検索 - みる会図書館

全データから 29451件見つかりました。
世界 2016年08月号

条文はそのままでも時代とともにその意味内容は変化する。 憲法が変化するとはどういうことか それは一体どういうことなのか。若干の整理が必要である。 ■憲法解釈による憲法の変化 既に確認したように、憲法の解釈とは、憲法典に基づいて 安倍内閣による憲法解釈の変更によって憲法が変更されて 具体的状況における憲法の規範的意味を明らかにする作業で しまったという嘆きの声が聞こえてくる。しかし、はたして ある。もちろん憲法典には、その制定当時予見されえた具体 そうなのか。この問題を検討する前に、まず、憲法が変化す 的状況を念頭に必要な条文が整備される。そして、予見され るとはどういうことなのかを考えてみよう。 たとおりの具体的状況が生じたときには、用意された条文を 憲法が変化するといっても、憲法が勝手に変わることはな適用して問題を解決することが期待されている。しかし、憲 。憲法は人がそれを変更することによって変わる。憲法を法典の中に予めあらゆる問題に対する答えが用意されている 変更する方法の一つは憲法改正である。憲法改正とは、憲法 わけではない。制憲者が将来の事態を予見し尽くすことは不 自身の定める手続に則って憲法の全部または一部を改めるこ 可能である。それ故、想定外の新たな事態が生じたとき、特 とである。日本国憲法の場合は、その九六条に定めるとおり、 定の具体的状況を念頭に置いて定められた憲法の条項に基づ 衆参各議院の総議員の三分の一一以上の賛成で国会が改正案を いて裁判官や立法者がその新たな事態を適切に処理すること ができるかどうかが問われることになる。その際、裁判官や 発議し、国民投票にかけて国民の過半数の承認を得ることで 憲法改正が成立する仕組みとなっている。一般に、憲法改正 立法者にとって重要なことは、当該条項が何を意図したもの には法理的限界があるとされるが、その限界内であれば憲法 か、その制定の趣旨・目的は何かを見極めることである。そ の趣旨・目的に反しない限り、当該条項を新たな事態ーー・た は自由に改正することが可能である。たとえば、国民主権と 人権保障の基本原則を覆すような改正は許されない。平和主 とえそれが憲法制定当時全く予見されていないものであった としてもーーに適用して問題を処理することには何の問題も 義についても同様である。しかし、平和主義の原則を維持し ない。そのようにして憲法を変転する社会の状況に合わせて つつ九条一一項をより明確な規定に改めることは可能であると か の 解される。いずれにしても、憲法改正によって憲法の規定は 解釈・運用していくこと、それに伴って憲法の意味が具体化 た され、明確化され、より充実したものになっていくことは当 わ一新され、その内容は明らかに変化する。 然の前提となっており、そのことは憲法に限らず法一般の特 はでは、憲法が改正されない限り憲法は変化しないのか。た 憲しかに、改正がなければ憲法の条文に変化はない。しかし、 性ともいえる。この意味において憲法は明らかに変化する。 皿

正義の偽装

課しています。これを「硬性憲法」といいますが、憲法が「硬性」である理由は、それ がその国の根本的な性格にかかわるからです。 日本国憲法もむろん「硬性憲法」です。「コチコチ」過ぎるぐらいです。そして、そ れは、その根本的な柱である「国民主権ー「基本的人権の尊重」「平和主義」の三原則を 簡単に変えるわけにはいかない、とされているからです。 憲法学者からすれば、この三原則は憲法の根底にあるもので、それを変えることはそ もそもの憲法というものの性格に反する、という。だから、仮に憲法改正があったとし ても、この三原則に手をつけてはならない、という。 じっさい、ある憲法学者はこのようなことをいっていました。私は、この主張を読ん だとき、おもわず噴き出してしまいました。 いうまでもありません。もしも、憲法がその本性上、根幹部分を変えることができな いのだとすれば、戦後憲法が明治憲法の改正だという事実をどのように理解するのでし よつ、刀 ここではふたつの立場しかありません。ひとつは、あれは形式上明治憲法の改正の体 裁をとっているが、実際にはまったく新たな憲法である、とする。とすれば、どうして

正義の偽装

の国の歴史のなかからたちあらわれてくる価値観とそれに基礎をもっ統治の基本構造を 述べたものです。これを「近代憲法」に対して「歴史的憲法」とでも呼んでおけば、歴 史の断絶を経験していない国にとっての憲法とは、何よりもこの「歴史的憲法」という ほかないのではないでしようか。 「国体 , の軸 考えてみれば、戦後憲法を、明治憲法の改正でやろうとしたその意図には、憲法の内 合 に容はともかく、決定的に重要なことがあったのです。それを当時の人は「国体の護持」 のつまり天皇制度の存続とみた。確かに天皇は主権者から象徴へ転換したとしても、ここ 本でイギリスと同様の立憲君主制は維持された、と見るべきなのです。 は ということは、近代憲法についてまわるあのプ盾、「自分の顔を自分でなぐる」とい 法 憲ったような構造が、ここでは回避されているのです。 成 日本の場合、明治憲法の改正にとどめたために、憲法の正当性はむしろわかりやすい 五のです。それは、この大典を天皇が発布したからにほかなりません。人民が自分で主権 者になっておいて、自分の正当化を憲法で行い、憲法の正当性を自分に帰する、という 109

正義の偽装

せん。私もそんなに「コチコチ」ではありません。いや、それはそれでいいのです。福 田さんのように「憲法無視論者」でもよい。だけれど本当に気になるのは、そういうこ とではない。根本的といえばもっと根本的なことであり、深刻といえばもっと深刻なこ となのです。 それはそもそも「われわれ」にとって「憲法」とは何か、ということなのです。じっ さい、以前に「民主主義という概念が私にはよくわからない」と書きました。だがもっ とわかりにくいのが「憲法」なのです。正直にいえば、私には、憲法とは何か、もうひ とつよくわからないのです。 時々、大学の一回生に向けた講義で、「君たちは憲法、憲法というけれど、憲法とは 何か、わかっているのかね。実は、私にはさつばりわからない」などといったりします。 みんな「この先生、何をいっているのーという顔をしています。時には、親切な学生も いて、「僕はよくわかっています。日本国憲法は三回ぐらいは読みました。前文は全部 おぼえています」などという者もでてきます。 もちろん、そんなことではありません。百回読んでも同じことです。たとえ一万回読 んでも私は日本国憲法がわかった気にはなりません。それは「われわれ」にとって「憲

物語ビルマの歴史 : 王朝時代から現代まで

ゥー・ソオの裏切りを伝えた。事実を知った英政府は激怒し、ビルマへの帰国途上にあったウ ー・ソオをパレスティナのティベリアスで飛行機から降ろして拘束し、取り調べを開始した ( 一九四二年一月十二日 ) 。すでにビルマでは日本軍とアウンサン率いる—による侵攻が始 まり、英印軍や植民地軍とのあいだで戦闘が開始されていた。 ー・ソオは日本公使館との接触を認めたが、それは日本に住むビル 英国官憲による尋問でウ マ人留学生を日本政府が宗主国の英国臣民とみなして捕まえたりすることのないよう申し入れ 渉に行っただけだと語り、接触の目的については英国の嫌疑を全面否認した。英国は悩んだ末、 立裁判をせす超法規的処置によって彼を極秘のうちにアフリカの英領ウガンダに抑留することを 英決めた。裁判をしてしまうと、米国が解読した日本の外務省の暗号電報を証拠として提示せざ 対 るをえす、そうすると日本側に米英が日本の暗号を解読していることが伝わってしまい、すで 離に行われている日本との戦争が不利になってしまうからである。 短こうしてウ ー・ソオは同年一月十九日に首相職から解任され、四月から英領ウガンダのポン のボという町に無期限で軟禁されることになった。ビルマが将来英連邦のドミニオンになった際 ー・ソオだったが、暗号解読とい 立には、初代首相という栄誉ある地位に就けたかもしれないウ う想定外のできごとのためにビルマ政治の表舞台から転落し、アフリカの奥地に自由を束縛さ 章 れることになったわけである。 第 257

正義の偽装

実質上の新たな憲法を作り出すことができたのか。それは、ここに政治体制の完全な断 絶があるからだ。ではその断絶とは何か。それはが占領しており日本には主権が なかった、という事実にほかならない。こういうことになるでしよう。すると、先に述 べた憲法無効論に帰着するのです。 もうひとつは、日本は形の上で正当な政府を擁しており、形式上は、明治憲法の改正 という手続きによって国家体制は継続している、というものです。しかしそうなると、 まさしく憲法学者のいうことがあてはまってしまいます。つまり、明治憲法の根底を変 に更するような改正は、憲法というものの趣旨からして無効である、ということになる。 の だから、憲法というものの本質からして現憲法の三原則の改正は不可能だという護憲 本派の憲法論議は、まさしく自らの護憲を掘り崩してしまうのです。だけども、そんな護 は憲論をつい口走ってしまうのですから、 ( 護憲派の ) 憲法学者もみかけほど「コチコチ」 丈ではなく、結構、軟派でズルイのかもしれません。 成 五そもそも憲法とは何か ? 第 しかし、ここで私が本当にいいたいことは、戦後憲法は無効だということではありま

正義の偽装

いや、「みなし」では片付かないからこそ明治憲法の改正になったのです。いいかえ ると、ここで政府の正当性や憲法の正当性の議論を避けたかったわけです。日本は占領 はされたけれども、革命は起きていない。革命を起こした主体などというものはどこに もなかった。だから、統治という意味では歴史は決して断絶していないのです。 当時は、そのことは「国体の護持」とか「国体の継続」といういいかたでいわれたこ とです。そして、「憲法Ⅱコンスティテューション」とはまた「国体」という意味なの です。 みつくりりんしよう 「コンスティテューション」を「憲法」と訳したのは箕作麟祥だといわれていますが ( 彼はフランス法典から訳したとされています ) 、それはまた「国憲」や「国律」などと も訳され、さらには「国制」ともいわれる。 ここに「憲法」のもうひとつの意味がでてきます。それはまさに、その国の歴史にし るされた「国のかたち」を記したもの、という意味での憲法であり、その国の国民をま とめる価値の基本を記したもの、ということです。 これはまったく近代憲法の発想とは異なっている。近代憲法が、普遍的な自然権とい ういかにも不自然なものを最初にもってくるとすれば、この意味での憲法は、まさにそ 108

世界 2016年07月号

いずれも憲法九条に違反し、その制定手続が立憲主義に違反 底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに することが明らかであり、違法性がある。 とどまるものではなく、法規範性を有するものである。その 日本政府は、憲法九条についてこれまで、日本国憲法も独 具体的権利性は、包括的な人権を保障する憲法一》三条の規定 によっても根拠づけられるととともに、憲法九条の平和条項立国が当然に保有する自衛権を否定するものではなく、自衛 のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は憲法九条一一 によって制度的な裏付けを与えられている。新安保法制法の 制定は、集団的自衛権の行使等を認めることによって、日本項の「戦力」には当たらないとする一方で、自国が直接攻撃 されていないにもかかわらず、 ( 自国と密接な関係があるとしても、 を再び戦争をする国、できる国に変容させるものであり、原 その ) 他国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利と 告らの平和的生存権を侵害する。 人格権については、個人の尊厳と生命・自由・幸福追求の権しての集団的自衛権の行使は、憲法上許されず、海外派兵は、 利を規定する憲法一三条により認められる。新安保法制法の 一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲 法上許されないとしてきた。集団的自衛権の行使が許されな 制定により、原告らは集団的自衛権の行使等の敵対国からの いとの憲法九条の解釈は、歴代の総理大臣により度々表明さ 攻撃やテロの対象となり、戦争の準備・遂行に従事・協力させ れ、内閣法制局が示してきたもので、憲法解釈として規範性 られるなどして、生命・身体・精神的平穏等を侵害されるなど、 を有するものとなっていた。今回の新安保法制法の制定は、 人格権を侵害される。原告らの立場は色々であるが、それぞ この確定し、規範化した憲法九条の解釈に反するものとして れの立場に応じ生命・身体・精神的平穏等を侵害される。 憲法改正・決定権については、主権が国民にあることは憲憲法九条違反である。 また、後方支援活動等については、これまでは、非戦闘地 法の基本原理であり、憲法九六条一項が憲法改正手続におけ 域に限定し、活動内容も外国軍隊の武力行使に直結するよう る国民投票権を認めるように、国民各人が、国民主権及び民 なものをさけることにより、他国軍隊の武力行使と一体化し る主主義の担い手として、憲法の条項と内容を自らの意思に基 でづいて決定する根源的な権利として、憲法改正・決定権を有ないとして憲法九条の武力の行使にあたらないとの解釈をと ってきた。ところが、今回の新安保法制法により非戦闘地域 している。新安保法制法の制定行為は、憲法改正手続を潜脱 法 の枠組みが外され、従来禁止されていた弾薬の提供など、外 したもので、原告らの憲法改正・決定権を侵害する。 制 国の武力の行使に直結する、より軍事色の強いものが加えら 保処分の違法性 ( 違憲性 ) については、その処分の根拠とさ れた結果、後方支援活動等を行っている自衛隊は、相手国か 新れる集団的自衛権の行使等を認める自衛隊法等の根拠条文が、

正義の偽装

第五章成文憲法は日本人の肌に合うか ない意見でしよう。しかし、その意味は、それこそが日本で最初に成立した「国のかた ち」にかかわる文書であり、その上に積みかさなった歴史の中にしか日本の憲法は描け ない、ということなのでしよう。十七条憲法の「憲法」は、「いつくしきのり」と読み ます。「重みをもった法」という意味です。なかなかよい言葉ではありませんか。 717

世界 2016年08月号

193 野坂泰可 憲法は変わったのか 〈憲法の解 . 釈〉と〈憲 ~ 法の変化〉 これは、国際情勢を直視する限り従来の憲法解釈を維持す はじめに ることはできないのであって、それを変更することが責任あ る政治家としてなすべきことであるという趣旨を述べたもの 一一〇一五年九月一九日未明、安全保障関連法案は、参議院 であろう。まさに二〇一四年七月一日の閣議決定 ( 以下「七・ 本会議において可決成立し、本年三月二九日施行された。し 一閣議決定」という ) は、このような考え方に基づいて、憲法 かし、これですべてが終わったわけではない。国会審議を通 九条の下で集団的自衛権の行使は許されないという、歴代内 じて明らかにされた法案の問題点は全く解消されないまま残 閣が長年にわたり維持してきた憲法解釈を変更するものであ されている。議論はまだ尽くされていない。議論のステージ った。日本を取り巻く安全保障環境が根本的に変容した今日、 が変わるだけである。 今般の安保法制をめぐる国会審議の過程で、安倍晋三首相国民を守るために、「これまでの憲法解釈のままでは必ずし も十分な対応ができないおそれがある」から、適切な解釈を は、「国際情勢に目をつぶって従来の憲法解釈に固執するの 検討した結果、従来禁止されてきた集団的自衛権の行使も、わ は政治家としての責任の放棄である」との発言を行った ( 二 が国が執りうる自衛のための措置として、「憲法上許容され 〇一五年六月一八日衆議院予算責会集中審議 ) 。 のさか・やすじ学習院大学法科大 学院教授。憲法学。著書に「憲法基本篳蜘珖 3 判例を読み直す』 ( 有斐閣 ) 、「新解説 世界憲法集」 ( 共著、三省堂 ) など。 世界 SEKAI 2 0 16. 8