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長谷川伸全集〈第16巻〉

伝八恋の引窓二幕四場 〔序幕〕引窓の男 ( 兇事の夜 ) 〔大詰〕第一場一宿の仁義 ( その翌日 ) 第二場恋花の実 ( 揚げ板の下 ) 第三場月明 ( 二人と一人 ) 不鬼飯森芒 権田狩炊 五りキのの 郎の権石伝 の高五せ 分蔵郎ん松八 人農同同子鹿 分の 一虻文 所杢七文卯太 男助六松之郎 女 そ の か

長谷川伸全集〈第10巻〉

お六 ( 安政三年十月生 ) は神田佐柄木町青物屋勅使河原政並木町牧野芳五郎とて長岡家出入の者を尋ねしに、芳五郎 吉の女。政吉はお六、十二歳のとき病死、千葉町に二十五物故し倅秀太郎あり、同家の世話となり五カ年間商法に身 両の前借で茶屋女に行きしが初めで、鴻の巣へ内芸者に来を入れたり。 りしもの。鴻の巣より東京の母の許に帰りしが、藤蔵の身 たまたま藤蔵は稲荷堀にてお六に会えり。お六は大蔵省 を案じ、その真情烈しきもの起りしは、己が為め殺人事出仕、奏任官某の妾にて ( お六は大阪町で芸妓をしているとき 件、家出とまでなりしことへの自責ありてか。 某と知れるなりと ) 某は三重県に参事として赴任中なり。こ 藤蔵は八王子に逃げ小仏峠附近にて旅商人を追剥し ( 或れより両人の会することたびたびとなりたり。 は殺せりという ) 、杉本亀太郎 ( 土佐藩士なりしと称す ) と出 戸部の牢にありし太郎 ( 高知の人 ) と川崎大師参詣の 会い、二、三人の仲間をつくり、相州藤沢辺にて強盗し、途中藤蔵が会いしが因にて、悪事に再び足を入れたり。当 藤蔵は太郎と共に巡邏の西軍兵に捕えられ、横浜に送ら時、お六は某より暇を出され、木更津に出稼ぎして二、三 れくらやみ坂の戸部の牢に投ぜられたり。 度金を藤蔵に送り、藤蔵は四日市士族林某の養子となり、 藤蔵の兄亀三郎は京都にて捕縛され、護送さるる由を戸林藤蔵と称せり。 ときた 部の牢にて知れる藤蔵は、牢名主その他の助力にて脱走せ 京橋弓町六、時田信蔵方時田茂三郎と藤蔵、亀太郎と共 り。この脱走は獄卒もよそながら援助せしが、そは反西軍謀し、明治ロ年十月二十二日 ( 編者註・ロは欠字 ) の夜、 の心ある者 ( 旧幕の系統又は旧幕同情者か ) なればなりとい 王子在田井村豪農木村多十郎方に持兇器強盗をやり一一千円 を奪い、藤蔵は残りて、事件を知らせに出でし若者を斬り 藤蔵は程ヶ谷にて古着屋 ( 鈴木屋利兵衛 ) へ引窓より忍入て逃亡せり。この分配は茂三郎と亀太郎は三百円ずつ、藤 りて衣類を盗み、大磯にて遊興中の西軍の兵の刀を盗み、蔵のみ千四百円をとれり。 三島にて西兵二人手先五名にて亀三郎を護送し来るに会外神田佐久間町十六 ( 外神田佐久間町十六は東京府下第四大 抄 い、引返して箱根山中にて亀三郎を腕力にて奪い、伊豆山区第十一小区と云えり ) に一戸をもちし藤蔵は木更津より前 眼中に逃れ、袂を分ちたり。これより後、亀三郎の消息不借を払いてつれかえりしお六と二人で、小女をつかいて住 てしがわらろく 私明。北海道に拓植して終りしともいう。或は云う、明治八 めり。標札は勅使河原録と掲げ、三重県大参事の妾と称し 年三月まで浅草並木町にありしと。 藤蔵は越後方面を放浪し、明治三年、東京に戻り、浅草第一方面第四分署 ( 後に和泉橋署 ) の浅井兼吉刑事は佐久

長谷川伸全集〈第8巻〉

木村探偵のこの言葉を取次ぐまでもなく、海野、三村両りのことなり」 警部は十八名の巡査を指揮して、危険を顧みない追跡をは大体は、こうであった。 じめた。 巡査の帯剣は、この時から七年の後のことで、六尺棒を 用いたのはこの時より前、それが廃されて、俗にスリコギ 四 ( 擂粉木 ) といった短棒を用いていた時であったので、兇悪 筑摩県警察第一出張所が松本にあった、後世の松本市警人と闘って捕えるとなると心細い、そこで千野部長が武器 のりまさ 察署の実質にあたるものである。千野儀正警察部長は、県又は武器代用物を執れといったのである。出動の三十九名 庁を退出してからここに詰め、浅間の捕り物の報告を待つは順に保管物の中から日本刀をまずとったが、数が足りな そで ていたが、届いたのは失敗の報告であった。 いので全員の半分にもわたらず、致し方なく旧幕時代の袖 とびぐち 千野部長は時を移さず、非番招集を掛けた。 搦みをとり、モジリをとり、鳶ロ、六尺棒などをとった。 浅間から引返して来た十八名と、非番招集の二十一名と浅間に出動した十八名は制服であったが、非番招集の二十 まちまち で、三十九名の巡査は千野部長の激励をうけた。 一名の服装は区々で、筒袖に袴、長袖に襷をかけて袴とい 「二名の兇賊を逸したことは残念至極なり、いかにもしてうは上の部、着流し尻括げすらあった。指揮は海野・三村 ろく 当県の警察力によりて逮捕せざれば、禄を筑摩県に食む警両警部で、二人とも脚絆草鞋がけ、白木綿を制服の上に帯 察官吏の恥となり、嗤いを後世に遺す結果となるべし。我に結び、海野は朱鞘の大刀、三村は黒鞘の大刀を横たえ、 らの被る譏りは忍ぶとするも、当県人民の信用を失うこと必死の形相であった。 明らか、かくては他県より来りとどまる者の軽侮をさえ受捜査は忽ち開始され、道路の検問はもとより、民家に立 くるに至り、警察の威信地に墜ち、礦職とさるるも弁解のち入っての捜査も行われた。これに呼応して起ったのが、 余地なし、よって諸子の奮励を希望す。二兇賊の逮捕につ士族町の住人を最初に、本町その他の平民町の住人で、こ いては司法省よりの依頼、警視庁よりの依頼、並に東京よれらの助力で旧城下町とその近接地域には、志田も大原も り警部以下数名の来着あり、お手並拝見中なることを忘る潜伏していないことが明らかになっただけでなく、松本の るなかれ。諸子は当出張所に保管しある武器又は武器代用西なる川の向うへ行く二人の男が東京弁で二言三言の話 物を執れ、ただし二兇賊を死体とすることは厳禁なり、多をしたということも聞き出した。そこで志田と大原とは浅 ずくかで時間を送り、松本の北 少の負傷をあたうるは已むを得ざれども、あくまでも生捕間の竹の湯から逃げて、い わら がら たすき

いまに生きる古代ギリシア

饗宴を楽しむ男たちとへタイラ ( 遊女 ) たち 第 9 回学問の誕生 133 第は物ノ

世界史の誕生 : モンゴルの発展と伝統

てイスラエル王となり、ペリシテ人を撃破して、南部の二部族と北部の十部族の中間のイ エルサレムに都を定めた。・ダビデ王、の急・子、のゾ・・ロ・モ・・ン・田はト・・・統、一・・・の保証・し、て、イエルサ レムにヤハヴェの大神殿を建設した。 ダビデ王とソロモン王の二代の間は、南部と北部の統一は保たれたが、前九二八年にソ ロモン王が死ぬと同時に、王国は南部と北部の二つに分裂した。南部のユダ王国はダビデ 家に忠実で、ソロモン王の息子のレハべアムを王位につけたが、北部のイスラエル王国に へいりつ は別の王家が興った。二つの王国の並立は二百年続き、前七二〇年になって、イスラエル 王国はアッシリア帝国に滅ばされた。北部の十部族の人々は、帝国の各地に移住させられ、 やがて同化して消滅した。こうしてパレスティナには、イエルサレムのユダ王国だけが残 っ」 0 前六二七年、アッシリア王アッシュルバニバルが死ぬと、アッシリア帝国はたちまち滅 亡した。このすきに、ユダのヨシャ王は、百年間アッシリア領であった北部を奪い返した。 この勝利は、統一の神であるヤハヴェの勝利でもあった。 ヨシャ王は、前六二一年、イエルサレムのヤハヴェ神殿の修復を行った。この修復で、 神殿から「申命記」の写本が発見された。その内容によると、イスラエルの民は、ヤハヴ そむ 工神と契約を結び、ヤハヴェ以外の神々を信仰しないと誓ったのに、契約に背いたので、 ャハヴェはイスラエルに対して怒っており、罰としてイスラエルを滅ばそうとしている、

新潮 2016年07月号

雷鳴の湾ー王女 コラ 1 ジュとサ 1 カス。イマ 1 ジュの饗宴へ トウホルスキー通り ベルリンの樹木は何語で立っているんだろう 光る文字 海に浮かぶテキスト。太陽系ファイル探検史 高田馬場の馬鹿 離婚と震災。それでもポジテイプな俺の諦念 ミライミライ日 北海道産世界音楽「ニップノップ」誕生前夜 TIMELESS ( 四 ) 黎明期の母 ( 六 ) 岩場の上から ( 八 ) ペインレス ( 十五 ) 光の大 ( 十一 ) 荒れ野にて ( 十八 ) 名誉と恍惚 ( 二十一一 ) 第回《新潮新人賞》応募規定 歳の山下スミトは【先生】の演劇で学ぶ ため、北海道に辿り着いた。記憶の痛みに貫か れ、【谷】での時を生き直す渾身の飛翔作ー しんせかい ロロ ロロ 連載完結 0 一六〇枚 金井美恵子 多和田葉子 円城塔 滝ロ悠生 古川日出男 113 辻原 登 朝吹真理子 島田雅彦 26 。 2 「 / -6 里 っ】 9 ノ 8 天童荒太 3 ) っっ 4 松家仁之 圭 334 重松 つつ一 ) 2 松浦寿輝 山下澄人 目次 つ」 3 ) っ】 00 マ / 0 8 つつ 一 ) 9 ノ

木田元の最終講義 : 反哲学としての哲学

159 解説 きようえん いちど歌の饗宴に参加させていただき、先生の元気な歌声をお聞かせ願いたいも のである。 ( 中央大学理工学部教授 )

長谷川伸全集〈第8巻〉

脆くも横倒れになった、その下に燃えあがったばかりの車織を懐中に押込んでいたが、影次郎は羽織を棄てて逃げ廻 ったのだろう。 屋提灯があった。 「横丁へ飛び込むと、目の前を保助め、駈けていやがる、 保助は、声を張りあげ、 「噂に高い、牢破りはこいつだこいつだ。警察の旦那衆はあの時は、君を追っかけていやがったのだな」 いねえか、いねえのなら皆さん、こいつをフン捉まえて警と影次郎が拭いても拭いても出る頸の汗を、手で払っ しいという様子で、 こ。明はそんなことはどうでも、 察の旦那に渡してくれ、俺はもう一人の牢破りをフン捉ま 「あの男はわれわれの敵だね」 える」 と、そこらあたりから駈け集った七、八人の者にいい棄「それは、山王様の境内で喧嘩別れしたのだもの、味方で てにして、にげてゆく志田のうしろ姿が、瀬戸物町の蕎麦はないよ、けれど、さっきみたいなことをしたのでは、自 分だって無事ではいられないぜ、それだのにあいっ・ハ力な 屋の前にみえているのを目指して駈け出した。 影次郎はそのあとで突ッ起ちあがった、体で潰した燃え真似しやがって」 「われわれが憎いのだね」 提灯は消え、残り火がちらちらしているだけである。 「俺が恐くなかったら手出しをしろ、三人も五人も、人を「憎む憎まねえではないよ、・ハ力だよ」 「あいつの考えはあいつの外には判らないね。大原。いや 手にかけて来た因果小僧の六之助とは、俺のこッた」 たんか と聞きおばえの悪党の名と、うまくない啖呵の切り方次郎吉か、これからはあいつに対して非常な覚悟がいる は、ともに寄席でやる人情語の真似だったが、そうとは心ね」 づかない人々は、影次郎が殊更に光らす目と、右手を懐中「どういう覚悟だ」 「あいっとわれわれとは、今後どこかで出会ったが最後、 へ入れて割り前の紙幣へ指をかけたのを、兇器を握ったと 男早合点して、どどッと後へ退いた。と見るや影次郎は、日どうなるか知れない、あいつがわれわれを食うか、われわ 総本橋の方へ逃げるとみせて、瀬戸物町の横丁へ、青くなつれがあいつを食うかでね」 「というと、どっちかが殺されるというのか」 とて逃げ込んだ。 江それから暫くたった後で、明と影次郎とは膏汗で顔を光明は返辞をしない代りに、白い歯をみせて声なく笑っ あらめ 7 らせながら、魚河岸から荒布橋へかかっていた。二人とも いになるような喧嘩別れではね 帽子も袴も棄てたのだろう、無くなっていた。明だけは羽「ご笑談でしよう、殺し合 ) 0

新潮45 2018年10月号

めください」 がらせるには男の強い亠心が不可欠とい しかし結局、その夜は、伊勢国の国守 『伊勢物語』というタイトルのもとになう、恋の法則が詰まっている。 が、勅使 ( 業平 ) の来訪を知ってやって ったと言われるこの六十九段の話には、 同時に、男は「手に人れにくい女」が来て、酒宴となってしまった上、業平は 突殊落ちる恋のスピード感と、それには好きというありきたりの事実を、極端な夜明けに尾張国に出立せねばならなかっ まろうとする女のためらい、恋を燃え上形で物語っている。 たため逢えなくなった。物語は、 ″また逢ふ坂の関はこえなむ〃 ( またお 紀有常 逢いしましよう ) 位 の という男のことばで締めくくられてお 更衣 は り、一一人のその後は読者の想像に任され 性 紀静子 字 数姻 ている。 洋婚子 なんとも情熱的な話で、斎宮を犯すと いう重罪を、ロマンティックなイメージ に塗り変えた戦犯級のと言えるのだ が : : : 実はこの話、女系図的にもきわめ て大きな凜を持つのだ。 不義の子の末裔 史 本 『嵭物語』成立から約百年後の光女中 き 驚 期、八 ( 一〇一一 ) 年五月。 る 病を得て譲位を考えていた一条天皇は、 で 亡き定子皇后所生の第一皐十の敦康親王 図 系 女 を次期東宮にしたいと考えていた。が、 定子やその父道隆も死に、彰子史呂の父 道長が権勢を振るう世になっていたため、 「伊勢物語』による 在原業平密通系図 ⑩桓武 惟喬親王 ( 2 段によると 業平と密通 ) ⑩清和御代斎宮 恬子内親王 ⑩嵯峨ーーーー@仁明ーーー⑩文徳ーーー・⑩清和 ( 四段によると 実父は業平 ) 貞数親王 ⑨平城ーーーー阿保親王 文子 在原業平 高子 藤原良門ーー ( 四代略 ) ーー紫式部 伊都内親王 藤原長良 在原行平 基経ーー ( 三代略 ) ーー道長 女

長谷川伸全集〈第11巻〉

例は、次の如し。 ( 西暦一八七九年 ) 三月三十日にて、場所は同地の中学校講 座敷料 ( 十円 ) 、玉代 ( 三円 ) 、席料 ( 二円 ) 、この席料は寝堂なりし由、そのころより監獄は府知事の管理なりしか 具寝衣などの損料のことなり。以上にて計十五円なれど、 ば、典獄・副典獄・書記・看守長・看守副長は、いずれも この外に飲食代あり、仮にこれを五円とすれば合計二十円府の役人なりしなり。明治十四年に設けられし、府会議員・ となる。別に祝儀を出さざるべからず。 中より選出の常置員 ( 後の委員に相当す ) は、死刑の執行に 飲食物の実費は一円八十銭乃至二円ぐらいなれば、楼主も立会い、食糧検査のため監獄食も食べてみねばならざり は以上の二十円の中より座敷料、席料、飲食物のモドシ ( 台し。 屋よりの ) にて、大体十三、四円の収入となる。玉代三円 北垣国道が府知事となりしは明治十四年にて、在任十余 は折半なれば遊女の収入は一円五十銭なれど、そのうち四年、その間に六角大宮の監獄破りという大事件あり、北垣 十銭又は五十銭は、前借金に入れるので、手取りは一円ぐ はこのために丸太町千本に新たに監獄をつくりしが、ここ らいなり。 にても一群の兇暴囚徒が、放火して逃亡するという大事件 吉原はそのころ切符制度にて、十円の遊びのとき楼主のありたり、そのとき府会議員は祇園の中村楼にて宴会中な 収入は七円五十銭、遊女の収入は二円五十銭なり。そのう りしが、二条の北に火の手あがりしを見て、監獄附近なら ち一円五十銭を前借に入れ、手取り一円なり。 んとて、北垣国道も又一同とともに駈けつけゆく、その途 これを語れる人は、この勘定では遊女はひどいことにな中にて逃亡囚を見かけたるものは、ヒッ捉えることを忘れ っているねと云いしところ、その人の日く、そこは永年こざりしと云う。その中でも兇悪なる一囚人が、ヒッ捉えん とこばな れに似たやり方で来ているので、床花ぐらいは上手に貰っとする府会議員を殴り倒し、着衣と金を奪いて人力車を雇・ てのける女は楽々とやって行き、そうでない女はひどいも 、大津をさして逃げ行くを、中村七三郎府議が捕縛した のでしたと云えり。 るは、そのころ有名なりし。当時の京都府の囚人はすべて かたびん 片鬢を剃り落しありたり。 監獄費が国庫支弁になりしは明治三十四年なりと。 明治の京都監獄 京都府会が初めて召集されて開議したるは、明治十二年