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検索対象: 聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代

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聖徳太子と法隆寺の謎ー交差する飛鳥時代と奈良時代


図 ー 4 六 世 紀 か ら 七 世 紀 に か け て の 天 皇 位 を め ぐ る 略 系 図 手 白 香 皇 女 継 体 天 皇 ① 目 子 媛 安 閑 天 皇 ② 宣 化 天 皇 ③ 石 姫 皇 女 小 姉 命 堅 塩 媛 欽 明 天 皇 ④ ⑦ 皇 6 ー ー 用 明 天 皇 の 即 位 天 峻 ⑥ 女 す 崇 皇 皇 ま 姫 り 天 手 あ 明 香 て 用 酢 し 飛 鳥 時 代 の 皇 位 継 承 愛 割 以 上 述 べ て き ま し た よ う に 、 『 新 唐 書 』 や 『 宋 史 』 に 所 引 さ ⑧ 皇 れ る 「 王 年 代 記 」 に お い て は 、 多 利 思 比 孤 が 用 明 天 皇 の 子 で あ 天 あ 古 推 る こ と が 特 に 強 調 さ れ て 記 述 さ れ て い る と 言 う こ と が で き ま す 。 承 み カ 継 の 子 た 物 そ こ で 、 本 節 で は 用 明 天 皇 に つ い て 考 え て み ま し よ う 。 え 人 太 数 る 徳 ら す 欽 明 天 皇 以 降 、 敏 達 天 皇 、 用 明 天 皇 、 崇 峻 天 皇 、 推 古 天 皇 と 聖 か 連 皇 関 天 と 四 代 続 い て す べ て 欽 明 天 皇 の 皇 子 ・ 皇 女 で あ り 、 敏 達 天 皇 以 降 、 体 論 継 本 代 皇 位 は 兄 弟 相 承 に お い て 継 が れ て い ま す 。 研 究 史 上 に お い て は 、 此 1 親 子 に よ る 継 承 が 困 難 な 政 治 的 状 況 が あ っ た と す る 見 解 が 通 説 多 第 人 と さ れ て い ま す が 、 当 時 、 親 子 継 承 と 兄 弟 相 承 の ど ち ら が 正 統 は れ 章 字 さ 数 記 的 継 承 法 と 考 え ら れ て き た も の で あ る の か は 、 依 然 と し て 明 ら 四 ⑧ 図 か に さ れ て い る わ け で は あ り ま せ ん 。 9. ① 本 以 下 、 『 書 紀 』 に も と づ く 継 体 天 皇 か ら 推 古 天 皇 ま で の 継 承 敏 達 天 皇 ⑤

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代 と 並 行 し て い る こ と に な り ま す 。 次 に 、 太 上 天 皇 の 在 位 状 況 を 見 て み ま す と 、 列 上 の 推 古 朝 は 、 お お よ そ 元 明 太 上 天 皇 ( 在 位 七 一 五 — 七 二 一 年 ) と 元 正 太 上 天 皇 ( 在 位 七 二 四 — 七 四 八 年 ) が 在 位 さ れ て い た 時 代 と な り ま す 。 第 四 十 一 代 持 統 天 皇 か ら 第 四 十 二 代 文 武 天 皇 へ の 皇 位 継 承 を も っ て 、 生 前 譲 位 と い う 継 承 法 に よ り 「 天 皇 ー の 号 の ほ か に 「 太 上 天 皇 」 と い う 号 が 発 生 し て き ま す 。 し た が っ て 、 元 明 太 上 天 皇 の 七 一 五 ( 霊 亀 元 ) 年 か ら 七 二 一 ( 養 老 五 ) 年 ま で 、 な ら び に 元 正 太 上 天 皇 の 七 二 四 ( 神 亀 元 ) 年 か ら 七 四 八 ( 天 平 二 十 ) 年 ま で は 、 こ の よ う な 「 太 上 天 皇 」 と 「 天 皇 」 の 両 者 の 在 位 、 す な わ ち 「 太 上 天 皇 天 皇 。 と い う 特 徴 が 顕 著 に 表 わ れ て い ま す 。 言 い 換 え ま す と 、 推 古 紀 の 特 徴 と な る 推 古 女 帝 に 対 す る 万 機 摂 政 の 聖 徳 太 子 と い う 二 者 一 対 の 在 位 は 、 表 ー 2 に 示 し ま し た よ う に 、 七 一 五 年 か ら 七 二 論 一 年 ま で の 「 元 明 太 上 天 皇 ① 元 正 天 皇 」 、 な ら び に 、 七 二 四 年 か ら 七 四 八 年 ま で の 「 元 正 太 上 天 皇 諛 0 聖 武 天 皇 ー と い う 二 者 一 対 の 在 位 と 置 き 換 え が 可 能 な 関 係 に あ る 、 と 言 う こ と が で き ま す 。 在 お び と 次 に 、 皇 太 子 位 に つ い て 見 て み ま し よ う 。 文 武 天 皇 の 御 子 で あ る 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) が 七 子 一 四 ( 和 銅 七 ) 年 に 立 太 子 し 、 七 二 四 ( 神 亀 元 ) 年 ま で 皇 太 子 位 に あ り ま す 。 ま た 、 聖 武 天 皇 の 御 徳 聖 子 の 阿 倍 内 親 王 が 七 三 八 ( 天 平 十 ) 年 に 立 太 子 し 、 七 四 八 ( 天 平 二 十 ) 年 ま で 皇 太 子 位 に あ り ま す 。 章 こ れ ら の 期 間 に お い て は 、 今 度 は 、 「 天 皇 」 と 「 皇 太 子 」 と い う 二 者 一 対 の 在 位 、 す な わ ち 、 「 天 皇 五 。 皇 太 子 ー の 関 係 が 見 て と れ ま す 。

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図 Ⅵ ー 1 推 古 ・ 元 明 ・ 元 正 天 皇 の 系 譜 的 位 置 づ け 蘇 我 稲 目 宿 禰 蘇 我 山 田 石 川 麻 呂 欽 明 天 皇 用 明 天 皇 天 智 天 皇 持 統 天 皇 堅 塩 姫 姫 我 推 古 天 皇 元 明 天 皇 元 正 天 皇 草 壁 皇 子 文 武 天 皇 は 飛 鳥 時 代 の も の で あ る と い う こ と で す 。 さ て 、 こ の よ う な 法 隆 寺 の 再 建 の 経 緯 に は 、 ど の よ う な 謎 が 隠 さ れ て い る の で し よ う か 。 2 ー ー 元 明 天 皇 ・ 元 正 天 皇 と 蘇 我 氏 元 明 天 皇 と 元 正 天 皇 法 隆 寺 の 再 建 の 謎 を 解 く 手 が か り と し て 、 ま ず 、 奈 良 時 代 初 頭 が 、 女 帝 や 女 性 の 太 上 天 皇 の 在 位 に よ っ て 特 徴 づ け ら れ る 時 代 で あ る こ と に 着 目 し て み た い と 思 い ま す 。 推 古 女 帝 ( 第 三 章 に お い て 推 古 天 皇 は 、 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 を モ 謎 建 デ ル と し て い る と 述 べ ま し た の で 、 本 章 で は 、 『 書 紀 』 編 纂 者 が こ の よ う な 系 譜 再 を 採 っ た 意 図 を 考 慮 し 、 『 書 紀 』 に 云 う と こ ろ の 推 古 天 皇 を 意 味 す る こ と に な り 隆 法 ま す ) と 元 明 女 帝 ・ 元 正 女 帝 の 系 譜 を 比 較 し て み ま し よ う 。 図 Ⅵ ー 1 は 、 章 推 古 天 皇 の 系 譜 的 位 置 づ け と 、 元 明 天 皇 、 な ら び に 元 正 天 皇 の 系 譜 的 位 置 六 づ け を 図 示 し た も の と な り ま す 。 2 図 Ⅵ ー 1 の 左 右 の 系 譜 、 な ら び に 『 日 本 書 紀 』 『 続 日 本 紀 』 の 記 述 内 容

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表 I ー 1 和 風 謚 号 神 日 本 磐 余 彦 天 皇 神 渟 名 川 耳 天 皇 「 日 本 書 紀 」 の 編 年 の あ ら ま し 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 巻 二 十 30 31 32 33 34 35 巻 二 四 36 巻 二 五 37 38 巻 二 七 巻 一 39 料 40 131 ー 190 192 ー 200 201 ー 269 270 ー 310 313 ー 399 400 ー 405 406-410 412 ー 453 454 ー 456 457 ー 479 480 ー 484 485 ー 487 488 ー 498 499 ー 506 507 ー 531 534 一 535 536 ー 539 540 ー 571 572 ー 585 586 ー 587 588 ー 592 593 ー 628 629 ー 641 642 ー 644 645 ー 649 655 ー 661 662 ー 671 神 武 天 皇 綏 靖 大 皇 安 寧 天 皇 懿 徳 天 皇 孝 昭 天 皇 孝 安 天 皇 孝 霊 天 皇 孝 元 天 皇 開 化 天 皇 崇 神 天 皇 垂 仁 天 皇 景 行 天 皇 成 務 天 皇 仲 哀 天 皇 神 功 皇 后 応 神 天 皇 仁 徳 天 皇 履 中 天 皇 反 正 天 皇 允 恭 天 皇 安 康 天 皇 雄 略 天 皇 清 寧 天 皇 顕 宗 天 皇 仁 賢 天 皇 武 烈 天 皇 継 体 天 皇 安 閑 大 皇 宣 化 天 皇 欽 明 天 皇 敏 達 天 皇 用 明 天 皇 崇 峻 天 皇 推 古 天 皇 舒 明 天 皇 皇 極 天 皇 孝 徳 天 皇 斉 明 天 皇 天 智 天 皇 天 武 天 皇 持 統 天 皇 磯 城 津 彦 玉 手 看 天 皇 大 日 本 彦 耜 友 天 皇 観 松 彦 香 殖 稲 天 皇 日 本 足 彦 国 押 人 天 皇 大 日 本 根 子 彦 太 瓊 天 皇 大 日 本 根 子 彦 国 牽 天 皇 稚 日 本 根 子 彦 大 日 日 天 皇 御 間 城 入 彦 五 十 瓊 殖 天 皇 活 目 入 彦 五 十 狭 茅 天 皇 大 足 彦 忍 代 別 天 皇 稚 足 彦 天 皇 足 仲 彦 天 皇 気 長 足 姫 尊 誉 田 天 皇 大 鷦 鷯 天 皇 去 来 穂 別 天 皇 瑞 齒 別 天 皇 雄 朝 津 間 稚 子 宿 禰 天 皇 穴 穂 天 皇 大 泊 瀬 幼 武 天 皇 白 髪 武 広 国 押 稚 日 本 根 子 天 皇 弘 計 天 皇 億 計 天 皇 小 泊 瀬 稚 鷦 鷯 天 皇 男 大 迹 天 皇 広 国 押 武 金 日 天 皇 武 小 広 国 押 盾 天 皇 天 国 排 開 広 庭 天 皇 渟 中 倉 太 珠 敷 天 皇 橘 豊 日 天 皇 泊 瀬 部 天 皇 豊 御 食 炊 屋 姫 天 皇 息 長 足 日 広 額 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 万 豊 日 天 皇 天 豊 財 重 日 足 姫 天 皇 天 命 開 別 天 皇 天 渟 中 原 瀛 真 人 天 皇 高 天 原 広 野 姫 天 皇 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 四 巻 五 巻 七 巻 七 巻 八 巻 九 巻 十 巻 十 一 巻 十 二 巻 十 二 巻 十 三 巻 十 三 巻 十 四 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 五 巻 十 六 巻 十 七 巻 十 八 巻 十 八 巻 十 九 巻 紀 年 数 60 年 9 年 69 年 41 年 87 年 6 年 5 年 42 年 3 年 23 年 5 年 3 年 11 年 8 年 25 年 2 年 4 年 32 年 14 年 2 年 5 年 36 年 13 年 3 年 5 年 ( 大 化 ド 3 5 年 ( 白 雉 ) 7 年 10 年 14 年 1 年 ( 赤 鳥 ) 11 年 享 年 127 歳 84 歳 57 歳 77 歳 ( 立 ) 料 114 歳 ( 立 ) 137 歳 ( 立 ) 128 歳 ( 立 ) 116 歳 ( 立 ) 115 歳 120 歳 140 歳 106 歳 107 歳 52 歳 100 歳 110 歳 82 歳 70 歳 73 歳 63 歳 ( 生 ド 2 75 歳 70 歳 在 位 期 間 B . C .29 ー 70 B . C. 97 ー 30 B. C. 157 ー 98 B . C. 214 ー 158 B . C. 290 ー 215 B . C. 392 ー 291 B. C .475 一 393 B. C .510 ー 477 B . C. 548 ー 511 B . C. 581 ー 549 B. C .660 ー 585 ー ノ い 巻 三 十 71 ー 130 687 ー -- 697 672 ー 685 650-654 686 * 1 : 立 太 子 時 の 年 齢 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 立 ) と 記 す 。 * 2 : 出 生 年 を 用 い て 算 出 さ れ た 宝 算 は ( 生 ) と 記 す 。 * 3 : 西 暦 645 年 は 、 6 月 18 日 ま で は 、 皇 極 四 年 、 6 月 19 日 以 降 は 大 化 元 年 と な る 。 * 4 : 「 日 本 書 紀 」 で は 、 天 武 天 皇 は 第 39 代 、 持 統 天 皇 は 第 40 代 で あ る が 、 明 治 時 代 に 大 友 皇 子 が 弘 文 天 16 皇 と し て 第 39 代 天 皇 と し て 数 え ら れ る よ う に な っ た た め 、 今 日 で は 、 天 武 天 皇 以 下 代 数 が 一 代 下 が る 。

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え み し そ も そ も 、 蘇 我 氏 を め ぐ っ て は 、 蘇 我 蝦 夷 と 入 鹿 と が 大 極 殿 に て 誅 さ れ た 皇 極 四 年 の 六 四 五 年 の 「 乙 巳 の 変 」 に よ っ て 宗 家 滅 亡 と と も に 滅 せ ら れ た 氏 族 と す る 印 象 を 受 け ま す 。 し か し な が ら 、 持 む す め お ち 統 天 皇 の 母 も ま た 、 蘇 我 倉 山 田 石 川 麻 呂 の 女 の 遠 智 姫 で あ り 、 蘇 我 氏 と の 系 譜 的 関 連 は 、 奈 良 時 代 初 頭 に 再 び 強 い も の と な っ て い た と 言 え ま す 。 天 皇 と 蘇 我 氏 と の 系 譜 的 つ な が り は 、 お お よ そ 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 の 初 期 に 限 定 さ れ て い ま す 。 す な わ ち 、 列 上 に お い て 推 古 紀 と な る 時 代 は 、 飛 鳥 時 代 と 同 様 に 、 蘇 我 氏 と の 系 譜 的 関 連 が 表 出 す る 時 代 で あ っ た と 考 え ら れ う る こ と に な る の で す 。 換 言 し ま す と 、 六 四 五 年 の 「 乙 巳 の 変 」 か ら 六 八 九 年 の 持 統 天 皇 の 登 場 ま で の 孝 徳 ・ 斉 明 ・ 天 智 ・ ま く ま 、 つ 天 武 の 「 鳳 時 代 」 と 呼 称 さ れ る 時 代 を 挟 ん で 、 飛 鳥 時 代 と 奈 良 時 代 と は 、 蘇 我 氏 を 媒 介 と し て 連 動 性 を 有 し て い る こ と に な り ま す 。 ま た 、 二 の 『 書 紀 』 に お い て は 推 古 天 皇 の 同 母 兄 の 橘 豊 日 尊 が 用 明 天 皇 と し て 即 位 し た と 記 さ れ 謎 て あ り 、 一 方 、 元 正 天 皇 の 同 母 兄 の 軽 皇 子 は 文 武 天 皇 と し て 即 位 し て い る 点 で す が 、 推 古 天 皇 は 、 の 酢 香 手 姫 皇 女 Ⅱ 穴 穂 部 間 人 皇 女 を モ デ ル と し て い る た め 、 実 際 に は 用 明 天 皇 は 推 古 天 皇 の 同 母 兄 で 再 は な か っ た と 考 え ら れ ま す が 、 『 書 紀 』 に お い て 、 こ の よ う な 系 譜 的 位 置 づ け が な さ れ た こ と が 隆 法 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 に お い て 文 武 天 皇 が 用 明 天 皇 に 擬 せ ら れ 、 元 正 天 皇 が 推 古 天 皇 に 擬 せ ら れ 章 て い る 理 由 で あ る と も 考 え ら れ ま す 。 さ ら に 、 三 の 「 豊 」 の 文 字 の 問 題 で す が 、 詳 し く は わ か り ま 六 せ ん が 、 な ん ら か の 意 味 は あ る の で は な い か と 考 え ら れ ま す 。

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投 影 さ れ る 奈 良 時 代 の 人 物 年 年 列 年 年 っ ー い ハ 一 OO ワ 」 表 Ⅲ ー 3 を 概 観 す れ ば 、 以 下 の 点 が 指 摘 さ れ ま す 。 投 ま ず 第 一 に 、 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 に 登 場 す る 人 物 名 を め ぐ 定 の 位 位 っ て は 、 通 常 「 飛 鳥 時 代 の 人 物 へ の 投 影 」 の 欄 に 示 さ れ ま す よ う 物 物 櫨 在 子 子 人 人 皇 皇 太 太 の の に 、 「 天 皇 」 は 用 明 天 皇 、 「 大 王 天 皇 」 は 推 古 天 皇 、 「 太 子 」 と 天 天 皇 皇 代 子 子 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 徳 太 子 を 意 味 す る 、 と こ れ ま で 解 釈 さ れ て き た 太 太 銘 鳥 天 背 飛 明 古 徳 徳 用 推 聖 聖 わ け で す が 、 列 と 列 間 の 一 二 〇 年 の ズ レ を 踏 ま え て 、 奈 良 時 光 像 年 年 代 の 人 物 と 考 え れ ば 、 「 奈 良 時 代 の 人 物 へ の 投 影 」 の 欄 に 示 さ れ 来 如 ダ 年 年 7 年 師 イ 4- -00 ′ ー 、 -0 つ 」 イ は ・ 11 tn ま す よ う に 、 「 天 皇 」 は 文 武 天 皇 、 「 大 王 天 皇 」 は 元 正 太 上 天 皇 、 「 太 子 」 は 元 明 天 皇 、 そ し て 、 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 武 天 皇 に 比 定 さ れ 7 位 間 位 の の 1 ・ 在 : 在 位 : 在 物 位 位 皇 位 皇 在 位 皇 ま す 。 金 人 在 在 天 在 天 子 在 天 第 二 に 、 「 大 王 天 皇 及 東 宮 聖 王 」 と い う 「 大 王 天 皇 」 と 「 東 宮 隆 代 天 天 太 天 太 皇 天 皇 皇 皇 皇 聖 王 」 と い う 二 者 一 対 と な る 表 現 を め ぐ っ て は 、 『 書 紀 』 推 古 紀 3 奈 天 天 天 天 武 正 明 武 元 聖 文 元 の 推 古 天 皇 と 万 機 摂 政 の 聖 徳 太 子 の 伯 母 と 甥 と い う 系 譜 的 関 係 の 人 投 影 と 捉 え る こ と は で き ま す 。 元 正 太 上 天 皇 と 聖 武 天 皇 と は 、 叔 の 文 皇 王 母 と 甥 の 関 係 に あ り 、 伯 母 と 叔 母 と い う 相 違 は あ る も の の 、 ほ ば 天 聖 銘 背 皇 王 子 宮 光 天 大 太 東 合 致 し て い ま す 。 こ の よ う な 系 譜 的 一 致 は 、 「 大 王 天 皇 」 が 元 正 0

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皇 、 皇 太 子 の い わ ば 「 三 役 」 の 在 位 状 況 が 問 題 と な る 理 由 は 、 第 四 章 に お い て 述 べ ま し た よ う に 、 以 下 の 等 式 が 成 り 立 っ て い る か ら で す 。 大 王 天 皇 ① 東 宮 聖 王 〔 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 〕 Ⅱ 太 上 天 皇 。 天 皇 〔 『 続 日 本 紀 』 〕 天 皇 。 万 機 摂 政 皇 太 子 〔 『 日 本 書 紀 』 推 古 紀 〕 斎 宮 多 利 思 比 孤 〔 『 隋 書 倭 伝 』 〕 す な わ ち 、 こ の 等 式 に は 、 令 制 の 用 語 概 念 と し て は 「 天 皇 ー 「 太 上 天 皇 ー 「 皇 太 子 ー の 三 つ の 号 が 出 て き ま す 。 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 に 「 大 王 天 皇 と 太 子 」 「 大 王 天 皇 と 東 宮 聖 王 」 と い う 連 称 さ れ る 表 現 が 所 見 さ れ ま す よ う に 、 こ れ ら の 三 つ の 号 は 、 奈 良 時 代 の 統 治 の あ り 方 、 す な わ ち 、 第 四 章 第 7 節 に お い て 「 祭 祀 と 政 治 の 役 割 分 担 は あ っ た の か ? 」 と 題 し て 論 じ た よ う に 、 奈 良 時 代 に お け る 「 神 祇 祭 祀 . と 「 政 治 」 と い う 二 つ の 大 権 の 所 在 と い う 統 治 権 限 の 問 題 と 関 連 し て い る と 考 え ら れ る か ら で す 。 さ て 、 天 皇 、 太 上 天 皇 、 皇 太 子 の 在 位 状 況 を 、 そ れ ぞ れ 見 て ゆ く こ と に し ま し よ う 。 ま ず 、 天 皇 と し て の 在 位 状 況 か ら 見 て み ま す と 、 << 列 上 の 推 古 朝 は 、 元 明 天 皇 ( 在 位 七 〇 七 — 七 一 五 年 ) 、 元 正 天 皇 ( 在 位 七 一 五 — 七 二 四 年 ) 、 な ら び に 聖 武 天 皇 ( 在 位 七 二 四 — 七 四 九 年 ) の 三 帝 の 時 198

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申 の 乱 , に お い て 大 海 皇 子 と 皇 位 を 争 っ た 大 友 皇 子 、 そ し て 高 市 皇 子 の 階 位 と 同 じ で す 。 ま た 、 長 か い ふ う そ う 屋 王 の 父 の 高 市 皇 子 の 地 位 が 極 め て 皇 位 に 近 い も の で あ っ た 可 能 性 は 、 『 懐 風 藻 』 の 葛 野 王 伝 に お ひ つ ぎ い て 、 高 市 皇 子 の 崩 御 を め ぐ り 、 次 の 「 日 嗣 」 を 決 め る の に 「 衆 議 紛 紜 た り 」 と 所 見 さ れ る こ と か ら も う か が え ま す 。 拙 著 『 「 記 紀 よ ) ゝ 。 し 力 に し て 成 立 し た か 「 天 」 の 史 書 と 「 地 」 の 史 書 』 に お い て は 、 高 市 皇 子 の 地 位 を 、 第 三 章 で 考 察 い た し ま し た 「 祭 」 「 政 」 の 大 権 の う ち 「 祭 」 の ほ う の 権 の 継 承 予 定 者 ( ひ つ ぎ の み こ ) で は な か っ た か 、 と 論 じ ま し た 。 高 市 皇 子 が 皇 位 に 近 か っ た こ と は 、 長 屋 王 邸 宅 跡 に お い て 「 長 屋 親 王 宮 ー と す る 木 簡 が 発 見 さ れ た こ と と の 関 連 に お い て も 指 摘 さ れ う る か も し れ ま せ ん 。 第 三 に 、 皇 極 紀 の 皇 極 二 年 九 月 条 に 「 葬 = 息 長 足 日 広 額 天 皇 于 押 坂 陵 或 本 云 。 呼 = 広 額 天 皇 一 為 = 高 市 天 皇 一 也 。 」 と 所 見 さ れ 、 分 注 に お い て 、 舒 明 天 皇 は 「 高 市 天 皇 。 と 呼 称 さ れ て い た と す る 説 を 載 せ て い る 点 が あ げ ら れ ま す 。 す な わ ち 、 高 市 皇 子 の 子 で あ る 長 屋 王 の 立 場 は 、 推 古 天 皇 の 後 継 と し て 聖 徳 太 子 の 遺 児 で あ る 山 背 大 兄 王 を 退 け た 舒 明 天 皇 の 立 場 と 重 な る の で す 。 菅 野 雅 雄 氏 の 研 究 に よ る と 、 『 書 紀 』 『 記 』 に お け る 「 更 名 」 の 用 例 に つ い て は 、 別 個 の 人 物 を 同 一 人 物 と し た り 別 個 の 物 語 を 統 合 す る 時 、 登 場 人 物 を 「 更 名 」 に よ っ て 統 合 す る 場 合 が 多 い そ う で す が 、 舒 明 天 皇 が 実 際 に 「 高 市 天 皇 」 と 呼 称 さ れ た か 否 か は わ か り ま せ ん が 、 あ る い は 、 皇 位 継 承 に お い て 山 背 大 兄 王 を 退 な ぞ ら け た 舒 明 天 皇 の 立 場 が 高 市 皇 子 と 長 屋 王 の 親 子 の 立 場 に 擬 え る た め に 、 挿 入 さ れ た 分 注 で あ る 可 能 生 も あ る で し よ う 。 240

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年 ) や 『 日 本 霊 異 記 』 ( 七 八 七 年 ) に 、 聖 武 天 皇 は 聖 徳 太 子 の 後 身 、 再 誕 で あ る と す る 文 が 所 見 さ れ 、 聖 武 天 皇 を 聖 徳 太 子 に 擬 す る よ う な 伝 承 が あ っ た 可 能 性 に よ っ て も 補 強 さ れ る で し よ う 。 第 三 章 に お い て 、 『 薬 師 如 来 像 光 背 銘 文 』 の 「 東 宮 聖 王 」 は 聖 武 天 皇 の こ と で あ る と い う 結 論 を 提 起 し て お り ま す が 、 『 書 紀 』 の 「 聖 徳 太 子 ( 奈 ) ー も ま た 、 聖 武 天 皇 を 意 味 し て い る 可 能 性 が 示 さ れ た こ と に な り ま す 。 ー ー 斑 鳩 宮 造 営 と 列 ・ 列 天 皇 ・ 太 上 天 皇 ・ 皇 太 子 の 在 位 状 況 次 に 、 『 書 紀 』 の 推 古 九 年 条 に 所 見 さ れ る 斑 鳩 宮 造 営 に つ い て 検 証 し て み ま し よ う 。 推 古 九 年 は 、 第 二 章 で 述 べ ま し た よ う に 、 書 紀 編 年 に お い て 紀 元 と な る 神 武 元 年 を 設 定 す る た め の 一 蔀 ( 一 二 六 〇 年 ) の 基 点 と も な る 極 め て 大 事 な 年 代 と な っ て い ま す 。 そ こ で 、 推 古 九 年 の 問 題 も 、 列 と 列 を ア プ ロ ー チ と す れ ば 、 興 味 深 い 結 論 が 得 ら れ る こ と に な り ま す 。 以 下 、 表 ー 2 は 、 << 列 上 に お け る 用 明 ・ 崇 峻 ・ 推 古 紀 を 、 実 際 の 歴 史 年 代 上 に 位 置 づ け た 表 と な り ま す 。 ま た 、 用 明 ・ 崇 峻 ・ 推 古 紀 に 相 当 し て く る 慶 雲 年 間 、 和 銅 年 間 、 霊 亀 年 間 、 養 老 年 間 、 神 亀 年 間 、 天 平 年 間 に お け る 天 皇 、 太 上 天 皇 、 皇 太 子 の 在 位 状 況 も 記 し て あ り ま す 。 天 皇 、 太 上 天 196

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「 < 列 上 の 推 古 九 年 」 の 養 老 五 年 に 何 が 起 こ っ て い た の か ま た 、 太 上 天 皇 ・ 天 皇 ・ 皇 太 子 の 三 者 が そ ろ っ て い た 時 期 は 、 七 一 五 ( 霊 亀 元 ) 年 か ら 七 二 一 ( 養 老 五 ) 年 、 な ら び に 、 七 三 八 ( 天 平 十 ) 年 か ら 七 四 八 ( 天 平 二 十 ) 年 ま で の 二 期 と な り ま す 。 言 い 換 え ま す と 、 こ の 時 期 は 、 「 神 祇 祭 祀 」 と 「 政 治 」 と い う 二 つ の 大 権 を め ぐ っ て 「 太 上 天 皇 。 天 皇 」 と 「 天 皇 皇 太 子 」 と い う 二 つ の あ り 方 が 想 定 さ れ る こ と に な り ま す が 、 権 限 的 に は 「 太 上 天 皇 0 天 皇 ー の ほ う が 優 位 で は な か っ た か と 考 え ら れ ま す 。 そ こ で 、 「 < 列 上 の 推 古 九 年 ー を 見 て み ま し よ う 。 「 列 上 の 推 古 九 年 」 は 七 二 一 年 の 養 老 五 年 と な り ま す 。 養 老 五 年 は 元 明 太 上 天 皇 の 崩 年 と な り ま す 。 そ し て 、 こ の 年 は 、 元 明 太 上 天 皇 の 崩 御 に と も な い 、 元 正 天 皇 と 皇 太 子 首 皇 子 ( の ち の 聖 武 天 皇 ) の 二 者 に よ る 統 治 体 制 、 す な わ ち 、 「 天 皇 。 皇 太 子 」 体 制 が 確 立 さ れ た 年 で も あ り ま す 。 「 太 上 天 皇 ( 神 祇 祭 祀 ) 。 天 皇 ( 政 治 ) 体 制 ー か ら 「 天 皇 ( 神 祇 祭 祀 ) 0 皇 太 子 ( 政 治 ) 体 制 」 へ シ フ ト さ れ た 年 代 と な り ま す 。 こ こ に 、 為 政 者 と し て の 「 皇 太 子 」 が 出 現 す る こ と に な っ た と 言 え る で し よ う 。 第 二 章 に お い て 、 第 二 蔀 の 首 と な る 辛 酉 の 年 と し て 位 置 づ け ら れ る 推 古 九 年 条 に 「 九 年 春 二 月 。 皇 太 子 初 興 ニ 宮 室 于 斑 鳩 ご と 見 え 、 皇 太 子 が 斑 鳩 宮 を 興 し た こ と が 、 極 め て 重 要 な 歴 史 的 事 象 と 認 識 さ れ て い た 可 能 性 を 述 べ ま し た 。 「 << 列 上 の 推 古 九 年 」 の 七 二 一 年 に お い て 、 皇 太 子 首 皇 子 が 「 天 皇 皇 太 子 」 体 制 の も と で 、 名 実 と も に 執 政 権 者 と い う 定 義 に お け る 皇 太 子 と し て の 立 場 を 確 か な も の と し た 年 と な る の で す 。 七 二 一 年 に 皇 太 子 首 皇 子 が 治 天 下 の 権 を 掌 握 し た こ と に 、 推 古 九 200