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検索対象: 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡
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1. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

くろいあそばしていらっしやるのを、女房たちが集って、 が、この時は、あの女の身に、たった今なりたいものだと じようだん 冗談。 こくやしがって何やかや言うようだ。 感じられた。 琴や笛など習う場合、これもまた、文字を書く場合のよ 男も、女も、坊さんも、よい子を持っている人は、た、 うにこそ、未熟のうちは、あの人のように早くなりたいと へんうらやましい。髪が長くきちんと整っていて、下がっ とうぐう しゅじよう めのと 当然感じられるようだ。主上や、東宮の御乳母はうらやま ている端などがすばらしい人。身分の高い人が、人にオし ほうばうきさきによう 1 」 せつにかしずかれなさるのも、とてもうらやましい。文字しい。主上付きの女房で、方々の后や女御がたに出はいり さんまい よいあかっき じよ、つ がうまく、歌を上手に詠んで、何かの折にまっ先に選び出することを許されているの。三昧堂を建てて、宵や暁に祈 すごろく っておられる人。双六を打つのに、相手の賽のよい目が出 される人。 し第一う ひじり りつば ているの。ほんとうに世間を思い捨てている聖。 立派なお方の御前に、女房がとてもたくさん伺候してい る時に、おくゆかしいお方の所へお届けあそばすはずの代 一六三とくゆかしきもの 筆のお手紙などを、だれだって鳥の足跡みたいな文字では、 まきぞめ しもつばね 早く結果が知りたいもの巻染、むら濃、くくった物な どうして書いているはずがあろうか。けれど、下局などに すずり どを染めている時。人が子を生んだのは、男か女か早く聞 いるのを、わざわざお呼び寄せになって、御自分の御硯を きたい。身分の高い人については言うまでもない。つまら 取りおろしてお書かせになるのは、うらやましい。そうし ねんちょうしゃ ない者や、身分の低い人の場合でさえ聞きたいものだ。除 段たことは、そのお仕えする場所の年長者の女房なんかとな 一もく 目のまだ早い翌朝、必ずしも知っている人で任官するはず ってしまうと、ほんとうに難波津の歌を書く程度から遠く へた の人などがない折も、結果を聞きたいものだ。愛する人が もないような下手な人も、事柄次第で書くのだが、これは かんだちめ みやづか 第 よこしている手紙 そうではなくて、上達部のもとや、また、はじめて宮仕え 1 ) んじよう に参上しようなどと、人が言上させているだれかの娘など 一六四心もとなきもの には、特に気をつかって料紙をはじめとして、何かとおっ なにわづ 0 じ

2. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

って来ていよう場合は、非常におもしろいと感じられて、 思って過すであろうような男が、こうした雨のひどく降る とてもそこでは逢えそうもないような無理な場所であって っこうに、また、真実志が 折などに限って来ようのは、い も、人目をはばからなければならないわけがあっても、必 あるものとは、とてもすることはできまいと、わたしは思 うのだ。だが、人それぞれの理解の仕方なのだからだろうず、ちょっと話をして帰し、また、残りとまってもよさそ うな男は、引き止めなどもきっとするに違いない か。物事を見知り、またわきまえ知っている女で、情趣も 月の明るいのぐらい、遠く物が自然思いやられて、過ぎ 解するとみえる、そういう女とねんごろになって、ほかに かよ たくさんの通い所もあり、また元来の本妻などもあるので、去ったこと、それの情けなかったことも、うれしかったこ かよ とも、晴れやかに快いと感じられたことも、たった今のよ 頻繁にも通って来られないのに、やはりそんなだった、ひ うに感じられる折が、ほかにあろうか。こま野の物語は、 どかった雨の折に、やって来ていたことなどについても、 どれほどおもしろいこともなく、ことばも古めかしく、見 人が語り継ぎ、人にわが身をはめられようと思う男のする どころ ことなのであろうか。それだって、なるほど、志がなかろ所が多くないけれど、月に昔を思い出して、虫の食ってい かわばりおうぎ る蝙蝠扇を取り出して、「もとこしこまに」と男が歌を口 う場合には、なんで、そんなに作り事をしてまで、逢おう にして立っている女の家の門の光景が、しみじみと心にし 、。けれど、雨が降る時は、わ とも田むお , つか、田 5 いはし ( みるのである。 たしは、ただ気がむしやくしやして、今朝まで晴れ晴れと ′一てん 雨は、早くやめばよいとじれったいものとしてわきまえ していたのだった空とも感じられず、御殿の中の立派な細 段どの 殿のすばらしい所とも感じられない。まして、全くそんな知っているせいであろうか、しばらくの間降るのもひどく にくらしい。宮中での高貴な儀式、晴れ晴れと明るくたの ふうでない、つまらぬ家などにおいては、「早く降りゃん 第 でしまえ」と感じられる。それにひきかえ、月の明るい夜しいはすの、あるいは尊くすばらしいはずの催し事も、雨 ひとっき が降りさえすると、一一一口うかいもなく残念なのに、どうであ に来ていよう男は、十日、二十日、一月、あるいは一年で も、まして七、八年たってからでも、思い出して逢いにやるからとて濡れてそれに愚痴をこばしながらやって来てい っ ほそ み

3. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

枕草子 14 ロ助動詞「ん」「なん」「けん」「らん」などは、原則として、それぞれ「む」「なむ」「けむ」「らむ」 などに改めた ( ただしもとのままの形を示すほうがよいと判断される場合は、そのままにした ) 。 撥音表記は、原則として「ん」を用いたが、「やむごとなし」など、原文の表記のままとしたもの もある。 ニ「なめり」「ためり」「ななり」「べかめり」などは、それぞれ「なンめり」「たンめり」「なンなり」 「べかンめり」などのように、読みのための「ン」を加えた。 ホ漢字書きの語を仮名書きに改めたり、仮名書きの語を漢字書きに改めたりしたものがある。なお、 意の疑わしい仮名書きの語を漢字書きに改めた場合は、それにふった仮名は、底本原文のままにして、 仮名づかいを変えることなどはしなかった。 へ底本原文に本来ある漢字にせよ、底本原文では仮名書きであるものを本書で書き改めた漢字にせよ、 読みにくいと思われるものや、読み誤られるおそれのあるものに対しては、なるべく仮名をふった。 ただし、読み方が幾通りか考えられる底本の漢字については、一応、穏当と考えられるふり仮名を つけた場合と、あえてふり仮名をひかえた場合とがある。 底本で漢字書きせられている「左大殿」「主殿司官人ども」「世中」「御仏名朝」などは、それぞれ 読みを示す仮名「ノ」を小字で加えて、「左ノ大殿」「主殿司ノ官人ども」「世ノ中」「御仏名ノ朝」の ト 6 , つコしーしこ。 チ旧字体や異字体の漢字、当て字の漢字は通行の漢字に改めた。 底本原文の漢字書きの語に送り仮名の不足がある場合は、適宜補った。

4. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

場所で日を暮してしまった」次第などを言う。「今日来むなど詠もうのは、世間ありきたりなことだ。こんなふうに、 人を」などとい 0 たような筋のことを、き 0 と言 0 ている その時にびったりなことは、なかなか言えないものだ」と のであろう。昼からあったことのあれこれをはじめとして、仰せになった。 子 すのこえんわろうだ てんじようま いろいろなことを話して笑い、簀子縁に円座を差し出した 同じ兵衛の蔵人をお供として、村上の帝が、殿上の間に 草 けれど、片足は縁から下に垂したままであるのに、暁の寺だれも伺候していなかった時に、立ち止っておいであそば の鐘の音が聞えるころまでになってしまったけれど、部屋すと、いろりの煙が立ちのばったので、「あれは何の煙か の御簾の内側でも外でも、あれこれと話すことの数々は、 と、見てこいと仰せになったので、見て帰っておそばに は′、めい 話し飽きるということはないように感じられる。薄明のこ伺って、 ろに、男は帰ると言って、「雪のなにの山に満てり」と吟 わたつみの沖に漕がるる物見ればあまの釣して帰るな . り - けドり・ . 誦したのは、たいへんおもしろいものである。女だけでは、 あま そんなふうにして座って夜を明かすことはできないであろ ( 海の沖に漕がれる物を何かと見ると、海士が釣をして帰る おきび かえる うのに、普通の場合よりはたいへんおもしろく、風流な、 のでした。ー燠火に焦げる物を何かと見ると、蛙なのでし た ) 男の様子などを、女同士があとでみな話し合っている。 と奏上したのだったことこそおもしろい。蛙が飛び込んで 一八〇村上の御時、雪のいと高う降りたるを 焦げていたのだ。 むらかみみかどみよ 村上の帝の御代に、雪がたいへん深く降ったのを、様器 一八一みあれの宣旨の、五寸ばかりなる にお盛らせになって、それに梅の花を挿して、月がたいへ ひょうえくろうどくだ せんじ たけてんじし唸つわらわ ん明るい折に、兵衛の蔵人に下しておやりになったところ みあれの宣旨が、五寸ぐらいの丈の殿上童の、たいへん しゅじよう が、「月雪花の時」と奏上したのだったのをこそ、主上は おもしろく見えるものを作って、髪はみずらに結い、 衣装 非常に御賞賛あそばされたのだった。「こういう場合、歌などをきちんと立派にして、名前を書いて、人を介して主 たら み あかっき ようき おきこ つり ゅ

5. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

311 第 255 段 ( 原文一四〇ハー ) もうれしい。自分の愛する人の場合は、自分の身の場合よ うしてどうして、やはり決してこの世は思い捨てることが りもいっそ , っ , つれしい できそうにもないと、命までが惜しくなります」と申しあ すきま 尊い方の御前に人々が隙間もなく座っている時に、今御げると、「ひどくちょっとしたことにも気持がなぐさめら おばすてやま 前に参上したので、少し遠い柱のもとなどに座っているの れるようね。そんなに簡単になぐさめられるなら、姨捨山 をお見つけあそばされて、「こちらへ来なさい」と仰せに の月は、いったい、どんな人が見るのだろう」とお笑いあ そばされる。伺候している女房も、「ひどく手軽な息災の なっているのは、通り道をあけて、御前近くにお召し入れ になっているのこそうれしいものだ。 祈りなのね」と一言う。 そうして、そのあとしばらくたって、つまらないことを 二五五御前に人々あまた、物仰せらるるつい 思いもし、にくみもして、サカにわたしがいるころ、すば おお でなどに らしい紙を、二十包に包んで中宮様が御下賜になった。仰 せ言としては、「早く参上せよ」などと仰せあそばして、 中宮様の御前に女房たちがたくさん伺候していて、中宮 「これはお聞きおきあそばしたことがあったので。上等な 様がお話などをなさるついでなどにも、「世の中が腹立た じゅみようきよう しくわずらわしくて、しばらくの間でも生きていられそう 品ではないようなので、寿命経も書けそうもないようだ が」と仰せになったのは、とてもおもしろい。わたしのほ もない気持がして、どこへでもいいから行って身を隠して うですっかり忘れてしまっていたことをおばえておいであ しまいたいと思う時に、普通の紙のとても白くてきれいな しきし がみ のや、上等の筆、白い色紙、みちのくに紙などを手に入れそばしたのだったのは、やはり普通の人の場合でさえおも てしま , っと、こ , っしてでもしばらく生きていてもよさそ , っ しろい。ましてこの場合は並一通りではないこと、などと 第一うらい なのだったなと感じられることでございます。また、高麗言ってすまされることではないのだ。あまりのうれしさに べり むしろ 縁の畳の筵が青くてこまかに編んであって、縁の紋がくっ 心も乱れて、啓上すべき方法もないので、ただ、 きりと、黒く白く見えているのをひきひろげて見ると、ど 「かけまくもかしこき神のしるしには鶴のよはひにな そくさい

6. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

15 凡例 ヌ補助動詞として用いられた「給ふ」「侍り」「聞ゅ」「奉るーなどの語は、すべて仮名書きに統一し ル漢字一字の反復を示す「々」をのそいては、反復記号「ゝ」「 / 、」は用いず、もとの文字をくり 返して記した。 一、脚注については、次のように、いがけた。 イ誤られやすい語法、文法、構文などについては、できるだけ的確に説明しようとした。 ロ語釈については、「現代語訳」で諒解可能と思われるものについては、できるだけ省略したが、必 要と思われる語釈は、ほば遺憾なきことを期した。ただスペースの制約から、先賢諸氏の御説を掲げ る場合、芳名、論文名、書名などを省略させていただかざるを得なかったことが多いのを御寛容願い 本文理解の必要の範囲内で、他の系統本のうち三巻本 ( 校本で田中氏が底本原文の右側に掲げた本文 ) 本文の異同を掲げたことがあるが、その他の系統本の異同はスペースの関係で省いた。なお、「諸本」 と記した場合は、底本以外の能因本系の諸本をさす。 一、本文の後に加えてある現代語訳は、できるかぎり原文に即して訳し、本文と対照してわかりやすいよう に、ひたすら心がけた。 従って、やや生硬な感じをまぬがれないと思うが、原文理解については、これが もっとも正しい行き方だと考えている。 なお、本文不審の箇所については、他本の本文も従いがたいと判断されるような場合は、あえてみだり に現代語訳を施さず、本文表記をそのまま片仮名で示し、傍点をつけた。

7. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

して物見に出でむとてあるに、「事はなりぬらむ」など人の言ふを聞くこそわ ( うまく差し入れない ) のは別の人。 一三私が別の人に「さあ、もう通 さないでいいから」と頼んでも。 びしけれ。 一四そうはいうものの通せないは まう のち すがない。 子生みたる人の、後の事久しき。物見にや、また寺詣でなどにまゐるとて、 一五「得去らぬ」で「立ち去れない」 ニ 0 もろともにあるべき人を乗せに行きたるを、車さし寄せて立てるが、とみにもの意とみるが、やや疑わしい 一六すぐ車を届けましよう。 いと心もとなく、 , っち捨ててもいぬべき心地そする。とみ宅車の音が聞えるのだから大内 乗らで待たするも、 裏以外の場所における感想 にて炒炭おこす、いと久し。 天後産にひまがかかること。 一九行列見物だろうか。 人の歌の返しとくすべきを、えよみ得ぬ、いと心もとなし。懸想人などは、 ニ 0 「が」不審。仮に接続助詞とみ て「立てているのに」と解する。 さしもいそぐまじけれど、おのづからまた、さるべきをりもあり、また、まし 三火つきの悪い堅い炭。 て女も男も、ただに言ひかはすほどは、ときのみこそはと思ふほどに、あいな 一三普通の文通の場合は。 ニ三返歌は早いのだけがとりえだ。 くひが事も出で来るぞかし。 一西書きちがい。言いまちがい また、心地あしく、物おそろしきほど、夜の明くる待っこそ、いみじう心も 段 一宝仮に「 ( 乾くのを ) 待っ」とみる が不審。「歯黒め」は、当時成人し となけれ。まっ歯黒めのひるほども心もとなし。 た婦人が歯を黒く染めて化粧とし 第 たこと。鉄片などを酸化させた液 を塗った。 一六五故殿の御服のころ ニ四 いりずみ けさら・び一と

8. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

ことばづかいと見るのである。この段のみならず全体的にであったが、そこで先生が指摘なさったのは、そんざいな 「ことば」を使うことや、目上に対する敬意を欠いた「こ このような傾向を私共の訳は持っている。会話の概念は今 日と異なっているのであるが、中宮の女房に対する発言は、とばづかい」の不適正のほかに、目下 ( たとえば弟妹 ) に対 全般的には発言そのものを直接話法で記したというよりも、する「ことばづかい」、友人との会話の「ことばづかい」 女房である清少納言の立場からの敬意をやや濃厚にかかえの不適正でもあった。要するに時と場合によっては「丁寧 た間接話法に近い性格を持っと思うのだが、いかがであろな」ことばばかりではなく、身分に応じたことばや、容赦 うか。即ち「『 : ・ : 』と仰せられた」とあっても実はのない断固としたことばを使えなくてはいけないのだし、 「 : : : のおもむきの仰せ言があった」という意識が強いよまた自在で対等の関係であるべき友人に対し、個性的では うに思うのである。その中においてみると、「香炉峰」のない決り切ったことばを使えば、これまた「いやしい」の 場合は、上に「少納言よ」という呼びかけの語があるから、であった。しかもそれは女性語で、しかも子供のことばで なくてはならなかった。いまだに「いやしい」ことばやこ 7 かなり直接的なことばの面が強いとみてよいであろう。私 共の訳はいわば男性語でもなく女性語でもない、一種の架とばづかいしかできないことを、私自身、大変恥ずかしく、 空語のような訳であるかもしれない。やや不統一の面もあまた先生に対し申しわけないことに思っている。少し前ま しつけ るが、今後の問題として考えていきたいと思う。なお現在では日本人のことばの躾には、程度の差こそあれこうした における宮中の御言葉のうち、特に上↓下への場合につい下のものに対することばづかいや、「場」に応じた柔軟な そくぶん て仄聞したところでは、次第に「普通」に近づいていらっ ことばの対応への、きびしい要求があったのではないだろ しやるということであった。 うか。目下に対することばは、目上に対するそれよりずつ 私は女子だけの私立学校で初等教育を受けたが、低学年とむずかしいと実感している。 のころ「ことば」にきびしい先生が何度もおっしやったの清少納言は中宮のいわば公的な場に於ける発言やふるま は「いやしい」ということばであった。このことばを伺う いと、私的な場に於ける人間としての親しいそれとを、よ しゅうち さんこう 度に、全存在の核が揺らぐような激しい羞恥を覚えたものく区別して見つめている。そのどちらも清少納言には讃仰

9. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

こうべん はり、ひどくわれながら身の程知らずに、どうしてこのよ さるのを、抗弁のことばなどを申しあげるのは、目を疑う うに宮仕えに立ち出てしまったことかと、汗がにじみこば ばかりで、あきれるほどまで、赤らめたところでどうしょ うもないことながら、顔が赤らむことであるよ。大納言様れて、ひどくつらいので、いったい何を御応答申しあげよ くだもの うか。ちょうどよい具合に陰になるものとして差しあげて は御果物を召しあがりなどして、中宮様にも差しあげなさ いる扇をまで大納一言様がお取り上げになっているので、ふ る。 ひたいがみ みきちょう りかけて顔を隠すべき額髪のみつともなさをまで考えると、 大納言様が、「御几帳の後ろにいるのは、だれだ」とき 「すべてほんとうに、わたしのそうした様子がみすばらし っと女房におたずねになるのであろう、そして女房が「こ く見えていることであろう、早くお立ちになってくださ れこれです」と申しあげるのであろう、座を立ってこちら い」などと思うけれど、扇を手でもてあそんで、「この絵 においでになるのを、どこかほかへいらっしやるのであろ はだれが描かせたのか」などとおっしやって、急にもお立 うかと思うのに、たいへん近くお座りになって、お話など ふ そで みやづか なさる。わたしがまだ宮仕えに参上しなかった時に、お聞ちにならないので、顔に袖を押し当てて、うつぶしに臥し もからぎぬ ているのは、裳や唐衣におしろいが移って、顔はまだらで きおきなさったのだったことなどを、「ほんとうにそうだ あろう。 ったのか」などとおっしやるので、今まで御几帳を隔てて、 大納言様が長いこと座っていらっしやるのを、もちろん 遠くからよそ目にお見申しあげるのでさえ気おくれをおば えていたのだったのに、ひどく思いがけなくて、じかにおつらいとわたしが思っているだろうと中宮様はお察しあそ 段 こればしていらっしやるのだろうか、大納言様に「これを御覧 向い申しあげている気持は、現実とも感じられない。 ぐぶ ぎようこう なさい これはだれが描いたのですか」と申しあげあそば まで、行幸などを見物するのに、供奉の大納言様が、遠く 第 からこちらの車のガにちょっとお目をお向けになる場合は、すのを、うれしいと思うのに、「いただいて、見ましよう」 したすだれ と申しあげなさるので、中宮様は、「やはりここへ」と仰 車の下簾の乱れをあらため、こちらの人影が透いて見える せあそばすと、大納言様は「わたしをつかまえて立たせな かもしれないと、扇をかざして顔を隠した、それなのにや おうぎ す

10. 完訳 日本の古典 第十三巻 枕草子 ㈡

と笛を合せて歩み出しているのは、たいへんおもしろい 馬上でも、笛を持っているとは見えなくて、これくらいお もしろい物はない。まして自分の聞き知っている調子など まくら あかっきがた 二〇三見るものは は、たいへんすばらしい。暁方に、男が置き忘れて枕もと ぎようこう 見るものとしては行幸。賀茂祭の帰りの行列。御賀茂 にあったのを見つけたのも、やはりおもしろい。男のもと - も、つ・ から取りに人をよこした笛を、紙におし包んで届けるのも、詣で。臨時の祭。 がいけん この臨時の祭の日は、空が曇って、見た目も寒々として ただ手紙のような外見をしている。 まいびとぺいじゅう かざし そう いるのに、雪が少し散って、使いや舞人・陪従などの挿頭 笙の笛は、月の明るい折に、自分の乗っている車の中な あおずりほう どで聞えているのは、たいへんおもしろい。だが、この楽の花や、青摺の袍などにかかっているのは、何とも言われ さや おおがら ないほどおもしろい。舞人の太刀の鞘が、くつきりと黒く 器は大柄で所狭いまでに仰々しい形で、扱いにくく見える。 びかびかして、反射光で白く広く見えているのに、半臂の これを吹く顔は、どんなだろうか。それは横笛も同じこと すりばかま みが ひちりき 緒が、磨いてあるように光ってかかっているのや、摺袴の で、吹きよう次第であるはずだ。篳篥は、ひどく不快で、 きめた くれないしたばかま 中から氷かとびつくりするくらいな紅の下袴の、砧で打っ 秋の虫を例にとるなら、くつわ虫などといったところで、 もう少し行列を通 た光沢の具合など、万事がすばらしい 不愉快で身近に聞きたくはない。まして下手に吹いている らせたいのに、祭の使いは、必ず、にくらしげな者もある のは、とてもにくらしいのに、臨時の祭の日に、まだみな みかど 段が帝の御前には出おわらないで、物陰で、横笛をひどくす場合は、目もひかれることがないよ。しかし、それも藤の ばらしく吹き立てているのを、ああおもしろいと無我夢中花に顔が隠されているところは、おもしろい やはり今行列の過ぎて行ってしまった方向が自然と見送 で聞いているうちに、なかばぐらいから、急に篳篥を吹き かイ、し ゃなぎがさね 第 上げている折こそは、ひたすら、とてもきちんと整った髪られるのに、陪従の気品がない者は、柳襲に、挿頭の山吹 さかだ が、あっかましいように見えるけれども、アフヒをとても を持っていよう人も、みなその髪が逆立ってしまうに違い やしろ なさそうな、すばらしい気持がする。そのうちしだいに琴高くうち鳴らして、「賀茂の社のゆふだすき」とうたって へた たち