

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明 治 三 十 八 年 ( 一 九 〇 五 ) 二 十 歳 三 月 、 府 立 一 中 を 卒 業 し 、 九 月 、 第 一 高 等 学 校 英 法 科 に 入 学 。 明 治 四 十 年 ( 一 九 〇 七 ) 一 一 十 一 一 歳 六 月 、 初 恋 の 相 手 の 小 間 使 へ の 手 紙 が 発 見 さ れ 北 村 家 を 出 み 。 伯 父 や 小 学 時 代 か ら の 親 友 笹 沼 源 之 助 の 補 助 を 受 け な が ら 学 業 を 続 け た が 、 文 学 で 身 を 立 て る 決 意 を 固 め 、 英 文 科 に 転 じ る 。 明 治 四 十 一 年 ( 一 九 〇 八 ) 一 一 十 三 歳 明 治 十 九 年 ( 一 八 八 六 ) か 、 が ら 七 月 一 一 十 四 日 、 東 京 市 日 本 橋 区 蠣 殻 町 二 丁 目 十 四 番 地 ( 現 中 央 区 日 七 月 、 第 一 高 等 学 校 卒 業 、 東 京 帝 国 大 学 国 文 科 に 入 学 。 一 一 十 四 歳 本 橋 芳 町 ) に 、 父 倉 五 郎 、 母 関 の 次 男 と し て 生 ま れ る 。 長 男 は 夭 明 治 四 十 ニ 年 ( 一 九 〇 九 ) 折 。 家 は 米 穀 取 引 所 の 気 配 を 印 刷 す る 谷 崎 活 版 所 を 経 営 、 後 に 父 は 史 劇 「 誕 生 」 を 書 き 「 帝 国 文 学 」 へ 送 っ た が 没 と な る 。 短 篇 「 一 米 仲 買 人 と な る 。 江 戸 の 名 残 り を 止 め る 下 町 の 少 年 時 代 は 初 期 の 文 日 」 を 「 早 稲 田 文 学 」 に 掲 載 を 図 っ た が 実 現 せ ず 、 失 望 の た め 、 強 ひ た ら 度 の 神 経 衰 弱 と な り 、 常 陸 の 助 川 に 転 地 。 学 活 動 に 少 な か ら ぬ 影 響 を 与 え て い る 。 明 治 四 十 三 年 ( 一 九 一 〇 ) 一 一 十 五 歳 明 治 ニ 十 五 年 ( 一 八 九 一 l) 七 歳 九 月 、 日 本 橋 区 阪 本 小 学 校 に 入 学 。 は に か み や で 乳 母 の 付 添 が な く こ の 頃 、 山 形 の 新 聞 記 者 の 就 職 口 を 求 め た こ と も あ る 。 九 月 、 小 山 て は 通 学 で き ず 、 一 学 年 の 進 級 に は 落 第 。 一 一 年 で は 首 席 で 進 級 。 内 薫 、 和 辻 哲 郎 、 後 藤 末 雄 、 木 村 荘 太 ら と 同 人 雑 誌 「 新 思 潮 ー ( 第 十 六 歳 一 一 次 ) を 創 刊 。 同 月 、 月 謝 滞 納 の た め 論 旨 退 学 。 「 新 思 潮 」 に 「 象 」 明 治 三 十 四 年 ( 一 九 〇 一 ) 三 月 、 阪 本 小 学 校 高 等 科 全 科 を 卒 業 。 担 任 の 稲 葉 清 吉 先 生 の 感 化 は 「 刺 青 」 「 麒 麟 ー な ど を 発 表 、 一 部 に 才 能 を 認 め ら れ る 。 一 一 十 六 歳 大 き く 「 文 学 開 眼 は 稲 葉 先 生 に よ る 」 と 後 に 述 懐 し て い る 。 小 学 生 明 治 四 十 四 年 ( 一 九 一 一 ) 時 代 の 生 活 環 境 が 「 少 年 」 「 小 さ な 王 国 」 「 神 童 」 な ど に あ ざ や か に 描 一 月 、 戯 曲 「 信 西 ー を 、 六 月 、 「 少 年 ー を 、 九 月 、 「 幇 間 」 を 「 ス ・ ハ き 出 さ れ て い る 。 そ の こ ろ 父 が 事 業 に 失 敗 し 、 経 済 的 困 窮 か ら 中 学 ル 」 に 、 十 月 、 「 颶 風 」 ( 発 禁 ) を 「 三 田 文 学 」 に 発 表 。 十 一 月 、 「 三 へ の 進 学 は 困 難 で あ っ た が 、 本 人 の 懇 願 と 担 任 教 師 の 勧 告 、 親 類 の 田 文 学 ー 誌 上 で 、 永 井 荷 風 の 激 賞 を 受 け 、 文 壇 的 地 位 を 確 立 。 同 月 譜 援 助 な ど に よ り 、 東 京 府 立 第 一 中 学 校 ( 現 日 比 谷 高 校 ) に 進 学 す る 。 「 秘 密 , を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 、 十 二 月 、 短 篇 集 「 刺 青 」 を 籾 山 書 十 七 歳 店 か ら 刊 行 。 明 治 三 十 五 年 ( 一 九 〇 一 l) 一 一 十 七 歳 年 六 月 、 家 の 生 活 は い よ い よ 苦 し く 退 学 を 迫 ら れ た が 、 教 師 の 紹 介 で 明 治 四 十 五 年 ・ 大 正 元 年 ( 一 九 一 一 l) 築 地 精 養 軒 主 人 北 村 氏 の 住 込 み 家 庭 教 師 と な る 。 成 績 優 秀 の た め 九 一 一 月 、 「 悪 魔 」 を 「 中 央 公 論 」 に 発 表 。 四 月 、 京 都 に 遊 ぶ 。 神 経 衰 月 、 一 一 年 級 を 超 え て 三 年 に 進 む 。 文 芸 部 委 員 と し て 、 学 友 会 雑 誌 に 弱 再 発 し 、 強 迫 観 念 に 苦 し む 。 同 月 、 「 朱 雀 日 記 」 を 「 大 阪 毎 日 新 あ つ も の 「 道 徳 的 観 念 と 美 的 観 念 」 な ど の 論 文 を 発 表 。 聞 」 「 東 京 日 日 新 聞 」 に 、 七 月 、 「 羹 」 を 「 東 京 日 日 新 聞 」 に 連 載 。

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津 村 は 「 此 か み も か ゝ さ ん と お り と の す き た る 紙 な り か 茶 の 湯 、 生 け 花 、 琴 三 味 線 等 の 師 匠 の 家 筋 も 、 多 く は 絶 え な ら ず / \ は だ み は な さ ず 大 せ つ に お も ふ べ し 」 と あ る そ て し ま っ て い た の で 、 結 局 前 に 挙 げ た 文 を 唯 一 の 手 が か り の 巻 紙 を 、 ほ ん と う に 肌 身 に つ け て 押 し 戴 い た 。 少 く と も に 、 大 和 の 国 吉 野 郡 国 栖 村 へ 尋 ね て 行 く の が 近 道 で あ り 、 明 治 十 年 以 前 、 母 が 大 阪 へ 売 ら れ て か ら 間 も な く 寄 越 さ れ 又 そ れ 以 外 に 方 法 も な か っ た 。 そ れ で 津 村 は 、 自 分 の 家 の た 文 だ と す れ ば 、 も う 三 四 十 年 は 立 っ て い る 筈 の そ の 紙 祖 母 が 亡 く な っ た 年 の 冬 、 百 ケ 日 の 法 要 を 済 ま す と 、 親 し お も む ひ ょ う ぜ ん と お び は 、 こ ん が り と 遠 火 に あ て た よ う な 色 に 変 っ て い た が 、 紙 い 者 に も 真 の 目 的 は 打 ち 明 け ず に 、 ひ と り 飄 然 と 旅 に 赴 く 質 は 今 の も の よ り も き め が 緻 密 で 、 し つ か り し て い た 。 津 体 裁 で 、 思 い 切 っ て 国 栖 村 へ 出 か け た 。 村 は そ の 中 に 通 っ て い る 細 か い 丈 夫 な 繊 維 の 筋 を 日 に 透 か 大 阪 と 違 っ て 、 田 舎 は そ ん な に し い 変 遷 は な か っ た 筈 し て 見 て 、 「 か & さ ん も お り と も 此 か み を す く と き は ひ ゞ で あ る 。 ま し て 田 舎 も 田 舎 、 行 き ど ま り の 山 奥 に 近 い 吉 野 へ ら あ か ぎ れ に 指 の さ き ち ぎ れ る よ ふ に て た ん と / ( 、 苦 ろ ふ い 郡 の 僻 地 で あ る か ら 、 た と い 貧 し い 百 姓 家 で あ っ て も 僅 か た し 候 」 と 云 う 文 句 を 想 い 浮 か べ る と 、 そ の 老 人 の 皮 膚 に 二 代 か 三 代 の 間 に あ と か た も な く な る よ う な こ と は あ る ま い 。 津 村 は そ の 期 待 に 胸 を 躍 ら せ つ つ 、 晴 れ た 十 一 一 月 の 或 も 似 た 一 枚 の 薄 い 紙 片 の 中 に 、 自 分 の 母 を 生 ん だ 人 の 血 が や か た 籠 っ て い る の を 感 じ た 。 母 も 恐 ら く は 新 町 の 館 で 此 の 文 を る 日 の 朝 、 上 市 か ら 俥 を 雇 っ て 、 今 日 私 た ち が 歩 い て 来 た 受 け 取 っ た 時 、 矢 彊 自 分 が 今 し た よ う に 此 れ を 肌 身 に つ 此 の 街 道 を 国 栖 へ 急 が せ た 。 そ し て な っ か し い 村 の 人 家 が け 、 押 し 戴 い た で あ ろ う こ と を 思 え ば 、 「 昔 の 人 の 袖 の 香 見 え 出 し た と き 、 何 よ り 先 に 彼 の 眼 を 惹 い た の は 、 此 処 彼 あ た か り よ う し ま ち の り ふ み が ら ぞ す る 」 そ の 文 殻 は 、 彼 に は 一 一 重 に 床 し く も 貴 い 形 見 で あ 処 の 軒 下 に 乾 し て あ る 紙 で あ っ た 。 恰 も 漁 師 町 で 海 苔 を 乾 っ こ 0 す よ う な エ 合 に 、 長 方 形 の 紙 が 行 儀 よ く 板 に 並 べ て 立 て か し 、 し そ の 後 津 村 が こ れ ら の 文 書 を 手 が か り と し て 母 の 生 家 を け て あ る の だ が 、 そ の 真 っ 白 な 色 紙 を 散 ら し た よ う な の く だ く だ 葛 突 き と め る に 至 0 た 過 程 に つ い て は 、 あ ま り 管 々 し く 書 く が 、 街 道 の 両 側 や 、 丘 の 段 々 の 上 な ど に 、 高 く 低 く 、 寒 そ う な 日 に き ら き ら と 反 射 し つ つ あ る の を 眺 め る と 、 彼 は 何 野 迄 も な か ろ う 。 何 し ろ そ の 当 時 か ら 三 四 十 年 前 と 云 え ば 、 ち ょ う ど 新 前 後 の 変 動 に 遭 遇 し て い る の だ か ら 、 母 が 身 が な し に 涙 が 浮 か ん だ 。 此 処 が 自 分 の 先 祖 の 地 だ 。 自 分 は 売 り を し た 新 町 九 軒 の 粉 川 と 云 う 家 も 、 輿 入 れ の 前 に 一 時 今 、 長 い あ い だ 夢 に 見 て い た 母 の 故 郷 の 土 を 蹈 ん だ 。 此 の 昭 籍 を 入 れ て い た 今 橋 の 浦 門 と 云 う 養 家 も 、 今 で は 共 に 亡 び 悠 久 な 山 間 の 村 里 は 、 大 方 母 が 生 れ た 頃 も 、 今 眼 の 前 に あ て し ま っ て 行 く え が 分 ら ず 、 奥 許 し の 免 状 に 署 名 し て い る る よ う な 平 和 な 景 色 を ひ ろ げ て い た だ ろ う 。 四 十 年 前 の 日 か み い ち

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


私 は ふ と 眼 を 覚 ま し た 。 夢 の 中 で ほ ん と う に 泣 い て い た と 見 え て 、 私 の 枕 に は 涙 が 湿 っ て い た 。 自 分 は 今 年 三 十 四 歳 に な る 。 そ う し て 母 は 一 昨 年 の 夏 以 来 此 の 世 の 人 で は な 此 の 考 が 浮 か ん だ 時 、 更 に 新 し い 涙 く な っ て い る 。 が ぼ た り と 枕 の 上 に 落 ち た 。 「 天 ぶ ら 喰 い た い 、 天 ぶ ら 喰 い た い 。 あ の 三 味 線 の 音 が 、 ま だ 私 の 耳 の 底 に 、 彼 の 世 か ら の お と ず れ の 如 く 遠 く 遙 け く 響 い て い た 。 は る

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


で は な い 。 ご く あ ら ま し を 掻 い 摘 ま ん で 云 う と 、 普 通 小 中 学 校 の 歴 史 の 教 科 書 で は 、 南 朝 の 元 中 九 年 、 北 朝 の 明 徳 三 い わ ゆ る 年 、 将 軍 義 満 の 代 に 両 統 合 体 の 和 議 が 成 立 し 、 所 謂 吉 野 朝 な る も の は 此 の 時 を 限 り と し て 、 後 醍 醐 天 皇 の 延 元 元 年 以 来 五 十 余 年 で 廃 絶 し た と な っ て い る け れ ど も 、 そ の の ち や は ん き っ 吉 三 年 九 月 一 一 十 三 日 の 夜 半 、 楠 一 一 郎 正 秀 と 云 う 者 が 大 覚 寺 ま ん じ ゅ じ の み や っ ち み か ど だ い り 統 の 親 王 万 寿 寺 宮 を 奉 じ て 、 急 に 土 御 門 内 裏 を 襲 い 、 三 種 ぬ す の 神 器 を 偸 み 出 し て 叡 山 に 立 て 籠 っ た 事 実 が あ る 。 此 の 時 、 討 手 の 追 撃 を 受 け て 宮 は 自 害 し 給 い 、 神 器 の う ち 宝 剣 し ん じ と 鏡 と は 取 り 返 さ れ た が 、 神 璽 の み は 南 朝 方 の 手 に 残 っ た の で 、 楠 氏 越 智 氏 の 一 族 等 は 更 に 宮 の 御 子 お 一 一 方 を 奉 じ て そ の 一 自 天 王 義 兵 を 挙 げ 、 伊 勢 か ら 紀 井 、 紀 井 か ら 大 和 と 、 次 第 に 北 朝 私 が 大 和 の 吉 野 の 奥 に 遊 ん だ の は 、 既 に 一 一 十 年 程 ま え 、 軍 の 手 の 届 か な い 奥 吉 野 の 山 間 僻 地 へ 逃 れ 、 一 の 宮 を 自 天 あ が 明 治 の 末 か 大 正 の 初 め 頃 の こ と で あ る が 、 今 と は 違 っ て 交 王 と 崇 め 、 二 の 宮 を 征 夷 大 将 軍 に 仰 い で 、 年 号 を 天 靖 と 改 う か が 通 の 不 便 な あ の 時 代 に 、 あ ん な 山 奥 、 近 頃 の 言 葉 で 元 し 、 容 易 に 敵 の 窺 い 知 り 得 な い 峡 谷 の 間 に 六 十 有 余 年 も 云 え ば 「 大 和 ア ル プ ス 」 の 地 方 な そ へ 、 何 し に 出 か け て 行 神 璽 を 擁 し て い た と 云 う 。 そ れ が 赤 松 家 の 遺 臣 に 欺 か れ く 気 に な っ た か 。 此 の 話 は 先 ず そ の 因 縁 か ら 説 く 必 て 、 お 二 方 の 宮 は 討 た れ 給 い 、 遂 に 全 く 大 覚 寺 統 の お ん 末 要 が あ る 。 の 絶 え さ せ ら れ た の が 長 禄 元 年 十 一 一 月 で あ る か ら 、 も し そ 葛 読 者 の う ち に は 多 分 御 承 知 の 方 も あ ろ う が 、 昔 か ら あ の れ 迄 を 通 算 す る と 、 延 元 元 年 か ら 元 中 九 年 ま で が 五 十 七 し よ う 野 地 方 、 十 津 川 、 北 山 、 川 上 の 荘 あ た り で は 、 今 も 土 民 に 依 年 、 そ れ か ら 長 禄 元 年 ま で が 六 十 五 年 、 実 に 百 一 一 十 一 一 年 も こ う っ て 「 南 朝 様 . 或 に 「 自 天 王 様 」 と 呼 ば れ て い る 南 帝 の 後 の あ い だ 、 兎 も 角 も 南 朝 の 流 れ を 酌 み 給 う お 方 が 吉 野 に お げ ん き よ う が た 裔 に 関 す る 伝 説 が あ る 。 此 の 自 天 王 、 後 亀 山 帝 の 玄 わ し て 、 京 方 に 対 抗 さ れ た の で あ る 。 そ ん き た や ま の み や 孫 に 当 ら せ ら れ る 北 山 宮 と 云 う お 方 が 実 際 に お わ し ま し た 遠 い 先 祖 か ら 南 朝 方 に 無 一 一 の お 味 方 を 申 し 、 南 朝 び い き こ と は 専 門 の 歴 史 家 も 認 め る と こ ろ で 、 決 し て 単 な る 伝 説 の 伝 統 を 受 け 継 い で 来 た 吉 野 の 住 民 が 、 南 朝 と 云 え ば 此 の 吉 野 葛 あ る 、 さ ら あ お ふ た か た

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


国 の 実 母 ら し い 人 か ら 母 へ 宛 て た 手 紙 、 琴 、 三 味 線 、 生 け 分 に は 、 い っ か 日 が 暮 れ て い た の で 、 今 度 は そ れ を 書 斎 へ 花 、 茶 の 湯 等 の 奥 許 し の 免 状 な ど で あ っ た 。 艶 書 は 父 か ら 持 っ て 出 て 、 電 燈 の 下 に ひ ろ げ た 。 む か し 、 恐 ら く は 三 四 あ ん ど ん の も の が 三 通 、 母 か ら の も の が 一 一 通 、 初 恋 に 酔 う 少 年 少 女 の 十 年 も 前 に 、 吉 野 郡 国 栖 村 の 百 姓 家 で 、 行 燈 の 灯 影 に う ず む つ ご と や に た わ い の な い 睦 言 の 遣 り 取 り に 過 ぎ な い け れ ど も 、 互 に 人 く ま り つ つ 老 限 の 脂 を 払 い 払 い 娘 の も と へ こ ま ご ま と 書 き 目 を 忍 ん で は 首 尾 し て い た ら し い 様 子 合 い も 見 え 、 殊 に 母 綴 っ て い た で あ ろ う 老 媼 の 姿 が 、 そ の 二 た ひ ろ に も 余 る 長 ふ み の も の は 「 ・ : : お ろ か な り し 心 よ り 思 し 召 し を か へ り み い 巻 紙 の 上 に 浮 か ん だ 。 文 の 言 葉 や 仮 名 づ か い に は 田 舎 の あ げ お ん く み わ ず 文 さ し 上 候 こ な た 心 少 し は 御 汲 分 け : ・ ・ : 」 と か 「 ひ と 婆 が 書 い た ら し い 覚 つ か な い ふ し ぶ し も 見 え る け れ ど も 、 お ほ せ く だ か た な ら ぬ 御 事 の み 仰 下 さ れ な ん ぼ う か 嬉 し く そ ん じ 色 々 文 字 は そ の わ り に 拙 く な く 、 お 家 流 の 正 し い 崩 し 方 で 書 い は な し ま ん ざ ら 耻 か し き 身 の 上 迄 も お 咄 中 上 げ : : : : ・ 」 と か 、 十 五 の 女 の て あ る の は 、 満 更 の 水 呑 み 百 姓 で も な か っ た の で あ ろ う 。 児 に し て は 、 筆 の 運 び こ そ た ど た ど し い も の の 、 さ す が に が 、 何 か 暮 ら し 向 き に 困 る 事 情 が 出 来 て 、 娘 を 金 に 替 え た ま せ た 言 葉 づ か い で 、 そ の 頃 の 男 女 の 早 熟 さ が 思 い や ら れ の で あ る こ と は 察 せ ら れ る 。 た だ 惜 し い こ と に 十 一 一 月 七 日 た 。 次 に 故 郷 の 実 家 か ら 寄 越 し た の は 一 通 し か な く 、 宛 名 と あ る ば か り で 、 年 号 が 書 き 入 れ て な い の だ が 、 多 分 此 の び ん は 「 大 阪 市 新 町 九 軒 粉 川 様 内 お す み ど の 」 と あ り 、 差 出 人 文 は 娘 を 大 阪 へ 出 し て か ら の 最 初 の 便 で あ ろ う と 思 わ れ く ぼ か い と は 「 大 和 国 吉 野 郡 国 栖 村 窪 垣 内 昆 布 助 左 衛 門 内 」 と な っ て る 。 し か し そ れ で も 老 い 先 短 か い 身 の 心 細 く 、 と こ ろ ど こ い て 、 「 此 度 其 身 の 孝 心 を か ん し ん 致 候 ゅ へ 文 し て 申 遣 し ろ に 「 こ れ か ゝ さ ん の ゆ い 言 そ や 」 と か 、 「 た と へ こ ち ら ま る ら せ そ ろ し ゆ っ 片 ! 左 候 へ ば 日 に ま し 寒 さ に 向 い 候 へ 共 い よ / \ か わ ら が い の ち な く と も そ の 身 に 付 そ ひ 出 せ い を い た さ せ 候 間 」 ま う し か せ な く 相 く ら さ れ 此 か た も 安 心 い た し 居 候 と ゝ さ ん と 申 な ど と 云 う 文 句 が 見 え 、 何 を し て は な ら ぬ 、 彼 を し て は な あ り が た く さ と か ゝ さ ん と 誠 に / \ 難 有 : : : : ・ 」 と 云 う よ う な 書 き 出 し ら ぬ と 、 い ろ い ろ と 案 じ 過 し て 論 し て い る 中 に も 、 面 白 い や か た 葛 で 、 館 の 主 人 を 親 と も 思 い 大 切 に せ ね ば な ら ぬ こ と 、 遊 芸 の は 、 紙 を 粗 末 に せ ぬ よ う に と 、 長 々 と 訓 戒 を 述 べ て 、 「 此 野 の け い こ に 身 を 入 れ る こ と 、 人 の 物 を 欲 し が っ て は な ら ぬ か み も か ゝ さ ん と お り と の す き た る 紙 な り か な ら ず / 、 、 こ と 、 神 仏 を 信 心 す る こ と な ど 、 教 訓 め い た こ と の か ず か は だ み は な さ ず 大 せ つ に お も ふ べ し 其 身 は よ ろ づ ぜ い た く 吉 ず が 記 し て あ っ た 。 に く ら せ ど も か み を 粗 末 に し て は な ら ぬ そ や か ゝ さ ん も お ほ こ り 津 村 は 土 蔵 の 埃 だ ら け な 床 の 上 に す わ っ た ま ま 、 う す 暗 り と も 此 か み を す く と き は ひ ゞ あ か ぎ れ に 指 の さ き ち ぎ れ い 光 線 で 此 の 手 紙 を 繰 り 返 し 読 ん だ 。 そ し て 気 が つ い た 時 る よ ふ に て た ん と / 、 苦 ろ ふ い た し 候 」 と 、 一 一 十 行 に も 亙 お く ゆ る ふ み わ た

現代日本の文学 7 谷崎潤一郎 集


そ び 聳 え て い る の で 今 い う 急 な 坂 路 は 寺 の 境 内 か ら そ の 高 台 へ つ づ く 斜 面 な の で あ る が 、 そ こ は 大 阪 に は ち ょ っ と 珍 し い 樹 木 の 繁 っ た 場 所 で あ っ て 琴 女 の 墓 は そ の 斜 面 の 中 腹 を 平 ら に し た さ さ や か な 空 地 に 建 っ て い た 。 光 誉 春 琴 恵 照 禅 定 尼 、 と 、 墓 石 の 表 面 に 法 名 を 記 し 裏 面 に 俗 名 鵙 屋 琴 、 号 春 ぎ よ う ね ん 琴 、 明 治 十 九 年 十 月 十 四 日 歿 、 行 年 五 拾 八 歳 と あ っ て 、 側 こ れ を た つ る 面 に 、 門 人 温 井 佐 助 建 之 と 刻 し て あ る 。 琴 女 は 生 涯 鵙 屋 姓 を 名 の っ て い た け れ ど も 「 門 人 」 温 井 検 校 と 事 実 上 の 夫 婦 生 活 を い と な ん で い た の で 期 く 鵙 屋 家 の 墓 地 と 離 れ た と こ ろ へ 別 に 一 基 を 選 ん だ の で あ ろ う か 。 寺 男 の 話 で は 鵙 屋 の 家 は と う に 没 落 し て し ま い 近 年 は 稀 に 一 族 の 者 が お 参 り に と ほ と ん 〇 来 る だ け で あ る が そ れ も 琴 女 の 墓 を 訪 う こ と は 殆 ど な い の も ず や こ と 春 琴 、 ほ ん と う の 名 は 鵙 屋 琴 、 大 阪 道 修 町 の 薬 種 商 の 生 で こ れ が 鵙 屋 さ ん の 身 内 の お 方 の も の で あ ろ う と は 思 わ な し た で ら ま ら れ で 歿 年 は 明 治 十 九 年 十 月 十 四 日 、 墓 は 市 内 下 寺 町 の 浄 土 か っ た と い う 。 す る と 此 の 仏 さ ま は 無 縁 に な っ て い る の で 宗 の 某 寺 に あ る 。 先 達 通 り か か り に お 墓 参 り を す る 気 に な す か と い う と 、 い え 無 縁 と い う 訳 で は あ り ま せ ぬ 萩 の 茶 屋 か っ こ う り 立 ち 寄 っ て 案 内 を 乞 う と 「 鵙 屋 さ ん の 墓 所 は こ ち ら で ご の 方 に 住 ん で お ら れ る 七 十 恰 好 の 老 婦 人 が 年 に 一 二 度 お 参 ざ い ま す 」 と い っ て 寺 男 が 本 堂 の う し ろ の 方 へ 連 れ て 行 り に 来 ら れ ま す 、 そ の お 方 は 此 の お 墓 へ お 参 り を さ れ て 、 む ら っ た 。 見 る と 一 と 叢 の 椿 の 木 か げ に 鵙 屋 家 代 々 の 墓 が 数 基 そ れ か ら 、 そ れ 、 此 処 に 小 さ な お 墓 が あ る で し よ う と 、 そ こ と じ よ 抄 な ら ん で い る の で あ っ た が 琴 女 の 墓 ら し い も の は そ の あ た の 墓 の 左 脇 に あ る 別 な 墓 を 指 し 示 し な が ら き っ と そ の あ と こ う げ 琴 り に は 見 あ た ら な か っ た 。 む か し 鵙 屋 家 の 娘 に し か じ か の で 此 の お 墓 へ も 香 華 を 手 向 け て 行 か れ ま す お 経 料 な ど も そ 春 人 が あ っ た 筈 で す が そ の 人 の は と い う と 暫 く 考 え て い て の お 方 が お 上 げ に な り ま す と い う 。 寺 男 が 示 し た 今 の 小 さ 「 そ れ な ら あ れ に あ り ま す の が そ れ か も 分 り ま せ ぬ 」 と 東 な 墓 標 の 前 へ 行 っ て 見 る と 石 の 大 き さ は 琴 女 の 墓 の 半 分 く 側 の 急 な 坂 路 に な っ て い る 段 々 の 上 へ 連 れ て 行 く 。 知 っ て ら い で あ る 。 表 面 に 真 誉 琴 台 正 道 信 士 と 刻 し 裏 面 に 俗 名 温 く た ま の 通 り 下 寺 町 の 東 側 の う し ろ に は 蛩 国 魂 神 社 の あ る 高 台 が 井 佐 助 、 号 琴 台 、 鵙 屋 春 琴 門 人 、 明 治 四 十 年 十 月 十 四 日 春 琴 抄 せ ん だ っ て ど し よ う ま ら こ た む ま れ