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検索対象: 増補改訂版 写楽は歌麿である

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増補改訂版 写楽は歌麿である


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か に 知 的 で あ り 、 厖 大 な 資 料 の 解 明 を 不 可 欠 と す る 精 密 な 頭 脳 作 業 で あ る 。 し か も 、 そ の 謎 の 発 見 解 明 に は 、 日 本 と 世 界 の 文 化 へ の 絶 大 な 貢 献 と い う 実 益 と 名 誉 が 約 東 さ れ て 自 信 あ る 文 化 人 や 研 究 家 達 が 、 「 ひ と っ 俺 も 」 と 竸 い 合 う の は 当 然 の こ と で あ る 。 こ う し て 、 百 家 争 鳴 、 甲 論 乙 馭 、 侃 々 が く が く の 写 楽 説 が 続 出 し た わ け で あ る 。 既 往 の 写 楽 説 一 覧 表 『 写 楽 , ー ー ま ぼ ろ し の 天 才 』 ( 昭 和 四 十 四 年 、 新 人 物 往 来 社 刊 ) の 中 で 、 著 者 榎 本 雄 斎 氏 は 、 こ れ ま で に 発 表 さ れ た 写 楽 に つ い て の 提 論 を 、 一 表 に ま と め た 。 極 め て 貴 重 な 労 作 で あ り 、 既 発 表 写 楽 説 の 全 貌 を 概 観 す る の に 重 宝 な の で 、 こ れ を 拝 借 し て 次 に 掲 げ る 。 東 洲 斎 写 楽 ・ 既 説 一 覧 表 議 論 者 発 表 年 月 日 順 分 類 職 種 提 ( 寛 政 七 年 春 以 = リ ウ ス ・ 明 治 年 ( ド イ ツ ) ① 研 究 浮 世 絵 師 降 ) ク ル ト レ ク ス 社 発 行 『 』 歌 舞 伎 堂 艶 鏡 説 春 藤 次 左 衛 門 説 大 正 Ⅱ 年 6 月 日 『 時 事 新 報 』 ② 研 究 能 役 者 ( 斎 藤 十 郎 兵 衛 鳥 居 竜 蔵 大 正 Ⅱ 年 6 月 幻 日 『 東 京 朝 日 』 に 復 帰 ) 昭 和 4 年 2 月 博 文 館 ③ 小 説 能 役 者 春 藤 次 良 兵 衛 邦 枝 完 二 『 東 洲 斎 写 楽 』 昭 和 5 年 月 ④ 研 究 ア マ 絵 師 某 野 口 米 次 郎 限 定 私 家 版 『 東 洲 斎 写 楽 』 論 点 「 写 楽 論 」 原 の 「 発 見 さ れ た 墓 論 所 と 東 洲 斎 写 楽 楽 の 一 生 」 章 「 写 楽 」 第 「 写 楽 論 」 題

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し た 。 有 名 に な っ た 馬 琴 は 京 伝 が 町 人 出 身 な の を 胸 中 軽 蔑 し 、 疎 遠 と な っ た 。 馬 琴 は 『 伊 波 伝 毛 乃 記 』 に お い て も 、 恩 人 京 伝 を 冷 や か に 扱 い 、 中 傷 し て い る 。 ま た 恩 人 蔦 屋 の こ と を も 既 述 の 如 く 『 江 戸 作 者 部 類 』 で 「 風 流 も な く 、 文 字 も な け れ ど も 」 「 当 時 の 狂 歌 代 歌 せ ら れ て ー な ど と 誹 謗 し て い る 。 こ の よ う な 曲 亭 な ら ぬ 曲 筆 の 馬 琴 で あ る か ら 、 写 楽 に つ い て 仮 に 何 か 書 き 残 し て も 、 信 憑 性 は う す 馬 琴 が 写 楽 に つ い て 何 も の べ な か っ た の は 、 当 時 蔦 屋 か ら 去 っ て い て 、 直 接 「 写 楽 」 と 会 っ て い な い こ と と 、 後 年 、 作 家 生 活 に 没 頭 し 、 写 楽 も 人 の 噂 か ら 去 り 、 彼 の 念 頭 か ら も 全 く 姿 を 没 し た た め で あ ろ う 。 く さ ぞ う し こ じ つ け ね ん だ い き 式 亭 三 馬 の 『 稗 史 億 説 年 代 記 』 さ き に み た 如 く 『 類 考 』 に 三 馬 は 次 の よ う に の べ て い る 。 「 三 馬 按 、 写 楽 号 東 周 斎 、 江 戸 八 町 堀 に 住 す 。 は ず か 半 年 余 行 は る ゝ 而 巳 」 こ の 中 「 東 周 斎 」 は 間 違 い で あ る が 「 わ ず か 半 年 余 行 は る ゝ 而 巳 」 は 、 蜀 山 人 の 「 一 両 年 」 よ り も さ ら に 正 確 で あ る 。 こ の よ う な 三 馬 の 写 楽 へ の 関 心 の 強 さ を 示 す の が 、 彼 の 黄 表 紙 『 稗 史 億 説 年 代 記 』 ( 享 和 一 一 年 、 西 宮 新 や ま と ゑ し の な づ く し 六 刊 ) の 中 の 「 倭 画 巧 名 尽 」 で あ る 。 こ の 絵 は 、 日 本 列 島 を も じ っ て 浮 世 絵 師 諸 流 の 系 列 を 示 し て い る 。 な お 同 時 に 三 馬 は 次 の 如 く 詠 ん で い る 。 「 昔 絵 は 奥 村 鈴 木 富 川 や 湖 龍 石 川 鳥 居 経 ま で 、 清 長 に 北 尾 か っ 川 歌 川 と 麿 に 北 斎 こ れ は 当 世 」 絵 の 中 で は 、 写 楽 を 、 ち ょ う ど 淡 路 島 の よ う な 、 大 き い 島 に 描 き 、 そ の 東 の 陸 地 に 、 歌 川 豊 広 、 豊 国 を 、 北 に 歌 麿 ・ 北 斎 を 置 い て い る の は 妥 当 で あ る が 、 そ の 西 に 富 川 吟 雪 と 房 信 を な ら べ て い る の は 、 2 イ 6

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考 政 年 い 備 寛 8 し 型 , , , , 大 中 " 大 ワ 1 っ つ な り 乙 っ 3 【 0 8 景 歌 物 狂 子 ワ 3 人 女 女 女 女 っ 〕 、 ー 亠 1 亠 、 1 身 身 身 身 半 半 半 全 中 名 の 衆 夫 類 景 形 歌 者 太 画 分 八 嘉 嘉 時 人 世 景 和 和 二 月 雛 ら 芸 屋 職 浮 の 仁 仁 十 連 文 娘 か 絵 字 絵 人 俗 宴 原 楼 楼 子 の 織 律 じ 文 婦 風 遊 吉 青 り 青 獅 湊 霞 五 判 大 政 ″ ″ 8 種 々 全 身 3 男 3 女 全 身 2 女 他 1 2 鶴 屋 大 間 ″ 大 ″ ″ ″ 間 司 ″ 大 っ 0 00 り ん -4 ワ 1 8 り っ 00 一 1 -1 1 り 0 1 00 っ 0 全 身 4 女 他 1 ー 2 鮑 取 り 相 州 鎌 倉 七 里 ケ 浜 風 全 身 1 男 2 女 2 景 子 全 身 1 男 3 女 4 青 楼 仁 和 嘉 4 ー 5 青 楼 仁 和 嘉 女 芸 者 部 全 身 3 女 半 身 2 女 江 戸 高 名 美 人 半 身 3 女 青 楼 三 美 人 全 身 2 女 他 5 艶 中 八 仙 6 仮 宅 八 景 遊 君 之 図 全 身 2 女 全 身 1 女 青 楼 新 六 香 撰 青 楼 十 美 之 図 全 身 2 女 7 丁 字 屋 内 千 山 金 龍 山 雷 神 門 之 図 全 身 4 女 全 身 3 女 他 美 人 競 争 全 身 3 女 舟 中 傘 さ し 美 人 ″ 七 人 猩 々 酩 酊 之 図 全 身 3 男 2 女 他 新 吉 原 新 仁 和 嘉 全 身 10 女 全 身 3 女 ″ 庭 中 遊 楽 図 全 身 2 女 7 ー 8 婦 人 泊 り 客 之 図 第 六 章 歌 麿 , 蔦 屋 「 と び 出 し 」 説 と そ の 批 判 鼠 色 , 黄 色 黄 色 の も の あ り

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る 一 要 素 た る 場 合 が 多 い こ と を 豊 国 は 証 拠 立 て て い る 」 「 写 楽 の 場 合 と 異 っ て 、 豊 国 は 俳 優 の 姿 態 を 断 片 的 に 分 解 し て 、 そ の 一 部 分 を 平 面 的 即 ち 、 実 際 的 に 描 い た も の だ 。 故 に 彼 の 作 品 は 硬 化 し て 人 形 じ み て い る が 、 そ れ だ け 素 人 受 け が い い 所 が 多 分 に あ る 」 次 に 岸 田 劉 生 は い う 。 「 豊 国 は 春 草 、 写 楽 な ど に か な り 多 く の 感 化 を う け 、 そ の 似 顏 絵 な ど の 描 写 な り 、 表 情 な り は か な り そ れ ら に 教 わ っ て い る が 、 ど う も 感 化 の う け か た が 表 面 的 で 、 内 か ら で は な い 。 だ か ら 似 て い る が 、 へ ん に だ る く て 、 顔 な ど も 、 実 感 が な く 、 生 々 し い 痛 が な い 。 写 楽 や 春 章 の 絵 を 見 る と 、 描 か れ た も の と い う よ り 、 そ の 顔 は 本 当 の 顔 の 如 く 目 鼻 口 が 絵 の 中 か ら 生 き て い る よ う に 思 え る 。 そ れ は そ の 作 家 の 観 照 が 本 物 で あ っ て 、 内 か ら 生 き て 見 え る か ら で あ っ て 、 こ れ を 外 面 的 に ま ね て で き る も の で は な し 。 が 、 こ れ ら に も か か わ ら ず 、 豊 国 の 絵 は 世 に も て は や さ れ た 」 こ の よ う に 野 口 、 岸 田 両 氏 と さ き の 吉 田 氏 の 三 氏 の 見 解 は 一 致 し て 、 写 楽 と 豊 国 と の 格 差 を 強 調 し 説 て い る の で あ る 。 梅 原 氏 の 写 楽 日 豊 国 説 は 一 一 人 の 質 的 隔 絶 に 気 づ か ぬ 、 奇 説 で あ る 。 梅 原 氏 が 明 治 末 期 以 後 の 日 本 人 驟 の の 豊 国 へ の 低 評 価 を 、 外 国 人 の 日 本 美 術 へ の 鑑 賞 眼 に 付 和 雷 同 し て い る も の と み て 、 不 信 感 を 表 明 し 氏 て い る の は 、 先 人 の 業 績 の 積 み 重 ね へ の 独 善 的 な 不 信 と 考 え ら れ る 。 梅 し か し 、 先 人 の 説 の 引 用 だ け で は 、 お そ ら く 梅 原 氏 は 納 得 し な い で あ ろ う 。 章 そ こ で 、 私 は 後 章 で 十 分 に 紙 数 を さ い て 、 写 楽 と 豊 国 絵 と の 、 芸 術 性 に つ い て の 詳 細 な 比 較 論 考 を 第 7 行 な う こ と と す る 。 2 、 梅 原 氏 の 明 治 の 薩 長 政 府 が 「 江 戸 文 化 と く に 」 「 後 期 江 戸 文 化 を 意 識 的 に も 無 意 識 的 に も 否 定

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の 丸 の み こ み は 、 控 え る べ き で あ る 。 こ の 『 江 戸 方 角 分 』 を 根 拠 に し て 、 文 政 四 年 に 式 亭 三 馬 は 「 類 考 」 に 三 馬 按 と し て 、 「 写 楽 号 東 周 斎 江 戸 八 丁 堀 に 住 す 。 は ず か 半 年 余 行 は る る 而 已 」 と 記 す 。 さ ら に 斎 藤 月 岑 は 、 「 写 楽 斎 俗 称 斎 藤 十 郎 兵 衛 八 丁 堀 に 住 す 。 阿 州 侯 の 能 役 者 也 。 ( 傍 点 は 引 用 者 ) 」 と 「 補 記 」 し た 。 月 岑 が 「 阿 州 侯 の 能 役 者 」 を 写 楽 と し た 根 拠 は 、 八 丁 堀 地 蔵 橋 に い た こ と 以 外 は ま 0 た く 不 明 で あ そ れ で は 、 写 楽 の 住 居 ・ 八 丁 堀 説 は 、 全 部 ま ち が い で あ ろ う か 。 私 は 、 そ う は 考 え な い 。 以 下 、 そ の 理 由 を の べ る 。 『 江 戸 方 角 分 』 は 、 写 楽 の 住 居 を 「 八 丁 堀 地 蔵 橋 」 と し て い る 。 と こ ろ で 、 地 蔵 橋 は 江 戸 に 二 カ 所 あ っ た の で あ る 。 映 画 監 督 で 、 シ ナ リ オ ラ イ タ ー の 大 塚 稔 著 『 文 政 江 戸 町 細 見 』 ( 一 九 八 五 年 雄 山 閣 出 版 刊 ) は 、 二 つ の 地 蔵 橋 に つ い て 次 の ご と く の べ て い る 。 こ の 本 は 「 文 政 」 と こ と わ 0 て お り 、 川 口 松 太 郎 氏 や 多 く の 拠 著 名 な シ ナ リ オ ラ イ タ ー や 映 画 監 督 が 推 賞 し て い て 、 信 頼 で き る 。 新 の 「 地 蔵 橋 神 田 堀 に 架 か る 。 日 本 橋 本 白 銀 町 と 大 伝 馬 塩 町 の あ い だ か ら 、 紺 屋 町 二 丁 目 と 三 丁 目 の あ い だ へ 渡 る 。 こ れ よ り 東 の 甚 兵 衛 橋 ま で の 河 岸 は 材 木 商 が 多 い 地 蔵 橋 も み じ 楓 川 と 越 前 堀 を つ な ぐ 入 江 が 亀 島 町 か ら 八 丁 堀 屋 敷 の あ い だ へ 流 れ こ ん で い る 。 こ の 小 堀 に 架 か る 朝 石 橋 で 北 八 丁 堀 同 心 町 の 火 の 見 櫓 の 下 に あ る 」 こ の 八 丁 堀 地 蔵 橋 付 近 の 略 図 を 『 江 戸 城 変 遷 絵 図 書 』 第 七 巻 ( 原 書 房 刊 ) で み る と 分 か る よ う に 、

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は じ め に 第 一 章 写 楽 論 の 原 点 百 家 争 鳴 の 写 楽 探 し : 写 楽 ⅱ >< 説 の 六 要 件 「 写 楽 は 写 楽 」 説 は 論 外 歌 麿 は 六 要 件 に 叶 う 第 二 章 既 往 の 写 楽 説 能 役 者 説 能 役 者 ・ 絵 師 以 外 の 説 ・ : 第 三 章 歌 舞 伎 役 者 説 池 田 満 寿 夫 氏 の 中 村 此 蔵 説 : 梅 原 猛 氏 に よ る 池 田 説 批 判 谷 峯 蔵 氏 の 池 田 説 批 判 私 の 池 田 説 批 判 と 歌 麿 、 蔦 屋 「 と び 出 し 」 説 ・ : 6 イ ) 9 4 イ 4 4 2 プ 24 2 ー 9 2 3 ) 29

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第 八 章 梅 原 氏 の 写 楽 Ⅱ 豊 国 説 梅 原 氏 の 五 つ の 証 明 要 件 梅 原 氏 の 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 は 、 「 写 楽 が み つ か 0 た 4 」 の 第 二 章 以 下 と ほ ぼ 同 じ だ が 、 第 一 章 は 全 部 書 き か え ら れ た 、 と い う こ と は さ き に の べ た 。 そ の 新 し い 第 一 章 に は 、 「 写 楽 」 の た る 条 件 が 、 次 の 如 く 示 さ れ て い る 。 一 、 作 品 の 類 似 性 一 一 、 写 楽 絵 の 出 現 と 消 減 に 関 す る 謎 三 、 仮 名 の 謎 四 、 同 時 代 者 の 沈 黙 と 若 干 の 言 及 の 謎 五 、 写 楽 を 覆 い 隠 し て い た も の は 何 か こ の 説 明 は 、 多 岐 に 亘 り 、 煩 雑 で あ る 。 む し ろ 『 毎 日 新 聞 』 昭 和 五 十 九 年 三 月 十 九 日 、 二 十 日 の タ 刊 の = ッ セ ー 「 写 楽 が 豊 国 で あ る 理 由 、 国 」 の 方 が わ か り 易 い 。 そ れ で 、 こ れ を 紹 介 し 、 必 要 に 応 じ 、 『 写 楽 仮 名 の 悲 劇 』 を 参 照 、 考 察 す る こ と に し た 。 ま ず 、 そ の 田 で は 、 「 説 明 不 完 全 な 従 来 の 学 説 」 と 題 し て 、 従 来 の 研 究 の 成 果 の 不 備 を の べ て 、 次 の 五 要 件 を 説 く 。 「 多 少 の 自 信 が 私 に あ る の は 、 今 ま で の 試 み は 、 写 楽 が 誰 々 で あ る と い う こ と を 議 論 す る に 必 要 な 次 ー 64

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蔦 屋 に 対 す る 幕 府 の 財 産 半 減 の 厳 罰 は 寛 政 三 年 で あ る が 、 そ の あ と で 歌 麿 は 蔦 屋 か ら 「 寛 政 三 美 人 図 」 「 婦 女 人 相 十 品 」 「 婦 人 相 学 十 躰 」 「 姿 見 七 人 化 粧 」 「 歌 撰 恋 之 部 」 等 の シ リ ー ズ も の の 名 作 を 相 継 い で 刊 行 し 、 満 都 の 人 気 を さ ら っ た 。 こ れ は 類 型 的 な 美 人 画 か ら 個 性 的 な 美 人 画 へ の 歌 麿 の 独 創 的 な 発 展 で あ る が 、 同 時 に 蔦 屋 の 財 産 半 減 の 傷 手 の 回 復 に も 貢 献 し た 。 他 の 版 元 も 歌 麿 の 大 評 判 に 注 目 し 「 獲 得 に 狂 奔 」 し た の も 当 然 で あ ろ う 。 こ の こ と は さ き の 第 2 表 で 詳 し く 見 た 通 り で あ る 。 し か し 、 そ の 第 2 表 は 同 時 に 、 歌 麿 が 蔦 屋 を 「 と び 出 し 」 て い な い こ と を も 示 し て い る 。 し た が っ て 「 歌 麿 は 」 「 暫 く し て 蔦 重 を 離 れ 」 は 事 実 に 反 す る 。 ま た 「 四 十 数 軒 の 版 元 の 需 要 に 応 え 」 は 、 写 楽 絵 出 現 直 前 頃 の 事 実 で は な い こ と は 、 第 2 表 で 見 る 批 そ と 、 寛 政 九 年 で も 、 合 計 二 十 四 版 元 で あ る こ と か ら 明 白 で あ る 。 AJ 歌 麿 が 「 天 狗 に な っ て し ま っ た 」 と い う こ と も 、 何 の 証 拠 も 示 さ れ て い な い 。 あ の 「 錦 織 歌 麿 形 新 説 模 様 」 は 寛 政 九 、 十 年 頃 の 作 で あ る 。 一 世 を 風 靡 し て い た 清 長 を も 凌 駕 し た の で あ る か ら 、 歌 麿 が 自 し び 信 を 高 め た こ と は 間 違 い な い が 、 実 力 に 基 づ く 自 信 は 「 天 狗 」 で は な い 。 し J 写 楽 出 現 直 後 の 歌 麿 の 心 理 に つ い て の 記 述 も 、 い か な る 根 拠 資 料 に 基 づ く も の で あ る の か 分 ら な い 。 屋 谷 氏 は 歌 麿 を 、 軽 薄 な 目 先 の 金 銭 関 係 だ け で 動 く オ ッ チ ョ コ チ ョ イ で 、 「 爆 発 的 な 人 気 」 「 版 元 の 獲 得 狂 奔 」 に 「 天 狗 」 に な り 「 蔦 屋 を 離 れ 」 た も の の 、 写 楽 出 現 に 驚 き 、 そ の 実 像 ー ー ・ ・ ・ 谷 氏 に よ る と 京 歌 伝 ー ー ー を 教 え て く れ な か っ た こ と に 「 不 満 」 を 抱 き 「 写 楽 画 の 中 傷 に 奔 っ た 」 と い う 。 谷 氏 の 見 る 歌 章 第 麿 の 人 物 像 は 実 態 か ら 離 れ す ぎ て い る よ う に 思 わ れ る 。 特 に 谷 説 で 注 目 す べ き は 「 歌 麿 の 」 「 作 為 的 な 批 判 に 端 を 発 し た 不 評 が 、 街 に 満 ち た 」 と い う 点 、 す な わ ち 、 写 楽 が 十 カ 月 で 消 え た の は 、 歌 麿 の 「 誹 謗 」 に 端 を 発 し て い る と い う 見 解 で あ る 。

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第 二 章 既 往 の 写 楽 説 私 は さ き に 既 往 の 写 楽 説 を 表 示 し 、 さ ら に そ れ ら を 次 の 三 グ ル ー プ に 分 け た 。 一 、 能 役 者 説 一 「 能 役 者 と 絵 師 以 外 の 説 三 、 絵 師 説 以 下 、 順 次 こ れ ら に つ い て 考 察 し た 上 で 、 私 の 写 楽 = 歌 麿 説 を 詳 述 す る こ と に す る 。 能 役 者 説 『 浮 世 絵 類 考 』 の 記 事 写 楽 が 阿 波 藩 能 役 者 で あ る と の 説 は 、 徳 島 県 出 身 の す ぐ れ た 考 古 学 者 鳥 居 竜 蔵 博 士 や 小 説 家 の 邦 枝 完 二 氏 、 詩 人 で 、 浮 世 絵 に つ い て 数 々 の 著 書 を 刊 行 し て い る 野 口 米 次 郎 氏 ( 彫 刻 家 イ サ ム ・ ノ グ チ の 父 ) 、 小 説 家 松 本 清 張 氏 、 同 今 東 光 氏 等 の 著 名 人 が 唱 え た 。 一 時 は こ れ が 定 説 の 観 が あ っ た 。 そ れ は 何 故 か と い う と 、 『 浮 世 絵 類 考 』 と い う 、 浮 世 絵 師 の 素 性 や 経 歴 、 作 品 等 に つ い て の べ た 書 物 に 次 の よ う に 記 さ れ て い る か ら で あ る 。 「 俗 称 斎 藤 十 郎 兵 衛 、 八 丁 堀 に 住 す 。 阿 州 侯 の 能 役 者 也 」 写 楽 に つ い て 考 察 す る と き 、 信 憑 性 の 高 い 証 拠 資 料 は 何 よ り も 「 東 洲 斎 写 楽 画 」 あ る い は 単 に 「 写 楽 画 」 と い う 落 款 の あ る 一 四 五 点 の 錦 絵 で あ る 。 そ し て そ の 次 に は 『 浮 世 絵 類 考 』 の 記 事 で あ る 。 し か し 『 浮 世 絵 類 考 』 に 記 載 さ れ て い る 記 事 は す べ て 正 し い か と い う と 、 そ う は か ぎ ら な い 。 そ の