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検索対象: 現代日本の文学 1 二葉亭四迷 樋口一葉 集

現代日本の文学 1 二葉亭四迷 樋口一葉 集から 240件ヒットしました。

現代日本の文学 1 二葉亭四迷 樋口一葉 集


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現代日本の文学 1 二葉亭四迷 樋口一葉 集


う 小 高 き 処 よ り 、 折 ふ し 飛 べ る を 見 し 者 あ り と 伝 え 登 利 の 悩 み な ど に は 気 っ こ う と も し な い か そ こ に も 、 ・ つ わ さ / よ し ぬ 〕 と い う 噂 話 で 結 ば れ て い る 「 に ご り え 」 な ど は 、 こ の 十 二 歳 の 悲 し い 体 験 、 そ れ に 象 徴 さ れ る 母 娘 の 不 け い じ じ よ ・ つ て き ロ マ ン ス そ う い う 形 而 上 的 、 超 現 実 的 、 神 秘 的 な 旧 伝 奇 の 世 界 幸 な 間 柄 が 反 映 し て い る か も 知 れ な い 。 少 な く と も 「 学 構 造 に 連 ら な っ て い る の で は な い か 。 「 に ご り え 」 の 校 に も 通 わ せ ら れ て い る 」 美 登 利 や 、 「 何 が し の 笋 椒 」 よ し み ー し ・ れ に 、 ・ お 力 が 志 向 し て い た の は 、 前 田 愛 氏 ふ う に 言 え ば 、 「 虚 に 入 学 す る 信 如 に は 、 作 者 自 身 の 、 こ の よ う な 挫 折 の の 空 間 」 「 死 者 た ち の 世 界 」 に ほ か な ら な か っ た 。 は わ 返 り と し て の 強 い 進 学 願 望 あ る い は 学 業 継 続 願 望 か 托 さ れ て い よ う 。 則 義 は 、 そ う い う 夏 子 を 隣 ん で 、 十 五 歳 の 夏 、 彼 女 は ぎ を 中 島 歌 子 の 萩 の 舎 塾 に 入 門 さ せ た 。 が 、 塾 の 門 人 に 吏 の 娘 の 夏 子 の 幼 年 時 代 の 樋 口 家 は 、 貧 し く は な か っ た 。 む は 皇 族 ・ 華 族 を は じ め 上 流 の 女 性 が 多 く 、 小 し ろ 内 福 だ っ た 。 夏 子 は 、 当 時 と し て は 珍 し く 、 高 価 夏 子 に は 、 ) し さ さ か 場 違 い の 観 が あ っ た 。 た と え ば 、 で も あ 「 た ミ シ ン を 買 い 与 え ら れ て い た と い う 。 に も 姉 弟 子 で 、 夏 子 が ひ そ か に ラ イ バ ル 視 し て い た 田 辺 ル か か わ ら す 、 数 え 年 十 二 歳 の 暮 、 小 学 校 を 中 途 退 学 す 子 ( 号 は な 圃 、 の ち 三 宅 鼎 の 夫 人 ) は 四 歳 年 上 で 、 る は め に な っ た 。 日 記 の 回 想 に よ れ ば 、 そ れ は 、 女 ( 桜 井 女 学 校 ( 女 子 学 院 ) ・ 明 治 女 学 校 を 経 て 東 京 高 等 学 問 を 長 く 続 け さ せ る の は 将 来 の た め に な ら な い 、 そ 女 学 校 ( お 茶 の 水 ) に 学 び 、 ま た 親 友 伊 東 夏 子 ( の ち れ よ り 裁 経 を 習 わ せ 、 家 事 の 見 習 い な ど を さ せ た ほ う 田 辺 姓 ) は 同 い 年 だ が 、 入 門 の 序 列 か ら 言 え ば 四 年 先 あ ざ ぶ 力 し い と い う 滝 子 の 意 見 に 、 も う 少 し 続 け て 学 校 に 行 輩 で 、 麻 布 英 和 女 学 校 に 学 ん で い た 。 小 学 校 中 退 の 夏 の り ト ・ ー 一 か せ よ う と い う 則 義 が 屈 服 し た た め で 、 板 挾 み に な っ 子 は 、 歯 を 喰 い し ば っ て 読 書 ・ 詠 歌 に 励 み 、 特 に 詠 歌 た 夏 子 は 、 何 も 言 え ず 、 死 ぬ ほ ど 悲 し か っ た が 、 退 学 に お い て は 目 ざ ま し い 進 歩 を 示 し 、 後 に は 塾 の 助 教 を す る こ と に な っ た と い 、 つ 一 葉 の 小 説 の 主 要 人 物 は 、 勤 め 、 家 塾 を 開 い て 歌 文 を 教 授 す る ほ ど に な っ た が 、 ひ し ば し ば 孤 児 か 、 少 な く と も 精 神 的 な 孤 児 で 、 「 た け く 同 門 の 人 々 に 、 常 に 、 ど こ か で 、 何 か し ら の 退 け 目 、 ら べ 」 の 美 登 利 の 母 な ど は 、 姉 娘 に 売 春 さ せ て 生 計 を 少 な く と も 違 和 感 を 覚 え な い わ け に い か な か っ た 。 た て 、 間 も な く 姉 と 同 し 道 に 堕 ち な け れ ば な ら な い 美 彼 女 の 十 六 歳 の 日 記 「 身 の ふ る 衣 」 は 、 晴 れ の 歌 会 に 0 お 470

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し て 来 た ロ シ ア 人 教 師 た ち の 祖 国 の 体 制 へ の 批 判 に 影 ん か 何 ぞ の よ う に 思 っ て い た 。 ( 中 略 ) し か し 友 人 の 響 さ れ 、 そ れ と 二 重 写 し の 形 で 藩 閥 の 専 制 に 反 発 し た 誰 彼 の よ う に 、 今 直 ぐ ル 真 似 は 仕 度 く な い 〕 と い う 「 平 お も か げ か ら で あ り 、 特 に 第 五 に 、 語 学 の 教 科 書 だ っ た ロ シ ア 凡 」 の 主 人 公 に 若 き 日 の 辰 之 助 の 俤 を 見 い だ し て よ い 近 代 小 説 を 通 じ て 「 社 会 現 象 」 に 関 心 を 寄 せ る よ う に と す れ ば 、 そ の よ う に 自 由 党 贔 屓 だ っ た 彼 の 政 治 活 動 な っ た か ら だ ろ う 。 へ の 参 加 に 歯 止 め を か け た の は 、 主 と し て 彼 の 「 文 学 前 の 回 想 に は 、 自 身 の 「 帝 国 主 義 の 熱 」 か ら 「 文 学 熱 」 、 「 文 明 批 評 」 、 さ ら に 「 哲 学 」 へ の 志 向 だ っ た ろ 熱 」 へ の 移 行 に つ い て 、 「 私 の は 、 普 通 の 文 学 者 的 に う 。 彼 は 、 明 治 十 九 年 に 公 に す る は す だ っ た 翻 訳 『 虚 む し か た ぎ 文 学 を 愛 好 し た と い う ん じ ゃ な い 。 寧 ろ ロ シ ア の 文 学 無 党 形 気 』 ( ツ ル ゲ ー ネ フ 作 『 父 と 子 』 ) の 予 告 文 に 「 虚 者 が 取 り 扱 う 問 題 、 即 ち 社 会 現 象 ( 中 略 ) を 文 学 上 か 無 党 と さ え 申 せ ば 何 や ら 踏 薬 臭 い 様 に 思 わ れ ま す が 、 う ん ぬ ん ら 観 察 し 、 解 剖 し 、 予 見 し た り す る の が 非 常 に 趣 味 の 全 く は 勿 々 左 様 な 浅 は か な も の で は な い 云 々 」 と ロ シ あ る こ と と な っ た の で あ る 。 ( 中 略 ) そ の 趣 味 が 思 想 ア 知 識 人 の ニ ヒ リ ズ ム の 「 哲 学 」 的 基 盤 へ の 注 目 を う ソ シ ア リ ズ ム と な 「 て 来 た の が 即 ち 社 会 主 義 で あ る 。 ( 中 略 ) 一 方 な が し 、 「 浮 雲 」 で は 、 「 人 の を 臨 る の が 主 義 は ヤ か し め ず ね さ ら け に お い て 、 人 生 に 対 す る 態 度 、 至 は 人 間 の 運 命 と か で 、 身 を 忘 れ 家 を 忘 れ て 拘 留 の 辱 に 逢 い そ う な 毛 臑 暴 何 と か い う 哲 学 的 趣 味 も 起 っ て 来 た 。 が 、 最 初 の 頃 は 出 し の 政 治 家 も 出 た 〕 と 、 自 由 党 左 派 の 壮 士 を 戯 画 化 純 粋 に 哲 学 的 で は 無 か っ た ー ー 甼 ろ 文 明 批 評 と で も い し て い る 。 同 し こ ろ 、 語 学 校 以 来 の 友 人 の 嵯 峨 の 舎 お む ろ う よ う な も の で 、 そ れ が 一 方 に 在 る 。 そ し て 、 現 世 の 室 に 、 「 僕 は 批 評 家 に な る の だ か ら ( 中 略 ) 真 理 の 何 も 組 織 、 制 度 に 対 し て は 社 会 主 義 が 他 方 に 在 る 〕 と 説 明 の か を 突 止 め 、 人 生 の 真 を 明 ら か に し て 自 分 の 批 評 の さ れ て い る 。 と す れ ば 、 若 い 辰 之 助 は 「 帝 国 主 義 」 か 基 礎 を 築 か な け れ ば な ら な い ( 中 略 ) 僕 は 人 生 の 批 評 、 ら 「 社 会 主 義 」 に 移 っ た 、 あ る い は 「 国 家 問 題 、 政 治 家 、 日 本 国 民 生 活 の 批 評 家 、 ( 中 略 ) 今 迄 の 批 評 家 の 問 題 」 か ら 「 文 学 」 に 移 っ た だ け で な く 、 ロ シ ア 文 学 型 と は 違 う 型 の 批 評 家 に な り た い 」 と も 明 言 し て い る 「 社 会 主 義 」 を 媒 介 と し て 「 文 明 批 評 」 を 、 さ ら に し か し 、 彼 が 卓 抜 し た 語 学 力 を 駆 使 し て ロ シ ア 文 学 「 哲 学 」 を 志 向 し た こ と に な ろ 、 つ 。 「 政 党 で は 自 由 党 を 味 読 し て 得 た も の は 、 「 社 会 主 義 」 「 文 明 批 評 」 「 哲 ひ い き が 大 の 贔 屓 で あ っ た ( 中 略 ) 板 垣 さ ん は 自 分 の 叔 父 さ 学 的 趣 味 」 だ け で は な か っ た 。 彼 は 、 も と も と そ う い

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~ 彡 髟 を 冖 フ 彡 ー は い い 川 Ⅲ Ⅲ リ 物 リ 川 " 明 鸞 川 Ⅲ 山 嬲 : ド 皿 体 操 伝 習 所 ' Ⅲ 町 " 川 物 い i 端 品 : , ド " " , Ⅲ 衂 川 間 川 川 い 邯 れ 0 ・ " Ⅲ 川 山 凵 第 物 Ⅲ 第 .. , い Ⅲ 川 第 今 路 表 神 保 町 小 石 川 植 物 園 共 立 0 現 ・ 学 士 会 館 東 大 学 東 京 外 国 語 学 校 ロ ロ 東 京 大 学 博 物 場 御 0 0 区 0 上 四 迷 は 明 治 11 年 開 校 し た 陸 軍 士 官 学 校 を 三 度 受 験 し た が 、 い ず れ も 強 度 の 近 視 の た め 不 合 格 に な っ た 。 写 真 は 当 時 の 陸 軍 士 ス サ 碑 ) 。 。 こ ロ ' 第 川 靨 官 学 校 ( 現 在 は 東 京 ・ 市 ヶ 谷 の 自 衛 隊 ) ロ 区 御 陸 軍 病 馬 厩 右 江 戸 市 ヶ 谷 合 羽 坂 ・ 尾 張 上 屋 敷 四 迷 門 は 元 治 元 年 ( 1864 ) 2 月 に こ で 生 ま れ た 二 葉 亭 四 迷 は 明 治 14 年 東 京 外 国 語 学 校 露 語 科 に 入 学 。 当 時 の 外 語 付 近 の 地 図 。 町 - を を 物 編 第 ・ 一 川 聞 Ⅲ Ⅲ 川 町 ツ 2 雉 子 橋 0 錦 町 ロ ロ や 対 四 ナ ) た す 真 よ 男 か に つ 迷 て こ 信 る 情 一 な す 明 で 左 ど が さ た い 明 ど ら っ い 噂 る 治 か 葉 た 治 と 場 を 葉 あ 官 と で っ ク ) し ) が で 話 二 考 あ 思 、 合 打 し よ り て ・ ん ・ そ と っ 職 流 告 こ 四 れ 葉 源 た 横 っ あ い が ち て . ろ っ の ん つ の プ し わ し 迷 四 あ 之 っ た た あ 山 れ 力 、 た っ 。 た た 手 年 も と す か な ら 四 の 源 つ け 助 伝 た 0 よ 0 だ 之 り 紙 を す る ど の ど た た を 月 相 警 め か 下 は 初 ろ 助 し ま 人 ら ノ 韭 衛 だ ら ら 層 た 手 の 、 夏 0 て 貰 た っ が 社 、 交 は ふ 許 と 、 い す わ 思 た 葉 会 下 遊 し 神 。 葉 た 藤 与 た 男 る 0 っ 山 こ 層 り 緑 一 め 田 と 遣 ぎ り は か は 、 社 続 て 錦 ら 、 斎 た 源 ら 四 を 雨 ぅ 葉 れ 0 ょ ム け 横 町 ら 之 ま 藤 な 迷 い 自 か は ろ し 助 に ら 山 の 分 ん と 出 れ 源 今 の 横 自 な 、 雨 が い は あ 暗 っ 入 た 之 井 葉 理 山 分 か ・ つ わ 、 葉 助 館 て 上 : ら の し を 解 源 て 星 の 葉 引 者 之 作 も 眉 び を の と を 0 い 山 え 文 れ 買 と か 背 は き ロ ロ の た と 壇 が 女 あ 問 な 負 を つ 。 の 人 葉 あ 遊 見 カ っ 頼 編 り を 下 芽 っ ′ つ 当 宿 み 纂 ぶ る び せ た た つ し 、 19 ー 0 し 、 や ・ ら た へ ん さ ん

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下 東 京 外 国 語 学 校 正 面 玄 関 に て 教 前 よ り 2 列 目 右 か ら 一 え 子 と と も に ( 明 治 34 年 こ ろ ) 4 人 目 が 四 迷 き 。 イ 第 上 明 治 三 十 二 年 四 迷 は 母 校 東 京 外 国 語 学 校 の 教 授 に な っ た 。 明 治 三 十 四 年 三 月 二 十 三 日 職 務 勉 励 に つ き 四 十 八 円 を 支 給 さ れ た 。 写 真 は 同 僚 の 教 官 と 四 迷 ( 左 端 ) ( 明 治 三 十 四 年 ) と し て 、 明 治 十 四 年 、 い わ ゆ る 四 浪 で 東 京 外 国 語 学 校 ( 現 在 は 大 学 ) 露 語 科 に 入 学 し た 。 右 の 回 想 に は 、 「 い か ん わ い 。 」 に 続 け て 、 「 そ れ に は ロ シ ア 語 が 一 番 に 必 か ん え 要 だ 。 と 、 ま あ 、 こ ん な 考 か ら し て ( 中 略 ) 露 語 科 に 入 学 す る こ と と な っ た 〕 と あ る 。 明 治 十 二 年 に 入 塾 し せ い び : う た 漢 学 塾 済 美 黌 時 代 の 友 人 西 源 四 郎 に 、 当 年 の 辰 之 助 は 、 「 君 は 支 那 公 使 た れ 、 我 は 露 国 公 使 た ら ん 」 と 、 そ の 抱 負 を 語 0 た と 、 後 の 友 人 田 は 伝 え て い る 。 「 懺 海 」 に よ れ ば 、 そ の こ ろ ま で の 彼 は 、 こ の よ う な イ ン べ リ ア リ ズ ム 「 一 種 の 帝 国 主 義 に 浮 か さ れ て 」 い た 四 こ の よ う な 「 帝 国 主 義 」 な い し 国 権 主 義 者 だ っ た 彼 ソ シ ア リ ズ ム が 「 社 会 主 義 」 ( 一 種 の 民 権 主 義 ・ 自 由 主 義 な い し 平 民 主 義 ) に 転 し て 行 っ た の は 、 第 一 に 、 明 治 初 年 代 の 、 た と え ば 西 郷 隆 盛 と と も に 下 野 し た 板 域 週 跡 ら の 反 政 府 的 な 国 権 論 が 民 権 論 と み 合 っ て い た か ら で あ り 、 第 二 に 、 西 南 の を 境 と し て 不 平 士 族 の 反 政 府 運 動 が 封 建 復 帰 を 目 ざ し た 武 力 闘 争 か ら 自 由 民 権 を 合 い 言 葉 と す る 言 論 闘 争 へ と 切 り か え ら れ た か ら で あ り 、 第 三 に 、 済 美 黌 で 当 時 塾 生 だ 「 た 沁 描 殿 の 影 響 を 受 け た か ら で あ り 、 第 四 に 、 外 国 語 学 校 で 、 帝 政 ロ シ ア か ら 亡 命 455

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せ は 徒 食 し て い た 。 に あ っ た 。 三 郎 は 、 父 母 が 出 府 し た 折 に 世 話 に な っ た 郷 党 の 真 下 専 し よ う ふ く 明 治 十 三 年 ( 一 八 八 〇 ) 八 歳 之 丞 の 妾 腹 の 孫 で あ り 、 東 京 専 門 学 校 ( 現 在 の 早 大 ) で 法 律 を 学 ん 父 則 義 は 動 め の か た わ ら 、 闇 金 融 や 土 地 家 屋 の 売 買 に 力 を 入 れ て 利 で い た 。 潤 を は か っ て い た 。 明 治 十 九 年 ( 一 八 八 六 ) 十 四 歳 明 治 十 四 年 ( 一 八 八 一 ) 九 歳 八 月 二 十 日 、 則 義 の 知 人 で 医 師 の 遠 田 澄 庵 の 紹 介 で 中 島 歌 子 の 萩 の 三 月 、 則 義 は 警 視 庁 警 視 属 に な っ た 。 五 月 、 戸 籍 面 仙 太 郎 を 泉 太 郎 舎 に 入 塾 。 和 歌 、 習 字 、 日 本 文 学 の 古 典 を 学 ぶ こ と に な っ た 。 萩 の に 改 め た 。 七 月 、 下 谷 御 徒 町 一 丁 目 十 四 番 地 に 転 居 。 虎 之 助 が 不 良 舎 は 民 間 歌 塾 の な か で 多 く 貴 族 ・ 上 流 生 活 者 の 子 女 を あ つ め て 著 名 ル 年 の 群 れ に は い り 、 家 財 を 入 質 し た り す る の で 、 則 義 は 樋 口 家 の だ っ た 。 場 所 は 小 石 川 水 道 町 十 四 番 地 、 安 藤 坂 に あ っ た 。 歌 子 は 水 将 来 を 考 え て 分 籍 。 虎 之 助 は 久 保 木 家 に 同 居 。 十 月 、 下 谷 御 徒 町 一 一 一 戸 の 志 士 林 忠 左 衛 門 の 未 亡 人 で 、 中 年 に な っ て か ら 加 藤 千 浪 に 入 門 つ ば ら 丁 目 三 十 三 番 地 に 転 居 。 十 一 月 、 な っ は 山 本 正 義 が 校 主 で 元 黒 門 町 し た 。 伊 東 祐 命 、 小 出 粲 な ど が 顧 問 格 で あ っ た 。 例 会 は 毎 月 九 日 で に あ っ た 私 立 青 海 学 校 に 転 入 学 。 毎 週 土 曜 日 が 稽 古 日 で あ っ た 。 同 門 に は 、 乙 骨 牧 子 、 田 辺 花 、 伊 明 治 十 五 年 ( 一 八 八 一 l) 十 歳 東 夏 子 な ど の 才 媛 が い た 。 十 一 一 月 、 く に は 敬 愛 学 舎 別 科 に 入 学 、 主 一 一 月 、 虎 之 助 は 陶 工 成 瀬 誠 至 の 徒 弟 に な っ た 。 十 一 月 、 な っ は 青 海 と し て 和 洋 裁 を 習 っ た 。 学 校 小 学 一 級 前 期 を 卒 業 。 明 治 ニ 十 年 ( 一 八 八 七 ) 十 五 歳 明 治 十 六 年 ( 一 八 八 = l) 十 一 歳 一 月 十 五 日 か ら 、 な っ は 最 初 の 日 記 と 見 ら れ て い る 「 身 の ふ る 衣 五 月 、 な っ は 青 海 学 校 小 学 中 等 科 第 一 級 を 五 番 で 卒 業 。 八 月 、 泉 太 ま き の い ち 」 を つ け は じ め た 。 関 西 方 面 で ひ と 旗 あ げ よ う と し た 泉 郎 は 濠 西 精 舎 退 塾 。 十 二 月 一 一 十 三 日 、 な っ は 青 海 学 校 小 学 高 等 科 第 太 郎 が 志 を 得 ず に 月 末 帰 京 。 六 月 、 則 義 は 警 視 庁 を 退 職 。 泉 太 郎 は 四 級 を 首 席 で 卒 業 、 第 三 級 に す す ま ず 退 学 。 こ の 月 、 泉 太 郎 が 家 督 大 蔵 省 出 納 局 配 賦 課 雇 に な っ た 。 則 義 と 同 郷 の 親 友 上 野 兵 蔵 が 斡 旋 を 相 続 し た 。 し た 結 果 で あ る 。 十 一 月 、 病 気 の た め 泉 太 郎 は 大 蔵 省 雇 を 退 職 。 十 明 治 十 七 年 ( 一 八 八 四 ) 十 二 歳 二 月 一 一 十 七 日 、 泉 太 郎 は 肺 結 核 で 死 亡 し た ( 一 一 十 四 歳 ) 。 一 月 か ら 、 な っ は 短 期 間 、 京 橋 区 新 湊 町 に 住 む 和 田 重 雄 か ら 和 歌 の 明 治 ニ 十 一 年 ( 一 八 八 八 ) 十 六 歳 し し よ ′ 譜 通 信 教 授 を 受 け た 。 重 雄 は 父 則 義 の 知 人 で 、 も と 芝 大 神 宮 の 祠 掌 だ 一 一 月 一 一 十 二 日 、 な つ が 泉 太 郎 の 後 を 相 続 し た 。 姉 ふ じ が 久 保 木 長 十 っ た 。 こ の 月 、 泉 太 郎 は 熱 海 へ 病 気 療 養 に 出 掛 け た 。 十 月 、 下 谷 区 郎 と 再 婚 し 、 次 兄 虎 之 助 が 不 良 少 年 の こ ろ 、 分 家 さ せ ら れ て い た た め で あ る 。 こ の 頃 、 虎 之 助 は 芝 新 網 町 北 一 番 地 に 住 ん で い た 。 成 瀬 年 西 黒 門 町 一 一 十 二 番 地 に 移 転 し た ・ か ま よ 明 治 十 八 年 ( 一 八 八 五 ) 十 三 歳 誠 至 の 窯 場 が 芝 山 内 の 丸 山 に あ っ た か ら で あ る 。 五 月 、 老 齢 に な っ 恥 一 一 月 、 泉 太 郎 は 明 治 法 律 学 校 ( 明 治 大 学 の 前 身 ) に 入 学 。 こ の 年 、 て 、 泉 太 郎 を う し な っ た 則 義 一 家 は 、 虎 之 助 の 近 く の 芝 高 輪 北 町 十 な っ は 裁 縫 の 稽 古 に 通 っ て い た 松 永 政 愛 の 妻 の と こ ろ で 、 渋 谷 一 一 一 郎 九 番 地 に 転 居 し た 。 家 主 は 愛 宕 神 社 の 宮 司 松 岡 徳 善 で あ っ た 。 徳 善 あ た 」

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芳 堂 学 学 二 ロ 京 二 葉 亭 四 迷 に 一 葉 は 会 わ す し ま い に な っ て し ま っ こ の 文 学 紀 行 の 根 幹 に 「 浮 雲 」 を 据 え 、 そ こ へ 二 葉 亭 四 迷 の 生 き 方 を 枝 葉 に つ け て み よ う と い う こ と で 、 編 集 担 当 者 と の 打 ち あ わ せ が 終 わ っ た 。 う ん す い 雲 水 に 似 た 生 陛 一 葉 の 紀 行 が 「 ゆ く 雲 」 な の で 、 語 呂 あ わ せ に 二 葉 亭 四 迷 の 「 浮 雲 」 を 選 ん だ の で は な か っ た 。 こ の 未 完 だ が 、 近 代 日 本 の 小 説 の 誕 生 を う ら な う 「 浮 雲 」 は 、 い 、 つ ま で も な い こ と だ か 重 い 作 品 の ひ と つ で あ る 。 数 え で 二 十 三 歳 の 内 海 文 三 は 「 浮 雲 」 の 主 人 公 だ が 、 つ ば う ち し さ フ よ う 坪 内 逍 遙 の す す め で 、 明 治 十 九 年 の 夏 か ら 「 浮 雲 」 , 取 り か か っ た 二 葉 亭 四 迷 も 、 数 え で 二 十 三 歳 で あ っ た 。 余 計 者 意 識 に さ い な ま れ る 内 海 文 三 は 作 者 の 分 身 と も 思 わ れ る 。 長 谷 川 辰 之 助 が 、 本 名 を 棄 て て 、 こ の 「 浮 じ ち ょ う 雲 」 に 、 く た ば っ て し ま え と い う 自 嘲 か ら 、 二 葉 亭 四 迷 の ペ ン ・ ネ ー ム を 用 意 し た 。 日 本 の 純 文 学 は 、 生 ま れ て 来 て 、 済 み ま せ ん で し た と い う 余 計 者 意 識 か ら 出 発 し 、 そ の 無 力 感 に す が っ て 、 生 き な が ら え て き た 。

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三 崎 町 で 松 濤 軒 と い う 葉 茶 屋 を 経 営 し て い た 桃 水 を 訪 問 し 、 旧 交 を り 、 月 二 円 の 手 当 を 支 給 さ れ る こ と に な っ た 。 六 月 、 蓮 門 教 の 行 者 復 し た 。 一 一 十 二 の 宮 人 丸 を 訪 ね て 、 そ の 俗 人 振 り に 失 望 す る 。 ま た 、 久 佐 賀 明 治 ニ 十 六 年 ( 一 八 九 = D 一 一 十 一 歳 義 孝 か ら 物 質 的 な 援 助 と 交 換 に 妾 に な れ と い わ れ て 拒 絶 し た 。 七 一 一 月 、 「 暁 月 夜 」 を 「 都 の 花 」 に 発 表 。 三 月 、 「 雪 の 日 」 を 「 文 学 月 、 「 暗 夜 」 を 「 文 学 界 」 ( 七 月 ・ 九 月 ・ 十 一 月 ) に 発 表 。 八 月 頃 、 」 く ・ は く 界 」 に 発 表 。 「 文 学 界 」 も 花 圃 の 世 話 で あ っ た が 、 同 人 の 平 田 禿 木 は じ め て 島 崎 藤 村 が 訪 ね た 。 九 月 、 村 上 浪 六 に 借 金 を 申 し 込 む が 、 が あ ら わ れ て 「 文 学 界 」 と 直 接 つ な が る こ と が で き た 。 「 都 の 花 」 実 現 さ れ な か っ た 。 十 二 月 、 「 大 つ ご も り 」 を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 は 百 六 号 で 終 刊 に な っ た 。 「 文 学 界 」 は 同 人 の 星 野 天 知 が 経 営 に あ 久 佐 賀 義 孝 に 千 円 の 借 金 を 申 し 込 み 、 身 を ま か せ る な ら 、 毎 月 の 生 た り 、 北 村 透 谷 、 島 崎 藤 村 、 平 田 禿 木 、 馬 場 孤 蝶 な ど が 同 人 に 名 を 活 費 ( 十 五 円 ) を だ す と 言 わ れ て 拒 絶 し た 。 つ ら ね た 、 清 新 な 文 芸 雑 誌 で あ っ た が 、 半 同 人 、 半 営 業 的 だ っ た の 明 治 ニ 十 八 年 ( 一 八 九 五 ) 二 十 三 歳 で 、 原 稿 料 は 薄 謝 に 近 い も の だ っ た 。 七 月 、 精 神 的 に も 物 質 的 に も 一 月 、 「 た け く ら ・ ヘ 」 を 「 文 学 界 」 ( 一 &lll) に 発 表 。 二 月 、 「 た け 行 き づ ま り を 感 じ 、 生 活 建 て な お し の 打 開 策 と し て 、 商 売 を は じ め く ら べ 」 ( 四 ~ 六 ) を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 三 月 、 博 文 館 主 大 橋 佐 平 む こ る こ と に な り 、 敷 金 三 円 、 家 賃 一 円 五 十 銭 の 下 谷 区 龍 泉 寺 町 三 百 六 の 娘 と き の 婿 で 編 集 局 長 格 の 大 橋 乙 羽 か ら 手 紙 で 「 文 藝 倶 楽 部 」 に け ん ゅ う し ゃ 十 八 番 地 の 長 屋 へ 引 越 し た 。 こ こ は 俗 称 大 音 寺 前 と い う 土 地 で 、 吉 寄 稿 を も と め て き た 。 乙 羽 は 硯 友 社 系 の 作 家 で あ っ た 。 「 た け く ら 原 の 近 く に あ っ た 。 八 月 五 日 、 荒 物 、 駄 菓 子 な ど の 小 店 を 開 い た 。 べ 」 ( 七 ~ 八 ) を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 四 月 、 「 軒 も る 月 」 を 「 毎 日 新 な っ は 主 と し て 店 に 入 れ る 品 物 の 買 出 し に あ た り 、 く に は 店 番 を し 聞 」 に 発 表 。 安 井 て つ 子 入 門 。 そ れ ま で 野 々 宮 菊 子 が 知 り あ い の 女 た 。 十 二 月 、 「 琴 の 音 」 を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 友 達 を 世 話 し て 弟 子 に お く り 込 ん で い た が 、 て つ 子 も そ の ひ と り で 明 治 ニ 十 七 年 ( 一 八 九 四 ) 二 十 一 一 歳 あ る 。 乙 羽 が は じ め て 訪 ね て き た 。 五 月 、 「 ゆ く 雲 」 を 「 太 陽 」 に 一 月 、 星 野 天 知 が は じ め て 訪 ね て き た 。 一 一 月 、 易 者 で 観 相 家 の 久 佐 発 表 。 上 田 敏 や 、 川 上 眉 山 が 訪 ね て き た 。 六 月 、 「 経 づ く え 」 に 手 賀 義 孝 を 天 啓 顕 真 術 会 本 部 に 訪 ね 、 女 相 場 師 に な り た い と 相 談 を 持 を 入 れ て 「 文 藝 供 楽 部 」 に 再 発 表 し た 。 八 月 、 「 う っ せ み 」 を 「 読 ち か け 、 資 金 の 借 り 入 れ を 申 し 込 み 、 こ れ を 機 会 に 交 際 す る よ う に 売 新 聞 」 に 発 表 。 「 た け く ら べ 」 ( 九 ~ 十 ) を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 九 な っ た 。 「 花 ご も り 」 を 「 文 学 界 」 ( 一 一 月 ・ 四 月 ) に 発 表 。 三 月 、 従 月 、 馬 場 孤 蝶 が 彦 根 中 学 校 の 英 語 教 師 と し て 赴 任 し た 。 随 筆 「 そ ゞ 譜 妹 樋 口 く ら が 大 藤 村 か ら 上 京 。 「 文 学 界 」 の 同 人 馬 場 孤 蝶 が 原 稿 の ろ ご と 」 ( 「 雨 の 夜 」 「 月 の 夜 」 ) を 「 読 売 新 聞 」 に 発 表 。 「 に ご り え 」 催 促 で は じ め て 訪 問 、 生 涯 の 知 己 に な っ た 。 四 月 、 生 活 の た め の 原 を 「 文 藝 倶 楽 部 」 に 発 表 。 田 岡 嶺 雲 な ど が 絶 讃 し た 。 「 読 売 新 聞 」 年 稿 は 書 か ぬ と 決 め て 商 人 に な っ た な っ は 、 ま た 、 文 筆 専 業 へ 戻 ろ う 記 者 関 如 来 が は じ め て 訪 問 。 十 月 、 「 そ ゞ ろ ご と 」 ( 「 雁 が ね 」 「 虫 の と し て 桃 水 を 訪 ね 、 助 力 を 乞 う た 6 五 月 、 本 郷 区 丸 山 福 山 町 四 番 地 音 」 ) を 「 読 売 新 聞 」 に 発 表 。 十 一 月 、 「 た け く ら べ 」 ( 十 一 ~ 十 一 I) に 転 居 。 家 賃 月 三 円 。 こ の あ た り は 新 開 地 で 、 銘 酒 屋 が 多 く 立 ち な を 「 文 学 界 」 に 発 表 。 十 二 月 、 「 十 = 一 夜 」 と 旧 作 「 や み 夜 」 を 同 時 ら ん で い た 。 花 圃 が 歌 塾 を 開 く こ と に 刺 激 さ れ 、 萩 の 舎 の 助 教 に な に 「 文 藝 倶 楽 部 ・ 臨 時 増 刊 閨 秀 小 説 」 に 発 表 。 「 た け く ら べ 」 ( 十 三 め か け

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あ 日 こ つ あ か 候 望 日 に 1 を と で し 兆 絶 居 5 年 葉 時 患 し Ⅱ 終 旧 年 3 一 盛 せ 疾 と 年 を 館 の 約 は 全 は 部 核 四 生 念 地 治 の 間 る を 胸 結 治 一 記 番 明 で 年 あ 声 め 肺 明 の 葉 当 4 は ま 3 栄 名 た て に そ 一 町 葉 ぬ の 光 も の が 時 で 立 山 一 死 こ て に 労 や 、 さ 区 イ 福 ら 。 し 的 過 、 け 若 東 山 碑 か た と 壇 る れ 受 の 台 丸 の て し 者 文 な わ を 歳 区 葉 し 暮 学 。 重 ら 告 郷 一 越 で 文 た 、 あ 宣 年 本 る に こ て っ し が の 行 「 上 野 の 岡 は さ か り 過 ぬ と か 聞 つ れ ど 、 花 は 盛 り に 月 は く ま な き の み る も の か は 。 」 ( 「 若 葉 か げ 」 ) 写 真 は 上 野 公 園 で 人 力 車 に 乗 っ て 桜 見 物 を す る 明 治 の 女

現代日本の文学 1 二葉亭四迷 樋口一葉 集


写 真 協 力 = 日 本 近 代 文 学 館 、 台 東 区 立 一 葉 記 念 館 、 甲 府 図 書 館 、 長 谷 川 健 三 氏 、 田 中 幸 男 氏 及 び 和 田 芳 恵 氏 の 全 面 的 な ご 協 力 を 得 ま し た こ と を 心 か ら 感 謝 い た し ま す 。 な お 写 真 著 作 権 は 極 力 調 査 い た し ま し た 。 日 軋 叫 0 上 樋 口 一 葉 肖 像 の 文 化 切 手 ( 昭 和 26 年 4 月 10 日 発 行 ) 右 鏑 木 清 方 画 「 樋 口 一 葉 」 と し て 物 思 い の な い 」 虚 無 へ の 転 落 を 願 望 し て い た ニ 部 ヒ リ ス ト 葉 、 し か も 、 潜 在 的 に は 「 女 で あ る こ と 」 を 願 望 し て い た 一 葉 に は 、 自 分 の 小 説 が 文 芸 と し て 好 評 で あ る こ と は 、 は と ん ど 何 の 満 足 も 与 え な か っ た ら し い 。 「 一 二 人 冗 語 」 の 評 に 妾 し た 葉 は 、 日 己 に 、 「 今 清 少 よ む ら さ き よ と 、 は や し 立 る 。 誠 は 、 い な し の 、 い か な る 底 お な ご ば か り 意 あ り て と も し ら す 。 我 れ を た だ 女 子 と 斗 見 る よ り の そ の う ん れ ん す さ び 。 さ れ ば 其 評 の と り 所 な き こ と 云 々 」 と 記 し て い る 。 露 伴 ・ 緑 雨 ・ 鵰 外 以 下 、 満 天 下 の 作 家 ・ 批 評 家 こ つ ば い み じ ん ・ 読 者 、 こ と ご と く 骨 灰 微 塵 だ 。 少 な く と も こ れ ら の 記 事 か ら 、 夏 子 か 、 「 女 で あ る こ と 」 を 嘆 き な か ら 、 同 時 に 、 「 女 で あ る こ と 」 「 女 と し て 扱 わ れ る こ と 」 を 念 じ て い た こ と が 察 知 さ れ よ う そ の こ ろ 、 一 葉 は す で に 胸 の 病 に 冒 さ れ 、 同 し 年 の 十 一 月 二 十 三 日 に 、 そ の 短 い 生 涯 を 閉 じ た 。 生 前 通 い な れ た 質 屋 が 、 新 聞 で 死 亡 の 記 事 を 見 、 「 そ ん な に 偉 こ う て ん い 方 と は ち っ と も 存 じ ま せ ん で 」 と 言 っ て 、 香 典 を 届 け に 来 た 。 鵰 外 は 軍 装 し て 騎 馬 で 葬 列 に 従 い た い と 遺 族 に 申 し 入 れ た が 、 邦 子 は 「 そ ん な 晴 れ が ま し い こ と は 」 と 断 わ っ た 。 邦 子 の 謝 絶 に 葉 の 遺 志 が 直 接 働 し て い た わ け で は な か っ た ろ 、 つ が 、 そ れ は 、 は か ら す も 夏 子 Ⅱ 一 葉 の 生 ・ 文 学 の 主 体 的 な 孤 絶 を 象 徴 す る ひ と つ の 挿 話 た り 得 て い る よ う だ 。