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世界史の誕生 : モンゴルの発展と伝統

目次 まえかき 第 1 章一一一〇六年の天命ーー世界史ここに始まる 1 ン ( 当 / モンゴルの外の世界 ( 巧 ) / ル 1 シの公たち チンギス・ ( 巴 / リトアニア人気 ) / 東ローマ帝国 ( 巧 ) / アイユ 1 プ家 ) / 西 ョ 1 ロッパ龜 ) / 世界支配の天命 ( ど / 歴史は文化である ( と / 歴 史のない文明ーーインド文明 ( / 歴史のない文明ーーマヤ文明 ( 七 / 対抗文明の歴史文化 ( 第 2 章対決の歴史ーー地中海文明の歴史文化 歴史の父へ 1 ロドトス ( と / 歪曲された神話 ( を / 対決の歴史観

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第 3 章皇帝の歴史ー・中国文明の歴史文化

世界史の誕生 : モンゴルの発展と伝統

対抗文明の歴史文化 歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。 本来、歴史のある文明は、地中海文明と中国文明だけである。それ以外の文明に歴史があ る場合は、歴史のある文明から分かれて独立した文明の場合か、すでに歴史のある文明に 対抗する歴史のない文明が、歴史のある文明から歴史文化を借用した場合だけである。 たとえば日本文明には、六六八年 ( 天智天皇即位 ) の建国の当初から立派な歴史がある が、これは歴史のある中国文明から分かれて独立したものだからである三五三頁参照 ) 。 またチベット文明は、歴史のないインド文明から分かれたにもかかわらず、建国の王ソ ンツェンガンボの治世の六三五年からあとの毎年の事件を記録した『編年紀』が残ってお と、つ り、立派に歴史がある。これはチベットが、唐帝国の対抗文明であり、唐帝国が歴史のあ る中国文明だったからである。 イスラム文明には、最初から歴史という文化要素があるけれども、これは本当はおかし 。アッラーが唯一の全知全能の神で、宇宙の間のあらゆる出来事はアッラーのはかり知 れない意志だけによって決定されるとすれば、一つ一つの事件はすべて単独の偶発であり、 ふけい 事件と事件の間の関連を論理によってたどろうなどというのは、アッラーを恐れざる不敬 くわだ の企てだ、ということになって、歴史の叙述そのものが成り立たなくなってしまう。 それにもかかわらず、イスラム文明には、六世紀にムハンマド ( マホメット ) がメッカ へんねんき

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284 意味はなかった。「歴史」という観念そのものがなかったのだから当然だ。 しかし、同じ歴史とはいっても、ヘーロドトスが創り出した地中海型の歴史では、大き な国が弱小になり、小さな国が強大になる、定めなき運命の変転を記述するのが歴史だと いうことになっている。世界で最初の歴史が、ベルシアというアジアの大国に、統一国家 ですらない弱小のギリシア人が勝利する物語であったために、アジアに対するヨ 1 ロッパ の勝利が歴史の宿命である、という歴史観が確立してしまった。これに、キリスト教の 「ヨハネの黙示録ーの善悪対決の世界観が重なって、アジアを悪玉、ヨーロッパを善玉と する対決の歴史観が、現代の西ヨーロッパ文明にまで影響を及ばしている。 これに対して、司馬遷の『史記』は、皇帝という制度の歴史であって、皇帝の権力の起 源と、その権力が現在の皇帝に受け継がれた由来を語るものである。皇帝が「天下」 ( 世 界 ) を統治する権限は、「天命」 ( 最高神の命令 ) によって与えられたものだ、ということ になっていて、この天命が伝わる順序が「正統ーと呼ばれる。天命の正統に変化があって は、皇帝の権力は維持できないから、中国型の歴史では、現実の世界にどんな大きな変化 があっても、なるべく無視して記述しないことになる。 このように、同じ歴史とはいっても、地中海文明では変化を主題とする対決の歴史観が、 中国文明では変化を認めない正統の歴史観が、それぞれ独自に書きつがれてきて、今日の われわれの歴史観、ひいては世界観にまで大きな影響を与えている。

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262 次はチンギス・ 1 ンの祖先たちの物語で、アラン・グワが天の光に感じてポドンチャル を産んでから、チンギス・ 1 ンの父イエスゲイに至るまでを語る。次は歴代の大ハーン たちの歴史で、チンギス・ 1 ンから始まって、『集史』編纂当時の元朝の皇帝テムル・ こうひ ーン ( 成宗 ) に至るまで、 ーンたちそれぞれの系図と、后妃の表と、一代記を載せる。 それぞれの一代記の中では、毎年の箇条の下に、世界の他の地方で何が起こっていたかを 記す。続いてイラン高原のイレ・、 ノノ 1 ンたちの歴史があり、初代のフレグ・ ハ 1 ンからガ ザン・ ーンに至る。 第二巻は、ガザン・ ーンの後を継いだ弟のオルジェイトウ・ハ ーンの一代記と、モン ゴル人以外の諸国民の歴史である。諸国民の歴史の部分は、『旧約聖書』のアダム以来、 よげんしゃ 預一 = ロ者たちに至る物語、ムハンマド ( マホメット ) とその後継者のハリーファ ( カリフ ) た ちのアラブ帝国、ベルシア、セルジュク帝国、ホラズム帝国、中国、フランク ( ローマ皇 帝とローマ教皇 ) 、インドなどの諸国民の歴史を語っている。第三巻は地理誌だったはずだ が、今は残っていない。 この構成で判るように、『集史』は、チンギス家を中心にした世界史である。その世界 史の中に、中国と西ヨーロッパという、固有の歴史を持っ二つの文明が含めてあるのは、 それまでに書かれた歴史に前例のないことである。これは、モンゴル帝国の出現とともに、 単一の世界史が初めて可能になったことを明らかに示すものである。なおこの種の本格的

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ど居なかったのである。 いずれにせよ、キリスト教がローマ帝国の一般人の宗教になって、ついに三九一年、皇 帝テオドシウスは法律をもってキリスト教を国教とし、他の宗教を禁止する。そうなると、 もともとはユダヤ人の読者だけのために書かれた「ヨハネの黙示録 . も、全人類の運命の 預言として読まれるようになる。そうした事情で、キリスト教化した地中海世界では、歴 史はヤハヴェ神とイスラエル人 ( ユダヤ人 ) の間の契約とともに始まったが、今やメシャ の出現で契約は完了し、まもなくメシャの再来とともに時間は停止して、歴史は終わるの 対だ、という歴史観が主流になってしまう。 歴しかしこのキリスト教の歴史観は、もともとユダヤ人だけの、視界の狭い歴史観だった 月から、それまで地中海世界の主流だったへ 1 ロドトスの、歴史はヨ 1 ロッパとアジアの対 文 決だという、ロ 1 マ帝国の現実によりよく合った、規模の大きい歴史観と、完全に矛盾す こうえい 地 る。このために、キリスト教化したローマ帝国の精神的な後裔である、後世の西ヨーロッ 史パ人は、二つの矛盾した歴史観の間を、いつまでも右往左往しなければならなくなるので のある。 決 対 東西の対決 ところで、不幸なことに、ヘ 1 ロドトスの対決の歴史観と、キリスト教の歴史観とは、

物語ビルマの歴史 : 王朝時代から現代まで

物語ビルマの歴史王朝時代から現代まで

小説新潮 2016年12月号

「ということは、一般の人たちも、明治政させたんだ」 相応にも狙うという意味。つまり、自らの そういうことなのか : 身分も顧みず、天皇の地位を狙おうとする府の方針がおかしいと思っていたのね。 響子は嘆息する。 ような不届き者は、長い日本の歴史の中にカげた命令だと分かっていた」 こうして話を聞くと改めてーー・というよ も、将門くらいしかいなかった、だから神「だから氏子たちも猛抗議を行って、将門 り実にリアルに、宗教と政治の争いを感じ として祀るなど、とんでもない話だーーとの新社別構のための大金を集めたりして、 た。将門にしても、平安時代の人々の戦い いうことになる」 当時の政府と揉めた。しかし結局は、将門 を第三座として祀るということで、一応決にしても、今までは何となく遥か昔のお伽 「でも、将門は天皇の血を引いていたし、 話のように感じていたのだが、今回は、と そもそも、天皇の位なんか狙っていなかっ着した」 「それで、こんな形になっているのね」響ても身近な話ではないか。平安時代からの たんでしよう」 いさか 「もちろんそうだよ。それに『長い日本の子は由緒書を見た。「それで、取りあえず諍いが、色々な人々の思惑を巻き込んで、 明治まで続いていたというのだから。 歴史の中』には、天皇の地位を狙おうとし一件落着」 今更ながら響子は、歴史は細切れに存在 た人間は、実際に何人もいた。だからこれ「ところが、そうもいかなくて」と漣は言 う。「再び教部省から連絡が人って、今度しているのではなく、今現在の自分たちも は明治政府の、単なる言いがかりだ」 ちよくがく れいげん は、社殿に掲げてある霊元天皇の勅額であ同じ一枚の板の上に乗っているのだと感じ 漣の言う通りなのだろう。 た。滔々と流れる水の上に舟を浮かべて、 将門を「見せしめ」として、全国の神社る『神田大明神』の額を取り外すようにと 連綿と続く「歴史ーという大河を下ってい に政府の方針を知らしめようとしたに違いいわれた」 るのだ。過去は決して夢物語ではない。振 ない。 「次から次へと、完全な嫌がらせね」 どみずのお 「大体その時点で将門は、後水尾天皇により向けば、すぐそこに将門が立っている それでも結局、と漣は続けた。 「神田明神は、無理矢理にその条件を呑まって勅免されていて、罪人でも何でもなく されてしまって、将門を第一座から降ろしなっていたんだ。だから、さすがに東京府そんなことを考えながら、響子は漣に続 て末社に遷してしまった。だから当時のも神田明神の肩を持って、その額だけは下いて随神門をくぐり、境内に人った。 すると正面に、大きく立派な社殿が姿を将 ろせないと反発した。そこで明治政府は、 『東京日日新聞』などには、 の さんじようさねとみ 時の太政大臣である三条実美が染筆した現す。二人は手水舎で手を洗い、ロを漱ぐ門 『神田っ児が、平の将門を左遷』 と再び境内に戻って、社殿へと向かったの などと書かれて、揶揄されることになっ『神田明神』の額を神田明神に下付して、 -4 それを掲げることによって、この件を落着だが てしまった」

世界史の誕生 : モンゴルの発展と伝統

きよ、つ」 とうえっ 『史記』には、中国人の伝記ではなくて、「匈奴列伝」、「南越列伝」、「東越列伝」、「朝鮮 だいえん せいなんい 列伝」、「西南夷列伝」、「大宛列伝」という、われわれには外国の歴史を記述するように見 える一群の「列伝 , がある。しかし中国世界は国家ではなくて一つの世界だから、国境と ちょっかっ いう観念はなく、従って外国という観念もない。ただ皇帝が直轄の都市を持っ地域と、持 たない地域があるだけである。こうした皇帝の直轄地以外の地域の住民が、皇帝とどんな 関わり合いを持ったかを記述するのが、こうした特殊な「列伝」の趣旨であって、これら もやはり皇帝の歴史の一つの表現である。 ぎしょ ぎしわじんでん と、つい 文『三国志』の「魏書」の「東夷列伝、の「倭人、の条、いわゆる「魏志倭人伝」もこの性 しん 歴格は同じで、あくまでも『三国志』の著者陳寿の仕える晋の皇帝の先祖と倭人が持った関 明係を、晋朝に有利な形で語るためのものであり、後世のために倭人の客観的な歴史を記録 国するなどという、殊勝な目的があったわけではない。 とにかく、こうした『史記』によって、中国文明における歴史の性格は決定した。皇帝 史が統治する範囲が「天下」すなわち世界であり、「天下 , だけが歴史の対象である。言い の換えれば、中国文明の歴史は、皇帝の歴史であり、永久に変わることのない「正統」の歴 皇史である。あとはその時代その時代の公認の「正史が、『史記』の形式を少しも変えず に踏襲して、皇帝を中心とする世界 ( 中国 ) の叙述を続けていくだけである。 0 わじん ちんじゅ なんえっ

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しんたく 1 ンを地上の全人類の唯一の君主として指名し、チンギス・ この神託は、チンギス・ ーンの臣下とならない者は誰でも、天の命令に服従しない者として、破滅をもって罰す ーンとその子孫に率いられたモン るという趣旨である。この天命を受けて、チンギス・ ゴル人たちは、神聖なる使命を果たすべく、世界征服の戦争にこれから乗り出して行くこ とになる。それが、世界史の発端になったのであるが、どうしてそうなったかを語る前に、 そもそも歴史とはどういうものかという、根本の問題について、少し話をしなくてはなら 歴史は文化である 歴史とは何か。 普通、「歴史 , と言うと、過去に起こった事柄の記録だと思いがちである。しかし、こ れは間違いで、歴史は単なる過去の記録ではない。 歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体 しやくど 験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことで ある。 ここでは先ず、歴史は人間の住む世界にかかわるものだ、ということが大事である。人 はあく じよじゅっ いとな